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1回表 先頭打者ホームラン

 ずっと補欠だった。

 二つ年上の兄の影響で小学三年生から野球を始めた俺は試合にはほとんど出してもらえない選手、世間一般では『補欠』という地位を中学三年生まで確立してきた。特別下手くそだったわけじゃない(と思いたい)が打つ、守る、走るの野球にはかかせない三拍子がどれも中の下ぐらい、平均よりやや下というのが理由。一言で言うならば、ザ・中途半端といったところだ。まあ、監督や指揮官の人間なら試合に出すのは堅実な守備、一発のある長打力、塁を盗みまくれる足を持っている選手を起用したいのはわかる。俺みたいな特徴も他より何かに特化した能力も皆無な選手をベンチに置いておくのは妥当で賢明な判断だ。

 いや、でも、まさか中学最後の引退試合に三年生で俺だけ出場させてくれないのにはさすがの俺も憤怒ふんぬしていた。人生で初めて法廷で裁判をおこしたくなったね。せめて代打の一打席ぐらいは与えてもらえると思っていた俺はいつもと変わらない景色が見えるベンチで、いつもと変わらないチームメイトたちがプレーしているのをジッと眺めていた。試合後、引退試合ということもあって監督が一人一人に声をかけるミーティングがあって、そこで俺は言われた「試合に出ることが全てじゃない。たとえ裏方、されど縁の下の力持ちでもこの先の人生で必ずおまえのかてになっていく」アホか。俺はなんのために野球してるかわかってんのか? 今後の人生を見据えてるのならこんなとこで死ぬぐらい汗かいて練習してねーよ。進学塾にでも朝から晩まで缶詰かんづめになるっての。

 引退試合でそんな扱いされてしまった俺はチームメイトからも白い目で見られるはめになってしまった。「うわ~あいつ気の毒だな~」みたいな視線が一気に注がれて二度と輪の中に戻れることはなかった。

 家に帰れば野球狂の父に「試合に出ていなかったのはおまえだけだ。恥をかいた」なんて言われ、四面楚歌しめんそか状態で俺は部屋に閉じこもるしかなかった。

 こんな感じで試合に出れないということはそれだけで社会的地位や人間関係を崩壊させられ、挙句の果てには犯罪を犯したような錯覚に陥る地獄のような恐ろしい身分、それが補欠だ。


 だから決めた。高校では野球をしない。決別する、と。


 入学したのは家から電車に乗って通える距離にある県立小読高校けんりつしょうどくこうこう。ここは野球部こそあるけれど去年の甲子園につながる夏の県予選で人数不足で棄権になった。すなわち野球部超弱小校だ。どちらかといえば学問に力を注いでいる高校で就職よりも進学を希望する生徒ばかりなので運動系の部活はあまり活発ではない。今の俺の心情にピッタリだった。

 春の入学式を終えて高校初めてのゴールデンウィーク。いや、人生で久しぶりのゴールデンウィークと言った方が正しい。野球漬けの人生を送っていた俺は大型連休なんてただの遠征試合祭りにすぎなかったからだ。俺が小学生の頃野球をやっていたチームは地元のスポーツ少年団、ソフトボールチームなんかとはわけが違う。しっかりとしたリーグに加盟するクラブチームで俺は野球をしていた。大きな違いは球の種類で高校生やプロ野球と同じ硬球こうきゅうを使用し、軟式なんしきやソフトボールとは違って肘にかかる負担が大きく、あまり小学生にはおすすめできない。しかし、将来を見据えている親たちは我が子に早くから硬球に体をなれさせて高校球児やあわよくばプロ野球選手に育て上げようと心に秘めているので月々に支払う月謝も惜しまない。そんな野球のエリートコースの荒波の中に埋もれながら俺は休日の遊びなんて体験する暇もなく汗を流し続けた。

 だから遊びまくってやった。入学してからすぐにできた仲良しグループ(むさい男子ばかりではない。ちゃんと女子もいる! ひゃっほう!)と共にカラオケ、ボーリング、映画、ゲーセン、プリクラに至っては初めて撮った。それの時の俺の表情を例えるなら刑務所から刑期けいきを終えて出獄しゅつごくした元囚人もとしゅうじんのように。遊んでいる時は楽しすぎて涙が出てきた……。

 

 世界はこんなにも綺麗で輝いていたことを人生十五年目にして知った俺はゴールデンウィーク明け初日の教室に目を輝かせて着席していた。朝の教室は連休明けということもあって少し余所余所しい感じがどこかあって、まだ入学して間もないのと連休を挟んだせいだろう。朝から読書にふけっているやつ、菓子パンを食っているやつ、机の上にあぐらを組んでえらそうに座っているやつ。野球に明け暮れていた頃は周りをじっくり観察したことはなかったけれど、いろいろな人間がいるもんだ。

 これから夏休み(今まで、炎天下ノック)体育祭(今まで野球部は校庭に準備)文化祭(今まで終わったら練習)と遊園地のパレードみたいに楽しいことが続いていくんだろうな、とか考えていた。

 ふいに窓の外を眺めた。外には陸上のトラックが校舎と芝生の坂を隔てて広がっている。その陸上のトラックの直線部分で朝練をしている少数の運動部員の姿が目に入ってきた。ふん、さっさと気付けよ。そんなことに意味なんてない。意味があるのはたった一握りの人間で、将来もスポーツ選手として花を咲かせることができる人間だけだぞ。今していることは本当に時間のロスタイムだ。

 女子の陸上部員の一人がハードルを飛び越えるのを失敗して倒してしまった。それを見て心配そうにもう一人がかけより「大丈夫?」的な素振りを見せた後、倒してしまったやつが「えへへ、もう一回」みたいに人差し指で数字の一をつくってスタート地点に戻っていく。いら立ちを覚えた。何故だろう、無性に腹が立って、窓の外から目を逸らして机に突っ伏した。

 未練なんてない。ないさ。あんな思いをするぐらいなら封印する。今だって充分楽しいじゃないか。


 「あの、小笠原君。寝てるのですか? 小笠原道明おがさわらみちあき君起きてください」


 声がした。女子の声だ。でも、すぐに反応するのは好きじゃないから咄嗟にさっきまで寝てたよ感を出しながらダルそうに頭をあげた。

 俺の机の前に立っていたのはお人形……を連想させるような小柄な体型と栗色の長髪をツーサイドアップにして幼くかわいさを表現しつつ、顔立ちは黒い瞳が大きくて印象的な小悪魔的フェイスのクラスメイトの女子、阿坂茜あざかあかねがちょこんと立っていた。……とりあえず一言で言うとかわいい。


 「な、何かな?」


 少しどもってしまったのは阿坂茜と話したのが今日が初めてだったからで、別に女子に対して話すのが慣れていないとかそういのではない。大抵の男子高校生なら無意識の内に自分のクラス女子の『かわいい』とか『自分のタイプの女子』は名前と顔を脳内で一致させておくと思うが、その脳内で一致させておいた女子がいきなり声をかけてきたら俺のような反応になってしまうだろう。それに初めて話すのにはわけがある。阿坂茜は入学式が行われた週の一週間しか高校に登校していない。確か理由は引っ越しがどうとか家の事情と担任は言っていた。

 

 「申し訳ないのですけど。教科書を貸していただけないでしょうか? 今日の授業に無い現代文のなんですけど、あります? 早くみんなに追いつきたくて勉強したいのです」

 「あ、ああ、あるよ」


 またどもってしまった。

 そして高揚していた。わざわざ阿坂茜が俺に借りに来ることに胸がときめいている。このクラスには他にも女子がいるのにその中で男子の俺に、しかも話したことすらない俺に借りに来ている。そうか、接点が欲しいんだな。わかりますその気持ち。どうしよう阿坂茜から返却されてきた教科書の一ページ目に電話番号とI LOVE YOUの横文字が書いてあったら。

 動揺してるのとアホ顔になっているのがばれるのが嫌だったので手際よく引き出しから現代文の教科書を手に掴んで引っ張り出した。そして机の上に置くと、何? タオル? 布状のものが一緒にくっついてきた。


 再度、見てみるとそれは女性用下着の紐パンと紐ブラ(女をひきたてる漆黒の黒)でしかも何の因果かそこには白濁液がドロッと付着しているではありませんか。


 「……ゴフっ!」


 異常事態に気管が詰まってタンがからんだような咳をしてしまい吐血しそうになる。そして危険物を引き出しに戻す、何もなかったように。それが果たして良い判断だったのかは分からないけど、恐る恐る阿坂茜の表情を確認することにした。頼む、何も見ていなかったというミラクルを起こしていてくれ!


 ゆ…………っくりと、顔をあげる。神の前にひざまずく下僕民げぼくみんおもてをあげるがごとく……。


 「誰の下着で朝っぱらからクンカクンカ自慰行為じいこういをしていたんですか。このド変態」


 見てたよ! やっぱり見られてたよ! しかも初対面でこんなにキツイ言葉浴びさせられちゃったよ!


 「ちょ、ちょっと待ってくれ! 知らない! 今日初めて引き出しから教科書を取ろうとしたらこんな変態紳士みたいなセットが出てきたんだ! 信じてくれ! くそっ! それに誰の○○だよ! きったねーな! 信じらんねーぜ!」


 必死に言い分を言っていたのが大声になっていたのかクラスの目が俺に集中する。しかも女子がいるクラスではA級の禁句ワードも口走ってしまった。まずい、このまま騒ぎを大きくしてしまうと俺の高校生活が暗黒の道を辿ってしまう。とにかく俺はこんなもの引き出しに入れた覚えはない。それだけで充分じゃないか。たとえ阿坂茜に教師どもに言いつけられても裁判所せいとしどうしつに連れて行かれても最後まで闘ってやる。落ち着け俺、ジャスティス俺。


 「信じれるわけないじゃないですか。年頃の男子生徒ですよ。それにさっき見てしまいましたから。私、自分のクラスにクンカクンカ君がいると思うとこの先の学園生活が安心しておくれないと思うのです。だからやっぱりさっき見たことは今から周りに公表しようと思うのですけどいいですか?」

 「よくないです……」


 小動物の泣き声ぐらい小さな声で返答した。


 「えっ? 聞こえないですよ小笠原クンカクンカ君。 この教室での公開処刑が嫌なら生徒指導室に行きますか?」

 「それだけは勘弁していただけると嬉しいです。あと名前……」

 「わかりました。取引をしましょう小笠原クンカクンカ君。放課後ホームルームの後この教室に残っていてください。そこで話があるので」


 阿坂茜はやっぱり小悪魔的だった。かわいくて幼い顔立ちのくせに一言一言の言葉が今の俺には鉄の矢で心臓を射抜かれているように痛々しい(小笠原クンカクンカ君はいいすぎだろ)。丁寧語である語尾にです、ますを付けているくせに俺は今確実にゆすられている。金か? 地位か? 名誉か? 俺のことが好きなのか(こんな時までポジティブ)目的はわからないがこの状況だ。俺は渋々頭を上下させて了承した。


 「わかった。放課後に」

 「ものわかりが良くて嬉しいです。ではまた放課後」


 ペコリ、一礼して自分の席に髪を左右に揺らしながら戻っていく阿坂茜。

 悪魔との契約を結んでしまった俺は、夢オチを期待してもう一度引き出しの中を手探りで確認してみたが、紐パンと紐ブラの感触、そしてドロッとしたものが指先に伝わり、ダッシュで水道に直行した。

 朝のチャイムが鳴り響き嵐のような朝の時間が終わった。

 



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