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プロローグ ~試合前~

 イレギュラーという言葉がある。通常通りでない例外であるさま、という意味だけど野球用語でよく使われる時の意味は主に平らな地面に対してバウンドしてきたボールがいきなり不規則な動きを見せたときに使用される用語だ。その不規則な動きに対応できない選手はほとんどがエラーしてしまう。でもエラーをした選手はチームメイトや監督の誰からも責められることはない。なぜならイレギュラーの原因は選手自身では無くて整備されていない地面が悪いのだから、言い方を変えれば環境が悪いのだ。


 通常通りでない……それなら幼少の私達もイレギュラーと言える。


 木村桃きむらももを含めた私達四人はいつも一緒に遊んでいた。


 みんな女の子だったけれど、おままごと、人形遊び、お菓子作り、なんて遊びはしたことがなかった。


 遊びはほとんどが野球だった。


 特殊な小学生の女の子達だったと思う。ボールが見えなくなるまで野球をして泥だらけになる女の子達が今時いるだろうか。野球をするきっかけは木村桃が言い始めたのを覚えている。夏の日に誰の家でかは忘れたけれど、集まった時にテレビを見ていて甲子園の中継がパッと映った。リーダー格の木村桃の目が輝き始めて嫌な予感がした。


 「各自、グローブとボールとバットを持ってグランドに集合!」


 そして的中した。


 近くのグランドに集合したなら手にはすぐさまグローブを装着する。みんな家に古くからあったもの、お兄ちゃんのを黙って借りてきたもの、そんなことだから誰一人ピッタリのものは無かった。ぶかぶかのグローブは重たくて、握力もままならないので開いたり閉じたりする動作もやっとだ。四人で小さな四角形を作って、ベースは無かったけどちょうど野球のダイヤモンドになってから始めるキャッチボール。


 でも実際にやってみるとおもしろかったのは事実。嘘じゃない。


 清水原真子しみずはらまこはいつもワンバウンドやジャンプしても捕れないぐらいの高さの暴投を投げていた。そして意味不明なぐらいにボールが速かった。小学生の女の子とは思えないボールの速さにいつも桃から「真子は絶対にプロに入れるな! そしたら史上初の女子プロ野球選手の誕生だ!」と太鼓判をおされていた。本人はどう思っていたのか知らないけど私は羨ましかった。暴投した後の口癖は「わりー」で、憎めない笑顔で言うもんだから誰も何も言えない。


 高松美夏たかまつみかは真子の「わりー」を誰よりも聞かされていた人物。ダイヤモンドになってキャッチボールを始めると必然的に真子がボールを投げる相手が美夏だったからだ。必然的なのは美夏が自分から真子を呼んでいたからで、誰よりも頭が良かった美夏は一番効率がいいのはどうしたらいいか、を瞬時に考えて行動していたんだと思う。真子の暴れ馬のような速球は自己犠牲で補うのが一番効率が良いと判断した結果だった。そう考えると頭が良いというよりは優しいと言ったほうが正しい。


 阿坂茜あざかあかねはボールを怖がっていた。美夏から胸の位置に送球されたナイスボールも「きゃっ!」と言って身体をかがめて後ろにそらしてしまう。そのせいで毎回私の所でキャッチボールは一時中断してしまう。遥か後ろに転がって逃げていくボールを追いかける。拾い上げて投げ返そうとする先にはいつも「アカネ! バックホームの練習だ!」と大きく両手を廻して呼んでくれる桃がいた。当時、野球のルールなんて知らなかった茜は「家に帰る練習ですか?」と英語教室に通っていた経験を生かして自由な翻訳を脳内で想像していた。少し天然だった。


 木村桃はそのすべてを捕球する。暴投も優しさもエラーも全てがダイヤモンドで一周して桃に帰ってくる。茜が次に投げる相手はいつも桃だったから絶対的な安心感にどっぷり浸っていて、幼少のころの仲良しグループのリーダー格の人間はだいたいそんなものだと思う。その人の判断についていけば間違いはまず無い。野球に例えるならどんなボールを投げても捕球してくれる桃の懐の深さ。でも最初で最後で一度だけ茜のボールを補給してくれない時があった。

 

 小学校を卒業して中学に進学するまでの期間の春休みに四人は久しぶりに集まった。久しぶりなのはみんな徐々に女の子が野球をしている競技人口の低さに気付き始めたのが原因、おしゃれしたり友達とマックでだべるのが普通でそれは当たり前のことだ。イレギュラーではなく平凡な人生になりつつあった。

 その日、茜が桃に送球したボールは桃の手前でバウンドしてボールは大きくイレギュラーした。桃から遠ざかっていくボールは悪戯にもそのままグラウンドのネットのちょうど穴の開いた箇所をスルっと潜り抜けて道の真ん中で止まった。


 「ごめんアカネ! 今のは捕れなかった!」


 そんな時も桃はいつもの笑顔で謝った。悪いのは桃まで届かない送球をした茜なのに。小学生の頃と違って力も強くなっていた茜は桃までの距離を投げれないわけなかった。届かなかったのは偶然ではなくて、茜の目に溜まった滴が送球を鈍らせていた。グランドを大回りしてボールを拾いに行く桃の姿を見て真子も美夏も表情を曇らせていた。久しぶりに集まったのに、あんなこと言わなければよかった。


 そう思った時にはもう遅すぎて、悲鳴にも似た急ブレーキの音がグランドに響き渡った。


 その日、木村桃が亡くなったのです。



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