1話
ずらっと並ぶ作業着姿の人々。俺は灰色の作業服を着ていたが、他の清掃員は様々な色の作業服を身に着けていた。
その清掃員全員の視線がこちらに注がれている。
これだけ注目されるのなんて何年振りだろうか。子供の頃にタウン誌に絵が載って小学校の朝礼で表彰された、あの時以来だろうな。絵の具の色が足りなくて無茶苦茶な配色で塗った絵が「子供ならではの奇抜な発想でいい!」と評価されたのだっけ。懐かしい。
「今日から、我々と一緒に仕事をすることになったソウだ。みんな色々と世話してやってくれ。じゃあ、一言挨拶を」
黒縁のメガネをかけた気の強そうな女性から促されて一歩前に出た。
あがり症だからこういったのは苦手なのだが、初めが肝心だからビシッと決めないと。
「今日からお世話になることになりました、ソウです。初めのうちは皆さんにご迷惑をおかけすることも多いと思いますが、よろしくお願いします」
少し丁寧過ぎただろうか。昨晩考えた文章も今更ながら変な気がする。もうちょっとフランクな口調の方が良かったか? 色々考えはしたのだが、結局無難な挨拶にしてしまった。小粋なジョークを混ぜて笑いを取るべきだったかもしれない。
少しざわつく程度の反応で、殆どの人が自分の顔を何か珍獣でも見るような目で観察している。正直、あまり友好的には見えない。何人かは笑顔を向けてくれているので、それだけがありがたかった。
「はぁー」
昨日打ち止めだったはずのため息がこぼれる。何でこうなった。勇者のはずなのに、まさかこんな立場になるとは思いもしなかったよ。
昨日、敵を撃退した後、二人に連れられ瓦礫寸前の部屋を出た。
どうやら自分がいた場所は円柱型の塔のような建物で、扉からまっすぐ石造りの渡り廊下が伸びている。壁も屋根もない屋外の石橋で、横に二人並ぶのが精一杯程度の幅しかない。
橋の端から下を覗き込んでみるが、地面まで結構な高さがある。落ちたら打ち所が悪くなくても軽く死ねそうだ。高所恐怖症の人なら足がすくみそうな細い通路を、二人は平然と横並びで前を進んでいる。
周囲を見渡すと、四方を高い壁で囲まれている場所のようだ。自分のいた塔は周りを取り囲む壁の片隅に建てられていたようで、そこから真っ直ぐ延びる石橋が、塔へ繋がる唯一の道らしい。
そもそも、何で地面に接した場所に入り口がないんだ。こんな地面から離れた場所にしか出入り口がないなんて不便だろうに。通路も狭いし。
この通路の先には巨大な建造物。無骨ながらもシンプルな石造りの西洋の城――というよりは、要塞と表現した方がしっくりくる外観をしている。
なんなんだろうな、この建物。魔法学園とか言ってはいたが、勇者召喚なんてことを考える一団なのだから、やはり城なのだろうか。場の勢いで勇者っぽいことをやってしまったが、思い返してみると……
『ここは俺に任せてくれ!』
『フローリングウォッシャー!』
『清掃――完了』
あ、死にたい。目も当てらないような決め顔もしていたのだろうな――違うんだ、あれは社会人のマナーとして、場の空気を読んだだけ! 決して、少し気持ち良かったなんて思っていない!
頭を抱えてその場にうずくまりそうになる体を、気力を振り絞りどうにか抵抗すると、落ち着くために大きく深呼吸をした。
吸い込んだ空気に味があるような気がする。一応、都会在住なので、自然を滅多に感じられることがなかったが、濃い自然の香りを久々に味わった。
心が落ち着いてくると遠くの景色を見る余裕もでてきた。まだ早朝だったようで、右手の方向から朝日が差し込んでいる。中々綺麗なところだな。
山々に囲まれ自然が溢れている。空気が澄んでいるせいか、風景の色彩が鮮やかに見える。この建物はかなり高い位置にあるようで、時折、吹き付ける強い風が心地いい。
遠くの方に町並みが見える。あちらの日常で目にする景観とは似つかない、レンガ造りの壁や色彩豊かな屋根が眼下に広がっていた。日本家屋など何処にもない。
やはり、ここは日本じゃないのか。日本どころじゃ地球でもないのだろうけど。
「勇者様、申し訳ありませんが学園長の元に着くまで、このマントを羽織っていただけませんか?」
ミュルが申し訳なさそうに、おずおずとマントを差し出してきた。
シャムレイが彼女の背後に隠れてちらちらとこっち見ている。照れているようだけど、洗浄勇者を語っている時の饒舌は何処にいった。
「す、姿を見られないように連れてきて欲しいと、言われていますので、す、すみません」
怯えた子猫に見えてきた。むしろ、子犬か。
またも状況がつかめないが従っておくか。たぶん、質問攻めにしたところでこの子たちも良く分かってないのだろう。学園長とやらに訊くのが手っ取り早く確実な手段なはずだ。
マントを肩にかけフードを目深に被った。このマント良い匂いがする。さすが女の子の着ていた……って変態か俺は。
「どうかしましたか?」
フードを被っているため自分の顔が見えないのだろう、覗きこんできたミュルの顔が近い。大きな瞳に自分の姿が映っている。
さすがにこの状況は照れる。かなりの年齢差とはいえ自分より年下の女性と交わした会話なんて、この数年殆どないと断言できる。清掃現場は年上の方ばかりなので、慣れていないだけだ。決して特殊な嗜好の持ち主ではない。
「いや、えー、ああ、そうだ。君たちの格好って魔法学園? の制服なのかな」
取りあえず話題をふって、この状況から逃れよう。少し気になっていたのは事実だから不自然でもないはず。
「は、はい、そうで、す」
シャムレイは、ミュルの肩越しに半分だけ顔を覗かせ、恥ずかしそうにしている。やはり子犬だな。
「その制服、何処かで見たことがあるような」
なんとなく、母校である中学校の制服に似ている気がする。
「気づかれましたか! この制服は虚構絵師様の戦闘服をモチーフに作られているのです」
嬉しそうにミュルがその場で一回転する。詳細は少し違うがベースはうちの制服と一緒だ。
今スルーしそうになったが、虚構絵師って言ったよな。それって記憶に間違いなければ、妄想日記の挿絵を頼んだアイツが自分をモチーフにして作ったキャラのことか。勇者の仲間として制作したのだっけ。
アイツもまさか異世界で自分の絵が具現化しているとは思わないだろう。もし、アイツがこっちの世界に来たら年甲斐もなく、はしゃぎそうだ。
「勇者様少し楽しそうですね?」
知らないうちに口元に笑みを浮かべていたようだ。
「そうだね。少しだけ気分が和らいだかな」
歩みを止めることなく会話を続けていたのだが、ようやく通路が終ろうとしていた。見るからに頑丈な年代を感じさせる両開きの鉄扉があり、シャムレイが扉の前で何かを呟くと自然に扉が開いた。