7話
「これはこれは、勇者様直々にお相手してくださるとは。あははは、光栄ですよ」
幼さの残る顔が邪悪に歪む。
意識はこっちに向いている。ここで会話に持ち込んで相手の動揺を誘い時間を稼ぐしかない。
「やれやれ、せっかくの可愛い顔が台無しだよ。魔族というから化け物のような姿を想像していたのだが、こんなに可愛らしい御嬢さんだとは思いもしなかった」
自分で口にしておいてなんだが、恥ずかしさのあまり肌が粟立った。全身を掻きむしりたくなる。
人生でこんな臭い台詞を吐く日が来るとは思いもしなかった!
が、我慢、我慢。ここは羞恥心を噛み殺して、いかにも勇者だと思わせるために歯が浮くような会話もこなして見せる!
「はぁっ? 何、おっさんがキモイこと言ってんの。鏡見たことないのかぁ」
ぐっ! 平静を装って放った言葉をあっさり否定された。汚物を見るような目というのは、ああいうのをいうのだろうな。
否定どころか罵倒されるってどういうことだ。普通こういう場面だと相手の反応は、
『な、なに言っているの! わ、私は敵だぞ。そんな言葉に騙されないのだからねっ!』
みたいなツンデレ反応が返ってくるのがお決まりじゃないのか……。
「もういいわ。勇者だと期待したら、ただのキモイオッサンだったとは。もう殺すよ」
オッサン言うな。まだ二十代だ! あとキモイとか言われたら男は結構傷つくのだぞ! と言い返す暇もなく相手の姿が消えた。
圧倒的な速度で動いたのか魔法で消えたのかも判断できない。
――はずなのだが。俺にはその動きが見えていた。
一瞬で側面に回り込んだ相手が、黒い霧を絡ませた腕を俺の脇腹に叩き込もうとしている。それが、スローモーションのような動きで鮮明に見えている。
不思議だと思う余裕もなく咄嗟に、右脇に置かれていたポリッシャーを掴み、薙ぎ払った。がむしゃらに放った横薙ぎの一撃を敵は辛うじて両腕で防いだが、まるでそこに誰もいないかのように感触も抵抗もなく、そのまま勢いを殺すことなく振り抜くことができた。
ゼフルーと名乗った少女の顔がすぐ近くまで迫っていたのだが、一気に後方へ遠ざかっていく。一瞬にして敵が壁際まで移動している。それは相手が自らの意志で動いたものではない。
自分がいた部屋の中心部から壁まで十メートルはあると思うのだが、その距離を吹っ飛ばした。――それを俺が……やった?
思いもしなかった展開に、頭の中が疑問符で埋め尽くされている。
なんでポリッシャーを片手で軽々と振れた? 敵がアクション映画みたいに空を舞っていたよな今? あ、あれか、自分には隠された力があってピンチに目覚めたとか、召喚されたときに良くわからないけど、不思議な力が付与されたとか。あるある、そんな都合のいい展開。
強引に自分を納得させると、大きく息を吐き、顔を引き締め、正面から敵を見据えた。
理由は分からないが今の自分には力があるようだ。体も軽いし、ポリッシャーも軽々扱える。とはいえ、この力がどの程度のものか分からない。そもそも敵に通じるレベルなのかもハッキリはしていない。
敵の少女は目を大きく見開き、憤怒の表情で睨み付けている。かなり、お怒りのようだ。 ダメージがあるようには見えないが、そこから一歩も動こうとしない。
「さすが勇者様! まるで、洗浄勇者の冒険、第一巻三五〇ページのワンシーンのような華麗な一撃でした!」
シャムレイが胸の前で両手を合わせ、星が瞬いていても不思議じゃないほど輝いた瞳をこちらに向けている。
熱狂的なファンが芸能人を見たときの感じに似ている。というか、そのものだ。
「ええと、シャムレイは、もしかして本の内容完全に覚えているのかな?」
「はい、大ファンなので!」
いい笑顔だ。あれを満面の笑みと呼ぶのだろう。その答えに俺は苦笑いしか浮かべられないけど。
「くくくくくっ、あはははははは! いいよいいよ、さすが勇者様だ! こうじゃないとっ!」
両腕を広げ、体を後方に逸らし、高笑いを続けている。
こっちも別の方向性で楽しそうだな。俺とのテンション差に、ため息が漏れる。
しかし、口調が定まらないキャラだ。丁寧になったり荒れたり、魔族関係は情緒不安定なのかね。
はぁ、力があることが分かって少し落ち着いてきた。余裕もわずかだが出てきている。冷静に相手を観察しろ。相手が若い少女に見えるが油断はするな。これがもっと大人な女性なら露出度の高さに目を奪われそうだが、俺はロリコンではないので、その点は大丈夫だ。
「楽しくなりそうだなー。ねえ、本気出しても大丈夫だよね? 勇者様なら余裕だよね」
ゼフルーの両手の闇が更に大きくなる。黒い霧が腕を覆い肩までが完全に黒に染まった。
かなり距離が開いているというのに、体を前方から強く押されるような感覚が襲う。力の余波なのかプレッシャーを感じているのか、何せ初めての経験なので例えようがない。
ただ一つ分かるのは、あれがやばいということだろう。戦うなんて考えず、逃げたほうがいいんじゃないか。またも消極的な考えが脳裏をよぎる。
いや、駄目だ。シャムレイとミュルが俺の背後から動いていない。彼女たちを見捨てるわけにはいかない。女子供を見捨てて逃げるなんて男の風上にも――勇者としてやってはいけない行為だ。
仮にも嘘でも、ここでは勇者なのだ。ここで格好をつけなくてどうする! いいじゃないか、ガキの頃に憧れ夢見たシチュエーションだろ! ここで燃えなくてどうする!
「じゃあ……受け止めてよ、勇者様! 闇流々!」
突き出された両手から巨大な闇の塊が放たれた。床に着くほどの大きさの塊が床石を削りながら、こちらへ迫る。
あれに当たれば、どうなるかなんて考えるまでも無いだろう。
パッドがついているヘッド部分にある取っ手を、空いていた左手で握り、ポリッシャーが床と水平になるように腰の高さに持ち上げた。パッド部分の面が闇の塊に向けられる形になる。
「これは……ポリッシャー聖掃形態の一つ、ガトリングモード!」
後方で説明してくれているのは、シャムレイだろう。顔を見なくても分かる。彼女の説明を聴くまでも無く自分は思い出していた。このポリッシャーを使った戦い方の一つを。
本当にできるかどうか確証はない。日記に書いていたことが実際にすべてできるという保証もない。
だが、悩んでいる状況でも、恥ずかしがっている場合でもない。自分は今、しがない清掃員ではなく勇者なのだから!
「回転開始!」
左右にあるハンドルの左ハンドルレバーを握った。パッドが高速で回転を始める。
「聖剤波――放出!」
手を右ハンドルに移動し、レバーを強く握りしめる。回転するパッド部分の端から相手の闇とは対照的な輝く白い何かが溢れ出している。それは白く輝く渦となりポリッシャーの先端に留まっている。
「確か、こうだったよな! 木床聖掃!」
唸りを上げ迫りくる闇の塊にポリッシャーを突き出すようにして叩き込んだ!
白い渦と闇の塊が正面からぶつかり、爆発音と共に正面から強烈な風が吹き付けてきた。周囲に火花のようなものが飛び散り、その火花に触れた石壁や床が、いとも簡単に削られる。
あまりの風力に体が仰け反りそうになるが、腰を落とし両足を踏みしめ、なんとか止まっている。こちらの放った一撃と威力はどうやら互角らしく、押し返すこともできず、その場で停滞し続けているのだが――状況はこちらが圧倒的に不利だ。
理由は簡単、敵の闇球はもう放たれた後なのだ。しかし、ポリッシャーから放出している渦は今も継続して放たれている。攻撃を止めてしまえば闇球が直撃することになる。
つまり、相手は自由に動けこちらは動くことが不可能。脇に回り込んで身動きの取れない自分を倒すことなど容易だろう。
だが、何故か相手は動こうとしない。余裕を見せつけているのか、こちらの様子をうかがっているのか。どちらにしろ、そのおかげで助かっている。
後方では二人の少女が、敵の攻撃を防いでいることに感嘆の声を上げているが、実は絶体絶命のピンチだよな、これ。なのに、妙に冷静だ。心が異様なくらいに落ち着いている。
それに、さっきから何かが頭の片隅で引っかかっている……この技の威力ってこんなものだったか? そもそも技が出たことに驚きはしたが、この際それは置いといて、確かこの技ってこの程度ではなかった気がする。
何か威力を上げる方法があったはずだ、思い出せ、思い出すんだ。今は右ハンドルのレバーを握りしめている。ここまでは間違いない。威力を上げるには――先端の取っ手を握っている左手を左ハンドルへと素早くスライドさせた。
そして、そのまま左レバーを右レバーと同じように握りしめ、更に相手へとポリッシャーを突き出す。その瞬間、白い渦が更に大きく激しく輝きを増した。
均衡を保っていた状況が一気に崩れた。目もくらむような輝きを放つ渦が闇をたやすく飲み込み、そのまま勢いを落とすことなくゼフルーに襲い掛かる。
「な、なにいいいぃぃぃ」
敵の姿と叫び声が、壁を削り吹き飛ぶ瓦礫と轟音にかき消される。
室内を舞っていた砂煙が治まり、静寂が訪れた。
ポリッシャーを床に降ろし、油断をせず正面を睨み付ける。そこには、ぽっかりと綺麗に円系にくり貫かれた大穴があるのみ。敵の姿など何処にもない。今の一撃で消滅したのか、はたまた逃げ去ったのか判断がつかないが、何はともあれ勝負はついたようだ。
肺に溜まった二酸化炭素を全て吐き出すかのように息を吐いた。息を整え、気持ちを落ち着かせて背後を振り返る。
きっと、感激で目を潤ませた二人が迎えてくれるのだろうな。そんな期待を込め振り返るが……二人とも微妙な顔してないかい? 嬉しそうなのだけど、どこかちょっと物足りないような表情に見えるのは気のせいなのだろうか。
この雰囲気は経験があるぞ。昔、誕生日のプレゼントに、そんなに欲しくない物を渡してしまったときの空気と似ている。
何故だ、完璧ではないかもしれないけれど、ちゃんと撃退したはずだ。なんらおかしな失言の覚えもない。なのに、この空気は何?
その時、ほんの微かにだが、二人の小声で交わす言葉が耳に届いた。
「ミュルちゃんあれないのかな」
「うーん、締めのあれがないと終わった感じしないよね」
締め? ナンデスカソレ。終わった感じがしない? どういうことだろー。
あれー何を期待しているのかさっぱりわからないぞー。何故か冷汗が止まらないなー。何もなかったかのように、この場を去りたいのだが。
ちらっと、二人に視線をやると、上目づかいで褒美を待っている子犬のように見える。
はぁ、やればいいんだろ。何をすればいいか完全に思い出した自分が憎い。もう、ここまできたら、とことんやってやるさ!
床に置いたポリッシャーを改めて肩に担ぎ直し、
「清掃――完了!」
半ば投げやりに大声で決め台詞を言い切った。勝利の歓声に沸く二人を横目に落ち込む自分がいる。
軽く死にたい気分なのだが。この壁に空いた大穴からダイビングしたら楽になれるのだろうか。……主人公補正とかで死なずに生き残りそうだよな。
本日、何度目かも覚えていない大きなため息をついた。これでため息が売り切れでありますようにとの願いを込めて。
ここでとりあえず一章の終わりとなります。
この小説は毎日夕方に一話か二話ずつ上げる予定にしています。