4話
目を覚ますと見慣れない天井だった。
微かに漂う消毒液の臭いが鼻につく。ここは、保健室のベッドか。体に痛みはない。回復魔法をかけてくれたのだろう。
気が付いた俺を見て、ベッドの両脇に座っていた二人が顔を覗き込んできた。
「目が覚めたのですね! よかったー」
「顔色がよくなった。ほっ」
ずっと看病してくれていたようだ。
「ありがとう、もう大丈夫だよ」
体を起こしてみる――まだ体は重いが、さっきに比べたらかなり楽だ。
「あれから、どれくらい経った?」
「ええと、あと少しで一時間ぐらいです」
ここから陣を構えている場所まで、勇者の足なら三十分もかからないだろう。魔力が少しは回復したようだが戦力になれるか、どうか……。
それでも、行かなくてはならない。普通に動くだけなら何とかなる。後ろに勇者が控えているだけでも、戦場の士気は上がるはずだ。
「……行くつもりですか」
二人が俺の腕を強く握り、離そうとしない。
「勇者だからね。最後の戦いに勇者がいなくては物語が終らないだろ?」
腕から彼女たちの手の感触が消える。
「分かりました。それじゃあ、行きましょうか!」
「うん、行こう」
え? いや、行くのは俺一人でいいのだけど。
「善は急げですよ! さあ、早く早く」
二人は既に保健室の扉の前で手招きしている。反論の隙も与えないつもりなのか。
はあー、しょうがない。ラストバトルにヒロイン役がいなくては盛り上がらないか。歳の離れた、妹のようなヒロインだが。
「勇者様、これ早いですねー」
「馬よりはやーい」
背中におぶさっているミュルは上機嫌のようだ。シャムレイは前から俺に抱きついている。学園の美少女二人に抱きつかれている今の姿を見られたら、学園の男性に嫉妬で呪い殺されそうだな。
「二人ともしっかり捕まって。振り落とされないように」
「「はーい」」
楽しそうな二人をよそに、内心かなり焦っている。
今、学園長たちが陣を構えている場所に急いで向かっている最中なのだが、計算と考えにミスがあり、その穴を埋めるために全速力でとばしている。そのミスとは、集合場所への到着までにかかる時間をいつもの状態で走った場合で計算していたこと。魔力が微かにしか回復していない今の状態では、通常の半分の速度で走ることすら困難だろう。
ならば、飛行魔法のようなもので運んでもらおうと考えたのだが、飛行魔法は上級生の選ばれた者にしか使えない高度な魔法のようで、中級生である二人には使うことができなかった。上級生や魔法が使える教師は全て、防衛線にいるので手詰まりな状態になってしまっていた。
苦肉の策として以前試みた移動手段を試してみるしかなく、それが上手くいってしまったのだ。ポリッシャーのパッド側面を車のタイヤ代わりにして回転させ、ヘッドの部分に足をかけて進むという荒業。
難点は見た目の滑稽さ。足を置く場所が小さいので実質は一人用なので、こうして一人を背負い、もう一人にしがみついて貰って無理やりに乗っている。あと、横向きにしか進めない。
一時期、流行ると言われていた体重移動のみで運転できるセグウェイのように見えなくもない……はず。
思っていた以上の速度が出ているので、あと五分もかからずに着けそうだ。
「勇者様、一つ質問があるのですが」
密着しているため、顔が右肩に乗っている状態なので耳元で囁かれるとくすぐったい。
「何かな」
「私のいた場所からは良く見えなくて、ゼリオロスとの戦いはどうやって勝ったのですか? 強力な力を持つ魔族は体に纏う闇が壁となりあらゆる攻撃を防ぐと聞いたのですが。それに相手は完全に姿を消していたって、友達が言ってました」
「私も知りたい。見られなくて悔しかった」
シャムレイのしがみつく力が強くなった。
「あれは、ハクリの力を使ったのだよ」
「あ、なるほど!」
「そうか、ハクリサンシャインですね! 不浄なるものの防御力を弱め、地面に広がったハクリは相手の足を滑らし、まともに歩くことすらできない」
さすが、洗浄勇者ファンだ。それだけの説明で理解してくれた。
この剥離剤散布は、清掃で使う剥離剤を参考にして考えられた技だ。剥離剤とは乳白色の液体で、通常の清掃で取れない汚れを落とすときに水で薄めて床に塗ると、床をコーティングしているワックスが溶ける。文字通り、床とワックスを剥離するのだ。溶けたワックスはかなり滑るのでハクリをやるときは足元に注意しなければならない。剥離剤を使った清掃の事を職場ではハクリをすると言っていた。
このハクリの性質を利用した技の性能は大きく二つ。まず一つ目は、触れた者の防御力がかなり削られる。もう一つは、ハクリが広がった地面では滑り、足を取られ歩行すら困難になる。アイススケート場に初めて立たされた人を想像してもらえれば、分かりやすいと思う。ちなみにこの効果は自分にも発生するので、あの時の自分は怪我でろくに動くこともできず、防御力も最低まで落ちていた。
もし相手が防御を捨て攻撃を放っていれば、今ここにはいなかっただろう。
目的の場所にたどり着いた時には既に戦いは始まっていた。
人が横に十人ほど並べる街道の両側は高く切り立つ崖。陣を張っているのは街道の少し開けた場所。前に清掃した体育館より少し広い程度だろう。
しかし、この戦闘員たちは何と呼べばいいのだろうか、兵士と学生と清掃員が混ざった――仮に混合軍としよう。その混合軍に魔物の一団が襲い掛かっていた。
戦いはまだ序盤のようだが、混合軍が押している。中型魔族には二人以上で当たり、後方からは魔法学園上級生から援護の魔法が飛んでいる。
大型の魔物には主に清掃服を着た精鋭部隊が担当しているようで、四、五人でチームを組み連携で敵を翻弄している。
このままいけば、勝てる流れなのだが、想定していたより中型の魔物が多い。ゼフルーの話によると、小型魔獣が五十体以上。中型が十ぐらい。大型が五体のはず。一年前の情報だから増えていても不思議はないのだが、ざっと見ただけでも中型が十体以上軽くいないか? ざっと見た感じでは四十以上いるようだが。それに大型が見える範囲だけでも九体はいる。残りの、小型が一切見当たらない。
まさか……まさかとは思うが、重大な思い違いをしていたのか。
「な、なんだあの化け物は!」
「で、でかすぎる!」
「どうやって、戦えっていうんだ!」
混合軍の悲鳴があらゆる場所から聞こえる。
街道のはるか先に人型や獣の姿をした巨大な何かが見えた。かなり遠くにいるはずなのだが、まるで側にいるかのようにハッキリと姿が見て取れる。魔法学園の防壁より頭一つは高い。ビルの五階以上の高さはあるだろう。それが動いているのだ。距離感が掴めないほどの大きさ。
ゼフルーの言っていた大型というのは、これのことだったのか!
つまり、中型と思っていたのが実は小型で大型と思っていたのが中型だったと。
最悪だ……小型、中型の相手だけでも厳しい戦況になったというのに、まだあの巨人たちが五体残っているのか!
まさに化け物だな。腹の出た鬼のような姿をした巨人が三体。首が二つ生えた毛が長いサイのような巨獣が二体。あれが、ここにたどり着いた時点で負けが決まる。
この残りカスのような魔力では勝てる見込みは全くないが、ポリッシャーを走らせ相手を挑発して、時間稼ぎぐらいはできるか。
混合軍の最後部にいた学園長を見つけ、静かに歩み寄った。
「厳しい状況のようだな」
「勇者殿。ええ、まさかこれ程とは……」
振り返る時間すら惜しいのだろう、戦場を凝視している。
「二人は危なくなったら逃げるように、いいね」
ポリッシャーを降りた後も離れずついてきた二人の頭を撫でる。
「勇者様はどうするのですか?」
「一緒に逃げる?」
ゆっくりと、頭を左右に振る。
「逃げるのは戦場の様子を見に行って、みんなを応援してからかな。大丈夫だって、ちゃんと帰ってくるから」
小さい子に言い聞かせるように、静かに優しく話す。
「洗浄勇者の冒険で勇者は約束を破ったことがあったかい?」
二人は目から溢れんばかりの涙を袖で拭い、泣き笑いの表情を浮かべる。
「「ないです!」」
二人の声が重なる。
「勇者は死なない。世界はそういう風にできているから」
このセリフを言ったのは、物語で勇者に恋をした女性が引き止めるのを振り払い、最後の戦いに挑むシーンだったかな。後で思い出したら身悶えしそうなほど恥ずかしいセリフなのだろうけど、何故だか抵抗なく口にすることができた。




