1話
好きな清掃現場の条件として上げられるのが、まず物が少ないこと。椅子や机があった場合、動かすことができる物なら動かさなければならないからだ。物を移動させて床を洗い、ワックスを塗り、乾かした後にまた物を元の位置に戻す。これだけで、時間も手間も二倍以上になる。
次は、かなり汚れてはいるが清掃すれば綺麗になること。仕事で掃除やっているのだから綺麗になって当たり前じゃないかと思う人が多いが、汚れも取れる汚れと取れない汚れがある。何か月も汚れを放置して完全に床に染み込んでしまったら、それはもう取ることができない。汚れに見えるが実は傷だった、なんてオチもよくある。
細かく厳選するならまだあるが、大きく分ければこの二つがとても大切なのだ。
そして、自分はこの清掃現場に満足している。今日の担当現場は体育館。魔法学園には体育館のような場所が二ヶ所ある。普通に運動するための体育館と魔法の実習をする戦闘訓練用だ。戦闘訓練用は建物の材質が特殊らしく、頑丈で魔法の付与までされているらしい。
こっちの運動用は元いた世界にある普通の体育館と何ら変わりない。
「いいねー、だだっ広い空間。床には何も置かれてないから洗いたい放題だ。心が躍る!」
ポリッシャーもやり易いし、適度に汚れているのもポイントが高い。
「……凄く楽しそうね」
気分が高揚している自分と正反対なテンションのメイラが呆れているようだ。
「やりがいがあるじゃないですか。邪魔な物の移動もしなくていい。血沸き肉躍るシチュエーションですよ!」
何を言っても無駄と悟ったようで、メイラはそれ以上何も言わず作業に入った。
この体育館、ワックスもちゃんと効いているようなので、丁寧にやれば大抵の汚れは落とせるだろう。ワックスをしていない床だと床の材質そのものに汚れや傷がつくので、ポリッシャーを回したところで取ることができないことが多い。
バスケットコート三面ぐらい入りそうな体育館なので結構な大きさだが、このポリッシャーを使えば時間の短縮も可能だ。
「ソウさんの使っているポリッシャーって、私たちが日頃使っているのと形状がちょっと違うよね」
「これは、新しく開発されたポリッシャーでして、魔法で契約しているので私以外が使うことができないのですよ。ここに来るまでに専門の機関で訓練していました」
という設定になっている。
「そうなんだ、ちょっと使わせてもらいたかったけど、それじゃ無理かー。残念」
申し訳ない。完全な作り話だけど触らすわけにもいかないから。
そもそも、ポリッシャーが受け入れられている現状にも驚いたが、それもそのはず。この世界にはポリッシャーもバキューム――汚水や砂利も吸い込める大型の業務用掃除機――も存在していた。ここ二、三年で実装されたばかりらしい。性能は向こうの世界と遜色ないそうで、違和感なく使えるそうだ。
だが、さすが魔法が存在する世界だけあって、原動力が電気ではなく魔力。俺が使っている聖掃具のポリッシャーと同じくプラグを体に差し込むことにより、使用者の魔力を利用して動くシステムになっている。もちろん、差し込むといっても物理的に刺すわけではなく、プラグのような物を体にくっ付けるだけだ。
似たような仕組みになっているのは、立案、設計、製作を担当したのが学園長だからだ。このポリッシャーを模倣したのだから、似て当たり前である。
普通に、こっちでもポリッシャーが使えるのは楽でいい。こういう床面が広い場所でこそ清掃機器が本来の力を発揮できる。
こびりついている汚れが簡単に剥がれていく。清掃機器としての能力も上がっているのではないだろうか。無限に溢れ出る洗剤の成分が良いのかもしれない。なんにせよ、気持ちがいいぐらいに床面が綺麗に磨かれていく。こういうのが清掃やっていて良かったと思う瞬間だな。
「ソウさーん、水拭きってこんな感じでいいんですかー!」
ミュルが慣れないモップを手に、体操着姿で奮闘してくれている。
「そうそう。メイラさんがバキュームで吸った後をモップで拭いていってくれたらいいからー」
ミュルに続いてシャムレイが床にワックスを塗っている。淡々と丁寧にやってくれているようだ。清掃の仕事は指示されたことを、きちんとやること。当たり前だが、これが清掃員としての必須条件。業者によっては、それすらできない大人がいるのだから困ったものだ。
二人が作業着代わりに身に着けている体操着なのだが、下は黒いブルマに似ている。上は白の体に密着したタートルネックの長袖。これを考えたのも、学園長らしい……趣味丸出しだな――ま、まあ、悪くないセンスだとは思う。
ただ、元の世界では絶対に採用されないデザインであるのは確かだ。体操服というより新体操のユニホームに近い。
「二人とも筋がいいわね。魔法使いになれなかったら、一緒に清掃業やらない?」
冗談めかしてメイラが言う。
「それ、いいかも!」
「うん……ソウさんと一緒。楽しそう」
二人ともまんざらではないようだ。
「でも、ゴメンな。手伝わせてしまって。本当なら、もう二人来るはずだったのだけど」
結構な広さがある体育館なので当初は四人でやる予定だった。けれど、急に別の仕事が入ったらしく、二人がこられなくなってしまった。仕方なくメイラと二人で仕事を始めたところに、ミュルとシャムレイが通りかかり、今に至る。
「いいんですよー。掃除の仕事興味ありましたし!」
「……綺麗になると楽しい」
二人とも清掃員としての素質がありそうだ。こっちの世界で独立して、二人を誘い清掃業を始めてみるのはどうだろうか。あっちの世界では不況の影響もあって散々だが、この世界は人気商売だから需要もあるだろう。二人がいてくれたら看板娘としての集客力も抜群だろうから。
「さあ、まだ清掃途中だから、頑張っていこう」
「おーーっ!」
「おー」
本当に良い子たちだ。この元気の良さも若さからくるのかね。若さか……そういえば、最近は十歳ぐらいの年の差なんて関係ないという風潮だが、それは若い方の女性が二十代だから成り立つのであって、十代相手になると世間の目も冷たい。
もっとも、この世界ではかなりの歳の差結婚も当たり前に行われているのかもしれないが。この考えだとミュルやシャムレイと付き合いたいみたいに思われそうだな。実際、そんな気持ちは微塵もないが――歳の離れたお姉さんがいるなら紹介してほしい。
「ソウさん、手がお留守だよ。後がつかえてますよー」
くだらない考え事で動きを止めていたようだ。ポリッシャーを再稼働し、清掃を続けた。
必要とされて勇者として召喚された。……はずである。
それなのに待遇はお世辞にも良くない。清掃員として考えるなら文句はないのだが。昼は清掃員、夜は勇者のバイトをしている感覚。我ながら良く働いている。魔族の召喚した魔物は夜になると力を増し活発になるのは理解したが、ほぼ毎日、規則的に出てこなくてもいいだろうに。
もっとも、その規則正しい出現パターンのおかげで、学園側も情報を集め討伐隊を組むこともできるのだが。この世界における魔族の数自体は少ないらしく、魔物を使役することによって数による不利を埋めているそうだ。
以前は、街の近くまで魔物が来ること事態があり得ないことだったらしい。だが、数年前ぐらいから、魔族側の勢力が更に増してきているそうで、この国だけではなく近隣諸国には滅亡を待つだけの小国も少なくない。援軍を送るどころか、この国を守れるかも危うい情勢で現れた勇者の存在は、最後の希望。
魔族討伐という大任を背負っているはずなのだが、あの召喚したての戦いから一度も魔族とは会っていない。魔族という存在、正直未だに分かりかねている。魔族についての基本知識は訊いておいたので、ある程度は把握しているが。
まず魔族は、こことは別の世界から来た存在だそうだ。俺も別世界の住人だが、それとは少し異なるらしい。こちらと簡単に行き来が可能な別世界が魔界らしい。
魔族は生まれつき魔族であり、人と変わらぬ外見をしている。ただし、魔族は全て美形だそうだ。人間の中には、容姿に引かれ魔族に寝返った者までいる始末らしい。
これを知り、個人的な妬みにより魔族を倒す理由が増えた。
生まれつきと言えば、魔族は誰しも一つ特殊な能力を持つそうだ。これは、魔族であれば誰しもが持つ特別な能力なのだが、基本、役に立たないどうでもいい能力が多いらしい。
余談ではあるが、その力を元にして二つ名がつけられるそうだ。ゼフルーが「無音のゼフルー」と名乗っていたということは、特殊能力が無音に関係があるということになる。
無音か。騒音のゼフルーに改名した方がいいのではないだろうか。無口とはお世辞にも言えない魔族だった。それらしき能力を使わなかったが、それは使う暇がなかったのか、全く役に立たない能力だから使う意味がなかったのか。もう、二度と会うこともないだろうから、永遠の謎になってしまったな。
あれから、魔物や盗賊団を叩き潰したりはしているが、根本である魔族を倒さないことには、無駄な消耗戦が続くだけ。それは俺に言われるまでも無く、学園長も理解している。
あの時、学園長は――
「そう遠くない時期にこの国を狙っている魔族との総力戦が始まります。そのための準備はしてきましたが、正直戦力が足りていると断言することはできません。ですが、国民は限界なのです。魔族の影響が強まってきた昨今、数十年魔族の脅威に怯え生きてきた人々の精神は崩壊寸前です。表面上は変わらぬ日々を過ごしているように見えるかもしれませんが、何かきっかけがあればすぐに壊れてしまう危険な状態です。」
俺の馬鹿な質問に、そう答えた学園長の顔は苦渋に満ちていた。
「だからこそ、勇者殿に力を得てほしいのです。国民に希望を与え、多くの想いを受け取ってもらいたいのです」
魔力を失い自らが戦場に赴くことが不可能となってしまった学園長の、この国を想う気持ちは誰にも負けないものがあるのだろう。策を講じ、伝説の勇者を作り上げ、国を救う最良の道を未だ探し続けている。俺の知らないところで、きっと別の策も用意しているに違いない。
「魔族との総力戦か」
口にしてみたが、実感が湧かない。この世界に来てまだ一ヶ月ぐらいなのだが、戦闘は何度もこなしている。命のやり取りもしている。自分が死ぬことに対する恐怖は不思議とない。これは勇者を信じる人々の想いが心に働いているのか。それとも、先ごろ身近な人の死を目撃したことにより、死への抵抗感が無くなってしまったのだろうか。
「――どう思う?」
誰もいない空間に語りかけてみたが、答えは返ってこなかった。




