4話
開口一番、学園長は予想外過ぎる言葉を吐いた。
「勇者様の力を発揮するためには、人々に勇者様の姿を見せてはなりません」
「それは、変じゃないか? 人々の想いの力を強めたければ、実際に勇者が現れたと公表した方がいいはずだ」
顎に手を当て深く悩んでいるようだ。俺の目には芝居にしか見えないが。
「勇者の存在を知らしめるのは、間違いなく効果的でしょう。ですが、それには問題があります。非常に言いづらいのですが」
何故、貴様は目を逸らす。何でそんなに言いにくそうにしている。
「いえ、実は……日記を翻訳したときに、ちょっと脚色したのです。物語を盛り上げるためには、少し大げさに表現するのは基本! ですよね?」
回りくどいな、脚色したからどうだというのだ。
「はっきり言ってもらえるかな?」
「つ、つまり。勇者殿の容姿を美化させてもらいまして……いや、ほんのちょっとですよ! 目鼻立ちが整っている描写を入れて、読者に夢を持ってもらおうかと」
ほう。勝手に改変したと。あの妄想日記、自分の容姿については全く書いていなかったはずだ。言動は格好よくしてはいるが、さすがに自分の顔を二枚目設定にする度胸は無かった。
「そ、れ、で。勇者の顔を美形にしたことと、正体を明らかにしないことの理由がどう繋がるのかな?」
満面の笑みで学園長に語りかける。
「あの、そのですね。洗浄勇者の冒険を読んだ殆どの国民は――特に女性ですが勇者様をかなりの美少年と想い込んでいるわけです。そこで、勇者様の現在の姿を見てしまうと、年齢の関係もありますし……抱いていた夢が打ち砕かれてしまう可能性が……」
そっか。急にこの学園長の顔を丹念に掃除してあげたくなってきたぞ。
「ゆ、勇者殿。何故、ポリッシャーを持ってこちらに近づいて来ているのでしょうか」
無言でレバーに手をかける。
「回ってる! パッドが回っていますよ!」
思い出しても腹が立つ。バラ色の生活は何処に旅立った。
これでは、元いた世界の生活となんら変わりない――違うか、向こうでは女っ気が全くなかったからな。女性と会話する機会なんて、パートできている清掃の同業者か現場の管理人や従業員ぐらい。殆どが年上のご婦人だった。
それも会話といっても軽く頭を下げる程度か、清掃内容の説明か挨拶ぐらい。雑談なんてした覚えがない。それと比べると周りが若い女性だらけの環境に贅沢を言っては罰が当たる。
――ん? いや、何かおかしくないか。俺は楽しい職場環境を提供してもらえる清掃の仕事依頼で、この世界に来たのではない。掃除をしていると、ここが異世界であることも忘れそうになる。
一応勇者の肩書でここに存在しているのだった。しっかりしろ、俺。
二人と別れメイラの後を追い、清掃控室に戻った。
この魔法学園専属の清掃員が集まる清掃控室は、学校の教室三部屋分ぐらいの広さがある。壁際に清掃員ごとのロッカーが備え付けられている。ここに清掃中邪魔になる私物や着替えを置いている。
もちろん、女性用と男性用のロッカーの間には間仕切りがあり、着替えを覗かれることもない。壁は薄いのでお互いの話声は筒抜けだが。
男子ロッカーには他に三名の男性清掃員がいた。全員が深緑の作業服を着ている。
ここは清掃担当場所や身分によって作業服の色が違うそうだ。深緑は中庭などの建物外担当だったはず。自分たち校内床清掃担当は灰色の作業服となる。
「おつかれさまです」
先に声をかけておく。新入りは基本的な礼儀が大切になる。黙っていては相手の印象を悪くするだけなので、腰は低めに対応しておこう。好印象を与えるには、初めの挨拶が大切だ。どんな現場でも基本は同じはず。それが異世界であっても。
「……おつかれ」
「おつでーす」
「おつかれさまです」
一人だけ反応は微妙だが、あとの二人は普通に返してくれたようだ。
ここで会話を広げるか、それとも必要最低限の係わりだけで済ませるか。迷うところだが相手がどう出るかで決めよう。
こちらに興味はあるらしく、三人で雑談はしているが何度もこっちを横目で観察しているので、しばらくしたら誰かが話しかけてくるだろう。
「あんた、ソウさんだっけ」
むすっとした表情を隠そうともせずに、一人が話しかけてきた。
近づいてきたその男は黒のように見えた髪色だったが、よく見ると濃い緑のようだ。口をへの字に結び目つきも良くない。顔のつくりは悪くないのにもったいない。
俺に対して言いたいことがあるのだろう。良い内容でないのは見て取れる。
「なんで、ここの清掃員になれた? ただでさえ競争率の高い清掃員の更に難関だと言われている魔法学園の現場。国中の人が羨むこの仕事を、いっちゃ悪いが、あんたが選ばれた意味が分かんねえ」
またか。ここで仕事を始めてから、言葉は違うが何度同じ内容の質問をされたのだろう。
そして何度聞いても清掃員が憧れの職業だという現状が受け入れがたい。清掃員をプロスポーツ選手や芸能人に入れ替えたらしっくりきそうだが。
「清掃の仕事は以前からやっていたので、その腕を学園長に認めてもらっただけですよ。昔からの知り合いなので、丁度職を失っていたところに声をかけてもらい、助かりました」
無難な回答だろう。
「本当にそれだけの理由か? ここの清掃員がどういうものか知らない訳じゃ――」
「やめておこうよ」
「そうだ」
それまで様子を見守っていた二人が止めに入る。
一人は小柄で一見女性のようにも見える。年上の女性と一部の男性に人気が出そうな可愛いタイプの男性というより、男の子と表現した方が似合う。清掃員として働いているのだから最低でも二十歳前後なはずなのだが、高校生以下にしか見えない。かなりの童顔だな。
もう一人は身長も高く、小柄な彼とは対照的に服の上からでもわかる程、引き締まった体の持ち主。短く切りそろえた髪型に背丈も高い。いかにも力がありそうだ。
「あんたらー! ソウさん、いじめてんじゃないわよ!」
メイルが薄い壁の向こうから大声で助け舟を出してくれた。
「今日一日、一緒に仕事やったけど、腕は確かだったわ。性格も温厚で問題なしよ! 歳も私たちより上なのだから、そんな態度は駄目でしょ!」
ということは、やはり、ここの男三名とメイラを含めた四人は俺より年下なのか。
「はっ、清掃ができるのは分かったが、問題はそこだけじゃねえだろ。魔法学園の清掃員はそれより大事なことが――」
「はいはい、そこまでそこまで。ソウさん、変に突っかかってゴメンね。じゃあ、僕たちは先に失礼するから、また明日」
「おつかれ」
小柄な方に口を押えられ、体格のいい方に後ろから羽交い絞めにされ、絡んできた男が引きずられていく。まだ言い足りないようで、手足をじたばたさせているが仲間は気にも留めていないようだ。
何が言いたかったのだろうか。清掃内容じゃなく何か別なことを言いたそうにしていたな。学園長は俺にまだ話していない秘密があるようだ。




