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 その晩、デビィはカフェで知り合いになった女とデートに行ってしまい、留守だった。夜も更け、今にも雪が降りそうだったが、レイは散歩に出てみることにした。デビィに買わせたカフェオレ色のセーターの上からトレンチコートを羽織り、階段を降りる。肌に触れる外気の冷たさが気持ちいい。広場まで行ってみようか。そう思いながらいくつか角を曲がった時だった。前方から歩いてくる若い男がレイの顔をじっと見ている。黒いコートを着て軽くウェーブのかかった淡い茶色の髪をしたそばかすだらけのその男の顔は、何となく誰かに似ている、とレイは思ったがそれが誰なのかは思い出せない。男はレイと擦れ違うとその場で立ち止まったようだった。

「おい! ちょっと待て!」

 レイの背後から男の声が聞こえてきた。

 振り向いてみると、先ほどの男がレイにリボルバーの銃口を向けていた。

「あんた、ヴァンパイアだろ? 名前はレイ・ブラッドウッド」

「……何故判った?」

「教えてもらったのさ。お前がこのへんに住んでるって。だから俺はもう何日もこのあたりを見張っていたんだ。その甲斐があったよ。覚悟しな、ヴァンパイア!」

 男はレイに向けて銃を撃とうとしたが、レイがまったく動ぜずにずかずかと歩み寄ってきたので一瞬動きを止めてしまった。体制を立て直す間もなく銃を掴まれ、取り上げられた男は我を忘れてレイに掴みかかったが、あっという間に地面に押し倒されてしまった。

「お前、今までに何人殺した?」

「い……一匹だ」

「そうか。だったら」

 男は必死に抵抗しようとしたが両足はレイの膝に、両手は地面に磔にされた形に無防備に伸ばされたまま、小鳥を捕らえた猛禽類の爪のようなレイの両手にがっしりと押さえ込まれてまったく身動きが取れない。

「残念だが殺すしかないな、ハンターさん」

 レイの瞳が青い光を放ち、鋭い牙が口の端から覗く。男の首筋にゆっくりと顔が近付いてくる。生暖かい息が首筋に吹きかかった時、男は目に涙を溜めながら全身を震わせた。力が抜けてしまった下半身から生ぬるい液体が地面に溢れ出て滲みを作り始めた。

「ま……待ってくれ! 嘘だよ。俺、まだ誰も殺したことなんてないんだ! だから助けてくれ!」

 その言葉にレイは少し顔を離して改めて男の顔を見た。その時、コートの内側に巻かれているマフラーが目に入った。ベージュと茶と白。いかにも暖かそうな手編みのマフラー。レイは目を見張った。


――これは、このマフラーは!

 

「お前……マシューか?」

「あ……ああ。何で俺の名を?」

 レイは軽く溜息をつくとマシューの身体から両手を放し、身体を起こした。

「マリーに聞いたのさ。お前がハンターをしていることを嘆いてた」

「どうして……どうしてあんたが祖母ちゃんのことを」

「彼女には世話になったんだ。だからお前を殺すのは止めておくよ。彼女を悲しませたくはないからな」

 ゆっくりとレイは立ち上がる。

「嘘だと思うなら彼女に聞いて見ればいい。彼女は素晴らしい女性だ。お前がこれからハンターを続けていくことにどうこう言うつもりはないが、それは彼女を悲しませる結果を必ず産むことになる。それだけは肝に銘じておけ。いいな」

 マシューは呆然とした顔でレイを眺めていた。腰を抜かしたのか立ち上がることが出来ないようだ。

「あ……あの」 

 何か言いたそうなマシューを後に残してレイは歩きだした。知らないこととはいえ、マリーの孫を殺そうとした自分が情けなかった。アパートの前まで来るとレイは部屋を見上げ、深く溜息をついた。白く儚い雪がちらちらと舞い始めていた。


 翌日、レイ達は荷物をまとめ、アパートを出ることにした。レイはマリーに連絡を取ろうと電話を掛けたが、電話口に出たマリーの声はいつもとはまったく違っていた。

「レイ。あなた、マシューに何をしたの?」

「マシューに? 彼に何かあったんですか?」

「とぼけないで! あの子は夕べ、身体と頭を殴られて道路に倒れていたのよ! 意識不明の重体で未だに目を覚まさないのよ!」

「そんな……まさか」

「あの子の仲間のハンターが逃げていくあなたを見ているの。 あなたヴァンパイアなんですってね!」

 レイは絶句した。マリーの怒りに震える声は既にレイを拒絶している。

「……マリー、あなたのおっしゃる通り、俺はヴァンパイアです。でも信じてください。俺は夕べ、確かに彼と会いましたが暴力をふるってはいません。今からそちらに話をしに行きます」

 電話の向こうの声が途切れた。若い女の声が聞こえる。マリーはその人物と話をしているようだ。

「判ったわ」

 電話が切れた後もレイはしばらく耳から受話器を離すことが出来ずにいた。唐突に一ヵ月前、あのケントという探偵が言っていたことを思い出した。マリーが狙われている。これはそのことと関連があるのだろうか。

「どうした? レイ」

 デビィの問いかけにレイは今の電話の内容を短く伝えた。

「俺はこれからマリーに会いに行ってくる。デビィ、お前は俺の荷物を持って先にバスに乗り、次のバス停で降りて近くのカフェで待っててくれ。もし夜までに俺が行かなかったら一人で何処かに逃げるんだ。俺の荷物は置いていって構わない」

「レイ。お前が一人で行くのは危険だ。俺も」

「いいから、俺の言うことを聞くんだ!」

 レイの突然の大声にデビィは次の言葉を失ってしまった。デビィを睨みつけるレイの視線には有無を言わせぬ圧力が籠められている。

「大丈夫、すぐに行くよ。じゃあな、デビィ」

 レイは視線を緩め、デビィに軽く微笑みかけるとそう言い残してコートを羽織り、外に出て行った。

 デビィは突然の出来事に思考が停止してしまったかのようにしばらく茫然と立ち尽くしていた。

「一人で行くだって? 何処かに逃げろだって? ……畜生! 冗談じゃねえぞ!」

 そう呟くと荷物も持たずに部屋を飛び出し、レイの後を追った。


 マリーの屋敷でレイを招き入れたアンは酷く怯えていて、レイを居間に通すと急いで何処かに行ってしまった。中で待っていたのはソファに腰を下ろしたマリーと、茶色のパンツスーツを着た女。あのカフェで手を掴んできた女だ。どうしてここにいるんだ? 混乱した頭でレイは考えようとしたが、頭が麻痺したように何も考えられない。部屋の雰囲気が凍りついたように冷たく感じられた。レイを睨むマリーの視線は例えようもないほど暗く、冷たかった。

「マリー。聞いていただけますか? 俺は夕べ、マシューに銃を突き付けられました。彼は俺を狩ろうとしたんです。俺は反射的に彼を押し倒しましたがその時に彼のマフラーを見てマシューだと気付いたんです。俺は彼に何もしてはいません。彼に聞いてもらえれば」

「マシューは重体なの。話なんか聞けるわけがないでしょう。あなたは人間のふりをして私を騙したうえに孫まで奪おうとしてる。どうしてこんなことをしたの?」

「俺じゃありません。お願いです。信じてください」

 マリーはレイを見つめたまま、悲しそうに顔を歪めた。

「信じられるはずないでしょう? ヴァンパイアはただの化け物だもの。今まであなたを信じてた私が馬鹿だった。あなた達をクリスマス・パーティに呼ぼうとまで思っていたのに。リンゼイ、もういいわ」

 マリーがそう呟くとリンゼイと呼ばれた女は携帯を取り出し、レイを見つめたまま短く言葉を発した。

「お願いします」

 瞬時にレイの後ろのドアが開いた。後ろを振り向く間もないほどの素早さでニードルガンの矢が数本、背中に突き刺さり、レイはその場で呻き声をあげて崩れ落ちた。

マリーが立ち上がり、レイのほうにゆっくりと近付いてきた。微かに震えるその手には小型の拳銃が握られている。引き金が引かれた瞬間、レイが最後に見たマリーの顔は憎悪と悲しみに満ちていた。

 


「まったく、あのババアがあそこで泣き崩れたりしなかったら止めを刺せたのに」

 苛立った女の声。

「仕方ねえだろう。いくらなんでもあの場で杭を打つことなんて出来ねえよ」

 掠れたこの声は男だ。

「まあいいわ。とにかく今すぐにあの化け物を始末してちょうだい。まったく、あのヴァンパイアがマシューを殺してくれてたら、ことは簡単に済んだのに」

「あのな、俺はあのヴァンパイアがいつ外へ出てくるのか判らねえから二週間もマシューを付け回してたんだぜ。さっさと奴の勤めてたカフェかアパートの場所を教えてマシューを行かせればよかったじゃねえか」

「ああいう場所じゃ人目があるし、いろいろと面倒なことになるわ。あくまでも一人で夜中に偶然出くわして殺されてくれないとね」

「なるほどな。でもよ、こいつの相棒は放っておいて構わねえのか?」

「正体は判らないけど、どうせゲイでしょ。相手が死ねば何処か別の男の所に行っちゃうわよ」

「それもそうだな。なあ、これだけ頑張ったんだから、少しは慰めてくれよ」

「駄目。疲れてるの。それにババアのところに戻らなくちゃ」

 そしてドアの開閉する音。女は出て行ったらしい。

 男のぶつぶつ言う声が聞こえる。

 レイはゆっくりと目を開けた。部屋は暗い。冷たい床に横たえられた身体を動かそうとしたが自由が利かない。両手は鎖で後手に縛られ、両足も同じように縛られている。背中の矢は既に抜かれている。あのハンターは矢を再び使いまわすつもりでいるのだろう。背中の痛みは消えかけていた。だが、胸に空けられた小さな銃創が酷く疼く。マリーに撃たれた跡だ。その痛みに連動するように心の奥底が抉られたように痛む。だが、今はもうはっきりと判った。あのリンゼイという女がマシューに俺のことを教えたのだ。そして、俺にマシューを殺させようとした。レイは湧き上がる怒りで身体を震わせた。あんな奴らに殺されるわけにはいかない。


 やがてドアが開き、ハリーと呼ばれていた男が入ってきた。黒く短い髪にいかつい顔をした体格のいい男だ。

「さて、さっさと済ませて首をいただかなきゃな」

 だが蛍光灯のスイッチを入れた男が見たのは床に転がった引き千切られた鎖だけだった。

 ハリーは身構える間もなく殴り倒された。起き上がろうとしたハリーの首にレイは素早く鎖を巻きつけた。突然の形勢逆転になすすべもなく、ハリーはレイが少し力を籠めただけで苦しそうに口を開けて喘いでいる。

「いいか。死にたくなかったら今、この場で警察に電話して自首するんだ。嫌ならこの場で殺す」

「グッジョブ。そこまでだ。もういいよ、レイ」

 その声に振り向くと入ってきたのはケントだった。ケントはレイが手を離すとハリーの両手に素早く手錠を掛けた。

「あの女は?」

「さっきこの家から出てきたところを取り押さえたよ。俺の車の中でデビィと一緒にいる。……酷い傷だな。痛むか?」

 レイは何も言わず、ケントの顔を見て、寂しそうな笑みを浮かべた。部屋の奥には干からびた二つの死体があった。

「あれはマリーを襲った奴らだ。おそらくこの男に殺らせたんだろう。まったくとんでもない女だな」

 

 レイ達は二人を警察に引き渡すと、いったんアパートに帰った。

 デビィはアパートを出たところでケントと出会った。あまりのタイミングの良さに最初は警戒したデビィだったが、ケントの話を聞いて納得し、彼の車でマリーの屋敷まで後を追ってきたのだという。

「俺達、リンゼイと奴がお前を車に運びこんでる時に到着したんだ。お前が杭を打たれてなくてほっとしたよ。だから俺達は奴らのアジトまで後をついてったってわけだ。奴らの会話もケントがばっちり録音してるぜ」

 デビィはそう言い終えるとレイが淹れたコーヒーを啜った。

 ケントはコーヒーを一気に飲み干して空のマグカップの中を名残惜しそうに見つめながら話し始めた。

「あの女、リンゼイはマリーのもう一人の孫だ。マリーの子供達は離婚したり、病死したりで誰も残っていない。だから彼女の直系の身内はマシューとリンゼイだけなんだ。あの女は莫大な借金を抱えていてね。まずマリーを病死させることを計画した。レイ、あんたのもらったあのビタミン剤、俺の知り合いの刑事に頼んで調べてもらったら昨日、結果が出た。ヒ素が検出されたよ。だから、警察に本格的な捜査を依頼しようと思っていたところなんだ。まあ、あれをマリーが毎日飲んでいたら確実に死んでいただろうな。だが、一向に彼女が病気になる気配はない。業を煮やしたリンゼイはマリーを襲わせたが、これはあんた達に邪魔されて失敗に終わった。それ以降、マリーの周辺の警戒が厳しくなった。だからリンゼイもしばらくは動けなかったんだろう。しかし、あの女は最近になってマリーにあんた達のことを聞いた。あいつは頭がいいからあのチンピラ共の傷を見てあんた達が人間でないかもしれないと思ってたんだろうな。恋人のハリーがハンターだったのでハンター・サイトだって簡単に見られる。あんたがヴァンパイアだと判った時は嬉しかっただろうな。マシューがあんたを襲えば、確実に返り討ちにされる。自分の手を汚すことなくライバルを消せるんだからな。その後でハリーにあんたを始末させれば一石二鳥だ。だがあんたはマシューを殺さなかった。だからハリーにマシューを襲わせて、あんたに罪を擦り付けたんだ」

――だが、もしもあのマフラーがなければ、確実に女の思う通りにことは運んでいただろう。

 レイはふっと溜息をついた。

「ったく、あの女はとんでもねえアバズレだぜ。車に乗っている間中、俺の隣で喚き散らしやがって耳がおかしくなりそうだったぜ」

「まったくだな、デビィ。ケント、マリーはどうしてる?」

「彼女はマシューのいる病院へ行ったよ。心配するな。彼女には俺から話をしておく」

「そうしてもらえると助かるよ。それにしても俺達が危険に晒されていることがよく判ったな」

「当然さ。俺は優秀な探偵だからな。いや……実は最近、あの女がマリーに会いに行っていると聞いて警戒していたんだ。で、昨日マシューがヴァンパイアに襲われたと聞いて俺は急いであんた達のアパートへ向かったってわけだ。で、やっぱりこの街を出ていくのか?」

「ああ。今日中に長距離バスに乗ろうと思っている。いろいろありがとう、ケント。助かったよ」 

 レイがふっと微笑みかけるとケントは少し頬を赤らめた。

「ああ……いや。仕事だからな。それからもう一杯、コーヒーをもらえるかな」

 突然、着信音が室内に響き渡った。ケントの携帯だ。

「はい、ああ。本当か? ……それはよかった。ああ、それじゃ、また後で」

 ケントは携帯をしまいながらレイにほっとしたような笑顔を見せた。

「マシューが意識を取り戻したそうだ。マリーに本当のことを話したらしい。よかったな、レイ」

「彼はもう大丈夫なのか?」

「ああ、多少の後遺症の心配はあるが、もう命の危険はないようだ。どうする? 二人ともマリーに会っていくか?」

「そいつはよかったな。俺はどっちでもいいけど、お前はどうする?」

 デビィの言葉にレイは少し目を伏せながら答える。

「いや……いや。いいよ。判ってもらえればそれでいい」

 それでいい。もう彼女と会うことは二度とないだろうけれど。だが、一度でもマシューを殺そうと考えた自分を彼女は完全には許してはくれないだろうとレイは思った。


 ケントが帰ると二人は荷物を持ち、再び部屋を後にした。その足で「ハミング・バード」に店を辞めることを告げに行き、残念がるマスターからその日までの給金を受け取った。

「またこの街に来るようなことがあったら、いつでも来いよ。また雇ってやるから」

 恰幅のいいマスターはそう言いながら、店の外までレイ達についてきて姿が見えなくなるまで見送ってくれた。

 十二月に入り、商店街はすっかりクリスマスの飾り付けを済ませ、華やいだ雰囲気だった。レイはウールのジャケットのポケットに手を突っこんだまま空を見上げた。雲ひとつない青空は何日ぶりだろうか。 ヴァンパイアと人間。埋めようと思っても埋まらない両者の間の深い溝を思うと、レイの心はこの空のように晴れやかにはならなかった。

「なあ、レイ。今度のことはショックだったろうが、あんまり気にするな。きっと今にいいこともあるさ」

 デビィはそう言いながら、レイの肩をぽん、と叩く。その屈託のない笑顔がレイの気持を少しだけ和らげてくれた。

「そうだな」

 長距離バスに乗って違う街に着けば、また新しい暮らしが始まる。その暮らしがなるべく穏やかであるようにと、レイはそっと心の中で願った。

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