第二十二話 子供の前ではやめましょう。
「ごめんなさい、あなた」
「いいんだよ。君はほんとに昔から……」
父が母を抱き寄せ、流れる様に頬へと唇を寄せ、キスを落とすのを見て兄妹そろってげっそりとする。人前ではやめてくれと言ったところで聞き入れてもらえない事が分かっていることも、それに拍車をかけている。
父と兄が来て、やっと落ち着いた母。落ち着いてくれたことには助かったけども、両親は二人揃うと決まって甘ったるい空気を出し始める。はっきり言って、恥ずかしいから一緒に居たくない、他人のふりしていいかな? というレベルですっごく嫌だ。
両親の仲の良さを知っている人たちは「毎回、よくやるなぁ」と、生ぬるい視線を寄せてくる。私は目立つのは嫌いなのに、なぜ地味に過ごさせてくれないのか。
こういう時は、さっさとその場から退場するに限る。同じように思っていたらしい兄と顔を見合わせ、両親の醸し出すピンク色なオーラから逃げるように、こそこそと二人で中庭へと逃げる様に出る。
外へと出てやっと落ち着き、その場にあった柱へと背中を預ける。パーティーが始まって、少ししか経っていないというのにのに、精神的な疲労と慣れない格好のせいか疲れが体の奥底からジリジリとせり上がってくる。
元から貴族の集まりに、ルーメリナはめったに出ないのだ。好きか嫌いかで言えば嫌い。他の女の子たちの様に、はしゃげるほどの元気は私にはない。今回は和やかな雰囲気だが、基本的に貴族の集まりである社交の場は、どんなものであれ、結局は腹の探り合い。そして女の闘いなのだ。
特に、婚期の女性たちは目の色が変わる。自分で良い相手を見つけなければ政略結婚が待っている。下手すれば自分の歳より一回りも、二回りも上の人に後妻として嫁がせられる可能性がある。だから、親が納得するような人を求めて、唯一の出会いの場であるパーティーや舞踏会に連日繰り出すのだ。
人気のある男性の周辺には、そんな女性たちが砂糖に集る蟻のごとく集まる。その中に入っていく度胸と根性、そして、目的の人の元へたどり着いたとき、その人に気付いてもらえるほどの魅力が己に無ければ貴族の女性は生き残れないのだ。
恋愛小説の様に、「いつか運命の人が現れて……」なんて夢見ていられるほど、女の世界は甘くない。自分で頑張るしかないのだ。
よっぽどの美貌をもっていて、相手に困る事がない人は別だが。
そして、ルーメリナにはそんな頑張る力はない。本人はいざとなれば独身でいいやと思っている。だから、こんなものに慣れる必要はない。
婚期の戦争に入りたくないのなら、早い段階で相手を見つけるしかない。しかし、政略結婚という心配がなくなった今、ルーメリナはもうどうでもいいやと言う気になっていた。今からこんなこと考えている自分はおかしいのだろうか? まぁ、これもどうでもいいかぁ。
若さが足りない、と友人に言われても言い返せないなコレじゃ。
中庭には公爵家に恥じない見事な庭園が広がっていたが、疲労のせいか現実逃避の様な事を考えてしまい、しっかりと目に入ってこない。元気な時だったら目を奪われているだろうに。
ああ、もったいない。
「ルゥーナ大丈夫か?」
どこか虚ろな目をして、ぐったりと柱に寄りかかっているルーメリナに、年の離れた兄、ディーエ・ヴィウ・ロストメリが心配そうに話しかけてくる。下を向いていた顔を上げ、そんな兄の顔を視界に収める。武芸科に所属していて、学院内でもトップに入れるほど兄は優秀らしい。実際に見たことはないから良く分からないが、学院では有名人だ。
兄の事を私からはっきりと言えることは、我が家系では超珍しい程度に顔が整っている、とだけだ。すごい、とまで言わないが、相手に困る事がない程度には整っている。鎖骨下ほどまである金茶の髪は顔の横で緩く一つにまとめられ、少しタレ気味の目は、珍しい薄い水色の瞳をしている。
髪の色はこの国ではそこまで珍しくない色なのに、なぜか煌めいて見える。昔は体の線が細かったから、顔がいいぶん女性のように見えたものだが、武闘科で鍛えはじめたころから身体つきが男らしくなったし、身長もかなり伸びた。以前にもましてもてる。
友達が言うに、甘いマスクなのだそうだ。性格も敵をつくる様な感じではなく、どことなくほんわりしているため、男女ともに仲は良好。
羨まし過ぎる。私もせっかくなら美人に生まれたかった。私の顔は普通顔。はっきり言って平凡と自分から言い切れるレベル。
色の構成はほぼ同じだというのに、この違いはなんだ。遺伝子か? これも遺伝子の起こした奇跡だというのかっ!
「大丈夫に見える?」
「……母上はいったいどうしたんだい?」
ニヒルな笑みでルーメリナがそう言うと、ディーエは即座に話題をずらした。その顔をルーメリナは恨めしいとばかり睨みあげ、人目がないのをいいことに大きな溜息をはく。
原因は兄さんの様な美形共のせいだよ、と一瞬言いそうになったが、心配してくれているのには間違いないので自嘲する。何て私は心が広いのだろう!
美形なんぞ滅びろ。
「いつものミーハー癖が出たのよ」
「……ああ」
キッパリと言った言葉に、すぐ納得したようにディーエはうなずく。以前、今回の様なことを二人で経験したことがあり、その事を思い出したようだ。理解が早くて結構。
その様子に、満足したルーメリナは気を取り直し、ディーエは妹に少し機嫌が直ったことに胸をなでおろす。
そんな兄の事を気にも留めず、先ほどの兄の様子を見て気になっていたことを事を聞いてみる。
「それで、兄さんは憧れの人には会えた?」
「ああ! 会えた! 凄い人達だったよ。近くで見たのは初めてだったが、やっぱり根本的に一般人と色々とつくりが違うんじゃないのかな」
カリスマって言うのかな? オーラが半端ないよ。と、頬を緩めて笑う兄へ、ルーメリナはそのセリフの中で増えた疑問を聞いてみる。
「〝達〟って?」
「え?そりゃ、リバメント公爵とリシル様だよ」
レオナール様と一緒に会場へ入ってきたじゃないか。と言うディーエにルーメリナは困惑した視線を向けてしまった。
兄がずいぶんと嬉しそうな顔で近づいてきた時、憧れだという人物に会えたのだろうなぁと、何となく分かった。はっきり言ってしまえば、分かったのはそれだけだ。
その視線の意味に気付いたらしいディーエは呆れた、と首を振る。
「あんなに会場がざわめいてたのに、気付かなかったのかい?」
「だって、お母様の暴走がほかの方々の迷惑にならないように、抑えているのが精一杯だったの……」
「……母さん」
ディーエは片手で目を覆う。あからさまな会場内の変化に妹が気付けないほど母の暴走はひどかったらしい。これまでにルーメリナが早熟なのは母のせいか? いや、両親のせいか……。
「ねぇ」
「うん?」
「リシル様ってどんな子だった?」
「んー、そうだねぇ」
先ほどまでの機嫌の悪さはすっかりと消え、興味のあるものを見つけ瞳がキラキラと輝いているルーメリナは年相応だ。ルーメリナはほかの同年代の子たちと比べて早熟だが、好奇心は子供のままらしく分からないことがあったらすぐに聞いてくる。
それを気に入ってか、学院内で長老と言われている先生に気に入られているらしい。
あの先生気難しいのに……。これで自分の事平凡とか思っているんだよなぁ、とディーエは苦笑する。
ロストメリ家は先祖代々騎士の家系だ。けれど、陣形術師の血が流れていないわけではない。しかし、ながれている血は多いとは言えなくて、陣形術師はたまにしかでない。そのたまにの一人がルーメリナだ。陣形術師達の中でも珍しい瞳も持っているのに。そういえばリシル様もそうだったな~、と思いながら、ディーエは妹の期待に応えるべく口を開く。
「子供には見えなかった。すごく大人びてたね。大人に囲まれて育ったらしいからそのせいかな。」
「へぇ」
「ルゥーナもかなり大人びているとは思うけどね、リシル様はそれ以上だった。あと……」
唐突に口ごもったディーエを見て、ルーメリナは首をかしげる。兄がこのようになるのは珍しい。話し好きなディーエはよく喋るのだ。
「どうしたの?」
「いや、うまくは言えないのだけど……」
ディーエは考え込むように少し間を開けると、どこか迷うように言う。
「なんだかリシル様の周囲だけ、どこか浮世離れしているような感じがするんだよね。雰囲気とかのせいかな? それとも容姿のせいか……」
ディーエはそう自問自答すると、一般とか、平凡とか、そういう言葉に無縁そうだったなぁ、と笑った。そんな兄をルーメリナはお気楽だなと毎回のことながらそう思ってしまう。
学院に帰ったら、今日の事を聞こうとする人たちに囲まれるのが目に見えているというのに、その事に気付いていないのか、それとも囲まれても困らないのか、すごく呑気である。
これがコミュ力の違いか……。ちっ、何てハイスペックな野郎だ。今度絞めてやろうか。
剣呑な目つきで見上げてくるルーメリナを見て、ディーエはヘラリと笑う。わー、またなんか恐いこと考えてるな~、と。天然が若干入っている割に、以外と鋭かった。
ちなみに、二人そろって自分に鈍感な所があるロストメリ兄妹。学院ではけっこう有名人だ。
兄は妹が有名になってきているのを知っていて、妹は兄が有名人であることを知っている。互いのことを理解していながら自分が有名人、もしくは有名人になりつつあるのを二人は知らない。
学院に帰ったらめんどくさそう……、ルーメリナが憂鬱になりながらそんな事を考えていると、ディーエは会場へ戻ると一言おいてから戻って行った。それを見送り、一息つく。
疲労も少しとれた。帰るまでの時間をここで潰すことにする。
庭園は目を楽しませてくれるし、人はルーメリナ以外居ない。
ゆっくりしてよう。そう思い、万が一、人が会場から中庭へ出てきても気づかれないような場所を求め、移動する。なるべく丈の高い物がある場所へ、と中庭の中心へと入っていく。
私はそこで、自身の人生を大きく左右する人に会った