第1章 代理と何でも屋【2】
「……依頼は」
ロスに促され、ニコルは左手を宙に向ける。人差し指と中指のあいだに現れた一葉の写真を、すっと机の上に出して見せた。
「単刀直入に言います。彼の調査を」
「調査?」と、メリフ。「この人が何者か調べればいいってこと?」
「はい。僕たちは彼が何者かわからないんです。そのための調査をお願いします」
メリフは写真を手に取り、つくづくと眺める。写真の人物に、ふたりは心当たりがないようだ。もう少し情報を提供する必要があるだろう。
「彼の名はシドニー・グレンジャー。次のオーランド家の夜会に参加することになっています」
「ちょっと待って!」
顔を上げたメリフが声を張るので、ニコルは首を傾げて促した。
「ここはグレンジャー男爵邸の別館でしょ? それなのに調査が必要なの?」
メリフの疑問は尤もだ。ふたりが通されたのは、グレンジャー男爵家の邸宅の別館。その中の一角にあるシリルの執務室だ。ふたりの怪訝の色が深まったのも頷ける。それでも、ニコルの答えは変わらない。
「はい。調査をお願いします」
ロスとメリフは顔を見合わせた。ニコルは微笑みを崩さず、絶やさず、ふたりが頷くのを待っている。次に口を開いたのはロスだった。
「シリル・ラトとの関係性は」
「それも調査してください。僕たちには、彼が何者かわからないんです」
わからないばかりで申し訳ない、とニコルは考えてみたが、実際にそうなのだから仕方がない。わからないことは、どれだけ考えてもわからないのだ。
「グレンジャー男爵邸の別館で暮らしているのにわからないの?」
「はい。シリルは現在、保護という名目のもと幽閉されています」
「どうして?」
「それはお話しできません」
あくまで笑みを崩さないニコルを、ロスとメリフは探るように見つめている。微笑みの真意を見抜かれたことはいままでにないが、ふたりの気配は鋭い。何かニコルの意図しないことに気付くときがあるかもしれない。
「グレンジャー男爵についても調査をお願いします。あの人は容疑者である可能性があります」
「なんの容疑?」
「それも調査をお願いします」
調査に調査、さらに調査。普通の探偵だったら投げ出していたかもしれない。彼らがそうすることはないと確信した上で依頼を出している。どれほど期待できるかは判然としないが、裏切るようなことはないのではないかとニコルは考えていた。
「あたしたちが依頼を受けるには条件があるわ」
メリフが人差し指を立て、語気を強める。ニコルは首を傾げて先を促した。
「あなたたちがあたしたちを裏切らないっていう信用よ。シリルがあたしたちを信用すること。シリルがあたしたちを売らないと確信すること。シリルに疑いの目がかからないようにするのと同時に、あたしたちにも立場ってものがあるわ。そのためには、少しでも多くの情報が必要よ」
早口に捲し立てられ、耳が置いていかれそうになるのを必死で堪える。音声が届くまで、多少なりとも時差がある。返答を待っているあいだに矢継ぎ早に言葉を投げられると、少々混乱が生じてしまう。
「わかったかしら?」
溜め息交じりに言うメリフに、ニコルはまた微笑んで見せた。
「なるほど。それは失礼しました」
メリフはまたひとつ息をつき、ソファに腰を戻す。
「あなたって、なに考えてるかよくわかんないわね」
「何も考えていません」
「それは嘘」
あながち嘘ではないのだが、とニコルは返答を待ちつつ微笑む。例え頭が混乱しようとも、微笑みを絶やしてはならない。貴族は感情を表に出してはならない。それが命取りになることもある。ニコルはそれをよく知っていた。




