5.侵食する影、あるいは傲慢な兄
5.侵食する影、あるいは傲慢な兄
翌日、ハミルトン子爵邸の門を潜ったのは、威圧感とは無縁の、柔和な空気を纏った男だった。
ハミルトン伯爵家長男、バルト・ハミルトン。
彼は喪服を品良く着こなし、玄関で出迎えたわたくしを見ると、悲しみに沈む身内を労わるような、完璧に慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「急な訪問ですまない、アメリア。エドワードのことは、本当に残念だった。君のような佳人が、あんな形で未亡人となるなんて……。本家の兄として、胸が痛むよ」
その声は穏やかで、聞き手に安心感を与える響きを持っていた。エドワードが持っていた剥き出しの傲慢さなど微塵も感じさせない。
彼は早くから嫡男として領地経営に携わり、次男の挙式すら欠席して政務に没頭するほど、実利と規律を重んじる切れ者として知られている。
「お心遣い、感謝いたしますわ。バルト様」
わたくしが会釈すると、バルトはそっとわたくしの手を取り、優しく包み込んだ。
「無理に強く振る舞う必要はない。これからは私が君の後見人となり、この領地の整理も引き受けよう。……君は王都の伯爵家で、ゆっくりと心身を休めるといい。あとの面倒な事務仕事は、すべて私に任せなさい」
一見、非の打ち所がない慈悲深い申し出だった。
けれど、わたくしの背後に立つセドリックから、刺すような殺気が放たれているのを肌で感じた。
「――兄上。アメリア様の『後見』については、すでに私が拝命しております。事務仕事も、滞りなく済ませてあります」
セドリックが一歩前に出た。
バルトは、そこで初めて弟の存在に気づいたかのように顔を上げた。その微笑みは崩さないまま、けれど瞳の奥には、路傍の石ころの有無を確認するような、絶対的な温度の低さが宿っている。
「……ああ、セドリック。いたのか。エドワードの世話をしていた君のことだ、混乱に乗じてよく働いてくれたようだね。ご苦労様」
バルトはセドリックを労ったが、その言葉には温度はなく、あくまで形式的なものだった。
「だがセドリック。お前はまだ若い。複雑な債権処理や王家への報告を一人でこなすのは荷が重いだろう。これからは私が直接、法務官と共に精査する。お前はもう、休んでいい」
「お言葉ですが、兄上。アメリア様は私の処理に満足しておいでです。これ以上の介入は、かえって混乱を招きます」
「……セドリック」
バルトの微笑みが、わずかに深まった。それだけで、周囲の空気が張り詰める。
「君の忠義は認めるよ。だが、残念ながら君は伯爵家の正式な一員ではない。わかっているだろう? 君がどれほど努力しようと、ハミルトン家の名を背負って公に立てるのは、正当な後継者である私だけだ。……アメリアを、お前のようなの不確かな存在を隣に置いておくわけにはいかない」
バルトは再びわたくしに向き直り、慈しむように目を細めた。
「アメリア。君は賢い女性だ。誰が君を真の意味で『貴族』として守れるか、理解できるだろう? ……明日、改めて伯爵家の法務官を連れてくる。そこで、この屋敷の管理権限をすべて私に移譲する手続きをしよう。それが、君のためだ」
バルトは一瞥もくれずにセドリックの横を通り過ぎ、悠然と屋敷を後にした。
その足取りはどこまでも穏やかで、それゆえに抗い難い「正論」の圧力を孕んでいた。
扉が閉まる音が、重く響いた。
静まり返った部屋で、セドリックはわたくしの前に跪いた。
「アメリア様。……。あの男は、あなたを思ってこの提案をしているわけではない。あくまで伯爵家の利益のために、あなたを伯爵家の操り人形に仕立て上げるつもりです」
セドリックがわたくしの手を、握りつぶさんばかりの力で握る。その瞳には、バルトの前では決して見せなかった、どす黒い狂気の炎が揺らめいていた。
「……わかっていますわ。バルト様は、エドワード様よりもずっと恐ろしい方」
「……兄上は優秀です。非の打ち所がないほどに。……ですが、優秀すぎて、自分の管理下にない『毒』が存在することを想像すらできない」
セドリックはわたくしの手に顔を寄せ、恍惚とした、しかし凍りつくような笑みを浮かべた。
「アメリア様、何も心配入りません。すべての準備は整えてあります。明日には兄上もきっと分かっていただけることでしょう」
(第2章 第5話 完)




