4.真珠の首輪と、沈黙の求婚
4.真珠の首輪と、沈黙の求婚
エドワードの葬儀が終わり、子爵邸には表面上の静寂が戻っていた。
棺は閉じられたまま埋葬され、周囲には「遺体の損傷が激しかったため」と説明して納得させた。けれど、あの日倉庫で聞いた獣のような断末魔は、今も耳の奥にこびりついて離れない。
わたくしが書斎で領地の書類を整理していると、階下から騒がしい怒鳴り声が響いてきた。
「離しなさい! アメリア様、そこにいるんでしょ!」
幽閉されていたはずのイザベル・ブレイだった。
彼女は監視を振り切り、書斎へ躍り込んできた。
「イザベル。……何事ですの。あなたは領地の離れにいるはずでしょう」
わたくしが冷淡に問いかけると、イザベルはわたくしの足元に崩れ落ち、血走った目でわたくしを指差した。
「……聞いたわよ。伯爵家にいた頃の知り合いから、こっそり報せがあったわ。安置所から死体が消えたんですってね? それだけじゃない……あの日、裏庭で血まみれの男が引きずられていくのを見た使用人がいるそうじゃない!」
彼女の目的は、わたくしを傷つけることではなく、この場に「不都合な疑念」を撒き散らすことなのだ。
「エドワード様は生きている! それをあの男……セドリックが隠しているのよ! あなたを奪うために、彼は実の兄をどこかに閉じ込めて……あるいは殺したんだわ!」
「……控えなさい。あなたの妄言は、亡き夫への冒涜であり、ハミルトン家への侮辱と受け取ります」
わたくしが毅然と突き放すと、背後に冷たい影が落ちた。
「……随分と賑やかなことだ」
セドリックだった。彼は音もなく現れ、イザベルの首根っこを掴んでわたくしから引き離した。
「これ以上、アメリア様の耳を汚すなら。……兄上の隣に、お前の席も用意しよう。まだ空きがあるのだから」
セドリックの低く非情な囁きに、イザベルは抵抗する力を失い、引きずられるように連れ去られていった。
静まり返った書斎。
セドリックはわたくしの前に跪き、深紅のベルベットの小箱を開いた。そこにあったのは、大粒の真珠を連ねたチョーカーだった。
「アメリア様。……汚れた言葉は、忘れてください」
彼はわたくしの背後に回り、冷たい指先でうなじに触れた。真珠の冷たさは、イザベルの言葉に震えた肌を、強制的に鎮める鎖のようだった。
「婚約しましょう。あなたが私の正式な伴侶となれば、誰一人としてあなたを疑うことはできない」
それは、求婚という名の「保護」であり、同時に「隔離」の宣告だった。セドリックは鏡越しにわたくしの瞳を見つめ、金具をパチンと留めた。
「あなたは、何も知らなくていい。何も考えなくていい。……ただ、私の用意したこの場所で、美しく咲いていればいいのです」
セドリックの手が、首元の真珠の上から愛おしげに重ねられた。それは確かに、逃げ場を塞ぐ首輪のようだった。
その時、執事が銀のトレイに載せた一通の手紙を持ってきた。
「伯爵家嫡男、バルト様からの先触れでございます。奥様へ、親展とのことで」
セドリックの指先が、わたくしの首筋でわずかに強張った。彼はわたくしが手を伸ばすより早く、トレイから手紙を抜き取った。
「失礼。不審な点がないか、私が先に確認しましょう」
彼は流れるような動作で封を切り、書面に目を落とした。
そこに綴られていたのは、驚くほど温情に満ちた言葉だった。
『親愛なる義妹アメリアへ。不肖の弟が多大なる迷惑をかけた。領地の政務で葬儀に駆けつけられなかったことを許してほしい。明日、直接お悔やみを伝えに伺う。今後の君の身の振り方についても、兄として最善の相談に乗るつもりだ。安心して待っていてくれ』
「……バルト様は、わたくしを気遣ってくださっているのね」
わたくしの言葉に、セドリックは答えなかった。
ただ、手紙を持つ彼の指が白く染まるほどに力んでいる。彼は無造作にその手紙を暖炉の火の中へ放り込んだ。
「セドリック? 何を……」
「……あの男は、決して無益な情をかけるような人間ではありません。アメリア様、騙されてはいけない。兄上は微笑みながら相手の喉元を裂く男だ。相談に乗る、だと? ……この領地の利権と、あなたという『価値』を査定しに来るに決まっている」
炎が手紙を飲み込み、バルト・ハミルトンの端正な署名が黒く焦げていく。
「あなたは何も心配しなくていい。私がすべて対応します。……
あなたの害となるものは私が全て取り払います。」
暖炉の火に照らされたセドリックの横顔は、いつになく鋭利で、残酷な色を帯びていた。
王都から戻る、穏やかな顔をした切れ者の長男。
ハミルトン家を揺るがす真の嵐が近づいていることを、わたくしは確信していた。
(第2章 第4話 完)




