宰相デルガの引退
王城の会議室は、今日も無駄に荘厳だった。
重厚なカーテン。
磨き上げられた床。
そして、五歳の悪役令嬢。
「……レイア嬢」
小さな足が、椅子からぶらぶらしている。
彼女は焼き菓子を両手で持ち、真剣な顔で齧っていた。
宰相デルガは、静かに目を閉じた。
(百戦錬磨の私が……なぜ五歳と向き合っているのだ)
彼はこれまで、数々の断罪を演出してきた。
扇子を叩きつけるヒロイン。
婚約破棄を高らかに宣言する王子。
泣き崩れる悪役令嬢。
完璧な流れだった。
だが今回は違う。
悪役令嬢、五歳。
ヒロイン、七十五歳。
王子、四十歳。
恋愛の火種が、そもそも存在しない。
ヒロインは腰に手を当てて、穏やかに笑う。
「レイアちゃんは、昨日もお花を分けてくれたのよ」
「そうですか……」
「いい子なのよ」
断罪どころか、近所の祖母である。
王子もまた、会議中にため息をついた。
「宰相。私はそろそろ政務に集中したい」
「ですが殿下、物語の流れというものが」
「五歳だぞ?」
正論である。
デルガはその夜、机に向かって作戦を練った。
第一案:お菓子の横取り事件。
→レイアは半分こにした。
第二案:庭園破壊未遂。
→蝶を追いかけただけだった。
第三案:陰口捏造。
→本人が素直に謝った。
(悪意が芽吹かぬ……!)
彼は額を押さえた。
五歳は、まだ悪役になる前段階なのだ。
ある日、デルガは庭でレイアを見つけた。
小さな手で土を掘っている。
「何をしているのですか」
「おはな、うえるの」
「誰のために?」
「おばあちゃまが、きれいっていうから」
七十五歳のヒロインは、日向でうたた寝していた。
王子は遠くで政務官と書類を抱えている。
世界は、平和だった。
デルガは、ゆっくりと理解した。
断罪イベントとは、悪意と若さと恋慕が揃って初めて発火する装置なのだ。
今ここには、そのどれもない。
あるのは時間のずれと、静かな午後だけ。
彼は、深く息を吐いた。
「レイア嬢」
「はい?」
「あなたは……悪役にはなれません」
「やく?」
意味がわからず首を傾げる。
その姿に、デルガは初めて肩の力を抜いた。
翌日、彼は辞表を提出した。
理由はこう書かれている。
物語が発生しないため。
王子は困惑したが、引き止めなかった。
七十五歳のヒロインは言った。
「長い間、ご苦労さま」
レイアは花を一輪、彼に渡した。
「おつかれさま」
デルガは城門を出るとき、少し笑った。
断罪を設計する人生だった。
だが最後に与えられた仕事は、断罪しないことだった。
それもまた、ひとつの役目なのだろう。
王城の鐘が鳴る。
新しい宰相が選ばれるだろう。
きっと若く、情熱的で、物語を求める人物が。
だがデルガは、もういい。
彼は小さな町へ向かった。
そこで静かに、本でも読むつもりだった。
悪役令嬢が五歳のうちは、世界はきっと平和なのだから。




