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治療室を出たジェマは、階下に降りた。不安げにしている冒険者たちがジェマを不審げに見る。ジェマはその視線から逃れるように冒険者ギルドの外に飛び出した。
「ジェマ」
ジャスパーが声を掛けて、ようやく足を止めたところは川に掛かる橋のそば。山の上から流れてくる細い川。生活用水でありながら、憩いの場を作るものでもある。
ジェマはジャスパーとジェットを肩に載せたまま橋の下へと進んでいって、橋梁下で立ち止まると川に向かって腰を下ろした。川面を睨みつけながら風を浴びていたジェマは、黙って唇を噛んだ。
「ピピィ……」
「ジェマ、何も間違ってない。気にする必要はないぞ」
「……うん、分かってる」
理論としての正しさと、感情の上での正しさ。ジェマは深呼吸をして橋を下から見上げる。空を遮るそれは、天井のようでもあり、外界を隔てる盾のようでもあった。
「助けたいな……」
ジェマが零した言葉に、ジェットはジェマの頬に2本の脚を載せた。
「ピピィ……」
ジェマの道具師としての矜持と優しい心の揺れを直に感じているのは契約魔獣であるジェットと契約精霊であるジャスパー。特に言葉を持たないジェットにはそれが心に何の障壁もなく届いてしまう。建前も何もない、飾り気のない心。それが何より他者の心を突き動かすものだ。
しばらく橋の裏を見ていたジェマは、俯いて膝に顔を埋める。人造魔物を倒して解剖して人造魔物の構造や魔法についての知的好奇心を満たす。それだけで済む話だったら、どれだけ楽だったのか。10歳の少女の心には、大怪我を負って生死を彷徨う冒険者たちや人造魔物に取り込まれた人々の命の重さがのしかかる。
「もしも、もっと状況が荒れていて」
ジェマは静かに語る。ジャスパーとジェットは静かにジェマの肩の上に座って耳を傾ける。
「誰に許可を取るとか考える余裕もない状況であの方が倒れていたら。私はきっと、こんなに悩むことなく彼を助けていた。でも、その状況ではきっと他の人たちがもっと傷ついて、死んでしまう人もいたかもしれなくて。1人を助けたいがために他の人が傷つくような想像をしてしまった自分が情けない」
ジェマの声は震えていた。食い縛られた奥歯が必死に涙をせき止める。泣き虫だったかつてのジェマは、心の奥底で膝を抱えて目を閉じ、耳を塞いで縮こまっていた。強くあるため、大人であるため。けれどそれは、自分を許せない弱さとも言える。
ジャスパーはジェマの震える頬に蹄を当てた。ジェマがピクリと肩を跳ねさせると、ジャスパーはふよふよと飛んでその硬い蹄で頭を優しく慈しむように撫でた。
「目の前の命を救いたいと願う気持ちは、失ってはいけない。けれど、ジェマが誰かを助ける時、必ず道具師のジェマ、という肩書が付き纏う。ただのジェマなら伸ばした手も、道具師のジェマは手が伸ばせないかもしれない。だけどジェマが道具師だからこそ救われた命があることを忘れてはいけない。今日だって、【ハニーヒール】で何人の冒険者や騎士が救われたと思う?」
ジャスパーの言葉に、ジェマは首を横に振る。何人助けることができても、ジェマを苦しめるのはたった1人を救うことができない無力感だ。
「でも、私が道具師だから、助けられる。それは、分かる。みんながパニックになっても、私は冷静に道具を発明したり生成したりしないといけない。それは今日だって、ちゃんとできた。分かってる。分かってるんだけどね」
手を伸ばせば届くのに、手を伸ばさないことを自分で決めた。それは間接的にその相手を見殺しにする決断をしたと同義と言われても何も言い返せない。命より大切なものがあるのかと言われれば、論理的に否定できる人は少ない。
けれど肉体的な命を守ることができても、精神的な命を守ることができなければ肉体的な命は勝手に滅びてしまう。望まない相手に救われた命が生きる意味を見失って彷徨う事例もよくあること。生とは何か、死とは何か。それをどこまでも突き詰めて考えて行っても答えを出すことは難しい問題だ。
「我だって、太古の5大精霊と呼ばれながらも何億人もの人間を、何億体もの魔物を助けることができなかった。人間が我が怒って起こしていると考えるが、実際に我が制御できるのは身の周りだけ。助けられるのは、手が届くところにいるときだけだ。何千年と生きた我にできないことが自分にできると思うのは、ただの傲慢だ」
「でも、今あの人は手が届くところにいる」
「物理的にはな。だが、精神的な距離というものがある。それは物理的距離以上に乗り越えることが難しいものだ。ジェマは才能があるが、万能ではない。まずはそれを理解しろ。契約者が武器を作らなかったのも、それで生まれた被害を自分で立て直すことができないと分かっていたからだ。まあ、誰かの痛みを嫌がる優しい人間だったからということもあったがな」
ジャスパーは蹄を見つめ、小さく微笑む。人間らしいどうしようもなさは、精霊にとっては面白くて愛おしい。
「ジェマ、自分の腕で届く範囲、というものを少しずつ覚えると良い」
ジャスパーはジェットを浮遊魔法で浮かせると、連れ立って冒険者ギルドへと戻っていった。残されたジェマは、ただ俯くことしかできなかった。




