王女の影武者となりまして
十歳の誕生日を迎える、一週間前のことだった。
突然、私の家に大勢の騎士がやってきて、騎士の人たちに守られるように一人の男の人が「王命だ」と告げて一枚の紙を差し出した。
宰相だと名乗ったその人は、驚く両親に私の外見が王女様にそっくりなこと、これから私が王女様の影武者として王宮で暮らすことを淡々と告げた。
両親は抵抗したようだったけれど、王様の命令に逆らえるはずもない。
なにがなんだかわかららないまま、私は馬車に乗せられて王宮に行き――ただの平民には想像もつかないような世界が、そこには広がっていた。
物語に出てくるような煌びやかな世界は、ただ美しいだけではないと知った。
初めて顔を合わせた王女様は、確かに身にまとっているドレスやアクセサリーをのぞけば、私にそっくりの顔立ちをしていた。
ふわふわのピンクブロンドの髪も、お母さんが砂糖菓子みたいと褒めてくれる目の色も、年のころも、全部全部一緒だった。
「貴女が私の影武者になるのね」
そういって微笑んだ王女様はドレスの裾をつまんで綺麗なお辞儀をしてくださった。
その時の私は「カーテシー」という言葉すら知らなかった。
「大変だと思うけれど、頑張ってね」
ふわふわと笑う王女様の姿は大好きなお菓子より魅力的で、私はすぐに虜になった。
この方を守りたい、強くそう思った。
王女様にかけられた言葉の意味を、私はすぐに思い知ることになった。
動くのも面倒になるような重いドレスを着せられて、食事を一つ食べるだけでもマナーがなっていないと怒られる。
ただ歩くのにも作法があるらしく、頭に本を乗せてバランスをとる、となんてわけのわからないことまでさせられた。
笑うにしても歯を見せてはダメ、上品な笑みを、と言われてしまう。
修行のような、というかまさしく修行としか言い表せない過酷な日常。
私の心にあったのは、ただ王女様を守りたい、それだけだった。
お父さんにもお母さんにも会えない。
でも、王女様を守るためだと自分に言い続けて、一年がたったころ。つまり、十一歳の誕生日を目前に控えた日のことだった。
「アジェール様がいない! どこに行かれたのか!!」
「王宮を隅から隅まで探すんだ!!」
「攫われたのでは?!」
王宮が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは、私が二時間かけて昼食を食べ終わった後だった。
マナーがなっていないから、食事一つとるのも時間がかかる。
アジェール様とは王女様のことだ。
午後からの歩行訓練をみてくれる家庭教師も姿を見せなくて、私がおろおろと部屋で待っていると、そのまま晩御飯の時間になった。
晩御飯の席には食事のマナー講師も姿を見せなかった。
何が起こっているのかわからないまま、教えられたマナー通りに食事を食べ、自室に戻る。
自習でもしておこうかな、と頭に本を三冊乗せて決められた道順通りに歩く練習をしていると、ふいに部屋の扉が開かれた。
「ルシール、いいかい」
柔らかく声をかけてきたのは、一度だけお目通りしたことがある王様だった。
驚いてバランスを崩して頭の上の本を全部落下させた私は、慌ててその場に平伏した。
「そのようなことはしなくてよい」
疲れたような声音だった。けれど、許しをもらったことには変わりない。
そっと私が顔を上げると、やっぱり表情に疲労を滲ませた陛下が困ったように眉を寄せている。
「そこに座りなさい」
「はい」
部屋に置かれているソファを示される。大人しくソファに座った私の対面に、陛下が腰を下ろした。
「アジェールが市井に下った」
「?」
難しい言い回しは、まだよく理解できない。
ぱち、と瞬きをした私に、陛下が浅く息を吐き出す。
「平民の男と結婚するのだと、部屋に書き置きがあった」
「っ」
息を飲む。さすがの私にも大事だとわかる。
王女様がどこで平民の男性と出会ったのかは知らないけれど、身分を捨てて駆け落ちをしたということだ。
「ルシール、本日より其方がアジェールだ」
大きく目を見開く。はく、と動かした口からはなにも言葉が出ない。
「影武者ではなく、王女として生きてもらう」
「そ、れは……」
王女様を見捨てるということ?
疑問は問いにならない。
だが、青ざめた私の表情から察したのだろう。王様は深く息を吐き出した。
「王女の捜索は続ける。だが、見つかったとしても国を捨てる行動をとった王女を、再び王女として扱うのは難しい」
王様の表情は痛みをこらえているようだ。実の娘が出奔したのだから当然だろう。
そのうえで、父親ではなく国の主としての高度を盗らなければならない。
「幸い、まだ幼いが王子がいる。国の跡取りには困らぬ」
「……はい」
「其方にはさらなる負担をかけるが、頼んだぞ」
そう言いおいて王様は部屋を出て行った。私は呼吸を整える。
(これから、アジェール様として生きていく……)
影武者ではなく王女として。それはとても大変なことだ。
でも、やるしかない。逃げだすことは許されない。
まっすぐに前を向く。私の家ほどの広さのある部屋を見回して、決意を固める。
「今日から……私がアジェール・デフォルジュ」
王女として生きる、覚悟を決めた。
▽▲▽▲▽
アジェール様が出奔して、五年がたった。
私は十六歳になって、先日成人の義を終わらせた。
幼かった王子も十歳の誕生日を控えていて、私もまた王女としての生活に大分馴染んでいた。
「アジェール、ここにいたのか」
「ジョルダン様」
少し前から我が国に遊学に来ている隣国の王太子ジョルダン様。
私より一つ年上の彼は常に堂々としていて、優しくて、まさに理想の王子様だ。
庭園で花を愛でていた私にそっと近づいてきたジョルダン様は私の隣に並んで笑みを落とす。
綺麗な笑みに心臓が跳ねる。ジョルダン様には先日求婚されて、私たちは婚約者となっていた。
ジョルダン様にはまだ私が偽りの王女だと伝えられていない。罪悪感はあるけれど、国のためにも口にはできなかった。
感情のままに動いてはならないと、教育を受けてきたから。
「今度、花束を贈ろう。花が好きなんだろう?」
「はい。ありがとうございます」
ふんわりと笑う。教え込まれた王女としての笑み。
少し、空気が変わる。甘い雰囲気が場に満ちる。
そっと伸びてきた手が頬に触れる。目を閉じた私の前で、ジョルダン様が近づいてくるのがわかる。
けれど、そのとき。
「……?」
騒がしい声が、庭園まで届いた。
ぱちりと瞼を開けた私の前で、ジョルダン様もまた怪訝そうに視線を私から逸らしている。
声が聞こえるのは正門の方角だ。
するりとジョルダン様の傍を離れて、庭園の入り口に控えていた侍女たちに声をかける。
「なにがあったか聞いてきてもらえる?」
「畏まりました」
恭しく頭を下げた侍女が一人、静かにその場を離れた。
しばらく待っていると、困惑した様子で侍女が戻ってくる。
「どうしたの?」
「その、姫様とそっくりの平民が『自分こそが正当な王女だ』と騒いでいるようです」
その言葉に、軽く目を見開いた。ああ、覚悟していたけれど、とうとうその日がやってきた。
「私が行きましょう」
「俺も行く」
歩き出した私にジョルダン様がついてくる。
本当は断りたかったけれど、そっと見上げた瞳が真摯に私を見つめていたから、断れなかった。
「はい。……お見苦しい場面をみせるかもしれませんが」
一言断って、私は城の入り口に向かって歩みだす。
気持ちは驚くほど落ち着いていた。
「だから! 私が王女よ! あいつは偽物なの!!」
騒がしい声が聞こえてくる。視線を伏せた私の手をジョルダン様が握ってくれた。
小さく微笑み返して、私はまっすぐに前を見る。すぐに手は離れていったけれど、励ましてもらえて嬉しい。
城の入り口に着いた私は、そこで大騒ぎをしている本物の王女――アジェール様の姿に眉をひそめた。
衛兵たちに取り押さえられたアジェール様は美しく伸ばしていた髪をばっさりと肩口で切っていた。
身に着けている洋服も、私が平民として暮らしていた時より粗末なものだ。
城を飛び出して、きっと苦労したのだろう。
けれど、同情するつもりはない。
彼女は連れ去られたのではなく、自身の決断で王女という立場を捨てたのだから。
「貴女! 影武者の癖に! 私に成り代わるなんて!!」
姿を見せた私に即座に噛みつくアジェール様に、私はそっと息を吐きだした。
「『ルシール』いったいなんのつもりですか」
「……は?」
「貴女が影武者の役割を放棄して逃げ出してから、五年がたっています。今更貴女の力など必要ありません」
「なっ!」
顔がよく似ていることは隠しようがない。
だから、私は入れ替える。
アジェール様がルシールなのだ、と。
私の言葉に絶句したアジェール様――ルシールが、顔を真っ赤にして言い返してくる。
「私に成り代わって散々贅沢をしたんでしょう! いい加減返しなさいよ!」
「……話になりません。牢に入れてしまいなさい」
「ちょっと! 離して!! 私が正当な王女なのよ!!」
わめき続けるルシールを衛兵が連れていく。
静かになった場で浅く息を吐いた私の肩に、ジョルダン様の手が触れる。
「部屋に戻ろう。疲れただろう」
「はい」
促されてその場を後にする。
お父様――王様はどんな判断を下すだろう、そんなことを考えながら。
普段私の自室に足を踏み入れるのを遠慮するジョルダン様を部屋に招いた。
ジョルダン様も私と話がしたかったのだろう。
素直に部屋に入った彼にソファを勧める。対面のソファに腰を下ろす。
この部屋は元々私ではなくアジェール様の部屋だった。
彼女が出奔して、私が正式な王女と成り代わった際に、部屋も移動した。
「飲み物はいりますか?」
「大丈夫だ」
ジョルダン様が遠慮されたので、侍女を呼ぶことはしない。
私は浅く息を吐きだして、頭を下げた。
「申し訳ありません」
「謝罪の意味を聞いてもいいか」
「私は、元は平民でアジェール様の影武者でした。私は偽の王女なのです」
頭を下げたまま口にした言葉に、驚く気配はない。肩に手が置かれる。
「頭を上げてくれ」
ゆっくりと視線を上げると、ジョルダン様は少しだけ眉を寄せていた。
けれど、その表情に嫌悪の色がないことにほっと胸をなでおろす。
私は姿勢を正して、まっすぐにジョルダン様を見つめる。
「経緯を詳しく聞きたい」
「私が王宮に召し上げられた後、アジェール様は出奔されました。平民の方と結婚する、と書き置きが残されていたそうです」
「そうか……」
考え込むように視線を伏せたジョルダン様の反応を待つ。
ため息を一つ吐きだして、ジョルダン様が私を見た。
「俺の気持ちは変わらない」
「……ジョルダン様……」
「君がたとえ平民の出だとしても。俺が惚れたのは『君』だから。孤児院の慰問に訪れた君が、転んで泣きじゃくる子供を優しく慰めた姿に惹かれたんだ」
「っ」
真摯な言葉が胸に刺さる。私は泣きそうな自分を自覚して、泣き出すまいと我慢する。
ジョルダン様が笑み崩れた。
「いままでよく頑張ったな。大変だっただろう」
「はい……!」
「その努力をこそ、愛おしい、と俺は思う」
その言葉がとどめとなった。
ぽろぽろと涙をこぼす私をジョルダン様は優しい瞳で見つめてくれていた。
▽▲▽▲▽
私が偽物だと主張する本物の王女であるアジェール様は、どうやら駆け落ちした平民の男性に捨てられたらしい。
駆け落ち相手は元は見習いの騎士だったとか。
二人は城から持ち出した宝石などを換金して遊んで暮らしていたのだが、そのお金が底をつきて、とうとう美しい髪を切って売ったのだとか。
それでもやっぱりお金が足りなくて、娼館に行けと言われて反発して別れ、途方に暮れて城に戻ってきたのだという。
王様は一度は国を捨てた王女を娘だと認めなかった。
逃げだした影武者のルシールだと断言して、放逐したという。
「其方のこれまでの努力を知るからこそ、娘だからと情は掛けられぬ」
それが王様の言葉だった。これまでの努力を認めてもらえて、私は嬉しかった。
「父と母に会いたいか?」
そう聞かれたのは、久々に実の娘の顔を見て、思うところがあったのかもしれない。
私は首を横に振った。
「私の父は貴方です。お父様」
にこりと微笑んで口にできたのは、王様が両親に十分な支援をしてくださっていると知っているからだ。
王様は潤んだ瞳で一つ頷いてくれた。
それから、二年後。十八歳の誕生日を迎えた一か月後に、私はジョルダン様と結婚した。
隣国に嫁ぐことになった私を、王様をはじめとして皆が盛大に祝ってくれた。
血筋ではなく私を見て。愛を伝えてくれたジョルダン様と共に、私は生きていく。
愛おしい彼と一緒に、歩んでいく。
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