第1話 この世界の「個性」
社会派短編 第一話
あらすじ
市民による銃の所持が許されている架空の国ノーストン。
そこで警察官として働くソルト・コミュールは、市街地で発生したある発砲事件をきっかけに「個性」とは何か、「多様性」とは何かを考えるようになる。
銃販売店のユエル・サム・エルコットという老齢は、「ただ一撃に何を賭けるのか」とソルトに問い、一丁の拳銃を彼に委ねる。
日に日に警察への非難が強まる中、ソルトが出す結論とは――?
タァーン、と乾いた破裂音が遠くに響いた。
射撃訓練などで何度も聞いているから間違えるはずもない。それは銃声だ。我々の国では市民にも拳銃の所持が認められているので、ときどき民営の射撃場などで発砲音がすることは特に問題ない。日常茶飯事と言っても良い。
しかし、今耳に届いた音は問題だ。
明らかに市街中心部が発生源。高層のビルに遮られてはいるものの五十メートルも離れていないところだ。
女性の甲高い悲鳴とともに、バラバラとコンクリートを叩く無数の足音が私の方へと近づいてくる。「逃げろ!」と叫ぶ男性の野太い声もする。直後、栓の詰まった排水口に流れ込むように、無数の群衆が狭い路地へとなだれこんでくる。
人々の顔は険しく、恐怖に汗がにじむ者、後ろから押されて苛立つ者、実に多種多様な「不愉快」が見られた。
そのうちの一人と目があった途端。
私はすぐ隣の大通りへと抜けられる、別の路地へと走った。
どこも人が大勢逃げてきていて、とても流れに逆らえるような気はしない。正規の歩道を行くのでは遅すぎる。
――仕方がない。
腰に差したピストルで空に向けて発砲し、私は恐怖に立ちすくむ人々の間を素早く駆け抜けていった。
「ノーストン警察です! そのまま止まらず、避難してください! 私とは反対方向に逃げてください! 救急車を呼んで!」
五発、六発と撃ったところで、大体の人間は捌けた。
銃声がした大通りには、路地から覗いた犯人の背中が確認できる。人々が逃げ惑う中、周りで聞こえる自分以外の銃声にも反応せず、ぼんやりと立ち尽くしているようだ。やせ型の男性の手にはずいぶんと古い型の拳銃。地面には、銃弾を受けた体格の良い男。頭から、血を流して倒れている。
――クソったれ。
サッと大通りへと躍り出て、動かない犯人の背中をとる。
「動くな!」
「……」
やせ型の男性はそれでも反応しない。廃人のように、抵抗する意思どころか、心そのものが空っぽになってしまっているかのような――そんな不気味さがあった。
「手にした拳銃を捨てろ。拘束する」
灰色の頭髪に銃口をつきつければ、男はなんのためらいもなく拳銃を地面へと落とした。金属がコンクリートにぶつかる高い音が鳴る。そのままゆっくりと、両手を挙げて動かない。抵抗しようとしないことに、何か気が付いていない意図があるのではないかと勘繰るほど素直だ。
「拘束しないのですか?」
私が身体に触れることをためらっていたら、男からそんな風に言う。
「七月二十二日、午後三時〇五分、殺人未遂の現行犯で逮捕する」
策略にハマったような不快感を覚えつつも、私は男の腕に手錠をかけた。その後すぐに警察の応援や救急車が現場に到着し、その身柄は当番だった同僚に引き渡すことになった。頭を撃たれた男性は絶望的だろうという会話を耳にしながら、どこか後味の悪い気分でその通りを立ち去った。
もっとも、家に帰れるというわけではない。
一番はやく事件に対応した警察官として、私も警察署へと足を運ばなくてはならない。
「すみませんコミュール刑事。非番だったのに、事件対応に付き合ってもらって」
「構わんさ。それよりあの男が持っていた拳銃」
「これですね」
警察署の机に広げられた証拠品の拳銃と薬莢を手にとり、部下はしげしげと眺めた。
グリップ部分が木製。撃鉄が雷管を叩くことによって銃身内部の火薬に点火する“パーカッションロック式”と呼ばれる単発銃だ。撃鉄部分には特徴的な模様の装飾がほどこされている。
「フィラデルフィア・デリンジャー。こんな骨董品、博物館以外で初めて見ましたよ」
「私もだ。しかし、ほとんど新品に見える。鑑識の鑑定も待たねばならんが、これはおそらく百年以上前ではなく、最近造られたものだろう」
「そうなると、販売元はすぐに特定できそうですね。大量生産だと、どこの会社も採算取れないから。個人による、完全受注生産でしょう」
「ああ。よほどの趣味人かな」
掌に収まってしまうほど、小さな拳銃。
見れば見るほど、かつて博物館で展示されていたデリンジャーをよく真似ている。リンカーン暗殺にも使われたことで一部のマニアたちのあいだではかなり有名な銃だろう。かくいう私も、初めてこの拳銃を目にしたとき、機能美と装飾美の均整がとれたデザインにひどく目を輝かせた覚えがある。
そんなロマン少年だった視点から見ても、オリジナルへの敬意が細かな装飾や取っ手の曲率に感じられる。
そこに尊敬の念が浮かび上がるにつけ、あの不気味だった犯人の挙動が思い起こされた。ボサボサに乾いた頭髪や痩身、全身にまとう気力のない雰囲気。ミリタリーマニアという風情もない。
見た目だけで判断するならば、この美しい拳銃を欲するような人間とは思えなかった。
「製作者には、ぜひとも直接お目にかかりたいもんだ」
何を考え、どうしてこの拳銃を男に渡したのか。
私は姿の見えないその人が、男以上に不気味な存在感を放って心に巣くっているのをひしひしと感じた。
さらに不気味だったのは、数日後、「お目にかかりたい」という私の願いがすぐに叶ってしまったことだ。
拳銃を所持していた犯人の男は、あっさりと拳銃をどこで購入したかを答えたのだ。また、どうして人を殺したのかについても素直に自供したらしい。曰く、「有名な配信者を殺したかったから」。まったくふざけた理由である。
テレビやネットでは、連日、被害者だった男性について取り上げられていた。
元外国人プロボクサーで、ジムでのトレーニングの様子を動画で公開したり、視聴者からの質問に答えたりするゆったりとした配信チャンネルだったようだ。
「時にはトレーニングを休む勇気も大事」「減量できなくても焦らない」「どんな体格が良いか、自分に合っていれば人に合わせる必要はない」――など、価値観を押し付けない姿勢や、トレーニング中にときどき発せられる愛嬌ある言動が人気を呼び、じわじわとチャンネル登録者を増やしていた。
私はネット文化に疎かったが、さまざまなSNSで彼の死を悼む声が上がっているのを見かけた。
――売った奴は何考えてんだ?
「目的を知りながら犯人に銃を持たせたなら、立派な共犯ですよね。許せないです」
「ああ」
「ユエル・サム・エルコット。先に近隣に聞き込みをしてくれた人によると、偏屈な爺さんらしいですよ」
製造者の元へ向かうパトカーの中、部下は義憤にかられていた。
エルコットの銃器販売店は、都市部から車で十数分程度のところにある。
都市部から少ししか離れていなくとも、未開発の地区はまだまだ田舎だ。ススキの草原に囲まれた平らかな土地のまん中に、風景に馴染んだ木造の小屋が建っている。それが、エルコットの店だった。
数十メートル離れたところに民家がぽつりぽつりと建っていて、どの家々からも妙に視線を感じる。ふとそのうちのひとつ、いちばん遠くにみえる一軒に目をやると、小さな窓から覗く人影が見えサッと姿を隠した。
部下は「嫌なところですね」とぶつくさ言った。
私もそう思う。
しかし、その古そうな小屋の中に入ったとき、不気味さは少し和らいだ。
中で待ち構えていた車いすの老人は穏やかに笑っており、店内は私たちを出迎えるように温かな光に包まれていたからだ。壁一面に飾られた大小さまざまな銃器は、コレクターたちがみたら感涙ものだろうし、作業用と思われる茶色く重厚なつくりの机の上はきれいに片付けられている。
事前に想像していた雰囲気とはずいぶんかけ離れている。
「待っていましたよ、刑事さんたち」
エルコットの声は落ち着いていて、敵意が感じられない。
部下も私も却ってそのことに警戒したが、彼は気にせず話をつづけた。
「そう構えないでください。飾られている銃に弾は入っていませんし、私もこの通り、銃など持っていません。何なら、身体検査をしていただいても構いません」
車いすの老人は、確かに何も持っていない。
銃を隠せるようなぶ厚い布を被っていることも、それこそデリンジャーを隠せそうなポケットもない。服にも車いすにも、それらしきふくらみのある場所はどこにもない。一応車いすから退いてもらい座面も確認したが、そこにもやはり隠されてはいない。
「お互い、これで安心でしょう。
さあ、お話をしましょうか」
エルコットは客用のお茶と茶菓子を持ってきて、私たちを座らせた。
「いや、我々は勤務中なのでさすがにいただくわけには」
部下がそう断ると、彼はニコリと相好を崩して言う。
「真面目な方々だ。しかし、そうおっしゃらずにどうぞ。お二人とも、ひどく寝不足のようですから」
「な!? ど、どうしてそんなことが分かるんです」
「ふふ、直感、でしょうかね」
エルコットの言葉には、ふつうの人間にはない独特な響きが混じっている。言葉だけ捉えれば適当にはぐらかしているように聞こえるはずなのに、直感というセリフに妙な説得力がある。
うかうかしていたら、本気で不思議な力が宿っているような人間に見えてしまう。
――長話は危険だ。
「エルコットさん、そんなことより、三日前、ノーストン中心市街地にて拳銃による殺人が起きたことはご存じですね?」
「……ええ、知っていますとも。あなた方はその殺人に使用された銃の製造者・販売者が私であると聞き及び、こうして御足労いただいたわけです」
老齢ながら、目に活き活きとした光を宿しはっきりと喋る。
車いすで不意にどこかへ向かったかと思えば、彼は作業机の引き出しから、事件に使用されたのと同じフィラデルフィア・デリンジャーを取り出した。
無意識に、私たちは腰に差していた自動拳銃に手を伸ばす。
「だから、そんなに警戒しないでください。安全面を考慮し、弾が装填された銃は一つもございません」
エルコットは笑いながら、その小型銃のグリップをこちらへと差し出した。
「フルトン広場での事件――リベレーのことはお聞きしています。
私は、彼がただ一撃に何を賭けるのかを見たいと思っていましたが、まさかあのような使い方をするとは」
およそ300グラムの軽い拳銃が、虚しく私の手の中に納まる。
「エルコットさん、言葉には気をつけてくださいよ。私たちは今回、任意の事情聴取という名目で伺っていますが、あなたが彼に『殺人を教唆した』などと疑うことになれば、本部に逮捕状を請求することもできるんです」
「そ、そうですよ。
“ただ一撃に何を賭けるか”って、それは、フィデル・リベレーがあの銃を人に向けて撃ちかねないと分かっていながら渡したと、そう言っているようにも聞こえます!」
エルコットはこうした事実に怯むことなく微笑んでいる。
どうせ逮捕などされないと高を括っているのではない。そうなるならば仕方がない、望むところだ、という戦線布告のような趣だ。
「銃は殺しのための道具ですよ、刑事さん。前科がないこと、銃を扱うためのライセンスを所持していること、私はリベレーにこれらのことを確かめて販売しました。
ならば、私の期待はどうあれ、殺人を教唆したとはならないはずです。
もしも銃の販売自体が殺人教唆なら、この国のすべての銃販売業者は店を畳み、今すぐ警察のお縄にかからなくてはならない」
「分かりました。もう結構です」
どうも、エルコットは人の言動に対し過剰に反応するきらいがある。もっとも、これほど異常な粘着性があるからこそ、あの美しいデリンジャーを再現できるのかもしれないが。
とにかくこのままでは話が一向に進まない。
「ではまず、アームズライセンスを見せてください。エルコットさんが国から正式に、銃器の販売を許可されているかを確認します」
「ええ、こちらをどうぞ」
ノーストンが発行している銃器製造・販売許可証は来年まで有効なものであり、問題はない。内装を見たところ殺人を教唆するような啓発ポスターもない。
そもそも話が逸れてしまったが、今回私が聞きたかったのはどちらかと言えばエルコット本人の不審な点よりも別のところだ。
「では改めて」
「はい」
「犯人の動機について心当たりはありませんか?」
「おや、自供は取れなかったのですか」
「いえ、一応『有名な配信者を殺したかった』ということを聞いていますが、そこに至る経緯が今一つ分からないのです」
ふざけた理由と一蹴するには、不可解なことがある。
フィデル・リベレーに関わりのある人々から、そのような幼稚な人物像が浮かび上がってこないことだ。彼は二児の父親で、灰色の頭髪が示すようにもうずいぶんな高齢だ。建設業で彼の人となりを知る人物は「真面目」「質実剛健」という言葉が良く似合うと評している。
部下は「猫被ってたんですよ」と憤っていたが、疑問はぬぐえない。
逮捕されるとなれば大事なはずなのに、あっさりと街中で拳銃を発砲したのも気になる。
それも、装填数がただ一弾。他の武器もなしに。
「ここに来たリベレーは、何か言っていませんでしたか」
「ふむ、そうですねぇ。
話を聞く限り、世の中に不満を持っていたようですよ」
「不満? どうしてでしょうか」
部下が食い入るように尋ねると、エルコットは冷笑し、机の別の引き出しからまた二丁の拳銃を取り出した。どちらも同じ型。フィラデルフィア・デリンジャーとはまた違うタイプの小型単発銃だった。
「FP-45? これまた古い銃を」
「ええ、彼が悩んでいたことはまさに、この二丁の拳銃に集約されている」
それからエルコットは、こんな話をした。
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この二丁の銃の違いは何だと思いますか?
ええ、そう。実は製造ロットが違ったせいで、引き金部分の形状が若干異なるのです。回りくどい? ああ、すみません。ただ、これが私のお気に入りの説明でして。
つまるところ、「個性」や「多様性」のお話なんですよ。
では銃以外で例えましょう。
そうですね……例えば、みんなで同じモチーフの絵を描くことになったとします。分かりやすく、花瓶を描くとでもしときましょう。クラスの人数は三十人。そのとき、全く同じ絵を描く子たちがいると思いますか?
居ないでしょう?
真面目に見たままを描く子供、現実より少し装飾を華美にする子供、もっと吹っ飛んで、ピカソのようにシュールレアリスム的な絵を描く子供もいるかもしれません。
個性や多様性とは本来、そうした「差異」を示すにすぎない言葉です。
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「すみません。それで、その話がどうリベレーの殺人に繋がるのでしょうか」
まるで学校の先生が子供に言い聞かせるような口ぶりで、エルコットは喋った。そして先生と同じように、肝心なところはぼかしてなかなか回答を出そうとしない。
あまり堪え性のない部下は苛立って結論を促した。
エルコットは仕方がないと呆れたため息をつき、二丁の拳銃を机の上に置く。
「では昨今の『個性』の扱われ方について、考えてみてください」
個性的と呼ばれる人々の顔を、私は何となく思い浮かべてみる。
奇抜な服装を身に着けていたり、常人とは少し(あるいは大きく)物事の捉え方がずれていたり、突飛なことを行動に移す力があったり――とにかく、いわゆる“変わった人間”に使われるイメージだ。
「本来、誰でも持っているはずの『個性』が、一部の人間のものとされ、『真面目』で『平凡』な人間は個性がない、などと言われませんか?」
真面目、というところで、私はリベレーの不気味な姿がすぐに思い浮かんだ。
「つまり、“没個性”に悩んでいた、と?」
「少なくとも、私にはそう見えたという話です。
しかしコミュール刑事、没個性という言い方はふさわしくありませんね。先ほどの例で言えば、皆それぞれ『違う』絵を描くわけですから。厳密に、『個性』のない人間など存在しえないのですよ」
「そうだとしても、人を殺す意味が分からない!」
部下はそう叫び、椅子から立ち上がった。
掴みかかって殴ろうとせんばかりの勢いだったのを、私は片腕で押さえた。
「だから、世の中に対して不満があったのです、刑事さん」
「どんな個性も多様性として尊重する、僕たちの社会はそう約束している!! 不満があるなら、無関係な人を巻き込まず、きちんと手続きを踏んだ行動をするべきだった」
「ははは」
エルコットは部下の言葉に、こらえきれないという風に笑った。
「あなたは勘違いしている。
様々な属性があることを認めている? 個性を尊重している? そんなのは夢幻です」
「エルコットさん、落ち着いてください」
部下の怒りに呼応するように、エルコットもまた声に苛立ちを滲ませる。もしも二人が取っ組みあいの喧嘩でもすれば私が責任を取ることになる。
片方では部下を押え、片方ではエルコットを宥め。
いよいよ、心労が胃にまで下りてきた。
「良いですか? 今の社会で言われる個性は、絵の例えで言うなら『ピカソの絵画を完成させる子供』です。それは個性ではない。『才能』と呼ぶべきものだ」
「だから人を殺す? 何もかも間違っているじゃないか!」
「見たままを描ける子供の『個性』を、『真面目』で面白みがない没個性として捉えるこの世の中に絶望した。……私も、彼が何の関係もない方を殺めてしまったことを肯定しない。
しかしその悩みには共感した。それだけです」
部下とエルコットの口論は苛烈を極めていき、両者とも、お互いの言葉が耳に入っていないようだった。
「私はあなた方が話せというから、リベレーの動機について思い当たることを話したまでです。この回答が不満だというのであれば、今すぐ出て行ってもらいましょう」
このようにして、この日はお開きになってしまった。
部下は帰り道、絶えず「人殺しを肯定するなんてあり得ない」とブツブツ呟いていたが、私は気が付くとリベレーと、あの銃の販売人エルコットのことを考えていた。今一つ、大きな問題を解決しきれていないような胸のしこりがあり、家に帰ってからもその感覚は続いた。
妻、娘二人と四人で暮らしているのだが、私があまりにも考え込んでいるので心配させてしまったほどだ。まだ小学生の下の娘は帰ってきておらず、中学生の方の娘と妻、二人がテレビでニュースを見ていた。その会話が、またタイムリーなものだったのが良くなかった。
「あ、この俳優好きだったのにショックー」
「えぇ? この人のどこが良いの?」
「超かっこいいんだって! なんだっけ、何かの映画であった『外国人枠』みたいなのに応募してメディアの露出が増えたんだけど、振る舞いとかいろいろ、マジでかっこいいの。個性的で、他のタレントとは違うんだよね」
「でも結局、暴行事件起こしてるじゃない」
「いやいや、これ女の人が主張してるだけだって、絶対!」
テレビに映っている外国人俳優は、近年よく見かけていた『本格演技派』と言われる男だった。ニュースでは、婦女暴行の容疑で逮捕されたという報道が流れている。私も娘に付き合って一度映画館に見に行ったことがあるが、他の俳優陣とはいい意味で違った迫力を纏っており、『個性的』だな、などと思っていた気がする。
娘がスマートフォンで開いているSNSアプリの中身を見せてもらったら、俳優を擁護する声が多いことに気が付く。娘がそういう投稿を進んで読んでいるだけかもしれないが、被害にあった女性のことを『あばずれ』などと呼んで憚らない人までいた。
「ちょっとパパ、暗い顔でぬるって現れないでよ!」
「あ、ああ、悪い、マリー。ちょっと、その、気になってな」
「ソルト、大丈夫? 顔色悪いわよ?」
「うん。……何か、どっと疲れたかもしれん。ああ、そうだ。エリーザのお迎えに行ってくるよ」
小学生の娘の学校終わりは、大体妻か私、どちらかが迎えに行くことが慣例だ。
今日は家でテレビがついていると色々と気がめいってしまいそうだったので、進んで自分が車を出すことにした。気晴らしになれば良いとも思ったが、道中も、何となく人々を目で追ってしまう。
歩いている人々の中に、俯いて誰とも喋らずに帰る子どもがいる。
他の人が休憩をとっている間にも、水道管の修理をしている配管工がいる。
スーパーマーケットで店長らしき人に怒られているアルバイト店員――それを遠目から見て、ニヤニヤと笑っている人々がいる。
私が幼い頃から学んできた『個性』の尊重とは何か。
すぐに答えを出すことはできないようだった。