第四話:二度目の再会、ウィンターコスモスの花言葉
入学式当日の朝は、どこまでも澄み渡るような青空が広がっていた。窓から見える景色は、昨日の土砂降りが嘘のように一転して晴れ渡っている。
窓辺には、昨日の花束が飾られているのを目にすると、名も知らぬ花に詳しい女性のことを思い出す。
これからの高校生活でも、素敵な出会いがあればいいな。ふと願った。
僕はパジャマから普段着に着替える。僕が通う高校は私服登校が許されているため、制服の指定がない。制服がないからといって派手な服装は駄目だし、動きやすくて便利なジャージで通いたい。けれど、だらしないのも駄目らしい。
食堂で朝食の定食を頼み、急いで食べる。
メニューは、納豆ご飯と焼き魚だった。赤い身に脂の乗った焼き鮭は、味わって食べたいところだが、時間的に余裕を持った行動をしたい。手早く済ませる。
僕は早めに家を出て、学校へと向かった。昨日は気づかなかったが、東北に位置するこの街でも桜がところどころ咲いている。桜が咲いていれば、少し寒くても体感として暖かく感じるものだ。四月中旬が見頃と言われる東北だが、桜は程よく咲いている。
関東に住んでいた頃は、三月に咲く桜も見かけたことがあった。これが日本の地域による違いというものか。
僕が通う高校は、国内でも有名な進学校だ。卒業して就職する生徒よりも、大学や専門学校に進む人が多いという統計がある。
そう、「桜台N高等学校」だ。桜並木の坂が緩やかに校門まで続いていることが、その名の由来だと聞いている。
部活動もそれなりの数があるが、僕は運動が苦手なため、屋内で活動があまりない部活なら入ってもいいかもしれない。でも、実際、僕は運動音痴で、体育の成績も良くも悪くもない。一言でいうならば、あまり興味はない。
住宅街を抜けると、アーケード商店街がある。放課後、友達ができたら、ご飯を食べたり、買い物に行ったりしたい。以前からそんな憧れを抱いていた。
朝の商店街は人影もまばらで、時折、学生やカップルが通り過ぎていく。制服の学生はどこの学校に通う生徒だろう。少し年下に見えるから中学生かもしれない。
通りかかったパン屋は、既に開店していた。美味しそうな惣菜パンが並んでいて、焼きたての香ばしい匂いが嗅覚を刺激する。つい引き寄せられて店に入ってしまいそうになるのを抑えた。ショーケースに並んだ焼きそばパンとカレーパンを食べたい気持ちを一心に我慢して通り過ぎようとすると、パン屋のガラス窓から見える人に見覚えがあった。
紺のジャケットに白のフリルドレス、そして長い栗色の髪。間違いない、昨日の人だ。まさかここで、昨日会った彼女と再会することになろうとは、思いもしなかった。
たくさんのパンを抱えて店から出てきた僕らは、目が合ってしまう。僕はふいに目を逸らす。
彼女もこちらに気づいたようで近づいてきた。
「あれれ、ここで会ったが三年目!! 久しぶり、ユキチ大佐」
「三年も経ってないし!昨日会ったから久しぶりでもないよ、それに僕はユキチじゃない、ちゃんとした名前がある!」
「言い方次第ではそうとも言えるな、ユキチ名探偵」
「だから、僕は探偵でもなければ、何度も言うけどユキチでもないよ」
「それはそうとユキチ少年はこのパンでも食べるかい?」
「そのパンは、……明太子パン!貰ってもい、い、の……って、そうじゃないだろ」
「なら、この焼きたてホクホクのカレーパンならどうだ」
「では、そのカレーパンを一つ貰おうかな」
パン屋の前で激しい論争が繰り広げられているように見えるが、端から見ればどうでもいいやり取りだ。左腕に巻いたデジタル式の腕時計を見ると、八時少し前だった。時間には余裕があるが、話をしている時間はない。
「僕はちょっと急いでるから今は話せないんだ、またね」
「奇遇ね、私も道を急いでいるのよ、じゃ今度こそは違う場所で会いましょ」
そう言いつつ別れたはずなのに、彼女は張り付くように僕についてくる。ここは小さな街だ、偶然にも方向が一緒なだけということもあるだろう。
商店街を突っ切って、二本目の信号を左折すると、学校の桜並木が見えてきた。
「あら、ユキチ少年もこの学校の生徒さんなのかしら。見かけない、見かけないわねぇ、私があまり学校に来られないからかしら?」
いつの間にかおばさん口調になった彼女は、ここの学生なのか!
いつの間にか後方にいたはずの彼女は、僕の隣を歩いている。速めのペースで歩いている僕に合わせるのは大変ではないだろうか。それとも彼女の方が歩くスピードが速いだけか。
「ユキチ少年は、ウィンターコスモスって知っているかしら」
「その名の通りコスモスでしょ」
「コスモスに似ているけど、正確にはコスモスじゃないのよ。開花は五~十二月と長くて冬にも咲くことからその名前があるのよ」
名前の通り冬に咲くコスモスだろうと僕は想像したが、どうも違うらしい。
「で、そのウィンターコスモスがどうしたって?」
「その別名はビデンスっていって、ラテン語で『ふたつの歯』を意味するの。種子の先に二つの棘で人の服にひっついて運ばれるため『ひっつき虫』と呼ばれるのよ」
「僕をひっつき虫にするのは、勘違いだよ、僕はね……、」
今日からこの学校の生徒になるんだ、と言いかけて止めた。そんなことをわざわざ言うのも格好悪いだろう。
つまり彼女の言いたいことは、僕は「ひっつき虫」で、同じ方向についてくるなという意味らしい。
歩きながらスマホで調べると、花言葉は、『忍耐』というものみたいだ。我慢強く同じ方向に歩いているからか、と言いたいのだろうか。
「ユキチ少年は、この学校の新一年生でしょ。人が少ない学校だから、見て分かるのよ。この学校は偏差値が高くて、合格するまで「忍耐」がいるのよ、真冬に花を咲かせるウィンターコスモスのようにね」
得意げに胸を張っているが、知識をひけらかす素振りでもない。彼女にとって「花」は当たり前のように聞こえる。「花」が好きとはこういうことを言うんだ。感心させられる。
「もしかして、君もこの学校の入学生なんですか?」
「少しだけ正解、半分はハズレよ、私はもうこの学校に一年前から通っている在校生なのよ」
語尾に聞こえないくらいの声で「えっへん」と言わんばかりに自慢げだ。詰まるところ彼女は僕から見ると上級生なのだ。
「え、えぇぇぇ!それではあなたは、僕の先輩じゃないですか!」
「ええ、そうよ。この学校はただでさえレベルが高いのだから、誇ってもいいんですよ」
「うん、ありがとう。約束の一万円札を返却してもらう機会が出来ました」
褒められるのは慣れていないため、僕は違う話題で素早く切り口を入れる。
「いえ、あの時の一万円札は忘れていません。あの時のことは感謝しても仕切れません。今は手持ち金が無いのでまた後日という事で」
確かに言われて気づくこともある。今思えば、この学校は田舎の高校だが、偏差値が高いため、本格的に受験に取り組まなければ合格は出来なかっただろう。
気が付いたら、校門まで僕らは来ていた。
お互いの名前も知らずに、僕らは出会った。今思えば、この時は神様が僕らに与えた悪戯だと気づくにはまだ早い。
僕らは出会った。
これが二度目の再会だった。
気が付くと、目の前の校舎の頂辺に取り付けられている時計は、朝八時を示していた。
「ユキチ少年、早く学校に向かった方がいいと思うよ。入学式は九時からだけど、八時半前には教室にいないと駄目という暗黙の規則がこの学校にはあるからね」
「それはマジですか、それは忠告、感謝します。では、またの後日に会いましょう」
僕は急ぎ駆け足Bダッシュで、下足箱のある「昇降口」で持参の上履きに履き替え、クラス分けを確認し、僕が通うC組に向かう。もう入学者の大半は教室に入っているようで、通りかかるものはほとんどいない。
たまにすれ違う教師の視線が突き刺さるように痛かった。
教室では、担任となる先生は来ておらず、クラスメイトと挨拶を交わすこともなく、入学式の時間になった。体育館でのありがたい上級生のお言葉や、長い校長の話など、ありふれたものだった。
教室に戻れば、担任から今後の予定などを聞かされ、クラスメイトの自己紹介の時間もあっという間に終わり、正午あたりで本日は放課後となった。
僕は行く当てもなく、さらにこの辺りの土地勘もない。とりあえず、学校の近くの図書館で夕方まで暇を潰すことになった。