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第二話:花言葉に秘めた、小さな願い

 これまでの人生の中で、見知らぬ異性から「お茶」に誘われたことがあっただろうか?

 いや、なかった。「なかった」は言い過ぎかもしれない。同性の友達とならば、一緒にご飯を食べに行くことは珍しいことではなかった。だが、見知らぬ相手に、ほんの数分後には別れると分かっていながら、僕は彼女の誘いに応じた。



「うん、いいけど」


「ありがとー。河川敷で摘んでいたお花が予想より多くなっちゃったからどうしようかと思っていたの」



「お茶」に「河川敷の花」を繋げるとは、一体この人はどんな人なのだろうか。そもそも、河川敷の花を摘み取って罰則などはないのだろうか? そんな疑問が頭をよぎった。



「ええっと、この辺に花って咲いてたっけ……」


「咲いてるよ。橋の下にマーガレットが少しと、土手にシロツメクサがたくさんあってね、それと今の時期は、……ゴホッ、ゴホッ」



 彼女は、言いかけた言葉を終える前に、軽く咳き込んだ。どうして僕はこの時に気づかなかったのだろう。いや、むしろこの時点で気づく人など、まずいないだろう。それが僕たちを分かつ運命線だとは、まだ知る由もなかった。


 ふと視線を傾けて、彼女の赤い手提げバッグを見る。河川敷で摘んできたらしい花束が、いくつも顔を覗かせている。

 一般的に女性は花が好きだと聞くが、生憎、僕は花についてはあまり詳しくない。実家にも花壇はあったが、水やりなどの世話をするのはいつも母だった。マーガレットくらいは僕でも知っているが、花が咲く時期や育て方などは全く知らなかった。



「ちょっと寒いね。立ち話は疲れるから、向こうで座って喋ろっ」


 本来の目的は「喋る」ことではなかったはずだ。お礼とか言っていたが、目的と結果がごちゃ混ぜになっている気がする。気づけば、彼女が僕の手を取り、ベンチへ向かって歩き出していた。人との付き合い方を知らないのだろうか、知らない人との距離感が近いな、と思ったが、それを言葉にすることはなかった。

 それでも、触れた掌は温かかった。僕はもう少し、この人の話を聞いてみようと思った。



 ベンチに腰かけ、お互いに飲み物を飲む光景は、僕にとって初めての経験だった。気まずいかと思ったが、そのような心配は杞憂に終わった。



「私はね、たまにここに来るのよ。自宅から隣町まで離れているんだけど、うちの辺りは住宅街でね。そういえば君は、見ない顔だね」


「河川沿いを散歩する人なんて大勢いると思うけどね」



 彼女は、何やら花束を取り出しては、根元の付近を叩いたり割ったりしている。花の手入れをしていることは僕でも分かったが、今ここでやるべきことなのだろうか。少し気になった。



「で、手元で何をしているんですか?」


「これね、『水揚げ』って言うんだよ。水を吸い上げやすい状態にしてるの。花を花瓶に生けるまで細菌や空気が切り口に入っちゃうと、水分を吸い上げる力が弱くなっちゃうのよ」


「僕には花はあまり関心がないからさっぱりだ。実は僕は二、三日前に引っ越してきたんだ。まあ、見かけないのも当然だね」


「早朝にね、ここに来る人はだいぶ限られているのよ。大抵はジョギング中の人か、犬の散歩の人ね」



 彼女はバッグから輪ゴムを取り出し、手慣れた手つきで花をきれいにまとめ上げていく。まとめ上げられた花は、見事な花束となっていた。

 女性は彼女のような人が多いのか、それとも花好き女子の特徴なのか、僕には判断できなかった。



「君もその中の一人でしょ」


「まあ、僕も一言で言えばそうなるね」



 河川敷を歩くのに、二言も三言も必要ないだろう、と思ったけれど、口にはしなかった。人を傷つけるような言葉ではないが、笑っている彼女の無邪気な笑顔を見ていたら、言えなかったのだ。

 彼女はココアを飲みながら、ニコニコと笑っては僕に話しかけてくれる。きっと、それが彼女の性格なのだろうと思った。



「ねぇ、今度ね、家族で山に登るのよ。それでね、ニリンソウっていう野の花を探しに行くのよ」


「名前は聞いたことあるよ」


「ニリンソウはね、普通は二輪の花をつけるんだけど、一輪のものも三輪のものも存在するの。若葉はおひたしにして食べられるんだけど、毒性のトリカブトの葉と似てるから注意が必要なのよ」



 正直、『ニリンソウ』のことはあまり知らないが、『トリカブト』は毒性のある植物としてドラマでも時折取り上げられるので、名前だけは聞いたことがあった。食べられる花といえば、僕が思い浮かんだのは「ナズナ」だ。あれは「七草がゆ」にして食べるらしいが、実際には一度も食べたことはない。



「そのニリンソウって花は、ここら辺じゃ咲いてないの?」


「北海道から本州に幅広く分布しているけど、多くは山岳や森の中の、雪解け後の湿った地面に群生して生えることが多いのよ」



 彼女は花束を揃えてバッグにきれいに詰めながら言った。僕は花どころか植物にも詳しくないし、花はどこにでも咲いているものだと思い込んでいた。


 僕はやっと手元の缶コーラのプルタブに指を引っかけて、飲み始めた。しかし、百六十ミリリットルの缶ジュースの中身など、たかが知れている。温かい飲み物ならばゆっくり飲めたかもしれないが、これは冷たい飲み物だ。

 そして今は冬。寒い時に冷たいものをのんびり飲むなど、僕にはできなかった。よって、一気飲みである。



「ねぇ、もしかしてあなたも財布を忘れたとか? それとも冷たいものが好きなの?」


「いや、どちらでもないよ。ただ小銭は二百円ぽっきりしか持ってなくて、財布にお札しか入ってない。ただそれだけだよ」


「もしかして、その二百円は、飲み物を買うためだけの小銭用? 私も昔、そのためだけに小銭入れを持ち歩いていたわ」



 僕が黙っていると、彼女は顔をしかめ、こちらの様子を伺うように言った。



「ココアだけど、分けてあげよっか?まだ二口くらい残っているし、まだ温かいよ」


「え、ええっと、いや大丈夫、大丈夫――僕は炭酸が割と好きだし、それに冷たいもの後に温かいものを飲むと調子が悪くなるから!それに、」


「んんんー、それに?」



 間接キスになる、などという肝心の言葉は、僕に度胸がなく言えなかった。彼女は何も知らずにポカンとしている。女性はどうして飲みかけの飲み物を平気で差し出せるのだろうか。彼女が特別なのか。いや、僕には分からなかった。



「そういえば、一人でよく来るって言ったよね。友達と一緒にここに来れば、一人で来るよりは楽しいと思うけど」


「実はね、私は体があまり丈夫じゃない方なの。去年とか学校を休んでばかりで、やっと進学できたようなものなのよ」



 ああ、少し聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。気まずい沈黙が数秒間流れ、僕は答えた。



「じゃあさ、同好会系の部活とかに入ればいいと思うよ。園芸サークルとかさ、君に向いていると思うよ」


「園芸サークルかぁ。うちの学校にあったかなぁ」


「君は知識も豊富そうだし、向いていると思うよ」


「アドバイスありがと。入ってみるね」


「頑張ってね」



 話の途中で暗い影を落としていた彼女の表情は、すぐににっこりと笑顔に戻った。辛い過去を持つ人は強い。人一倍耐えてきた強さは、大抵のことでは折れない。それは僕がよく知っている。


「話の続きね、花には花言葉ってものがあるの。同じ種類でも色によって花言葉は変わるんだ。だけど、どのニリンソウにも色別の花言葉は付けられていないの」


「花言葉って、花に象徴的な意味を持たせるために付けられた言葉だったよね。バラは愛情、白ユリは純潔とかさ」



 花言葉は、昔に母から聞いた受け売りの知識だった。種類やルーツは詳しく知らない。



「うん、簡単に言えばそうだね。花言葉の始まりは、十七世紀頃のトルコなのよ。トルコでは、文字や言葉ではなく、『花に思いを託して相手に贈るという風習』があったそうで、それが明治初期の日本にイギリスを通じて伝わったそうなのよ」


「花に思いを託すって、ちょっと素敵だね」


「花は世界中で約二十万種あって、その数だけ想いがあるって、なんだかロマンチックなのよね」



 花は世界中で数千種類くらいだと思っていたので、その数十倍もあると聞いて、少し驚いた。と同時に、自分の知識のなさを恥じる。

 それでも、世界の花の数なんて、ごく普通に人生を歩んでいる人たちにとっては、あまり必要ない知識とも思ってしまう。むしろ、花に興味を持っている人など、世界でどのくらいいるのだろうか?



「そういえば、ニリンソウの花言葉ってどんなの?」



 彼女ははにかんで、照れくさそうに答えた。彼女はもじもじと、その姿も動作も、いちいち可愛らしかった。



「ニリンソウはね、ニリンソウの花言葉は『友情』『協力』『ずっと離れない』って言葉なのよ。今年こそは友達ができるように願掛けのつもりで摘んでこようと思っているのよ。あ、うん、それでもね、仲良く二輪咲いている姿とかも綺麗なのよ」


「見つかるといいね、ニリンソウ。君ならば話も上手いし、すぐに友達ができると思うよ」


「あ、うん、ありがと」


「それじゃあ、僕はそろそろ行くね。少しの間だったけど、楽しかったよ」



 僕はベンチから立ち上がり、河川敷の土手を住宅街方面へ歩き出そうとすると、手を掴まれ引き留められた。



「これ持っていって。土手で摘んだマーガレット、水揚げしておいたから花瓶に差しておいて」



 半強制的にマーガレットの花束を握らされる。別にお礼など期待していなかったが、人は何かを貰えば嬉しくなる。人は、そういう生き物だ。僕は輪ゴムで縛られた花束のマーガレットの茎の部分を鞄に差し込んだ。



「じゃあ、これは今日の日の思い出として窓際にでも飾っておくよ」


「ありがとー。私はたまにはここへ来るから、見かけたら声をかけてね。じゃ、私も帰ろっと」


「じゃ、また、というのもおかしいけど、また会えたら声をかけてください」




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