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31嫁 元魔王アンリ(1) 資本主義的なカレー

 アンリは自室で一人、パソコンのディスプレイとにらみ合っていた。


 正面と左右――三面鏡のように自分を取り囲む薄い箱たち。


 その表面には、異世界の命運を握る折れ線が秒単位で上下して、途方もない額の金を動かしている。


「スイスフランで売りポジ。株の方はしばらく現状維持で安定、ですか」


 誰に聞かせるでもなく呟く。


 アンリの取引方針は手堅く、こつこつと。


 博打じみた取引はせず、損切りをきちんとして、確実に利益を出す。


 とはいっても、言うは易く、行うは難しなのが金融取引の常だが、幸いなことにアンリには才能があった。


 少なくとも、今まで一度も彼から預かった資産をマイナスにしたことはない。それどころか、ここニューヨークの中心地にある高層ビルの一室を借りて生活を送っても余りあるほどの利益をあげている。


 つまり、自分は彼の地球における資産を管理することの役に立っているはず。


 その事実だけが、アンリに僅かな幸福感をもたらす。


「今日はこの辺にしておきましょう」


 利益を確定させたら、パソコンをシャットダウンする。


 途端、黒い闇にも似たモニターに映るのは、いかにも平凡な、村娘じみた自分の容姿だ。


 黒髪に、黒い目。アメリカでは幼く見られがちな丸みがかった顔に、凹凸の少ない身体。――異世界でいうところの黄色人種といわれる人々の、最大公約数的な見た目。


 まさかこんな自分が、つい五年ほど前までは、世界を滅ぼしかねない力を秘めた魔王だったなんて、自分でも信じられない。


 ピーピーピー。


「あっ。ご飯が炊けましたか。と、いうことは、そろそろカレーができる頃ですね」


 つい沈みがちになる思考を、自己主張の強い電子音が遮った。


 キッチンに向かって、料理の出来具合を確かめる。


 炊飯器の蓋を開くと、米のふくよかな香りが鼻をくすぐった。


 じっくりと煮込んだチキンバターカレーの味も、悪くない。


 今日のためだけに、ネット通販で注文した炊飯器。


 バターカレーの食材は、わざわざジャパニーズフードの専門店で買い揃えた。


 自分一人のためだったら、決してそんな手間も金もかけることはしなかっただろうと思う。


 でも、今日は特別なのだ。


 月に一度、彼がアンリの所に様子を見にきてくれる大切な日。


 だから、贅沢も許される。


 ブロッコリーとニンジンとトマトを切って、付け合わせのサラダをつくる。


 醤油とビネガーを組み合わせて、ドレッシングも一緒に。


「ふんふんふーん♪」


 自然と鼻歌が出た。


 株やFXの取引きで儲けた時よりも、何気ない家事をしている時の方がずっと楽しい。


 きっと自分は根っからの村娘なのだと思う。


 魔王にさえ選ばれなければ、きっと自分は異世界どころか、他の国にも行くことなく、村から出ることのない一生を過ごしたに違いない。


 平凡な結婚をして、妻となり、子どもを育て、死んでいく。


 それは昔のアンリにとって想像できた現実的な未来であったし、望みでもあった。


 だけど、もう自分にその資格はない。


 もちろん誰かに結婚を禁止された訳ではないし、アンリは彼の力を借りたおかげでアメリカ国籍を持っている。


 その気になれば、あのパソコンという機械が数分以内で『運命の相手』とやらを探し出してくれるだろう。


 でも、そういう問題じゃないのだ。


 アンリのせいでたくさんの人間が死んだのに、自分だけこの豊かな異世界で幸せになるなんて勝手が許される訳がない。


 それは、アンリが自分で自分に課した戒めだ。


「おっ。いい匂いだな。カレーか?」


 音もなく背後から声がかかる。


「はい! 作りすぎてしまったので、もしよかったら私と一緒に召し上がってくださいませんか?」


 アンリは内心の葛藤なんかはおくびにも出さず、笑顔で彼――ジャンへと振り向いて、バレバレの嘘を述べた。


「うん。頂こうかな」


 ジャンはいつものようにはにかんで、アンリの嘘を受け入れる。


 世界はおろか、罪深いアンリまでもを救ってくれたジャンに尽くすことが、今の自分にできる精一杯の贖罪だ。


 そして、彼と過ごすこの『恋人ごっこ』じみた一時が、アンリが自分に許す、最大限の幸福のラインだった。

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