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10嫁 大賢者ソフィア(2) マンガ喫茶

 しばらくアキハバラの街を歩いた後、ジャンはとあるビルの前で立ち止まる。


「じゃ、とりあえずここに入るか」


 ジャンはそう言って、ビルの中ほどに掲げられた看板を指さした。


 そこには、『マンガ喫茶 パイポ』とある。


「喫茶――はカフェ。要するにマンガを閲覧しながら休憩できる施設?」


「ああ。料金を払えば一定時間マンガが読み放題だからお得だろ? 個室ならソフィアも落ち着くだろうし」


「……確かに人混みを歩き回るよりはマシ」


 ソフィアは消極的肯定と共に、ジャンの後に続くが、内心疑問に思っていた。


(マンガはチキュウにおいては、下位文化――つまり上位文化より一段階劣ったものとしてみなされているはず。そんな文化に優先的に時間を割く価値はあるの?)


 ソフィアもジャンに連れられて何度もチキュウに来ているので、マンガというものの名前くらいは聞いたことがある。


 しかし、まだ実際に体験したことはない。


 ソフィアとしては、その世界で評価が高い上位文化から摂取していくのが効率的な学習法だと考えていたからだ。無論、本来文化に優劣をつけるのは愚かなことだが、現状、下位文化まではまだ手が回らないのが実情である。


 ジャンがメイドの格好に扮した店員となにやら話をして、指示された番号の書いてある部屋へと向かう。


 そこは、人間二人が横並びで座るのにちょうど良いくらいの広さがあった。


 なんでも、カップルシートという名前らしい。


「飲み物はフリードリンクな。ソフィアはファミレス使ったことあるから分かるだろ?」


「問題ない。それで、この世界で一番支持されているマンガは?」


 ソフィアは客観的な評価を重視する。


 適当に選んでハズレを引くより、なるべく多くの人間に支持されている作品を選んだ方が無難だろう。


「支持されてるという定義にもよるけど、ニホンで一番売れてるのはあの『フォーフラグメンツ』っていう少年マンガだろうな。魔法が出てくるような世界観だから、ソフィアにも馴染みやすいと思う。そういえば最近完結したんだったけな」


 ジャンがたくさんマンガが並んだ棚の中から、一カ所を指し示す。


「じゃあそれにする」


 ソフィアは迷わずジャンに言われた方へ向かう。


「じゃあ、俺は何を読もうかなー」


 ジャンもウキウキしながらマンガを漁りにいく。


(これが、マンガ)


 ソフィアは早速、背表紙のタイトルからジャンの言っていた作品を見つけ出し、数冊抜き取った。


 表紙の絵では、快活そうな少年が、剣と杖が一体化したような謎の武器を構えて笑っている。


(写実というよりは、デフォルメに重きを置いた絵)


 対象をシンボル化して情報を圧縮するのは、魔術でも良く使われる技法だ。


 いや、この場合はそこまで高度なシンボリズムにのっとってはいない。だとすれば、各種教会や神殿で言うところの、宗教画――文字が読めない一般大衆でも、教義が理解できるようにする目的で記された絵――ようなものといった方が適切だろうか。


 ソフィアの実験でも、そういった壁画の手法を活用しようとしたことはある。


 しかし、あまり上手くいかなかった。


(絵は状況を伝えるには有効な手段。しかし、微細な感情はまでは表現できない)


 例えば、『ドラゴンに馬乗りになって、剣を突き刺して泣いている傷だらけの勇者』の絵があったとする。


 この絵を見た人間の誰もが、『勇者がドラゴンを倒した』ことは理解するだろう。


 しかし、そこから魔術として使えるようにするには、絵を見ただけで『この時ドラゴンを倒した勇者の気持ち』まで指定する必要がある。


 だが、それが難しい。


 勇者が泣いているのは、きっと身体に受けた傷が痛いからだ。


 単純な子どもはそう考えるかもしれない。


 我が世の春を謳歌する青年は、それを宿敵を倒した歓喜の涙と解釈するだろう。


 逆に、余命いくばくもない老人は、『ドラゴンを倒したものの勇者の傷は深く、もう助からない故に今までの人生を想い、哀切の涙を流しているのだ』そう解釈するかもしれない。


 だから、そういった神殿の現場ではそれぞれの教会に属する巫女が口頭で絵の誕生した背景を説明することで正しい解釈を伝えるのであるが……。


(かといって、魔術を実践する際に一々説明してはいては、感情の新鮮さが失われる)


 魔法の詠唱と発動は、自発的なものでなければ意味がない。


 他人から『冷静な気持ちで詠唱してください』と言われて呪文を唱えたところで、それはお仕着せの感情に過ぎず、第三者の意思が混入した詠唱は不完全なものとして成立しない。


(万人が使え、なおかつあくまでも本人が自然に感情を発露できるような呪文をどうやって開発するか……)


 本当に難しい課題である。


 ソフィアはそんなことを考えながら、ボタンを押すことで自動的に飲み物が出てくる機械――ドリンクサーバーからアイスココアを紙コップに注ぎ、ブースに戻ってくる。


 ジャンはすでに何かのマンガを読み始めていた。


 ソフィアは彼と背中合わせになる格好で腰かける。


 その温もりに自然と心が安らぐ。


 傍からみたら、いかにも『カップル』っぽい光景かもしれないが、ソフィアにとってはそれは習慣的な動作だった。


(……本当に平和な時代になった)


 魔王討伐の旅でも、その後の戦争で従軍する中でも、ソフィアはジャンと常に背中を合わせて戦ってきた。


 その頃の名残だ。


 もちろん、ジャンと一緒に戦った仲間はソフィアだけじゃなかったけれど、一番彼の役に立ったのは自分だと自負している。


「あ、賢いお前のことだから、言わなくても分かると思うけど、マンガは右から左に読んでいくシステムだから」


「そう。とりあえず読んでみる」


「ああ。実際体験した方が早いな」


 ジャンはそう言ったきり、彼自身の持ってきたマンガを黙々と読み始める。


(……『少年向けマンガ』というからには、どうせ子ども向けの陳腐な英雄譚なのだろうけど)


 ソフィアは大して期待もせずにページをめくる。




 ズバン!


 ブシャアアアアアアアアアアア!


『ふははははは! 人間にしてはどうして中々、良く耐えたものよ』


『とおさあああああああああああああああああああん!』


『逃げろ……息子よ』


 次の瞬間、ソフィアの目に飛び込んできたのは、魔族らしき男に斬り殺される王と、その背中を見つめながら、成す術なく慟哭する王の息子の姿だった。




(!? ……なにこれ)


 いきなり子ども向けとは思えない凄惨なシーンから始まったのは正直予想外だったが、ソフィアが驚いたのはそこではなかった。


(わずか一ページの紙面に、ここまでの情報を詰め込むことができるものなの? しかも、白と黒の色だけで!)


 ひび割れ、今にも崩れそうな壁と柱。


 床に倒れる無数の兵士の骸と流れ出すおびただしい血の量を見れば、この国が戦争に敗北したことは明白だった。


 白黒ながら、全体的に暗く塗りつぶされた画面の色彩は自然と陰鬱な雰囲気を醸し出していることから、このシーンが喜ばしいものではないと分かる。


 つまり、これは『魔族が苦難を乗り越え、ついに宿敵の王を倒した痛快な物語』ではなく、人間サイドの話ということだ。


 さらに、息子側に引き付けた構図で描かれているので、あれこれ説明されなくても自動的に彼が視点人物であるということが分かり、読み手は自然に感情移入する対象を限定することができる。


 本来静的な絵であるのに、擬音や線を駆使することにより、剣を振るうなどの動的な動きも可能。


 それぞれの発言も、口から吹き出した丸い枠の中に収まっているので混同することもない。


(……次は?)


 ソフィアはページをめくる。





『くそおおおおおおおおお! よくも父さんを!』


『ダイ王子! 今のあなたの力では無理です! フォーフラグメンツとそれを司る仲間を集め、あなたが真の勇者となるまでは!』


『だけど、ミスラ! 父さんが!』


『王の犠牲を無駄になさるおつもりですか!』


 ダイ王子は護衛らしい騎士――ミスラに手を引かれ、秘密通路を通じて、城外に脱出する。





 冒頭は一枚絵だったが、今度は一ページがいくつものブロックに分割されていた。


 ジャンの言う通り、『右→左』、『上→下』の順にそのブロックを見て行けば、自然とストーリーが分かる仕組みになっている。


(なるほど! ストーリーを描くには、何も全てを映像で表現する必要はない。重要なシーンのみを切り取り、連続して提示するだけで、行間は読み手が想像力で勝手に補う!)


 それはソフィアにとって、革新的発見だった。


(――この手法を使えば、詠唱の際に抱くイメージを相当限定できる。しかも安価に)




 今までは、膨大な魔力を消費する幻影魔法を組み込むくらいしか術式にドラマ(ストーリー)を付与する方法は思い浮かばなかった。


 しかし、このマンガの手法を真似て、映像ではなく画像を分割して刻むだけなら、魔力のコストはその二十分の一ほどしかかからない。


 登場人物にストーリーを持たせ、セリフを詠唱に置き換えれば、スムーズに起動の詠唱と置換できるではないか。


 つまり――


(私の問題は解消された? 何年も頭を悩ませた問題が、たったの数秒で?)


 ソフィアは嬉しいやら、情けないやらで、目を瞬しばたたかせる。


「……こうなることが分かってて私を連れてきたの?」


 ソフィアはジャンに畏怖の眼差しを向ける。


「グシュっ。ん? 何か言ったか?」


 しかし、当の本人は、瞳を潤ませ、鼻をすすっていた。


 どうやら、マンガに熱中するあまり、ソフィアの問いを聞き逃したらしい。


「いい。……なんでもない」


 そうだった。


 今更、問いかけるまでもないことだ。


 あの時も。


 あの時も。


 思い返せば、いつも自分が困っている時にふらっと現れ、新しい世界を見せてくれたのは、ジャンだった。


 彼が意図してるか、そうでないかなんて、どうでもいい。


(……それにしても、盲点だった。まさか、こんな優れた表現技法が下位文化として扱われているなんて)


 ソフィアは反省する。


 チキュウにおける上位文化、いわゆる文芸や美術から当たりをつけていた自分の方針は見直さなければなるまい。


 ソフィアたちの世界においては、技術や文化は上(貴族や学者)から下(民衆)に流れるものだが、どうやらチキュウにおいては市井の者が生み出すものの方が先進的な傾向にあるらしい。


 そう思い直し、再びマンガのページをめくり始めるソフィアだった。


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