小さな宇宙
買い物を終え、急ぎ戻った私は玄関のドアを開け中に入る。すると家中に漂っている美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐってくる。続けざま、気配を感じ取ったのか、ミアがすぐに声を掛けてきた。
「あ、ご主人様ぁ! 丁度ご飯ができましたよぉ」
その弾んだ声と一緒にキッチンから顔を出すミア。しかし、こちらの姿を視認するとその顔を曇らせる。
「あ、でも、まだお風呂に入ってないですよねぇ……どうしましょうかぁ?」
勇んで食事を勧めてくれたものの、私がまだ風呂に入っていないことを思い出し、ミアは少し困ったように小首を傾げた。
「せっかくミアが作ってくれたんだから、温かいうちに一緒に食べよう。お風呂はその後でいいよ。あ、でも、その前に買ってきた素材だけセットしちゃうね」
素材さえセットしてしまえば、後は工房内の生成装置が自動でアイテムを作成してくれる。一時間もあれば完成するはずなので、食事の前に稼働させておけば、食べ終わる頃には出来上がっている手はずだ。
「分かりましたぁ。じゃあ、お料理をお皿に取り分けておきますねぇ。あ、ちゃんと手を洗って来てくださいなぁ」
そう言って再びリビングへと戻っていくミアの後ろ姿を見送りながら、私はふと「なんだかお母さんみたいだな……」とこぼしていた。本人が聞いたら何とも言えない顔をしそうなその感想に微苦笑を漏らしつつ、工房へと足を向ける。
──生成装置に先程購入してきた素材をセットし、スイッチを押して稼働させる。これで一時間もすれば、レベル制限用のアイテムが完成するだろう。
初めて作るアイテムであるため、完成形が予定通りの出来になるかは予断を許さないところではある。だが、作成のコンセプト自体はそこまで複雑なものではない。使用した素材もかなり高価な……というか、工房の素材箱に残っていた稀少な物をほぼ惜しみなく投入したのだから、失敗するという事はないはずだ。
それは、目の前の装置に設置されているディスプレイの数値が根拠として示してくれている。
「成功率98%……これで失敗したらお手上げだね。2回目に挑戦する素材もないし」
後からもう一品作成する予定があるため、いくつかの素材は残してあるが、そちらも作り終えた暁には見事にすっからかんになる未来が待っている。まぁ、必要なアイテムを作るために素材を惜しみ、結果として中途半端な物が出来上がる方がよほど問題なので、後悔はない。
そんな事を考えつつ、装置が正常に稼働し始めたのをこの目で確かめてから工房を後にする。そうして手を洗ったのちリビングに向かうと、テーブルの上には、たった一時間ほどで用意したとは思えないほど沢山の料理が並んでいた。
パスタにシチュー、バゲット。ドリアにステーキ、そしてサラダ。テーブルの中央にある綺麗な皿には、フルーツも彩りよく盛り付けられている。料理が並び過ぎて、今にもテーブルから零れ落ちてしまいそうなほどだ。
「用意し始めてから一時間くらいしか経ってないのに、よくこんなに沢山作れたね」
感心しながらそう呟くと、ミアは照れくさそうな表情で「ご主人様が帰って来たのが嬉しくて、ちょっと作りすぎちゃいましたぁ」とはにかんだ。
「嬉しいけど、食べきれるかな……」
「ご主人様なら、大丈夫ですよぉ」
という、根拠のないお言葉をいただき、ミアがニッコリと微笑む。
「さぁ、冷める前に食べましょ〜」
ミアに促されるまま席に着くと、向かいの席に彼女も腰を下ろした。そうしてお互いに顔を見合わせた後、両手を胸の前で合わせながら、「「いただきます」」と声を揃えて、食事を開始するのであった。
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「うぅ、苦しい……食べ過ぎた……」
「私ももう、食べられません……」
食事を開始してから一時間後。テーブルの上に並んでいた料理は、フルーツを除いてほぼ空になっていた。料理が美味しくて箸が進んだという事もあるが、何より、せっかくミアが作ってくれた料理を残すわけにはいかないという思いで食べ進めたからだ。
いくらレベルが高くても、胃袋の容量は体の大きさに見合ったものでしかない。明らかに摂取した量は許容量を超えていた。それでもほぼ食べきれたのは、突然帰ってきた私を笑顔で迎え入れてくれたミアに対する、感謝の気持ちゆえだろう。
「ミア、ありがとうね。とっても美味しかったよ」
その一言にミアは嬉しそうに笑いながらも、「本当はご主人様の一番好きなお寿司を用意したかったんですけど、流石にちょっと無理でした」と申し訳なさそうに返してくる。
予想外の言葉に、「寿司ネタも無いのにお寿司は無理でしょう……」と苦笑を浮かべながら、そんな何気ない会話を楽しむ。
温かな一時を過ごしていると、ミアがふとハッとした顔になり、そのままの勢いでおもむろに立ち上がった。
「あぁ! ご主人様のお風呂! 温めなおして来ます〜」
そう言いながら、足早にお風呂場へと向かって行く。その姿に私も本来の目的を思い出し、立ち上がると同時にミアへ声を掛ける。
「ありがとう。私もちょっと工房に行ってくるから、用事が済んだらすぐにお風呂に入るね」
そう伝えると、「分かりましたぁ」という明るい声が、パタパタと離れていくミアの後ろ姿から聞こえてきた。
その姿にふと思い浮かんだのは、『AGO』でNPCとして存在していた時の彼女の姿だ。
高度な学習AIにより、とても人間らしい挙動をする彼女ではあったが、あくまで『人間っぽいNPC』の域を超えることはなかった。特に顕著だったのは、こちらが問いかけたり話し掛けたりした際には豊富なリアクションを返してくれたものの、彼女の方から私に対して自発的に話しかけてくる事は余りなかったという点だ。それは彼女が冒険者のサポートAIであり、求められた時に答えるという部分が本質であったためだろう。
しかし、今の彼女は自らの意思を持ち、感情を持ち、表情豊かに積極的に話しかけてくる。紛う事なき人間である。彼女だけではない。雑貨屋の店主も、門番をしていた衛兵も、街行く人も全員が、私の視点から見れば突如としてNPCではなく人間になっているのだ。
その事実に違和感や戸惑いを覚え、あるいは受け入れられないと思うのが、普通の感性なのかもしれない。……だが、この世界に来る前から、私にとっての現実は『AGO』であった。
プレイをしていない時間といえば、食事、排泄、睡眠の時間程度。あとはせいぜい、体を壊して『AGO』がプレイできなくなる事態を避けるための日課として、起床後に短いランニングを行い、そのままシャワーを浴びるくらいか。
洗濯は全自動洗濯乾燥機に入れて、乾いた物を直接着て、汚れ物は再び洗濯機に入れるローテーション。食事は出前を頼み、時間指定で配達させる。ゴミ等は有料の回収サービスを依頼し、玄関前に置いて持っていってもらう。そうして極力現実での無駄を無くし、プレイに時間を割いていた。
両親との思い出がある家を汚れたままにはしたくなかったので、月に一回ハウスキーパーを依頼して掃除はしてもらっていたが、業者が作業している最中すら、私はヘッドギアを被り『AGO』に没頭していた。
そこまで徹底し、時間の全てを注ぎ込んだ自分にとって、この世界が現実になる事に喜びこそすれ、忌避する理由はどこにもなかったのである。
「そう考えると、徹底ってレベルじゃないな」
そんな事を静かに反芻しながら、私は再び工房へと足を踏み入れた。
工房の扉を開けてすぐ目につく場所にある生成装置は、既に運転を止めており、どうやらアイテムは無事に完成している様子だった。
「どれどれ……」
装置の前まで歩を進め、少しの期待と緊張を胸に蓋を開ける。目に飛び込んで来たのは、静かな光沢を放ちながら並ぶ二つのアクセサリー。──指輪と、ペンダントであった。
八芒星の形をしたペンダントは、その星の先端に赤や青、白に黒など多彩な輝きを携えている。それは先ほど購入した魔晶石の輝きであり、この世界に存在する《火・水・風・土・雷・氷・光・闇》の属性が宿っている証だろう。そうして中央には、真っ黒い宝石が備え付けられている。いや、よく見ればそれはただの黒ではない。暗黒の中で瞬く星の煌めきがその宝石の奥底には内包されており、さながらそれは、小さな宇宙そのものであった。
「凄い……」
使っているのはゲームの時からあった素材だ。何も変わっていない。しかし、その小さな宝石に魅入られたのは、見る側の心情の変化に拠るものが大きいのだろう。
「っと、悠長に眺めてる場合じゃない」
そのペンダントを首にかけ、次いで指輪にも手を伸ばす。シンプルな形の指輪だが、その色彩はまさに虹そのもの。見る角度によって目に映る色合いが変化し、見る者を楽しませるような意匠が施されている。
「さて…あとは結果を御覧じろ、ってね」
そうして指輪を右手の中指に装着した、その瞬間──立っていられないほどの急激な虚脱感が、私の全身を容赦なく包み込んだ。
「うぅ……あぁ、あっ!」
思わず苦悶の表情を浮かべ、口から苦しげな声が零れ出る。全身を圧迫する倦怠感は、物理的な破壊力を持ってこの身を内側から軋ませるかのようであった。
だが、次第にその激しい感覚も収まってくる。急激なステータスの変化に生身の体が悲鳴を上げた結果であり、それがアクセサリーの確かな効果を示しているとも言えるのだが……それにしても、かかる負荷は想像以上だった。
「はぁ、はぁ……こんなにしんどいとは思わなかった……。流石は私の作ったアイテム……なんてね。……とか言って、これで能力が下がってなかったら笑い者だけど……」
生理的な涙で視界を滲ませながらも、半ば強がりを込めてそう独り言ちる。手元の指輪へ視線を落とした後、その効果の程を確かな数値として確認するため、「ステータスオープン」と口に出した。
そうして、何もないはずの空間に浮かび上がるように展開されたウィンドウ画面には、こう記されていた。
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CHARACTER DATA
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NAME: 月
TITLE : 英雄の娘
MAIN LV: 1 / SUB LV: 100
TOTAL LV: 101
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HP: 1015 / 1015
MP: 1015 / 1015
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STR: 111 DEX: 109
VIT: 102 AGI: 108
INT: 106 MND: 105
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そこに並んでいたのは、先程までの規格外な数値から大幅に削り落とされた、ささやかな数字の羅列だった。伴った苦痛は想像以上だったが、自ら組み上げたアイテムは想定通りに私の力を制御してくれたのだ。正確に書き換えられたそのステータス画面は、激しい虚脱感の中にあっても、確かな安堵を私に与えてくれていた。
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