第二十四話 ソ連の対日参戦
…随分久しぶりの投稿ですね()
すみません。
1945年8月8日午前1時
満州北部 国境付近の監視所
照空灯の光が辺り一帯を飛び交う中、ある監視兵が目を擦りながらあくびをした時、
あるエンジン音が耳に入ってきた。疑問に思って音の方向を見た時、
彼は慌てて隣にいた兵を揺さぶった。
「あれを見ろ!敵襲だ!早く!早く通信兵を呼べ!」
サイレンが鳴り響き、照空灯が一斉に向いた先から、深い緑色に塗られた戦車達が一斉に轟音を立てて次々と走行する。
その先頭はT-34-85であり、その長い砲身を満州へ向けて爆走中であった。
続けて戦車群の背後から雷鳴のように次々と砲声が響き、砲弾が監視所に撃ち込まれた。監視所には高射砲1門と山砲5門しか砲はなかった。
「我敵機甲部隊ノ攻撃ヲ受ク」
その電報を最後に、監視所は消息を絶った。
関東軍は日中戦争ではある意味最も有名となった部隊かもしれない。
しかし太平洋戦争では戦力を次々と南方に引き抜かれ、脆弱になっていた。
そこを独ソ戦を終わらせて力を有り余らせているソ連軍が突っ込んで来たのである。
壊滅は時間の問題であることは明瞭であった。
虎頭要塞
ソ連の侵攻を防ぐ為に建設され、「東洋のマジノ線」とまで言われた虎頭要塞には「日本最強」と謳われた榴弾砲が二つある。
1つは試製四十一糎榴弾砲。陸軍が1920年代に開発した要塞砲であるが、海軍から戦艦から下ろした砲を受け取った結果不必要になり、1門のみの製造に終わった榴弾砲でもある。
1935年、ソ連のシベリヤ鉄道を爆破するために虎頭要塞に配備されたのである。
もう1つは、九〇式二十四糎列車加農。フランス製の1930年に日本に運ばれた加農砲であり、こちらもソ連の侵攻に備えるべく配備されていた。
日本最長の射程50kmを誇り、シベリヤ鉄道破壊は勿論、数多のソ連兵を土に還させることができるであろう。
この二つの巨砲を中心とした虎頭要塞は鉄壁となってソ連軍の前に立ち塞がった。
霧が深く航空機による航空支援が難しいという状況は関東軍にとって有利だったかもしれない。
対するソ連はと言うと砲兵を「戦場の女神」と崇め、その圧倒的物量によってノモンハン事変では関東軍に敗北を叩き込んだ。
ここで大事なのは、関東軍の勝利条件は「民間人の撤退成功」にあるということだ。
関東軍が殿となってソ連軍を食い止め、民間人を本土へと逃がすこと、それこそが関東軍の最後の存在する理由なのかもしれなかった。
巨砲が大地を揺さぶって咆哮を上げ始めた。ソ連軍戦車隊の列に次々と殺到し始めた砲弾が大地に大穴を開けた。その中をハ-フトラックが次々とすり抜けて走っていった。
国境に築かれた強固な要塞はそう簡単に落ちないが、物量の前にどれほど前線が持ち堪えられるかは分からない。
シベリア鉄道を破壊することで兵站にダメ-ジを与えることは出来るが、
高速の機械化歩兵や戦車、輸送機を全て封じることは不可能である。
そして最大の問題は、十分な対戦車兵器の不足、そして制空権がないことにある。
ソ連軍の主力戦車であるT-34-85は九七式中戦車では比べるに値せず、また対戦車砲はドア・ノッカーとさえ呼ばれていたことである。
南東での島々の戦いとは違い遮蔽物がほとんどないため近づくことさえ困難である。
に号作戦後に製造されたチトや一式砲戦車、そして試作重戦車チリやオイ車等も輸送艦によって持ち込まれていたが、余りにも少数である。
また制空についても、日中戦争での消耗が激しく、ソ連特有の大量の戦闘機に対抗出来るレベルではなかった。が、二式複座戦闘機を中心とする航空隊が即座に襲撃機としてソ連軍の飛行場と集積地を叩くべく、25番を積んで空へと舞い上がっていった。
ソ連軍飛行場
攻撃機IL-2を含む多くの戦闘機が駐機しており、満州特有の深い霧が晴れれば近接航空支援により虎頭要塞は勿論、満州全土に空挺兵を投入することができる。
既に爆撃機が戦略爆撃を行うために次々と飛び交っていたが、レーダーはなかった。
駐機していたYak-9の側で整備員が煙草を吸っていた時、突然爆発音がして格納庫が吹き飛んだ。
すぐに空襲警報が鳴り響き、照空灯が辺りを捜索するが、次々と燃料庫や格納庫が爆発していく。
照空灯がようやく一機を捉えた。懸命に対空砲が火を噴くが、夜間迷彩を施したその機体は低空を突っ切りそのまま逃げていった。
塹壕にチハやチヌが身を潜め、偽装を施したトーチカのコンクリートの防壁の隙間から対戦車砲が顔を覗かせる。
ノモンハン事件の時とは違い、士気も質も大きく低下している。
弾薬も明らかに少ない。それでも少しでも強大なソ連軍を押し留めなければならない。
家屋や林の中に九九式軽機関銃やキツツキと呼ばれる九二式重機関銃を隠し、
対戦車地雷を念入りに設置する。後は天祐を祈るほかなかった。
樺太
北海道のさらに北の樺太でも、ソ連軍は国境線を破り侵攻を開始した。
満州でさえ切り捨てられたも同然の状態にある日本軍の戦力が、
樺太ではどうなるかは語るまでもない。
港では避難民を満載した商船を潜水艦の襲撃から守るべく、
択捉型海防艦や丁型海防艦、駆潜艇が慌ただしい走り回っていた。
千島列島最北部 占守島
キスカ島撤退の拠点となった幌筵泊地が目の前にある占守島には、
アメリカ軍の侵攻を防ぐためにチハを始めとする戦力が存在している。
対岸から砲撃を受けるようになったものの、占守島にターゲットが本格的に当てられるようになるのはもう少し後の話である。
虎頭要塞
東洋のマジノ線を補強するために本要塞には試作戦車たちが多く配属され、T‐34を相手になんとか持ちこたえていた。特にオイ車やチリが歩兵相手に火力投射能力の高さを遺憾なく見せていた。
問題はドイツ相手に猛威を振るったSu-152である。ティガー重戦車を相手することを前提としたその駆逐戦車の前面装甲はチトでさえ歯が立たない。榴弾砲を水平射撃に用い、大口径砲弾で物理的に装甲をかち割ったり、近接航空支援にやってきた襲撃機に攻撃を依頼することで撃破した例も少なくなかったが、それ以上に虎の子の戦車達の損害が多かった。
キツツキと九九式軽機関銃、そして近距離戦に九九式短機関銃を装備した歩兵達の方はと言うと、相手の度重なる砲撃の中、相手に損耗を強いながらも戦線は段々と下がっていった。
こちら側の砲撃援助は砲の数も砲弾も少なく、極めて不利な状態にある。列車砲部隊は休みなく砲撃を続けているが兵站妨害がやっとというレベルである。
少なくとも虎頭要塞はまだまだ健在であり、陥落とは程遠いが、このあとカチューシャやソ連側から航空支援が来るようになれば戦況はますます厳しくなるだろう。
一人でも多くの民間人を逃すことにため、絶え間なく砲声が飛び交っていた。
8月9日
ソ連が対日参戦し、いよいよ敗北の機運が高まってきていたが、我々は満州ではなく、本土、そしてサイパンに再び目を向けなければならない。
なぜならばすで「ファットマン」を積んだB-29ボックスカーが九州へとその矛先を向けていたからである。一方で日本側は前回の失態を繰り返さぬため、最後の大規模迎撃戦闘を行おうとしていた。
格納庫で慌ただしくキ83や震電とともに、橘花、そして秋水が最後の整備を行っていた。




