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王子様の夏休み 9

 清乃が翌朝になっても暗い顔をしていたら、ユリウスが今日はプライベートビーチで遊ぼうと言い出した。

 防砂林を挟んですぐ向こう側がパブリックビーチになっているため海には人が見えるが、砂浜の安全は確保されている。

 なら行く、と清乃はすぐに準備をした。

 海の家に行けないからと急いで飲み物と氷を買ってきて、巨大なクーラーボックスふたつに用意した。

 昨日のうちに洗って干しておいた水着で今日は最初から海に入りに行く。

 浮輪の中でぷかぷかしている清乃の横で昨日と同じように、少年と言いたくなる青年たちがはしゃいでいる。


「キヨがそんなに怖がるのを見てると、初めて会ったときを思い出すな」

 清乃の浮輪に掴まって、ユリウスが自虐になりかねない話を持ち出す。

「得体の知れない人物に対する恐怖。同じだよ」

「キヨにとってのタカハシは、未知の生物のようなものだと」

 正しく理解してくれたようだ。

 ユリウスのことは、会ったその日のうちに優しいひとだと気づけた。だけど奴は違う。

「だってそうだもん。理解出来ない。ただただ怖い」

「理解出来ないってどういうところが?」

「何これ。カウンセリング?」

「理解出来ないなら、出来るようになれば怖くなくなるんじゃないか」

 すべての問題に真正面から立ち向かうほど、清乃は真面目に人生に向き合っていない。

 脅威の対象から逃げるのは、弱い生き物に許された唯一の生き方だ。清乃はその権利を行使したい。

【ツェペシュに怖いものがあるっていうのもおかしい話だな。心理学者の卵が話を聴いてやろうか】

 昨日くっきりとしたサングラス灼けを作ってしまったフェリクスがユリウスの反対側の浮輪に掴まりながら、興味無さそうに言ってくる。

【あんたまだ学生でしょ】

【まあ言ってみろよ。話が面白ければ奴を海に沈める手伝いをしてやる】

【本当?】



 そもそも高橋佑介という男は、物心つく前からクソガキと誰もが思うような奴だったのだ。大人の噂話によるとだが。

 家でも保育園でも大人を困らせ、小学校に入ってからもそれは続いた。

 清乃が小学校に入学してすぐ、三年生との交流会で何人もの同級生が奴に泣かされていた。

 何故殴る。何故髪を引っ張る。何故近くにいる人間相手に大声を出す。

 絵本を読むのが好きな大人しい子どもだった清乃は、そのときに強い衝撃を受けたのだ。自分たち一年生よりもはるかに大きい三年生が、幼稚園児でもやらないような暴れっぷりだったのである。

 有り体に言えば、あいつやべえ、と思った。奴には近づかないようにしようと、幼心にそう誓った。

 高橋は最高学年になって益々増長し、とうとう先生も匙を投げてしまった。

 虐めっ子高橋にもそうだが、事なかれ主義の教員にも、清乃は危機感を覚えるようになった。

 このままでは、清乃たち弱い生き物の生存権が失われてしまう、と思い詰めるまでになったのだ。



「だからやったのか」

倒し(やっ)てやった。正義の味方なんかこの世にいないって悟ったから。ボス猿なら一回鼻っ柱を折ってやれば大人しくなるかと思って」

 威勢のいいことを言ってはみたが、実のところ本当に計画を実行に移すなんて、自分でも想定外だったのだ。

 計画を練り、昏い悦びに浸るだけに終わると思っていた。我ながら暗い愉しみである。

 高橋が負傷したとの情報を耳にした翌日の集団下校の日だ。大人の義務を放棄した男性教諭が、清乃たちの家の方面の見守りに立っているのを見た。

 完璧な条件が揃ってしまったところに、奴が現れた。

 それまでは、条件が悪いからと自分に言い訳して逃げていた。

 あの日は、こんなチャンス二度と巡ってこない、と思うともったいなくなったのだ。

 やるかやられるか。選択肢を与えられたのはあのときが初めてだった。

 いつもなら黙ってやられるしかない清乃は、やるほうを選びたくなった。

「おまえかっこいいな」

「ありがとう」

「普段常識人ぶってるくせに、過去の話が時々おかしい」

「人に歴史ありってね」



 清乃の計画では、その後奴は大人しくなるはずだったのだ。

 だがそう上手く事は運ばなかった。

 二学年も下のチビに恥をかかされたとして、翌日から高橋は清乃を追いかけ回すようになった。

 奴の頭はサル山のサル以下だった。清乃の予想を上回るバカだったのだ。もっと徹底的に潰しておくべきだった。

 当時はまだマキャベリまでは読めていなかったのだ。彼によると、やるなら完膚なきまでに叩いておかないと、復讐心を持つのが人間という生き物らしい。失敗した。

 周囲の協力を得て、奴が卒業するまでの半年間をなんとか逃げおおすことには成功した。

 それから二年後、中学に入学してすぐ、清乃は学校一の不良に進化を遂げた高橋に遭遇した。

 射殺すような眼で睨まれた。

 バカのくせにまだ覚えていたのだ。清乃は一年間また泣きながら逃げ続ける羽目になった。



「あの辛かった日々が分かる? あいつバカだから、授業中にも校舎内探したりしてたんだよ。あたしフツーに教室で授業受けてるのに」

「おまえちょいちょいバカバカはさむな」

「そういうところが彼の気に障ったんじゃあ」

「直接言ったことはないもん。会ってなかったから」

「昨日言ってた。逃げながらばーかばーかって」

「ユリウスがやっつけてくれると思ったら気が大きくなっちゃって。つい」


 学校一の不良に追われる一年女子の噂は、すぐに広まった。

 高橋の不良仲間に面白がって追いかけ回されたり、奴からなんらかの被害に遭ったらしい先輩に不穏な眼で見られたりすることもあった。

 何故か先生に、奴への伝言を頼まれたりした。怖いから嫌だと泣いて断ってやったけど。

 他校の怖い人に声を掛けられたりしたら、これも奴のせいかと疑心暗鬼に陥るようになっていた。

 清乃のことを直接知らない同級生の一部は、彼女も不良だとか三年男子を手玉に取っている魔性の一年女子がいるとか言っていたらしい。


「十二歳のキヨがそんな噂に」

 ユリウスが言いたいことは分かる。

 笑いたいなら我慢せず笑え。彼の想像通り、中一の清乃の外見年齢は十歳程度だった。だから噂をしていた奴らも実物を見て笑っていた。

「当時すでに、窓ガラス割る不良なんてあいつしかいなかったからね。授業出ないくせになんで学校来るのか分かんないし、わざわざ学校でタバコ吸うとかバカの極みだし、なのに身長伸びるとかずるいし、いちいち先生相手にイキる意味分かんないし。高校入ってすぐにカノジョ妊娠させてバックれたとか噂になってたの、あれどうなったんだろ。本当か嘘かは知らないけど。ほんとだったら最っ低。やっぱりあのときトドメまで刺すべきだったんだ」

「つまりあいつなわけか。キヨのおとこぎらいのげんいん」

 別に原因があるわけじゃないし、そもそも清乃は男嫌いを自認していない。


「デカい奴も上から脅してくる奴もエロ話しかしない奴も話が通じないバカも嫌い。理解出来ないししようとも思わない。怖いだけだもん」

 その点ユリウスとその仲間たちはいい子ばかりだ。デカいのは仕方ない。それくらいは目をつむれる。

「おれをみながらいうな」

「やっぱり一度会って話をしてみたらどうだ。恐怖を克服できるかも」

「やだ」

 奴に捕まったら何をされるか、怯えながら過ごした日々は地獄だった。

 当時読んでいた小説のように、地下に監禁されて拷問されるとか、クスリ漬けにされて外国で体を売らされるとか、バラバラにされて臓器を売られるとか、怖い想像ばかりしながら逃げ隠れしていたのだ。

 田舎のヤンキーにそんなツテはないとは知らず、過剰に怖がってしまっていた。


「オレが一緒にいる。フェリクスも」

「そうだな。おもしろそうだ」

「マシューにも頼もう。ゴリラはサルより強いから安心だろう」

「……ヤバい話だったら、もう地元に帰れなくなるよ。そのときはあいつを海に沈めてくれる?」

「それだと証拠が残る。エルヴィラに頼んで魔女の夢の中に閉じ込めてもらおう。完全犯罪成立だ」

 心強い言葉だ。ユリウスには珍しい安請け合い。励ましてくれているのだ。

「エルヴィラ様、やってくださるかな」

「キヨが頼めば大丈夫だ」

「…………うん」

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