おまけ・元王子様と過ごす日々 2
清乃が身辺整理をして日本を出たのは、それからだいぶ経ってからのことだ。
お母さんこのままボケちゃうのかと思った! もう外国でもどこでも好きなことしにいきなよ。
と言ったのは、両親に似てドライなふたりの子どもだ。
当初彼らは、配偶者を亡くして茫然としほとんど動かなくなった母を心配していた。やりたいことができて動く気になれたならそれでいい、と安堵の息を吐くことにしたらしい。
清乃はそうするよ、と笑って、迎えに来たミカエルと共に飛行機に乗り半世紀以上振りにアッシュデール王国の地を踏んだのだった。
魔女のための屋敷を用意する。維持は世話人を付けるから気にするな。
ユリウスからそんな話をされたが、清乃は他人に世話をされるのは窮屈だから嫌だと拒否した。
王都に小さな部屋を手配してもらい、そこで独り住まいをはじめた。
前回の訪問で知り合った人は、だいぶ少なくなっていた。
代わりにその子や孫が挨拶に来てくれる。
ユリウスの同級生は、清乃よりも若いだけあって全員健在だ。代わる代わる小さな部屋を訪れ、若い頃のように騒いではさっさと帰れと言われてから帰っていく。
王子の称号を返還し、公爵と呼ばれるようになっていたユリウスの顔はたまにしか見ない。
魔女の夢の中で仕事の話をするか、イベントに参加する姿を遠目に見るくらいだ。
彼の側近にならなかった同級生たちが、あいつ自分の奥さんに愛してるよって何十年も言い続けてるんだけど信じてもらえないの、と笑って言っている。
意地を張らずに清乃のところに行けと妻に言われ、絶対行かないと宣言しているらしい。
歳を考えろってんだよな。あれ、死ぬまでに通じるのか?
清乃は彼らと一緒になってケラケラ笑い、ユリウスの愛が彼の奥さんに通じる日が来ることを祈ってやった。
そうやって訪ねてくる同年代の知人は、少しずつ減っていった。
ほとんど顔を見せないユリウスの代わりに、清乃のアッシュデールでの暮らしの便宜を図ってくれているのはミカエルだ。頻繁に顔を出し、屋内に閉じこもりがちになる伯母を外に連れ出してくれる。
彼は魔法使いと呼ばれる自身の能力を使って、世界中を跳びまわっているようだった。
本当は駄目なんだ、みんなには内緒にしてて、と言って、黒髪に白いものが混ざるようになった今でも悪戯小僧の顔をするのだ。
清乃はそんな甥が可愛くて仕方ない。
彼は昔コータ伯父さんが教えてくれた釣り場で釣った、と新鮮な魚を持ってきてくれることもあった。
清乃の異国暮らしの時間は穏やかに流れていった。
もうちょっと寝る、と言ったらもっと混乱することが起こりそうだ。
そう思った清乃は、ユリウスをキッチンで待たせておいて扉を閉めると、急いでクローゼットから出した服に着替えた。
ロンT、ジーンズ、カーディガン、いつもの楽な服装。
年齢も性別も気にせず着れるものばかり。無頓着さに呆れられることもあるけれど、身近なひとは許容してくれる。
何十年もこうやってきたのだ。今更変われない。
キッチンの向こうで待っていたユリウスに声を掛けると、出掛けてみる? と誘われた。
うん、と頷くと、微笑んだ彼に右手を取られた。
当たり前の顔をして手を繋ぐユリウスに戸惑いつつ、清乃は引っ張られるがままに歩いた。
アパートの外は民家が連なっている。
大学生向けのアパートは、住宅街の中にある。飲屋街から離れた治安の良い立地に安心した親が、ここなら大丈夫だろうと借りてくれたのだ。
彼らは娘がいくつになっても親のままだった。可愛げのない娘がいくつになっても、最期まで可愛い我が子を見る眼で見ていた。
今の清乃なら、彼らの気持ちが分かる。いくつになっても子どもは子どものままなのだ。
「どこに向かってるの?」
「どこにも。ただの散歩だよ」
「えー」
「えーって言うな。キヨはすぐそうやって不精する。心身の健康のために少しは動け」
「この健全小僧め」
不本意であることを隠しもせずに歩く清乃を見て、ユリウスが立ち止まった。
彼は繋いでいた手を引っ張ると、ひょいと身を屈めた。
キス。
何故。
「健全な小僧らしく、キヨと部屋にこもっていたいって言ってもいいのか」
キラキラした顔の美少年がそういうことを言わないで欲しい。
「…………散歩、続けようか」
「えー」
「えーって言うな。歩け。あんたそういうこと言う子じゃなかったでしょ」
「言わなかったけどよく考えてた」
「真顔で爆弾投げないで」
アパートの周り。そうだ、確かにこんな感じだった。
少し歩いたらローカル線の踏切があって、寝坊した日に限って引っ掛かるのだ。
今日は大学は休みなんだっけ。
それとも午後には講義があるんだったかな。
(…………?)
今日は何曜日だっただろう。
「……ユリウス?」
呼び掛けると、見慣れた美貌が優しい表情で清乃を見下ろす。
「うん?」
「今日何曜日……今って何月だっけ」
「何月だろ。夏ではなさそうだな。冬も違うか。この辺は街路樹とかなかったからよく分からないな」
「……うん」
期待していたようなはっきりした答えは返ってこなかった。
「キヨ、大丈夫か」
「どうだろ。こんなのんびりしてて、単位落としちゃわないかな」
ぶはっ、とユリウスが何かにウケた。おかしそうに笑い、今度は清乃の頭のてっぺんにキスをしてから身体の向きを変えさせた。
何故彼はこんな気軽に触れてくるのだ。距離感がバグっている。
「行ってみるか。大学はこっちだったな」
そのうち、魔女の夢の中でもユリウスの顔を見なくなった。
理由は周囲の人間から聞いている。
そっか。
と思いながら、清乃はそれまで通り丁重に迎えに来てくれる若者と共に魔女の夢の中に通った。
救国の魔女、なんて大袈裟な呼び掛けをされながら、やっていることはただの井戸端会議だ。
その頃の清乃にとって、かつては恐ろしくてたまらなかった魔女の亡霊たちと過ごす時間が、むしろ癒しにすらなっていた。
いつまでも変わらない彼女たちは、老いた清乃を囲んで楽しそうに笑うのだ。
現実よりも、魔女の夢の中で過ごす時間のほうが楽しいくらいになっていった。
これは、あたしが向こうの住人に近づいていっているってことなのかな。
なんとなく呟いた清乃に、いつからか隣に座っていたユリウスがこう答えた。
「そうかもな」
「そっかあ」
そろそろ準備をしておかなくてはならない。
とはいえ、もうずいぶん前から少しずつ進めている。今更焦ってすることはないように思う。
ユリウスも同様だ。
妻を送ってからしばらくぼんやりとしていたという彼も、清乃と同じように準備を始めたそうだ。
心残りはまだ何かあるだろうかと考えてみるが、特に思いつかない。
両親も歳上の夫もその両親も見送った。
日本で暮らす子どもは、もう立派な大人になっている。孫も大きい子ばかりだ。曽孫の顔を見たいというのは欲張り過ぎだろう。
宇宙旅行をしてみたいとは思う。近頃ではだいぶ安価になってきたらしいが体力測定で引っかかるため、それは諦めるしかない。
共に育った弟は、清乃とは別の家庭をつくって今も元気に暮らしている。
一人暮らしの部屋には最低限の物しかないから、始末に困ることはないはずだ。
大量に集めていた本は、日本を発つ前にほとんど手放した。
最近では、完結していない本は読まないようにしている。すぐに疲れてしまう目でも一両日中に読み切れるものだけを選んで、ゆっくりと楽しむのだ。
うん。心を残してしまいそうなものは何もない。
ユリウスは、と訊いてみると、ないはずだったんだけどな、最近また新しくできたと答える。
「どんなこと?」
「まだ言えそうにないな。もう少し色んなことが整理できたら言う」
「自分の歳考えな。急いだほうがいいよ」
いつ何があってもおかしくない年齢なのだ。
うん、と言ったユリウスだが、それからしばらく経っても教えてくれなかった。
清乃がその会話を忘れた頃だ。
ふたりでゆったりお茶を飲んでいるとき、ユリウスがおもむろに一度立ち上がり、床に片膝を突いた。
「結婚してください」
ご丁寧に花束まで用意して。いつの間に、どこから出したのだ。
いつになく真剣な表情のユリウスを見下ろして、清乃は首を傾げた。
「……今更?」
可愛くない返事だ。自分でもそう思った。
そんなことを思いながら、彼がふたりの関係についてはっきりと言及したのはこれが初めてだということに気づいた。
若い頃のユリウスは清乃が好きだと公言はしても、彼女に好きになって欲しいとか付き合って欲しいとかいったことは、一度も口にしたことがなかった。
これが初めてだ。
「うん、知ってた。キヨはそういう奴だよな」
馬鹿らしい、とユリウスは花束をテーブルに放った。
外面は鷹揚とした老公爵の彼だが、清乃の前で日本語を使うときには少年の頃のような言葉遣いに戻る。
「だって色々手続きとか大変でしょ。若い人の手間を考えてあげなよ」
「分かってる」
溜息混じりに返事をしながら、ユリウスは再び清乃に近づいてきた。
こいついくつになっても身軽に動くな、やっぱり若い頃の運動習慣って大事だ、とそれこそ今更なことを思いながら、彼の動きを見守った。
「…………」
関係ないことを考えていたせいで反応が遅れた。
エルヴィラ
妖艶なおねえさん、な魔女。初恋は実らないけれど、それなりに楽しく生きている。
最終兵器のため、あまり出番を増やせない。彼女が出てきたら問題が全部解決する。
ジェニファー
我儘末っ子魔女。普段はニコニコ大人しいから周囲が油断して大変なことになる。
誠吾のことが好きだったのかどうかは不明。
ダヴィド
元チャラ男の王様。苦労は多いはずだけど元気な中年。
若者の恋愛に寛容なお国柄は、国の事情が重いんだからそのくらい許してやれよ、の精神が元からあるのか、もしくはこのひとの人柄故か。どっちだろう。
うちは地球防衛軍なんて名称は掲げていない、といつツッコもうかとずっと考えている。ていうかなんで誰もツッコまないの?と思っている。
カタリナ
筋肉好き。な金髪美女。王子は舎弟。有能な軍人兼鬼教官。とりあえず強くて怖いらしい。
マシュー
(ただの作者の趣味。)ゴリラ。反チャラ男派の女性と一部の十代男子から絶大な人気有り。




