王子様と過ごした日々 6
「……よかった。やっぱりあのときの選択は間違ってなかったんだ」
ユリウスはケンジを見ながら、穏やかな口調で話し出した。
「うん?」
「あの頃、ルキウスの子どもが生まれたばかりだっただろ。母親になった義姉は、それまでとは違う生き物になったみたいだった。生まれたばかりの甥はすごく小さくて弱くて可愛くて、初めて対面したときに感動したことを覚えてる。義姉が変わるのも仕方ないなと思った」
「うん。今なら分かるよ」
「……オレ、本当は日本で生きたいって何回も考えたんだけど、でも、キヨが母親になる未来を奪ったら駄目だと思ったんだ」
「…………そっか」
「ケンジに会えてよかった。キヨの子はやっぱり可愛かった」
大人の顔に戻ったユリウスが、清乃に笑顔を見せた。
「…………うん」
そのままの表情で、ユリウスは続けた。
「キヨと会えなくなって、しばらくは落ち込んだよ」
「……うん。あたしも」
「そんなときに、ジェニファーが子どもを産むって言い出したんだ。家族みんなで混乱に陥ったんだけど、でも生まれてきたミカを見たら、色んなことがどうでも良くなって。ジェニファーにもセイにも似てるこの子を見て、それまでの辛かった気持ちがなくなった気がした」
ユリウスの言葉に、清乃はミカエルを見た。
わけも分からず見返してくる幼い顔。
清乃と同じ黒い髪。
ユリウスと同じ青い瞳。
日本人と比べると黄色味の薄い膚の色は清乃に近い。
丸い頬は遺伝よりも年齢のためか。
鼻の形は美形王室の血を引く人間のものだ。
清乃が幼く見える最大の原因であるどんぐり眼。この特徴は、将来彼のコンプレックスになったりしないだろうか。
「…………うん」
十年前には見ることが許されなかった夢が、そこにあった。
【キヨ伯母さん? 伯父さんがひどいこと言ったの?】
【こらミカ。おまえはオレをなんだと思ってるんだ】
【だってキヨ伯母さん泣きそうだよ】
【……大丈夫だよ。ミカくんは優しいね】
【大丈夫。キヨはすぐ泣くだけだ。ミカと同じ】
【! そんなことない!】
【別にいいじゃない。泣きたいときに泣けるのは子どもの特権だよ。大人になったら難しいからね】
清乃がミカエルの頭を撫でるも、彼は不満そうだった。
【キヨ伯母さん、伯父さんの言うこと信じないでよ】
【それはどうかな。伯父さん正直者だから】
もう! と膨れっ面になるミカエルを見て笑っていたらケンジが泣き出して、ユリウスから我が子を受け取った清乃があやす。
そこに風呂で磯臭さを落としてきた康太が現れた。
「ふたりとも、冬の海に落ちた直後だってのに元気だな。やっぱり若さか」
「康太さんは年齢よりも運動不足でしょ。この子たちを見習いなよ」
「俺だって二十代の頃はそんなだった」
「嘘つけ」
「キヨちゃん知らないだろ」
知り合ったときはすでに三十歳を超えていたからだ。
「コータさん、確かにオレたちを引き上げてくれたときの力は強かった。歳上の優しい筋肉だ」
「何それ」
「昔キヨが言ってた理想の男。そのものだ」
ユリウスが余計なことを喋るところは変わっていないようだ。
「へー。初耳」
康太はそうだろうよ。言ったことないから。
「ユリウスもう帰んなよ」
「お客さんにそれはないだろ」
「コータさん優しい。またミカを連れて遊びに来ていい?」
「どうぞどうぞ」
「簡単に言うな。そもそも誠吾から何聞いてるの? なんでこんな怪しい外国人気軽に連れて来るのよ」
冷蔵庫からビールを取り出す康太が、ええ? と言いながら笑う。思い出し笑い。
「誠吾くん、俺らが結婚する前に昔の写真見せてくれたんだよ。そこにユリウスさん写ってて。すんごいイケメンだから、今日釣り上げてすぐ分かった」
「久し振りの日本ではしゃいで落ちちゃって。助かりました」
「馬鹿なの?」
康太がうちの嫁さん口悪くてごめんなさい、と言いながらユリウスに缶ビールを一本渡す。
「誠吾くん、うちの姉ちゃんこんな美形にも見向きもせず生きてきたから、結婚できて嬉しいって言ってくれて」
「……あの野郎」
「康太さんはこの顔よりも上なんだよ、だから自信持ってって励まされた。キヨちゃんの態度が冷た過ぎるって心配してたらしい。誠吾くんいい子だよな」
「セイは相変わらずかあ」
「この顔よりもかあ、俺ってすげえなと思ったよ」
「この顔に勝てるわけないでしょ。鏡見てきな」
「キヨも相変わらずだ」
「なに、君らしばらく振りなの?」
康太は基本的に、清乃の交友関係にはノータッチだ。
歳が離れていることもあって、あまりお互いの友達を紹介したりすることがないのだ。
懐かしむ口調のユリウスに、不思議そうな顔になる。
「八年? 九年振りくらい?」
「そのくらいかな。しばらく忙しくて連絡できなくて。ミカもだいぶ大きくなったから、昔お世話になったキヨノさんに紹介しようと思って来ました」
「ふーん? この子、ミカくんだっけ? ハーフとかなのかな」
「ミカエルです。はっさいです」
「お。日本語上手い。すごい。もう車で聞いてるけど」
缶ビール片手にミカエルの頭を気軽に撫でる中年の夫。
身内の過去を彼にどう話そうかと悩む清乃を横眼に、事前に考えてきたのだろうユリウスが口を開いた。
「……セイゴには黙っててください。ミカエルは、オレの妹がセイゴを騙して産んだ子です」
康太もさすがに驚いた顔になった。
「ちょっと。言い方」
「……え? じゃあこの子キヨちゃんの甥っ子?」
「ご不快でなければ、コータさんのことも、伯父さんと呼ばせてもらえたら」
「えええ……。それはもちろんいいけど」
マジかあ。すごい親戚ができたな。ミカエルか。君かっこいいな。ユリウス伯父さんに似て良かったな、あれ、でも言われてみれば確かに誠吾くんの面影が……!
動揺している夫に息子を手渡すと、清乃はユリウスを促して立ち上がった。
「外で密談して来る。康太さんはケンジとミカくん見てて。多少は英語喋れるでしょ」
「自信ないけど分かった」
「えっコータさんそんな感じ? オレ間男する気はないけどでも」
「若いひとはすごいこと気にするんだな。ミカくんのこと話さなきゃなんだろ。こっちはいいから行って来て。あ、そこの俺の上着着てってよ」
康太とミカエルに手を振って外に出ると、真冬の深夜の空気が身体に沁みた。
満天の、というほどではないが、月の存在感が薄い今夜の星は綺麗に見える。
ユリウスは缶ビール、清乃はホットココアを手に玄関灯の下にしゃがみこんだ。
築一年の家の周りは田んぼだらけ。隣家は百メートル以上離れているため、深夜に人目を気にする必要はない。田舎の利点だ。
「コータさんかっこいいな」
「そう? 寒いから手短に済まそう。ミカエルのこと。誠吾には本当に黙ってるつもりなの?」
「……うん。そのほうがいいだろう。セイの迷惑になる。彼は確かにジェニファーと何度か関係を持ってたみたいだけど、それもジェニファーが頼み込んだかららしいんだ。セイが暮らすアパートに何度も跳んで、魔女の自分は一生独りだって泣いて同情を買ったと言ってた」
ジェニファーの行動はやっぱり予測がつかない。
清乃とユリウスがぐだぐだやっているときに、ずいぶん大胆な行動を取っていたものだ。
当時の彼女は、まだ十七歳の少女だったのに。
「……理由はどうあれ、誠吾にも責任あるでしょ」
要は男子学生が据え膳に手を付けたと、そういう話だろう。
ジェニファーが誠吾を庇っているという可能性だってある。
「ないよ。セイは気をつけてたのに、子どもを産む最初で最後のチャンスだと考えたジェニファーが細工したんだ。魔女に不可能はないから」
エルヴィラが言っていた。魔女は子どもを産むことは許されないと。
どんな子が生まれるか分からないから、というのが理由だと言っていた。
ミカエルも多分、清乃には理解できない力を持っているのだろう。
「…………若い子怖いんだけど」
清乃は頭を抱えたくなった。
「……話を聞いたときはオレも泣きたくなった。そういうわけだから、オレたちはミカの存在がセイの人生を邪魔することは許されないと思ってる」
「……なんか複雑な気持ちだけど。分かったよ。ありがとう。誠吾ね、今結婚を考えてる彼女がいて。……ミカくんには悪いんだけど、今会わせたら多分破談になる」
責任を感じるであろう誠吾はきっと、ミカエルの存在を知ってしまえば彼を無視して生きていくことはできない。
「そっか。じゃあやっぱり、ミカを連れて来るのはしばらくはやめておこうか」
「いいよ。連れて来てあげて。ミカくんだって自分のルーツを知りたいでしょ。あとね、誠吾には会わせてあげられないけど」
「うん?」
「将来的には、伯母のあたしがミカくんに会いに行ってもいい?」
「……ん?」




