王子様と過ごした日々 3
小さな声で言った清乃を見て、フェリクスが動きを止めた。
「…………そうなのか」
言ってしまった。こんな奴にプライベートな情報を開示する気はなかったのに。
「だから断る」
だからってなんだ。断る理由なんか、嫌だから、だけで充分なはずだ。
「おまえ、……できたのか」
「何を、なんて絶対訊いてやらないけど、恋人的なイベントは大体全部やった。あとは結婚式くらい」
フェリクスがここまで驚く顔は初めて見る気がする。
大好きな酒を飲むことも忘れて、ただ目を丸くして清乃を凝視している。
「………………招待状届いてないぞ」
「現住所知らないからね」
知っていても送るつもりはさらさらないが。
「いつだ」
「今週末。明々後日」
「……よし分かった。休暇を取る」
「なんで今の話で招待されたつもりになれるの? 仕事しなよ」
「おめでとうキヨ。良かったなあ」
何故そんなに嬉しい顔になる。
「……ありがとう」
「そうかあ。キヨが結婚か」
「何故泣く。おまえはせっかちな父親か。せめて式の最中に泣け」
それもおかしいか。というか式にも披露宴にも招待しない。
「キヨが……」
「やだ、嘘でしょ。本気? あんたに涙なんかあったの? あ、でも頭突きしたら半べそかいてたっけ」
清乃が笑いながらおしぼりを投げると、フェリクスはノールックでキャッチした。
チャラい外国人が居酒屋のおしぼりで目元をぬぐっている。なんだこれ。
こんなに喜ばれるとは思わなかった。
彼は昔、清乃の友達のつもりでいるとか言っていた。祝福してくれるのか。
「こんな口の悪いチビが結婚……」
これは何目線だ。友達じゃないな。まさかとは思うが兄とかか。
「おい、いい加減にしろよ。昔も言ったけど、あたし日本基準ではそこまでチビじゃないし童顔でもないから」
「よし、今日はノロケてもいいぞ。聴いてやるから。どんな男なんだ。そいつのどこが好きなんだ」
何故おまえ相手にそんな話を、と言うには、フェリクスの喜ぶ顔が意外過ぎて、うっかり嬉しく思ってしまったばかりだ。
「あたしに興味ないところ」
だから正直に答えてやった。
「…………それは好きなところなのか」
「うん」
「……おまえまさか、ユリウスがまとわりつくのが鬱陶しかったのか」
「ノーコメント」
「……他は。年齢職業趣味」
「なんの調査よ。八つ上、三十六歳。市役所勤務。趣味? 釣り競馬パチンコ、くらいじゃない?」
フェリクスが眉をひそめ、一度開いた口を閉じてグラスの中身を飲み干した。
珍しい。言ってもいいのか迷っている。
「…………本当にそいつでいいのか」
結局言うのか。
「あんたに言われるってよっぽどだな」
「よっぽどだろ。まさか焦ってるのか。おまえまだ二十八だろ。そんなギャンブル好きなおっさんにキヨはもったいない」
心配しているのか。本当に兄気分でいるのだろうか。
ユリウスの世話を焼けなくなったから、代わりになる存在を求めてでもいるのか。
「そりゃ確かにおっさんだけど。あたしもいつまでも若いわけじゃないしね。フェリクスだってもうすぐ三十路でしょ。立派なおっさんじゃん」
「味噌」
「ミソジね。三十歳って意味」
「俺は立派なおっさんになるが、そいつはあんまり立派じゃないんじゃないか。大丈夫なのか」
しつこい。おまえが言うなって言ってもいいかな。
「おまえが言うな」
言っちゃった。酒が入ると全部口に出してしまう。
「心配してる」
「それはどうも。あのひとね、海専門の釣りバカなの。あ、釣りが大好きって意味ね。休みの日には朝から晩まで海に行って、平日も隙あらば出て行くくらい」
「ほう」
「今は海から離れた場所に住んでるから、思うように釣りに行けなくて。苦肉の策としてパチンコ競馬なんだって」
「おまえはそれを信じてるのか」
なんだこいつ。憐れむな。残念な子を見る眼で見るな。
「まあギャンブルに溺れて借金つくるようなひとではないと思ってはいるよ。万一そうなったら捨ててやるから、今から考える必要はないかな」
「………………」
「結婚だってギャンブルみたいなもんでしょ。って思わなきゃ、赤の他人と一緒に暮らす選択なんかできないよね」
「……おまえ結婚を間近に控えてるようには見えないな。もっと浮かれたりしないのか」
「あたしが?」
「自分で言うな。でもそうだな。おまえはいつも冷静で間違えない奴だよな」
フェリクスは心配顔をやめて苦笑した。
「まあね」
「自分で言うな。まあキヨが選んだ男なら大丈夫か」
「多分ね」
「でも興味ないってどういうことだ。四十近い男が二十代の婚約者に夢中にならないわけないだろ。今この瞬間に現れて俺を殴っても不思議じゃない」
そんな暴力彼氏は嫌だ。相手がフェリクスなら確実に返り討ちにされるし。破談決定だ。
「二十も離れてるみたいな言い方しないでよ。八つ差だから。あのひと、自分の趣味が大事なの。あたしと同じ。だからちょうどいいというか」
約束をすれば会って穏やかな時間を過ごせる。
無駄に束縛したりしない、されない。会わない時間、なんなら一緒にいる時間もそれぞれ好きなことをして過ごす。
お互いがお互いを裏切ることはしないと、信じる以前に考えたことがない。
彼は自分の恋人なのだと認識してからの日々に波風が立ったことは一度もない。
空気のような彼となら、一生一緒にいられそうだと思ったのだ。
「……よーし分かった。俺が見極めてやる。明々後日だな。会場はどこだ」
「やめろ来るな。あんたはあたしのなんなんだ」
「教えないなら勝手に視て行くぞ」
「…………最低。披露宴は席ないから、遠目に式を見るだけにしてよ」
「キヨのウェディングドレスか。楽しみだ。写真撮っていつかみんなに見せてやろう」
フェリクスがまたどこか遠いところを見る眼になった。
彼の心の半分は、どこにいても常に故郷にあるのだろう。
今はきっと、仲間たちと写真を囲んで騒ぐ未来を想像している。
「ウェディングドレスは着ないよ。神社で白無垢」
「キモノか」
「うん。誠吾には言っとくから、遠くから見るだけにしてよ。あんた絶対あたしより目立つし、観光に来た外国人の体で来て」
「花嫁より目立つわけないだろ。そんなに嫌がるなら映画みたいに派手に登場してやるぞ」
「教会じゃなくて神社だって言ってんでしょ」
結婚式当日、フェリクスは宣言した通りに、紅葉が美しい神社の境内に現れた。
清乃は遠目に見ただけだが、誠吾が彼と話をしていたようだった。
ほんとに来た、と思いながら、誠吾は鳥居の下に立つ外国人に駆け寄った。
「今日は、遠いところからありがとうございます」
誠吾が花嫁の身内として頭を下げると、フェリクスは微笑んで見下ろした。
「ああ。キヨ綺麗だな」
目を細めて花嫁の姿を見ていたフェリクスは、しばらくしてから首に下げていたカメラを構えた。
「一応今日の主役ですから。それ、カメラかっこいいっすね」
プロが使うような一眼レフだ。
「仕事用だけどな。ほら」
うわあ、な写真を見せられた。
「遺体の次の写真が花嫁って。てかそれ絶対部外者に見せたらダメなやつ」
知らない人が見たら、この花嫁が犯人なのかと思われそうだ。
「キヨらしくていいだろ」
「姉ちゃんらしいって……」
ははっ、と相変わらず格好良いフェリクスが楽しそうに笑う。
「旦那、良さそうな男だな。キヨの奴、やっぱりあれ照れ隠しだったのか」
「いいひとっすよ。やっぱ大人だから。姉ちゃんが暴言吐いても全然気にしねえの」
「……興味ないってそういうことか」
「またそんなこと言ってたのか。しょうがねえ奴だな。アレが結婚するってだけでも驚きなのに、地元が近い公務員だって親が万歳してたんすよ」
息子も公務員なのに。
「そういうものか」
「田舎のド庶民にはね。外国の王子よりかは何倍もいいっす」
「そうか」
誠吾は白無垢の清乃を眺めながら微笑むフェリクスを見上げてから、同じように新郎新婦に視線を向けた。
目立つことを嫌う姉が今何を考えているのかは分からないが、しとやかに見える表情で立つ花嫁は美しいと、今日くらいは誠吾も素直にそう思う。
花嫁衣裳の威力は大きい。
「フェリクスさんって、結局姉ちゃんのなんなんすか?」
「なんだそれは……、? ……なんなんだろうな」
怪訝そうに問い返したフェリクスだったが、答えが見つからなかったらしく難しい顔になった。
「ユリウス大好き仲間?」
「……そうかもな。実は好きだったって言ったら面白いんだろうけどな。うっかり俺がそんな感情持ったりしてたら、キヨのことだから口利かなくなってるだろ」
誠吾もそう思っていた。だから結婚式の日に訊いても傷ついたりしないだろうと判断したのだ。
当時の清乃はユリウスと恋愛はしない代わりに、彼以外の男友達は作らない、恋愛沙汰は遠ざける、ことを無意識にだか意識的にだか徹底していた。
フェリクスのような男がそういう意図で近づいていたのだとしたら、完全にシャットアウトされていたことだろう。
チャラ男が何をしても言っても清乃が完全には拒絶しなかったのは、絡んでくる彼に恋愛感情がなかったからだ。
いい奴だけど気が合わない、どうでもいい、くらいな存在だった。
「ですよね。なんていうか、フェリクスさんみたいなひとが姉ちゃんに構うのが不思議で」
「……多分あいつが、魔女に好かれるタチだからだろ。俺も魔女の子孫だからな。キヨについて行けば、将来夢の中に囚われることになっても、ちゃんと消えることができる気がする。って今思った」
そっちの話になるとは思わなかった。
「よく分かんね。変なこと訊いてすんません」
「ユリウスから連絡はないだろ」
「はい」
「俺にもない。他の連中からもだ。だからジェニファーがどうしているか、俺にも分からん」
「………………」
「気にしてたんだろ」
なんだそれ。痛いところをつつかれた仕返しのつもりか。
「…………」
フェリクスは唇の片端を持ち上げ、誠吾の礼服の背中を叩いた。
「ありがとうな。でももう忘れてやってくれ」
「……別に。気にしてたわけじゃ」




