王子様と最後のデート 4
「こうきたかあ」
無表情の清乃とは対照的に、ユリウスはご機嫌だ。
「まあ一回くらいはな」
長い脚を組んで椅子に座って、にこにこと清乃を見上げてくる王子様。
「楽しいの?」
「すごく。これもいいな。もういっそのこと」
「おい王子様、それ以上は言うな」
「全部買っちゃうか」
「言うなって言ったでしょ!」
ドレス姿の清乃は小声で怒鳴った。
ドレスである。首元から肘までがレースで覆われた膝丈ドレス。
デパートの高級衣料店である。
そろそろ行こうか、とユリウスに手を引かれてやってきたのがここだったのだ。
売り場を見てすぐ、ユリウスの魂胆に気がついた。
彼がしたかった買い物は、自分のものではない。清乃相手に金持ちの恋人ごっこをやるつもりだ。
逃げようとする清乃を捕まえて、ユリウスは彼女に囁いた。
キヨが何を言っても、オレはプラン変更をするつもりはない。ここで揉めてたら恥ずかしいぞ。ほら、見られてる。
ザ日本人な清乃の気質を見透かしたユリウスの脅しに屈して始まったのが、この着せ替えごっこだ。
「まあ着てるのを見る機会もないだろうからな。一着で我慢するか」
「我慢て何。意味分かんない」
「はい、次これ。着替えて」
店員も楽しそうに笑っている。
それは楽しいだろうよ。金払いの良さそうな美形相手の接客だ。
「どれがいいかな。これもいいけど、やっぱり最初のやつか。直感は大事だ」
「そうですねえ。春らしい色がよくお似合いでしたね」
最初のやつってピンクのか。淡い桜色全体にかかったレースが、可愛らしい色に対する抵抗感を薄めてくれるドレス。
若い女はピンクを着とけっていう考えどうかと思うよ。
言ってやりたいが、プロの店員にまで喧嘩を売る度胸はない。
確かにこれよりはマシかもしれない。あれならドレスというよりも綺麗めワンピースといったほうが近い。
「うん。じゃあそれ、お願いします」
「小物はこちらで大丈夫だと思います。あとは靴ですね。先ほどご案内しました店舗に」
「はい。ありがとう。全部着て行きます。キヨ、着替えてきて」
今更抵抗しても無駄だ。
清乃はユリウスを無言で睨んでから、渡されたドレスと新品のストッキングを持って試着室に戻った。
靴もまあ必要だろうよ。ドレスにスニーカーは変だから。
朝出る前に整えたきりのボブも、してるのかしてないのか分からんとよく言われる薄すぎるメイクもちゃんとしないとチグハグだというのは分かる。
でもアクセサリーまで。ネックレス。これどうするんだ。本物のパールじゃないのか。
ドレス、ストッキング、靴まで装着すると、次は美容院に連れて行かれた。
その頃には無の境地に至った顔で大人しく頭と顔をいじられた。
あとはお願いします、と美容師に挨拶したユリウスはどこかへ行ってしまった。清乃のセットが終わる頃には戻ってきて、その仕上がりに満足そうに笑った。
自分も着替えるために席を外したのだ。
ダークスーツ。
まだ学生のくせに、と思ったが、鍛えた長身の持ち主にはよく似合っている。さすが欧米人。
迎えに来たユリウスから美容院を出る前に有無を言わさず付けられたのが、この二連のパールだ。
人前で揉めるのは恥ずかしいと、降りのエレベーター内で清乃はユリウスに詰め寄った。
「これどうするつもり? こんなのもらえないよ。全部返す」
「返されても困る。オレは着れない」
「ジェニーにでもあげなさいよ。あたしは無理」
「あいつはまだ子どもだ。こんなの必要ない」
「お姫さまなんだから着るでしょ……ってもっといいやつ着るのか!」
結婚式にでも出席するような格好だ。
夕食、というか多分ディナーと言うべきところだ、のための支度か。そんな高級レストラン行きたくない。
近くの駐車場まで歩いて車の助手席に乗り込むと、運転席のユリウスが手を伸ばしてきた。
「耳貸して」
仏頂面の清乃に、笑顔のユリウスがパールのイヤリングを付ける。慣れない作業に手こずっているようだ。笑顔が眉根を寄せる表情に変わる。
「……ねえ、ユリウス」
清乃は抵抗することを諦めて好きにさせることにした。すぐ近くにある顔から意識を逸らしながら、彼の名前を呼ぶ。
「分かったよ。パールは持ち帰る。でもドレスと靴はいいだろう。ジェニファーも最近背が伸びたから、サイズが合わないはずだ」
「……何それ悔しい」
「よしできた。完璧。すごく綺麗だ。朝は可愛かったし、今は綺麗だ」
彼の眼はどうなっているのだろう。
綺麗なんて言葉、清乃の瞳に映る自分の姿へ向けて言ったほうがしっくりくるだろうに。
朝から頑張って身支度したのに失礼じゃないか。とか、女を着飾って遊ぶなんて十年早いわ。
とか、言ってやりたいことはたくさんあったが、それらは全部飲み込むことにした。
清乃を見つめるユリウスの顔に嘘がひとつも見つからなくて、ただ純粋な賞賛だけが浮かんでいたからだ。
今日くらいは彼の言う通りの綺麗で可愛い女性になったつもりでいてもいいかなと思わされた。
ナプキンは膝の上にだとかナイフとフォークは外側から使うとか、マナー本に書いてあることはひと通り頭に入っている。
が、清乃は実践経験が少ない。
アッシュデールでも気を遣ってもらってそういう場面は最低限しかなかったし、あとは親戚の結婚式でコース料理を出されたくらいだ。
ドレスコードのあるホテルのレストランで食事なんかしたことがない。
動きがぎこちない清乃を見てユリウスがおかしそうに笑う。
「おい王子様笑うな」
「笑うよ。何を緊張しているんだ。キヨは飲み過ぎさえ気をつければ大丈夫だ」
「マナーが分からない」
「普通に食べればいい。美味しいぞ」
簡単に言いやがって。
いとも優雅にナイフとフォークを操るユリウスとは育ちが違うのだ。
「王子様と一緒にしないでよ」
「あんまり変わらないだろう。フェリクスがなんて言ってるか知ってるか。キヨと食事をするのは楽しいと言うんだ」
「ええ?」
清乃は思わず顔をしかめた。
「そんなに嫌がるな。あいつ留学してすぐの頃言ってたんだ。どいつもこいつもマナーが悪い。一緒に食事をしたくないって」
「何様」
「王子様だったんだ。そういうところは意外とうるさい。そのフェリクスが、キヨはいいって言うんだ。箸とか茶碗とかよく分からないが、所作が美しいって。口は悪いけど。気の配り方がうまいから、気持ち良い時間を過ごせる、だって」
「……えええー」
奴に褒められても嬉しくない。
所作って。それ絶対、日本人の動きが物珍しいだけだろう。
「オレもそう思う。だからうちに呼んでも問題ないだろうと思ったんだ。キヨはすぐに育ちがどうとか言うけど、充分いいだろう。口は悪いけど。他人を不快にさせない、マナーなんてそれだけで充分だ」
口悪いって二回言った。そんなにか。
「……さすが。王子様の言うことは違いますね」
「オレはまだフェリクスに叱られる。早喰いするな、キヨがいつも困ってるって。無視してるけど」
お従兄ちゃん、たまにはいいことを言っていたらしい。
「自覚はあったのか」
「わざとだから。キヨが食べてるところを眺めたくて。今日は気をつける」
「何それ。ひどいな」
細かいことは気にせず食事を楽しめばいいと言ってくれているのだろう。
まあ確かに、見ているのはユリウスだけだ。
レストランのスタッフが細かいマナー違反を咎めることはないだろうし、隣の席の人が目を光らせているわけでもない。
別にいいか。
今日はただ、ユリウスとのデートを楽しめばいいのだ。
気持ちを持ち直した清乃を、ユリウスが微笑んで見ている。
「キヨは綺麗だ。デートできて嬉しい」
「こちらこそ光栄です、王子様。今日は本物の王子様みたいだね」
いつもは普通の男の子の振りをしているのに。
「一回くらいはいいだろう」
もうやらない、やれないから、ということだ。
「そうだね」
「でもやっぱり顔色ギリギリだな。せっかくの美人が台無しになる前に水を頼もう」
着席してすぐ、もう二十歳だからな、とシャンパンを頼んだユリウスはすでに二杯目にワインを飲んでいる。
「うん。そうしたい」
「オレはずっと、日本で飲める日を楽しみにしてた。感無量だ」
「ドヤ顔やめろ。酒の強さを自慢するのは子どもだよ」
「大人だから飲んでるんだが」
「……ユリウスがハタチかあ」
知り合ったときには十七歳だったのに。
「最初に会ったときのキヨと同じだ。大人だ」
あの頃は今よりも線が細くて、絵に描いたような美少年だった。
清乃の部屋に現れたのが今のユリウスだったらどうなっていたかな、と少し考えてみる。
大人な彼を見て、すぐに恋に落ちただろうか。そうしたら、今頃恋人同士として過ごしていたかもしれない。
魔女も亡霊も王族になる恐怖も薙ぎ倒して、家族も友達も故郷もそれまで築いてきたささやかな学歴も人間関係もすべて捨てて、それでも彼と一緒にいたいと頑張って、アッシュデールに移住しようとしていたかな。
恋をしていたら、清乃でもそんな情熱を持てたのだろうか。
想像できないな。
「この後なんだけど」
あとはデザートだけだ。だいぶお腹いっぱいだが、甘い物はもちろん別腹だ。
楽しみ、と話していたところで、ユリウスが切り出した。
もう夜の八時を過ぎている。まだ予定があるのか。
清乃はそんなことを考えながら彼の顔を見返した。
「うん」
「部屋を取ってある」
「…………」
「…………笑うな」
笑ってしまった。
「……だって。そうだね。大人だ」
声が震える。だって今の台詞。
「笑うな」
「ごめ、でもだって。……前回は敵前逃亡したくせに」
「笑うな!」




