王子様の夏休み 6
まあ確かに、清乃が間違っていたとは誠吾も思っていない。
彼女は悪を倒して子どもたちのヒーローになっただけだ。
小六男子を倒した小さな小四女子の武勇伝は、瞬く間に田舎町に広がった。小学校で広まり、小学生の子や弟妹を持つ親兄姉に伝わり、そこから近所に流れていった。
げに恐ろしきは田舎の情報伝達力である。
彼は多分、しばらくの間笑いものにされていた。
歳下の少女に殴り倒された高橋佑介は中学校に進学し、それをネタに先輩にからかわれていたと聞く。だが彼は黙って笑われるような奴ではなかった。
彼は確かに清乃に倒されはしたが、歯牙を抜かれたわけではない。
入学早々上級生相手に大喧嘩をやらかし、華々しい中学デビューを果たした。卒業する頃には一端の不良になっていて、そのままレールに乗って不良の集まる高校に入学、中学同様の三年間を過ごした後は鳶に弟子入りし現在に至る。
【姉ちゃん一回作戦勝ちしたはいいけど、その後ずっと仕返しされることを恐れて逃げ回ってんだよ】
もう十一年になる。長い因縁である。人生の半分以上だ。
【さすがキヨ。かっこいいな】
キヨの弟子になる、とアホなことを言っていたロンの目が輝いている。
【……キヨは昔からああなのか】
ユリウスは複雑な表情だ。守ってあげたい、とか思っている奴は知りたくなかっただろうよ。
だがそれが真実だ。彼女は男に守られる必要のない女なのだ。いい加減目を覚ませ。
清乃は誠吾が過去を語り出すと同時にその場から逃げ出している。浮輪の真ん中に収まったまま必死で脚をバタバタやって、砂浜に戻っていった。
今度の逃亡先はカタリナのところだ。
あまり甘やかさないでやってください、と後から言っておこう。
【昔からああなんだよ。……でもな、この話には続きがあって】
高橋は確かに清乃を恨んでいた。
小学校では常に復讐の機会を狙っていたが、他の子どもたちに庇われる清乃に手出しすることは不可能だった。
その機会が巡ってこないまま中学生になり、三年生になると清乃が同じ中学に入学してくる。
もちろんその頃には彼も多少大人になっている。まだあどけないセーラー服の一年生に喧嘩を吹っ掛けようと思ったわけではない。
ただ少し、睨みを利かせるだけのつもりだったのだろう。
それだけのことが何故か出来ない。と高橋の同級生女子、つまり清乃の味方が言っていた。
入学直後危険を察知した清乃は、その小さな身体を活かして隠れ続けた。らしい。
なかなか見つからない。見つけた、と思った次の瞬間には姿が消える。高橋は苛立つ。なんでだよ! と吼える姿はバカ丸出しでちょっと可愛かった、という証言がある。
ムキになった高橋は、中三の一年間を清乃を探すことに費やした。
不良のくせに毎日学校に来てる。と噂されていた。
【……えー。それってもしかしてさあ】
【そのもしかしてだ】
多分高橋の奴、探し求めてた清乃ちゃんがセーラー服着てるの見て、カワイイって思っちゃったんだよ。バッカだよねー。あ、これお姉ちゃんには内緒ね、今のままのが面白いから。
誠吾は地元では清乃の弟というだけで、歳上のおねーさま方がよくお菓子をくれたり面白い話を教えてくれたりする。これはその一例だ。
【俺は強い、俺を倒したアイツは強い、ゴリラのような女だった、って記憶が改竄されてるところに、ちっちゃい女の子が現れた】
【記憶とのギャップにやられたか】
【……なんか可哀想になってきた】
ジョージが涙をぬぐう仕草をする。
【だろー? ゆーすけさん確かに昔は怖かったけど、俺の顔見たらお菓子とかジュースとかくれたりすんだぜ】
【キヨに会わせて欲しいから?】
【それには気づかないフリして、ありがとうございます! ってやり続けたらそのうち諦めたみたいだけど。でも今もたまにくれる】
ワルぶったまま大人になってしまっただけで、悪いひとではないのだ。少なくとも誠吾にとってはそうだ。
【セイが地元で愛されてるってことは分かった】
【でもそれ、子どもの頃の話だろ。さすがにもう】
アレクは少し呆れている。今でも清乃を追いかけているのであれば、執念深いにもほどがある。病的だ。
【じゃあなんであいつはあんなにキヨに絡んでたんだ。キヨは本気で怯えていたぞ】
ユリウスの腕にしがみついたまま歩くくらいだ。確かに怯えているようではあったが。
【県外で知り合い見つけたから声かけただけだろ。あのひとフツーに見た目怖いし、姉ちゃんはフツーにビビっただけだろ】
どうせ真相はそんなところだ。
だってあのひと、中学の頃から途切れることなく、常に彼女いるっぽいし。
先に帰って夕飯の支度してきます、と言った清乃の様子を見たマシューが貸別荘まで付き添ってくれた。
そういえばカタリナの前でゴリラさんかっこいいって騒いだな、あれ、どうしよう罪悪感。と考えていたら、ユリウスとルカスが後ろから追いついて来た。
今日はカレーって言ってただろう。タマネギの皮剥く。だそうだ。
今回の旅行はあくまで八人がメインである。食事当番やら洗濯当番やらを決めてあるらしい。
和んでしまった。食事当番の仕事、皮剥き。
偉いですねえ、と笑ったマシューは、エプロン持参だった。最初からそのつもりで付き添ってくれたのだ。
一階の広いバスルームは女性用、二階の簡易のシャワールームは男性用、という決まりだ。
清乃が髪を乾かしてからキッチンに向かうと、三人はすでにシャワーを済ませて待機していた。
「キヨのカレー久し振り。楽しみ」
ユリウスは清乃が出す食事はなんでも喜んで食べる。だが彼女のカレーはスープにルーを投入するだけの、技術要らずなものだ。
普通に美味しいとは思うが褒められたら恥ずかしい。
【何からやろうか。キヨ、指示を頼む】
【私は手の込んだ物は作れません。肉と野菜を切って炒めて煮るだけです。これを入れたらカレーになるんです】
ルーは甘口中辛辛口と一箱ずつ。今日ランチの後に買い出しに行ってきた物だ。
王子様の口には合うらしいから、十代組にはいいだろうと思ったのだが、大人組はどうだろうか。
【へえ。便利だ。家用にいくつか買って帰ろうかな】
【マシューは普段料理をされるんですか?】
ゴリラのエプロン姿は意外と似合っていた。使い慣れているように見える。
【休日にたまにやる程度かな。カタリナがまったく出来ないから】
【カタリナにも苦手なことがあるんですね】
なんでも出来る完璧女子かと思っていた。
【ふたりは最近同棲を始めたんだ。食事の用意はマシューの担当なんだって】
オトナの話だ。何故ユリウスが言うのかは不明だが。
【えっそうだったんですか? いいなあ楽しそう】
【まあ毎日楽しいよ。キヨは? 彼氏募集中だと聞いたけど】
エプロンのゴリラと恋バナか。あまり得意な話題ではないのだが、これはちょっと楽しい。
【いいひとと出逢いたいな、とは思ってます。ロリータ呼ばわりする奴もいるから、もう少し大人になってからでもいいかなとも思ったり】
【キヨは歳上の筋肉がいいんだって。あとなんだっけ。日本語を喋る優しいブシ?】
珍獣みたいな言い方をするな。そしてなんでも喋るな。
【ブシかどうかは知らないけど、今日の彼は?】
【彼】
誰を指しているのか分からない。今日会ったなかに該当する人物がいただろうか。
【タカハシ? と言ってた】
【! 怖いこと言わないでください】
清乃は包丁を持ったまま小刻みに首を横に振った。
【マシュー、キヨは今日彼から逃げてきたんだぞ】
【でも条件は悪くない。歳上、筋肉、日本人。彼、キヨが外国人の集団の中にいることを心配しているようでしたよ。あなた方が海に行っている間、我々を偵察に来ていました。フェリクス様が威嚇したら退散しましたが】
フェリクス。使える男だ。見直した。
【そんなことまで……。あいつしつこすぎ。マシューも見かけたらやっちゃってください】
【何をどこまでやろうか】
笑顔で言われたら怖い。
【……軽率な発言でした。マシューはいてくださるだけで充分です】
奴にもゴリラに喧嘩を売る度胸はさすがにないはずだ。多分。そこまで馬鹿ではないと思いたい。
清乃とマシューが切ったニンジンとジャガイモは一度ボウルの中へ。ユリウスとルカスが大量に剥いたタマネギを、切った端から火にかけた大鍋に入れていく。
辛いのが好きな人もいるらしく、マシューの提案で鍋をふたつに分けた。激辛と中辛。
タマネギの皮を剥き終わったふたりには、サラダ係を任せた。葉物を洗って千切る、ミニトマトのヘタを取る。彼らは力を入れすぎてトマトが潰れた、汁が目に入ったと騒ぎながら仕事を全うした。
ユリウスとルカスにタマネギを炒める役を任せて、マシューがエプロンを脱ぐ。スパイスを買ってきます、キヨは彼らの監督をお願いします、とスーパーに行ってしまった。ビールを飲んでいたから徒歩だが、近くだったので問題ないだろう。
あとは肉を切るか。
真剣な表情のふたりを横眼に、清乃は冷蔵庫から牛肉の塊を取り出して黙々と切り始めた。
【キヨ、それ代わろうか。肉なら切り慣れてる。休んでていいよ】
【いいの? 大丈夫?】
ルカスは気軽に言うが、包丁を使い慣れていない人間にやらせるのは慎重になるべきだろう。
【実家では狩猟が俺の仕事だから。害獣を撃って捌いて、肉の塊にしてキッチンに届けるまでやって一人前】
少し違う気がする。
が、本人が出来ると言うなら任せてもいいか。
なんでも自分たちでやらせていい、という契約である。
【じゃあお願いしようかな】
その間に米を研いでしまおう。