王子様とバレンタイン 4
「キヨ。悪い。遅くなった」
「まったくだよ」
ユリウスが売店の裏にあるスタッフルームに顔を出した。
清乃は立ち上がり、借りていた椅子をテーブルの下に丁寧に戻す。
「すみません。ご迷惑おかけしました。ありがとうございました」
ユリウスを案内してきたスタッフの女性に清乃が頭を下げると、ユリウスもそれに倣った。
「いいえ。お連れの方が来てくれてよかったですね。さっきの外国人はスタッフが追い出したけど、外でも気をつけて」
「はい。ありがとうございます」
「お世話になりました」
日本式に深々と頭を下げるユリウスを見て、女性が頬を赤らめる。
世界中どこへ行っても、美形は正義だ。
スタッフルームを出ると、清乃はそれまでの怯える演技をやめた。淡々としていては信じてもらいにくいかな、と思ったのだ。ちゃんと助けられる側の者として振る舞う必要があるかと考えてのことだ。
「本当にごめん。もう片付けてきたから大丈夫だ」
「結局何人いたの?」
「問題児がひとり。ルカスたち、キヨも知ってる四人はそいつを見張るために来たらしい」
「四人」
「ああ。ダムもいた」
「ふうん」
ユリウスは「問題児」について詳しく言いたくないだろうなと思ったから、清乃は訊かずにいた。聞かされても、どう反応すべきか分からないから、彼女にとってもそのほうが都合がいいと思った。
「みんなもうスキー場から出て行ったよ」
「そっか」
「四人ともウェアを剥ぎ取ってから崖下で縛り上げてやった。震えながら白状するから、仕方ない解放してやって、問題解決してからここに迎えに来た。ダムが見張ってたらしいけど、キヨがちゃんと逃げてくれてて助かったよ」
「まああからさまに怪しかったからね。そっちの関係者じゃなくても逃げるべき相手だったし」
清乃はトイレに行く振りをして、売店スタッフに助けを求めたのだ。
変な外国人に付き纏われている。友人が迎えに来るまで一緒にいて欲しい、と。
トラブルに慣れているスタッフはすぐに対応してくれた。女性スタッフが清乃をスタッフルームに連れて行き、男性スタッフが追い払ってくるから大丈夫よ、と励ましてくれた。
男性スタッフに声を掛けられた男がどんな反応をしたのかは知らない。
アッシュデール関係者なら荒事は得意だろうが、異国で暴れて目立つようなことはすまいと思ったのだ。
清乃ひとりで対抗するのは不可能、と判断したから、他人に助けを求めた。それだけのことだ。
「これからどうする? 嫌になってないなら、もうひと滑りしてから帰らないか」
ユリウスはそのために、大急ぎで問題に対応してきたのだろう。涼しい顔をしてはいるが、冷たい空気を求めてウェアの前を開けている。
「そうだね。じゃあゴンドラ乗る? 一番上まで行ってから帰ろうか」
「大丈夫か」
「上級者コースじゃなきゃ多分ね。物足りなければひとりで行ってきてもいいよ」
「そんなことしないよ。なんのために来てると思っているんだ」
「そうだったね」
「ああ。キヨの鈍さを見て癒されたい」
「そうだったね!」
清乃はトラブルが起こりかけたことに対して、ユリウスに嫌な顔を見せなかった。彼はそれに安心したのだろう。申し訳なさそうな顔を引っ込めて笑った。
「そうだよ」
「ルカスの奴。何が南を目指していく、よ」
「なんの話だ」
「南の国の住人の話だよ」
「キヨの話はやっぱり時々分からない」
「分からなくていいよ」
その日は予定通り、スキー場近くのビジネスホテルのシングルルームにそれぞれ泊まった。
朝食ビュッフェ付きのプランにしておいたから、朝起きるとユリウスと連れ立って食堂に降りる。
清乃は朝はいつも簡単に済ませるから、珍しくユリウスよりも早くに食べ終わった。
フルーツ食べようかな、とビュッフェの列に並び直すと、すぐに後ろにも人が並んだ。
うわ、出た。と清乃は思った。が。
こちらから声を掛けてやる義理はないから、黙っていることにした。
【昨日は驚いたよ】
【大声を出されるか、あんたの主を呼ばれるか。どっちがいいか自分で選ぶ?】
清乃はなるべく抑揚のない平坦な声を出した。
不審者に怯えを見せて喜ばせる気はない。無視に近い対応をするのが一番のはずだ。
【どちらも困る。昨日し損なった自己紹介をしに来ただけだよ】
【必要ない。アルファベットの名前をこれ以上覚える気はないよ】
日本人にしか見えない清乃が英語を喋り出すと、前に並んでいた女性がチラッと後ろを振り返った。
話の内容が聞き取れたか、もしくは清乃の冷たい口調からか、トラブルの気配を感じ取ったのかもしれない。
男もそのことに気づいたのだろう。簡潔に話をまとめた。
【では僕の素性だけ。将来ユリウスの義兄になる予定の者だよ。僕は今、その将来がなくなりそうな状況を憂えている】
男の右手が清乃の左腕を掴む。
清乃は無表情のままそれを見下ろした。
彼の右腕の一番細いところを掴み返す。清乃が唯一できる捻り技の出番だ。
残念ながら不発に終わった。
敵意のある男に中途半端な技は効かなかった。
そう思った次の瞬間、男の右腕が不自然な形に歪み、彼は清乃が当初想定した形でバランスを崩してその場に倒れた。
「やめてください。触らないで」
絡んできた外国人男性を、小柄な日本人女性が軽く捻って倒した。
そんな小気味のいい場面に見えたのだろう、周囲の朝食客がざわめく。
「お客さま」
慌てたホテルの従業員が駆けつけるのと、ユリウスが姿を現したのは同時だった。
「キヨ、大丈夫か。このひと知り合い?」
これはどう見えるのだろうか。
外国人を倒した女性の連れは、流暢な日本語を喋る美形外国人。何事か、と興味津々な視線を感じる。
清乃は背中に庇ってくれるユリウスを見上げて、事実だけを述べた。
「ううん。急に腕を掴まれてびっくりして」
【悪かった! 僕の勘違いだ。失礼するよ】
話を聞こうとする従業員を振り払って、男は朝食会場から出て行った。
被害者に見える清乃は気遣われたが、大丈夫です、お騒がせしました、の言葉だけで心配無用としてもらった。
その後は他の客の視線を無視する形でフルーツまで完食し、部屋に戻った。




