王子様の夏休み 5
海の家で受け取った五つのカキ氷を持たせて、誠吾を先に帰した。
清乃は残りの四つを載せたお盆と、ついでに大人組のビールのお代わりをビニール袋に提げて砂浜を歩く。
海で遊ぶのは三年振りだ。ビーチサンダルと素足の間に容赦なく侵入してくる熱い砂の感触が懐かしい。
地元には田舎の子基準で自転車圏内に海があったから、誘われたら行く、くらいのスタンスでそれなりに楽しんでいた。
当時の海遊びは日常の一部だったため、授業で使う水着の上にTシャツ、もしくは体操服、という適当な格好だった。
だから今回は悩んだ。
海である。
ユリウスたちは絶対に全力で遊ぶ水着スタイルで来る。清乃も水着を用意すべきか。カタリナはきっとビキニだ。似合うに決まっている。女ふたりしかいないのに、彼女だけを水着姿にさせてもいいのか。付き合いが悪いにも程がある。
だがしかし。
ユリウスの視線が気になって水着になりにくいというのは、自意識過剰とは言い切れないはずだ。そのくらいの自意識は持って然るべきだ。
清乃だって色々考えているのだ。フェリクスに言われなくても分かっている。
葛藤の末に、カキ氷を待つ間に脱いだUVカットパーカーを腕に引っ掛けた。
下に着ていたのは波模様の青いタンキニだ。ワンピースやビキニよりも体の線が出にくく、セットの黒いサーフパンツで太腿の大半を隠せる。
これくらいなら着れるでしょ、と友人が勧めてくれたホルターネックのものだが、背中の上半分が丸出しになる、と最初は躊躇した。
胸も腹もフトモモも隠すんなら背中くらい出せ、きよっちは白くて細いのがウリなんだから少しは見せてやれ、ユリウス君絶対期待してるから! と押し切られて結局購入したのだ。
遭遇しても馬鹿正直に紹介するんじゃなかった……と後悔してももう遅い。
友達、と正直に言ったのだが、ユリウスの懐き方を見た友人は誤解したままだ。
友人たちは清乃が金髪イケメンからの好意に尻込みしていると思っている。
ふたりの関係性にはもう結論が出ている、と言っても信じないのだ。まあ相手は夢のような美形だし仕方ないかと理解を求めることを放棄してしまった。
期待。
されているのだろうか。本当に? 服の上からでも丸分かりなぺらーんとした体に。いやいや、そこまでぺったんこじゃないし。ただ彼の周囲には、女性の理想型がたくさんいるから。それと比べればお粗末だというだけだ。
でもあれで彼も十代男子だ。顔以外は色々優秀なだけの、至って普通の男の子だ。
期待、しているのか。
なんかやだな。やっぱりパーカー着直してもいいかな。
清乃はひとりで悩み続け、そのため歩き方がゆっくりになっていた。
手元のカキ氷をひっくり返さないようにと人にぶつからないように、それだけは気をつけていたが、古い知人には気づかなかった。
三人組の男の視線には気づいていた。小麦色を超えた灼け方、いかにも海にいそうな、清乃の苦手な人種。何か言っている。
ああいう人種は、清乃みたいな地味な女はスルーするはずだ。何故見る。来るな。いや、マジで。
何故来る。
「杉田。やっぱり」
「…………高橋、先輩」
何故おまえがここに。
清乃は瞬時に離脱体勢に入った。
「地元じゃない海で会うのウケんな。おまえ誰と」
「友達待たせてるんで失礼します」
逃げろ。
カキ氷がひっくり返っても知ったことか。自分の身の安全が最優先だ。
早口で言い捨てて逃げる清乃を笑い声が追いかけてくる。
「ユースケめっちゃビビられてんじゃん」
「フラれてやんの」
ビビるわ。怖いから逃げるに決まってる。なんの事前準備も無しに奴に遭遇したら逃げるしかない。
早足の清乃を、何故か奴は追いかけて来た。
「おい、こぼれるぞ。っておまえそれビールか。チビがそんなもん飲んでいいのか」
「……あたしもうハタチですが」
言外に告げた、おまえ計算も出来ねえのか、に気づいた高橋が、顔を引き攣らせる。
高橋佑介は清乃の地元の先輩だ。小中と同じ学校に通った二学年上の男。
誕生日なんかは知らないが、二十二か三歳なのは間違いない。
「こいつが俺にビビるわけねーだろ。おい、こぼれるっつってんだろ。運んでやる、貸せ」
「結構です」
「うるせえ。先輩の言う事聞け」
「…………仲間にバラすぞ」
こっちを見てニヤニヤしているふたりは、清乃の知らない顔。つまり小学校区外の人物だ。
一か八か低い声で脅すと、高橋が眉根を寄せた。キレ顔。やばい、逆効果だった。
「てめえいつまでもガキのつもりで」
思わず身をすくめる清乃の前で、高橋が一歩後退った。
「キヨ」
急に影ができた。真後ろに救世主。
「ユリウス!」
清乃は素早くユリウスの後ろに回って、右腕にしがみついた。
なんて出来た子だ。さすが王子様。最高のタイミングで現れた。助かったけど、喧嘩はやめてくれ。右手は封印しておく。
「それ、あとはオレが運びます。ありがとうございました」
なんだてめえ、とやらなかった。えらい。スマート。王子様みたい。練乳がかかったヤツは君が食べたまえ。
「お、……おお。じゃあ」
ざまあ見ろ。高橋は百八十センチ近いガタイだが、最近また背が伸びたユリウスのほうが少し高い。まだ細いけど胸筋育成中らしいし。負けてない。
顔は弱そうな美形だが、ウチの子脱いだらそれなりにすごいんだ。海バンザイ。
見てる見てる。外国産の筋肉にビビってる。ざまあ見ろ。ゴリラさんじゃなかっただけありがたいと思え。
虎の威を借る狐でもなんでもいい。逃げてやった!
ユリウスの右腕を掴んだままの清乃を、気遣わしげな青い瞳が見下ろす。
「キヨ、大丈夫か。あいつに何かされた?」
「問題ない。ユリウスがすぐ来てくれたから。助かった。ありがとう」
「よかった。また余計なことをって怒られるかとも思ったけど。なんか様子が変だったから」
「ううん。ほんとにありがとう。助けてくれて嬉しい」
心の底からお礼を言う清乃に、ユリウスが戸惑っている。たまには素直にお礼くらい言えるのに。
「…………上着ておいたら? また絡まれたら」
水着の話か。奴には真夏の海で清乃が水着でいようとその上に毛皮のコートを着ていようと関係ないのだ。
「大丈夫。こんなの誰も気にしてない」
ユリウスだってこれといった反応を見せていない。やっぱり清乃の自意識過剰だったか。
『なんで他の男に先に見せるんだ。くそ。ムネ当たってるって絶対教えてやらないからな』
ユリウスが何か言っている。不躾な連中への罵り言葉か。
そこに因縁の相手がいる。
それだけで勃発する闘争も世の中にはあるのだ。
それから清乃はアホな十代に混ざってというか、日本人の平均を軽く越える長身の集団の真ん中に入り込んで周りからの視線を避けた。
海に入ってぷかぷか浮いていれば、視界が広がるため脅威が近づいたらすぐに気づける。なるべく沖にと誘うと、ユリウスたちは清乃の浮き輪を引っ張って泳いでくれた。
さっきのひとに会うのが怖い、隠して、と頼むと一気に剣呑な空気になった彼らに、隠して欲しいだけ、穏便に、と宥めて海に出たのだ。
こんな目立つ連中が日本で暴れたら、一発で警察沙汰になる。
『ふたりで腕組んで帰ってくるから何があったのかと思ったけど』
『キヨがナンパされてユリウスがキレただけ』
『キレてなかったろ。デレてた』
清乃にバレないように作戦会議か。戦意は助かるが、実行には移さないでくれと頼まなければ。
『まあアレは仕方ないよなあ。完全に当たってたし』
『……思い出さないようにしてるとこだから、黙ってくれるか』
「どうしよう誠吾。あんたあいつにバカは田舎に帰れバーカって言ってきてよ」
「戦争したいのか」
誠吾は嫌そうだ。まあこんな時期に問題を起こして、高校最後の試合に出られなくなったりするのは嫌だろう。
「……いっそのことそうするか。向こう三人だけだったから、この子たち並べれば戦わずして勝てるな。平和的解決」
「えっ戦っちゃう? 作戦練る?」
「ノるなロン。俺まだおんなじ町内に住んでんだぞ」
高橋は高卒で地元企業に就職し、現在社会人五年目のはずだ。高校は違ったためもう何年も顔を見ていなかったが、田舎のこと、噂はすぐに耳に入る。
【その男ってキヨのなんなの? DV気質の元カレとか?】
【次そういうこと言ったら、今日の夕飯オスカーの分だけ作らないから】
「ごめんなさい」
オスカーが早速勉強の成果を披露した。
【別に悪いひとじゃないんだよ。姉ちゃんが毛嫌いしてるだけ】
【ふうん?】
【あたし間違ったことはしてないもん!】
清乃が正義を主張すると、冷たい視線が集まった。
しまった。今のは完全に悪いことをした奴の台詞だ。