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王子様と芸術の秋 4

 会場からだいぶ離れたところで、フェリクスが急に清乃の頭を撫で回した。

【完璧だ! キヨ、おまえ天才だな】

 なんのだ。子どものフリか。

「それはどうも」

【これでしばらく彼女に会う機会はないからな。もう大丈夫だ】

 ずいぶんと上機嫌だ。

 肩の荷が下りてそんなにホッとしたか。

「結局どのひとだったの?」

【なんだ、分からなかったのか。ワインレッドのブラウス着てたブロンドがいただろう】

「え。一番綺麗だったひとじゃん。何が嫌なの、ってか断りたくないのに断らなきゃいけないから憂鬱だったのか!」

【そういうことだ】

「えー。それはかわいそう。やっぱりあんたも色々大変なんだね」

【何目線なんだそれ。とにかくそうやってキヨがうわあ美人、って眼で見上げてたから、向こうは食い下がりにくくなって、サラッと終われたんだ】

 知識が無さ過ぎて、どう振る舞えばちゃんとしていることになるのかも分からない場所だった。だから開き直って自由にしていたら、フェリクスの役に立ってしまったらしい。

「感謝しろ」

【その口と態度の悪さも良かった。預かりものに手を焼いている感を出せた。完璧だ】

「ヨカッタデスネ」

【礼に美味い物食べさせてやる。行くぞ】


 テンションの高いフェリクスが肩を抱こうとするから、清乃はその手を叩き落としてやった。

 こんな制服を着てスーツの外国人とくっついていたら補導されてしまう。

 そんなことになったら、成人してます、なんて恥ずかしくて言えない。

「いい。遅くなったら帰れなくなる。また貴重な原作本もらえるらしいからそれで」

【明日朝何か予定あるのか】

「特にないけど。今日は宿予約してないもん。帰らなきゃ」

【ならいいだろ。ホテル取ってやるから、打ち上げに付き合え】

「帰る」

 咄嗟に逃げの体勢に入った清乃の頭をフェリクスが捕まえる。


【別の部屋だ。安心しろ。まだトモダチだからな】

「友達じゃないしまだとか意味分かんないし」

【俺は今日、キヨのために美女の誘いを断った。健気な男に褒美が必要だとは思わないか】

 清乃のためってなんだ。自分のためだろう。

「今からあの美人追いかけて、フェリクスが好きって言ってましたって言ってきてあげる。結婚式には電報送るよ」

【彼女はもう車に乗ってるはずだ。残念】

「とりあえず手え放せ。何故いっつも頭を掴む」

【一番高いところにあるのが頭だから】

「当たり前のこと言ってんなよ」


 フェリクスは暴れる清乃の右手を捕まえ、芝居がかった仕草でおしいただいた。

【いいから逃げるな。本当に感謝してるんだ。礼をさせてくれ。レストランで食事にしよう。俺とは別の階に部屋を取るから。キヨは安心して、食べて寝てから帰ればいい。そのほうが楽だろう】

「本当に無理。これ以上は勘弁して」

 頑なな清乃の右手を、フェリクスはすぐに放して更に半歩離れた。

【……分かった。悪かった】

 超能力を使わずとも、フェリクスはひとの気持ちを容易く読む。

 普段ふざけていても、清乃が本気で嫌がったらやめてくれるのだ。悪い奴ではない。

「ふん」

【でもその服】

「……あ」

 中学生のコスプレ。このままでは帰れない。

【泊まらなくていいから。部屋で着替えてから帰れ。な】



 王子にしては控え目な選択なのかもしれないシティホテルで、清乃はフェリクスから部屋の鍵を受け取った。

 俺はこっち、と彼が見せてきた鍵には確かに別の階の番号が記されていた。

 俺は部屋で約束があるから、キヨの部屋には行かない。この後は泊まるも帰るも自由にすればいい。安心だろう。

 だそうだ。

 美人の誘いを断腸の思いで断った後、別の女性を部屋に呼ぶとは。

 ふーん、しか言えない清乃は、フェリクスがエレベーターに乗ったのを見届けてから、その隣のエレベーターに乗った。

 人目がなくなったのをいいことに、壁に寄りかかって目を閉じる。


 おかしいな。東京には就活しに来ただけのはずなんだけど。

 こんなお高そうなホテルに、中学生のコスプレで泊まるって変だろう。

(泊ま)

 ってしまおうか。せっかくだし。

 今から帰っても、どうせ散らかった部屋で本を読んで寝るだけだ。

 それくらいなら、高級ホテルの一室で同じことをしてもよくないか。

 いつもの習慣で、カバンの中に文庫本を二冊入れてあることだし。

 贅沢なバスルームでゆっくり湯に浸かって、これから化粧をする機会が増えてくるから、サボらずちゃんと保湿もしよう。

 明日のバイトは夕方からだ。始発の電車に乗らなくても充分間に合う。

(泊まっちゃおう)

 軽い振動と共に、宿泊階のボタンが点灯した。

 エレベーターに乗るまで尖らせていた精神をゆっくり緩めながら、清乃は開いた扉から足を踏み出

「!」

 せなかった。



 口を塞がれた。助けを呼べない。

(誰か!)

 誰かの助けがないと、清乃ではこいつに勝てない。

 清乃をエレベーターの中に押し込んでボタンを押しながら、フェリクスが柔らかく微笑んだ。

(何これ何こいつ! これ完全に強盗の手口!)

【キヨ、上の部屋からなら夜景が綺麗に見えるぞ】

 だからなんだ。古い話を蒸し返すな!

【つい半年前の話だろ。安心しろ、夢よりもイイ現実を見させてやるから】

 耳元で囁かれた低い声には、面白がる響きが混ざっていた。

 信じられない。油断した。こんな奴の思惑にまんまと乗ってしまった。

 清乃の目に涙が滲んだ。

 フェリクスは彼女の口を片手で覆ったまま、その様子を真上から見下ろした。

 形のよい唇が、意地悪くにやりと歪む。




【やり過ぎだ馬鹿】

 フェリクスの身体がくずおれた。


「………………え」

 唇をわななかせる清乃の前、低い位置でスーツの肩が細かく揺れている。

『フェリクスひどいわ! 女の子になんてことするの!』

「ごめん。フェリクスがごめん、キヨ。大丈夫か?」


「……ユリウス? ……と、ジェニファー様?」

 動いているエレベーター内に突然現れた美しい兄妹の現実感の無さに、清乃は目尻に溜まっていた涙をひとつぶ零した。

「やだ。泣かないで、キヨ。ほら、フェリクス謝りなさいよ!」

「いっ……意味分かんない。なんで? 何これ?」

 ユリウスに押さえられて床に膝を突き、肩を震わせて笑っていたフェリクスが清乃を見上げた。

【軍師を出し抜いてやったぞ。たまには俺も勝ちたいからな】

 清乃は無言で就活バッグを両手で持ち上げ、力いっぱい振り下ろした。

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