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王子様と盆休み 2

 お盆である。夏である。

 日本の夏は蒸し暑い。

 誠吾は日本以外の夏を経験したことはないが、外国から遊びに来た友人が言っていたのだから、定説は正しいということなのだろう。

「そろそろ電車が着く頃か」

 昼に素麺を食べた後、パンツ一枚で昼寝をしていた父が億劫そうに起き上がりズボンを穿き直す。

 クーラーの冷気を求めて居間で教科書を開いていた誠吾も、同じように服を着込んだ。

「俺も行く。帰りにコンビニでアイス買って」

「そんな高いの買わないでスーパー行って来なさい。箱で買ってお母さんにもちょうだいよ」

「はいはい」

 適当な返事をする父に、母がメモ用紙を押し付ける。

 買い物リストである。アイスはついでだ。こっちが本命。

 昭和半ば生まれの父はまともにお使いもできない、とよくくさされているから、今から迎えに行く清乃を当てにしてリストを作っていたのだ。

 暑いから外出したくないのだろう。

 あ、誠吾も行くのか、ちょっと待ってよ、とリストが付け足される。

 牛乳三日分。誠吾が飲む本数、ということか。烏龍茶一箱って十二リットルじゃねえか。

 そこのスーパーの駐車場は広いから、店の近くに車を停められなかったら厄介なことになる。まあだからこそ、男手を使えるタイミングを見計らっていたのだろうが。

「スイカも買っていい?」

「いいよ。お姉ちゃんと一個ずつ好きなお菓子も買っていいから」

「はーい。いってきまーす」


 普通乗用車は車庫内にあったにも関わらず暑かった。当たり前だ。外気が暑いのだ。

 エアコンが効くまで窓を全開にして走ると、涼しくない風が車内で暴れる。

 父の車にかかっているのは、いつもと同じ局のラジオだ。後部座席に座ってそれを聞き流し、見慣れた景色が流れるのを眺める。

 日常が流れている。上流(かこ)下流(みらい)右岸左岸(げんざい)も、日常しかない。

 これぞ平和である。素晴らしい。

 誠吾は最近、たまにこうやって日常のありがたみを噛み締めている。一度非日常を経験すると、いつもと同じ日々が当たり前のように繰り返されることの尊さが分かる。

 一時期は妙に優等生な気分になって、孝行息子として父母に接したこともある。一日で飽きて元に戻ったが。やっぱり日常が一番だから。

 運転席の父が話しかけてくる。

「おまえ今月頭清乃に会ってるだろ。何か変わってたか」

 娘の帰省を前に、親父が浮かれてやがる。

「前にも言ったろ。なんも変わってねえって。今更デカくなるわけでもなし、どう変わるんだよ」

 父が何を聞きたいのか、分かってはいるが誠吾は気づかないフリをした。

 娘に彼氏ができたか、なんて息子に探りを入れるな。イケメン外国人が立候補したときには笑っていたくせに。

 超遠距離をものともせずに付き合いが続いていると知って心配になってきているらしい。知るか、と言いたい。

「本当か」

「知るか。本人に訊けよ。もう帰ってくるんだから」

 清乃のことを可愛いと思っている男は、誠吾の知る限りこの世に四人存在する。

 早いもの順で、父、高橋(過去)、ユリウス、ロン。ああ、祖父もいたか。父とほぼ同時。五人だ。

 あのレベルにしてはまあまあな数だ。

 その全員が弟である誠吾から情報を引き出そうとするのだから、面倒なことこの上ない。

 知らん、本人に訊け、しか言うことがない。

 車は人家から離れた山の麓を走る道路を通り、駅を目指した。


「……あ?」

 誠吾は強く瞬きして、それを二度見した。

 道中見える墓地の前に、目を疑うものがある。

 あのアタマは。そしてもうひとつのあのアタマは。

 間違いない。間違えようがない。

「………………」

 誠吾はハーフパンツのポケットから携帯を取り出して、簡単な文のメールを送信した。

 今何してる?

 メールはなるべく分かりやすい日本語で送ってくれ、と頼まれている。勉強になるから、と。

 返信はすぐに届いた。

 実地研修。

(うむ)

 意味が分からん。

 つまり魔女関係の話ということだな。スルーしよう。



 普段は閑散としている田舎の駅は、帰省客でごった返していた。

 県外に進学、就職、結婚、様々な理由で実家を離れて暮らす人々が、一斉に故郷に帰って来る。

 誠吾も来年は迎える側でなく、迎えられる側になるのだろうか。なれるだろうか。大学に合格できるかどうかでそれは決まってくる。

 日常の隙間にじわじわと侵食してくる非日常(じゅけんべんきょう)に嫌気が差す。アホはアホらしく振り切って武闘派(まじょがり)になってやろうかと考えてしまう瞬間がある。

 自分が望む進路は、点数が足りなければ受け入れてもらえない。その冷たさに心が折られそうなときに、おまえはすごい、うちに来い、歓迎する、と言われたら、フラフラとついて行きたくなってしまう。

 悪魔(まじょ)の囁きに耳を貸しては駄目だと、そのたび自らを必死で律している。

 受験の段階の誠吾ですらそうなのだから、就職活動のことを考え始めている清乃の心の内はいかばかりか。

 まあラスボスのことだ。配下の心配など無用だろう。


 駅の改札から出てきた清乃は相変わらずの仏頂面で、去年も着ていたTシャツとジーンズという色気のないその姿に、父が安堵の息を吐く。

 ハタチにもなる娘に男の影(イロケ)がないことは、果たして喜んでいいことなのか。男子高生には男親の心理が理解できない。

「あっつー。向こう暑かったけど、やっぱりこっちも暑いわ」

 当たり前のことを言いながら、当たり前の顔をして弟にスーツケースの持ち手を渡してくる清乃。

 高校のクラスの背の順で前から三番目に並ばされる誠吾でも簡単に見下ろせる小柄な姉に、一応確認しておく。

「姉ちゃん、今日ユリウスとなんか約束してる?」

「? 別にしてないけど」

「あのキンパツの子か。王子なんて言ってる子と、今も仲良くしてるのか」

 平静を装って探りを入れてくる父を見て、清乃はさらっと流した。

「まあフツーに。でも誠吾のが仲良いんじゃないの」

 普通ってなんだ。普通の異性の友人は、同じベッドで寝たりしない。例え何もないんだとしても、というか何もないなら尚更添い寝なんかしない。

 父の前では言えないから、白い目で姉を見るにとどめておいた。

 顔をしかめてその視線を受け止めた清乃は、土産を入れた紙袋も誠吾に押し付けてきた。


 ユリウスは清乃に黙って来日している。

 フェリクスならともかくエルヴィラと一緒ということは、サプラーイズ、とやりに来たわけでもないだろう。

(実地研修、ねえ)

「とーちゃん、帰り違う道通って。スーパーの前に本屋行きたい」

「あっあたしも。欲しい本ある」

 言うと思った。欲しい本がないときなどない奴だ。絶対に賛成すると分かっていた。

 そして久し振りに会う娘の言うことなら、父がすぐに了承するのも計算済みだ。

 危険を察知した誠吾の機転により、墓地の前を通ることなく家に帰ることができたのだった。



 姉が帰ってきた。

 父は浮かれ、母も喜んでいる。当の清乃は平常運転のシラっとした顔だ。夏に見ると涼しくて悪くない、と帰省初日は誠吾も少し好意的な感情を覚える。

 アパートでは揚げ物なんか絶対しない、と言う娘のためにと、母がメンチカツの用意をしている。

 清乃の好物である。誠吾も好きだ。というか嫌いな男子高生はこの世に存在しない。多分。

 年中ダイエット中、の女子は避けたいメニューかもしれないが、清乃はそんなイロケを見せたことはない。痩せ型であるのをいいことに、彼女はいつだって好きなときに好きな物を食べている。

 ろくな運動習慣もないのに太らないのは、貧乏学生だからだ。自転車で大学に通いアルバイトに行き、生活のために働かなくてはならない。カロリーはそれなりに消費しているのだ。

 あとは、たまに寝食を忘れて読書に没頭する癖があるせいである。

 清乃はおそらく、ある程度強制的に動かなくてはならない環境に置いておかないと人間をやめる。

 誠吾の進学費用も残す必要があるため、清乃が受け取る仕送りの額はそう多くない。それは両親が娘の性質を憂慮したためもあるのではと誠吾は読んでいる。


「清乃、今回はいつまで居るの」

「十七日に向こう戻るつもり。明後日は夕飯いらないよ。同窓会があるから」

「そうなの? そういう予定は早く言いなさいよ。お父さんにお酒飲まないよう頼まないと、連れてってもらえないんだから」

「なんか急に決まったらしくて、今朝連絡きたの。中学の集まりだからすぐそこだよ。自転車で行く」

「いい。連れてってやる。清乃は夜自転車に乗ったら田んぼに落ちるだろう。恥ずかしい」

「その話いつまでする気」

 清乃は昔話のような言い方をするが、高校時代のやらかしである。結構最近の話だ。まだまだ言われ続けるはずだ。

 三泊四日か。

 小さな田舎町のこと、ばったり遭遇、となってもおかしくはない。

 見ない振り、よりも敵の出方を探っておくほうが賢明だろうか。危ない用件でなければ、普通に遊べばいいだけだし。

 でもどうするかな。スルーでいいか。

 君子危うきに近寄らず、だ。



 誠吾の自室にはエアコンがない。清乃の部屋にもないから、あまり激しく文句は言えない。

 網戸だけ閉めて窓を全開にしておけば、夜眠れないほどの気温にはならない。風がない夜は扇風機をつけてしのぐしかない。

 その日の夜もいつも通り窓を開け、暑さで回らない頭に見切りをつけて問題集を閉じた。外から入ってくる風は、昼間と違って心地良い。

 誠吾は更なる涼を求めて道路に面した窓の前に立ち、下敷きで顔を仰いだ。

 時刻は夜十一時半。

 遠くを走る車のヘッドライトは見えるが、家の前に人通りはない。

 田舎町はこんなものだ。夜遅くに遊ぶ場所などないから、誰も外出したりしない。たまにいるとしたら、酔っ払って帰ってくるオヤジたちくらいだ。

 そのはずだったのだが、誠吾の視界に眼を疑うものが映った。



(なんでこんなところに)

 まだ記憶に新しい、白いワンピースの後ろ姿。

 成田空港から車で数十分の距離の旅館。そこから車で二時間の海。三十分くらい走ったところにあった大型ショッピングモール。

 なんだっけ、あの名言。

 一度目偶然、二度目奇跡? 何度目から運命だっけ。

 誠吾は二度目で運命だと思った。三度目は少し訝しみながらも喜びが勝った。

 そして四度目。


 これは運命なのか? なんか違う気がする。

 これは。というかあの娘は。

 多分おそらく、否、絶対間違いなく。


「俺今日姉ちゃんと寝る……」

 はあ? と顔をしかめる清乃に懇願し、誠吾は姉の部屋の隅でタオルケットを頭から被って震えながら朝を待った。



「ゆーれー?」

 朝になって明るい部屋で、誠吾はラスボスに泣きついた。ボスは寝惚け面で配下の言葉を鸚鵡返しにした。

 清乃が帰って来たタイミングで良かった。本当によかった。

「間違いないって。俺アレに憑かれてる絶対。だっておかしいだろ。旅館、海、トイレ前に自宅前! あり得ないだろ。アレ、絶対振り返ったら顔がないかあっても口が裂けてるんだ!」

「妄想たくましい奴だな」

「姉ちゃんにだけは言われたくねえ!」

「朝からやめてよ、もー……」

 誠吾は二度寝の体勢に入る清乃に取り縋った。

「夜に言ったらこええじゃん。話してたら寄ってくるって教えてくれたの姉ちゃんだろ。朝が来るまで待ってたんだよ!」

「小学生か」

「だって幽霊だか亡霊だか魔女だか知らねえけど、実物見ちゃってんじゃん俺ら。存在を信じるとか信じないとかじゃなく知ってんじゃん」

「なんの話。夢でも見たの?」

「えっ……」


 なんの話って、魔女の話だ。あんな体験、忘れられるわけがないだろう。

 こいつは何を言って……

 訝しげな清乃に、誠吾は蒼くなった。

 え? あれ、あの、魔女とかの話だよ? 槍とか、血とか、金髪美女とか、あれ、え? どういうこと?

 全部誠吾の夢? 妄想?

 金髪美女は十代男子の妄想っぽいなと自分でも思ってた。でも夢ってどこから? 全部? 最初から? 最初ってどこ⁉︎


「泣くな。冗談だよ面倒臭い奴だな」

「姉ちゃんん!」

 本気で泣くぞ。高校生の弟が幽霊怖いって泣いたら、姉として恥ずかしいだろう!



「真夏の夜、白いワンピース。後ろ姿」

 誠吾の話を面倒臭そうに最後まで聞いた清乃は、彼の話をおさらいした。

「黒髪ロングではないのが唯一の救い!」

「誠吾にしか見えない」

「誰も見てないって言うんだよ……」

「すぐ消える」

「消えた! あ、って思った次の瞬間にはいなくなった!」

「もう確定じゃん。お祓い行くしかないんじゃない? 明日お経上げにお寺さん来るんでしょ。相談してみれば」

「冷たい! たったひとりの弟が祟られようとしてんのに! もっと親身になってくれてもよくないか?」

「やだよ。怖いじゃん。そういう話はフィクションだけで充分」

「もっと現実と創作の区別付かない感じになったほうが可愛げあっていいと思うぞ!」

「それ犯罪犯す奴な。区別は大事」

 いつも通り冷静な姉が、これほど頼もしく見える日が来ようとは。

 清乃ならなんとかしてくれそう。彼女を信じる者は救われる。

 アッシュデールの少年たちはチャラ男教に入信しているが、誠吾はそれを姉に禁じられている。代わりにラスボス教を信じるのだ。


「俺どうしたらいい?」

「さあ。話聴く限り、完全にあんたに憑いてるっぽいよね」

 清乃に憑いていたのは地縛霊だった。アッシュデールを離れてからこっち、彼女の周りに怪しい事件は起こっていないらしい。

 白いワンピースの少女の幽霊が誠吾に憑いているのだとしたら、彼に安息の地はないということになる。

「どうしたらいい!」

「さあ? あんた憑かれるような心当たりないの? 肝試ししたとか、事故現場でなんかやらかしたとか。あっ生霊かもよ。最近女の子に恨まれるようなことしてないの?」

「ねえよ! ゆーれーも女子も接点なんかねえよ!」

「哀れ」

「特殊趣味なキンパツに言い寄られたからって調子に乗んなよ!」

「やっぱ怖いから、今日アパート戻ろうかな」

「ごめんなさいごめんなさい! 神様仏様美しいお姉さま!」

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