第80話 ソンム・ド・フルール河畔の戦い3
サルヴィアはGという制約がある中で戦わねばならない一方で、ユーリカ少佐はGなんてお構いなしの急機動を繰り返す。
このまま単純な格闘戦を繰り返していても遅かれ早かれサルヴィアが撃墜されるのは目に見えている。
故にサルヴィアは急降下してビルとビルの間を縫うように回避していく。
ちょっとの手元のブレでもビルに衝突して落ちるというサルヴィアもやっとのことで出来ているというまさに曲芸飛行だ。
そうであるにもかかわらずユーリカは悠々とついてくる。まるでコンピューターのような正確さだ。
ビルの間や、ビル間の空中通路の下などをくぐり、後ろから飛んでくる機銃弾をギリギリで回避する。
時折聞こえるバチッバチッという弾丸が跳弾する音がサルヴィアの心臓を締め付ける。
「——っ! 何だこれは!?」
サルヴィア自身人間離れした曲芸飛行をしているが、それについてくるユーリカ機はまさに異常だ。
それこそ前世のフライトシューティングゲーム『スカイアサルト』のポストストールマニューバを多用してくるラスボスのような異常な動きなのだ。
まさにSFのような話だが、おそらくユーリカは人体改造、もしくは電脳化していると思われる。
であればこの人間ができるとは思えないような異常な機動も、どれだけのGをも耐えられるという事も、死んでも予備はとってあるという事も説明が付く。
先ほどの支離滅裂な会話からおそらくもはやユーリカ少佐の意識はほとんど残っていない可能性が高い。
つまりもう機械に近いという事だ。
人間にあって機会にない物、それは柔軟な発想だ。
サルヴィアはビルが倒れてできた、ギリギリ通れるか通れないかの隙間を通り抜ける。しかしそれにユーリカ機は付いてくる。
「——っ! クソっ! これについてくるのか……! ……だがこれならっ!」
サルヴィアは大通りを右に曲がり、サルヴィアは一気にスロットルレバーを引き、急減速する。
恐ろしい程の加速度で眼球が飛び出しそうな思いの中、意識を無理やり引き留めてサルヴィアは操縦桿を引いて急反転する。
ストールすれば間違いなく墜落するし、かといって減速が不十分であればこれから曲がってくるであろうユーリカに隙を与えてしまう。
失速するかしないかを維持すべくスロットルレバーをかなりシビアに操作する。
幸いなことに完璧に急反転し、サルヴィアはユーリカが来るであろう曲がり角に機首を向ける。
サルヴィアが機体を反転して一秒も経たないうちにユーリカ機はその姿を見せる。
「よし……! 取った!!」
ビルとビルの間は大通りと言えど狭い。そのため照準はもう定められている。サルヴィアは弾かれたかのようにトリガーを引き、ありったけの弾を撃ちこむ。
放たれた弾丸はユーリカ機の主翼に命中し、主翼を根元近くからもぎ取る。
「殺った……!」
肩で息をしながら極限状態で過剰分泌されたアドレナリンが脳を満たす感覚の中サルヴィアは歓喜の声をあげる。
「ふっ……流石……、でもまた今度殺しに行く……。サルヴィアさえ殺せば私独りだけでライデンシャ——」
しかし驚くべきことにユーリカ機は片翼だけでしばらくの間飛行し、広域無線で言葉を残して正面のビルにぶつかって爆ぜた。
本来片翼を失えば真っ直ぐ飛ぶことは不可能に近い。それをやってのけたのだ、恐ろしいまでの操縦技術である。
不意打ちが出来ていなければ間違いなく殺されていたとサルヴィアは思わず身震いする。
サルヴィアも死ねるとはいえ、あと二回しか死ねないのだ。これが雷神相手であればいいが、まだ雷神は生きているためこんなところで無駄に残機を減らすわけにはいかない。
金糸のような髪に染み込んだ汗を荒々しく手でぬぐいながらサルヴィアは次の命令を下す。
「諸君……すまないな。……なかなかてこずってしまった」
『それにしてもアンタ、あの機動はエグいわね……』
少し引いたようにシティスは言う。
『ほんと、サルヴィアの空戦は初めて見たけど……これは流石としか言えないよ……』
続けてガブリエラも言う。二人ともそう言うが、正直サルヴィア自身も驚いている。
まさにあの瞬間は異常だった。確かに前世のゲームではトンネルをジェット機でくぐったり、狭いビルとビルの間を通り抜けたものだが、まさか現実であれをする羽目になるとは、そして現にできてしまうとは思ってもいなかった。
自分がゲームの主人公になった気分で気持ちが実にいい。驚きに遅れてやってきた達成感に思わずサルヴィアの口角は弧を描く。
「褒められるのは私としても嬉しいが、今日のところは帰還するぞ。燃料がカツカツでな。……HQ、こちらヴァルキリー隊。帰還許可を求む」
『こちらHQ、帰還を許可する。後方のクレンシーの仮設基地に帰還せよ。ヨルムンガンド戦闘団傘下の地上部隊も帰還を許可する』
「了解。……よし、お堅いHQも帰っていいとのことだ。地上部隊も今日のところは引き揚げろ。あとは陸軍さんに任せるんだ」
『了解しました』
「よろしい。明日もなかなかの激務になると思われる。今日は良く食って早く寝ろ。いいな?」
『『『『了解!』』』』
そう言ってサルヴィアは少し後方にあるクレンシー村の近くの仮設基地へと機首を向ける。
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——太平暦1724年 8月25日 クレンシー仮設基地
村の家屋を借用し設置したブリーフィングルームでサルヴィア達はデブリーフィングを行う。
「今回各部隊長から報告はあるか?」
サルヴィアが聞くとクルト少佐が手を挙げる。
「私から一つよろしいでしょうか?」
「あぁ、クルト少佐か。どうした?」
「様々な装備を配備していただいた上でさらに申し上げるのは恐れ多いのですが、恐れながら我々歩兵部隊は機動力に欠けるかと思います」
クルト少佐率いる第113歩兵大隊は純粋な歩兵部隊だ。故にそれほどまでの機動力は無いと言ってもいい。
「ふむ、今のままではいけないのか?」
「はい。我々は普通の歩兵部隊と違って戦列を組んで、戦闘するのではなく、敵陣に突っ込んで敵の戦列に穴を開ける矛の役割だと中佐殿はおっしゃいましたよね?」
「あぁ」
「であればもっと機動力が要るのです。無理にとは申しませんが兵員輸送車などを配備していただけたらなと考えております」
説明されてサルヴィアは盲点だったなと内心後悔する。確かに先陣を切って突撃するのであれば機動力は必須と言ってもいい。
そして先陣を切るならばある程度の装甲も要る。そう考えたサルヴィアはある提案をする。
「なるほど、了解した。ただちに手配しよう。そうだな……開発中の兵員輸送車で機銃弾程度なら防げる装甲を持った装甲兵員輸送車というのがあるが、それはどうだろうか?」
「それは喉から手が出るほど欲しいものですが……、そんなに新兵装を毎度いただいてもよろしいのですか?」
少し遠慮気味なクルト少佐の顔を見て、この部隊が今までどんな扱いをされてきたのかを察する。
やはり捨て駒扱いされていたという噂は本当だったらしい。だが、そんな地獄を生き抜いてきた彼らだからこそこれほどまでに強く研ぎ澄まされている。
サルヴィアのヨルムンガンド戦闘団にとっては恐ろしく貴重な戦力だ。
「あぁ、貴官らはヨルムンガンド戦闘団の重要な戦力だ。失うわけにはいかない」
「——っ! ありがとうございます! 今後も全身全霊で奮戦させていただきます!」
今にも泣きそうな表情で敬礼をするクルト少佐の勢いに若干気圧されるが、彼の感謝は十分に伝わってきた。
「あぁ……、直ってくれ。……で、他に報告は?」
「私からは……。そうね、ユーリカ少尉の事かしら……」
少し表情に影を落としながらシティスは言う。
それもそうだ、ユーリカ少佐は士官候補生学校を出てすぐのサルヴィア、シティス、フィサリスが着任した第144中隊の先任少尉だったのだ。
サルヴィアとしても残念であること極まりない。
「残念なことは分かるが、もう敵になってしまったんだ。仕方ない。それに無線で聞いていたと思うが、彼女は何度も蘇って挑んでくるぞ」
「にわかに信じがたいことですが、あの機動を見る限りおそらく本当なのでしょうね」
そう言うストレリチア中尉にサルヴィアは肯定する。
「あぁ、ストレリチア中尉の言う通りだ。おそらくもう彼女は人間を止めている。彼女が現れたらとにかく生き残ることを最優先にしろ」
「「「「了解」」」」
航空部隊で情報共有を済ませたところでクルト少佐が尋ねる。
「そのユーリカってのはそんなに強いんですか?」
「あぁ、正直私でも今回勝てたのは運がよかったとしか言えない」
「中佐殿が……。我々地上部隊の自走対空砲が活用できませんかね?」
クルト少佐の提案に思わずサルヴィアは驚いた少女のように目を大きく見開くという年相応の反応を見せる。
「なるほど……! 確かにその案はいいかもしれん」
斯くしてサルヴィアは次までに必要な装備品のリストをまとめ上げる。