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第70話 外交交渉

——太平暦1724年 7月25日 在ベルファスト臨時大使館


「エーリカ大佐本日はよくいらっしゃいました」


「こちらこそ急な訪問を受け入れて下さり感謝します、ネービリア・チェンバレル大使」


 エーリカ大佐はにこやかな笑顔を張り付け、人生で初めてとなる外交というものを相手に奮戦していた。


 エーリカ大佐もそうだがこの世界の人間で外交というのを経験したことのある人間はほとんどといっていい程いない。


 故にチェンバレル大使もたじたじといった様子である。


 元はといえば皆が軍人なのだ。軍人故に国の上層にポストを持っている。


 そんな初めての外交という難題を任されたエーリカ・レーナ・グリュンシュタイン大佐の目的はグロース・ベルファスト王国・ライデンシャフト共和国間の同盟を結ぶことである。


 如何せん同盟というものの概念がわからないエーリカ大佐に言われたのは「グロース・ベルファスト王国と『お友達』になってこい」という大雑把極まりない説明であった。


 だがとにかく具体的な今回の目的は王国が今回の戦争で敵として参戦することを防ぐという事、そしてあわよくば仲間としてこの戦争に参戦してもらうという事である。


 このことについては同盟という物の説明を命ぜられたサルヴィア少佐から直接の電文で説明を受けてようやく理解した程度である。


 よって、目下エーリカ大佐が着手すべきはこのチェンバレル大使と『仲良く』なることであった。


「いや、本日はお日柄もよく。あぁ、これはお近づきの印に」


 そう言ってエーリカ大佐が手渡すのは金メッキが施された拳銃。


 軍人であれば誰もが喜ぶ一品。無論元軍人であるチェンバレル大使の顔にも喜びが浮かぶ。


「これはこれは実に立派ですな。いやぁ、私が陸軍に所属していたころはついぞこの手の物はもらえませんでしたからうれしい限りです」


 まずは第一歩、そして何事も交渉の際にはアルコールこそが状況を変え得る。故にわざわざ割れないように丁寧に梱包して持ってきた年代物のワインを取り出し食事に誘う。


「実は上官の棚から土産物という事でいいものを持ってきまして、年代物のワインなのですが、お食事でもいかがですか?」


 もちろん上官の棚からくすねてきたというのは冗談である。だが元軍人ならばこの手の話は好まれる。


 特にチェンバレル大使はもともとは下士官上がりの人間という事は調査済みだ。この手の話は嫌いなはずがない。



 素晴らしいワインを最悪な食事とともに飲む。


 このワインの価値を知っているためにエーリカ大佐は心の中で大きなため息をつく。


 この地域の料理がマズいというのはインダストリーの時代から知っていたが、どんなにマズくてもせいぜい戦闘糧食程度だろうと思っていた。


——だが現実は違った。


 魚の生臭さにラードの脂っぽさが最悪な形でマッチしている白身魚のフライに、細長い魚をぶつ切りにしてゼリーで固めたという食材への侮辱ともとれるような冒涜的な料理の数々。


 それで一級品のワインを消費、いや、浪費するのだ。まさにこのワインは犬死といってもいい。


 だがここでマズいと料理を残すわけにはいかない。


 これも仕事だ、と言い聞かせながらぎこちない笑顔を張り付けてエーリカ大佐はワインで口の中の物を流し込む。


 そんなエーリカ大佐を見て苦笑いしながらチェンバレル大使は口を開く。


「いや、申し訳ありません。正直私としてもインダストリーの時の糧食の方が美味だと分かっているのですが、なにぶんこの地域の料理はマズくていかんですな」


 分かっているのなら何故こんなものを出したのかと問い詰めたくなる気持ちを押さえてエーリカ大佐は笑顔で話す。


「いえいえ、今は建国して間もないですからね、我が国もそこまで食糧事情は良くありませんよ。……そんな事よりもグラスが開いておられる。せっかくですからたくさんお飲みになってください」


「これはこれは、ご親切にどうも。それにしてもこのワインは実に美味いですな」


「えぇ。私もできればこれを常飲したいと願うばかりです」


 そろそろであろうか?


 だいぶチェンバレル大使は酔いが回って来たかに思える。


 そう判断したエーリカ大佐は意を決して今回の訪問の目的について切り出す。


「もう少し料理を堪能したいところですが、大使にもお時間がありますでしょうし、そろそろ本題について話させていただきます」


 その言葉を聞いて大使の目つきが変わる。流石は元軍人。酒に流されてしまう程度ではなかった。


 ここからは正真正銘の外交交渉である。


「まず我々、ライデンシャフト共和国の要望を述べさせていただきます。大前提として今回の戦争にフランツェス側として参戦していただきたくない次第であります」


「なるほど、もしも仮に我々があなた方の敵として参戦した場合は?」


「無論、敵として処理させていただくこととなります」


 あえて強めの語気で話す。我々は本気なのだと示すべく。


「……先のシックザールのようになると、そう言いたいわけですな?」


「えぇ」


 この返事には「我々と敵対したら焦土にするぞ」という意味が込められている。


 外交とは何と恐ろしいものか、たった一人の発言次第で何万という人間の生死が決まるのだ。


 その重責に押しつぶされそうになりながらもエーリカ大佐はしっかりとチェンバレル大使の眼を見据える。


「ちなみにあなた方と敵対しないメリットはあるんですかな?」


「あなた方の国が無用な出血を押さえられます」


「なるほど。……もしも仮にライデンシャフトの味方として参戦した場合はどうなるのですかな?」


 思ったよりも早い目的の言葉に内心エーリカ大佐はたじろぐがしっかりとそれを気取られないように言葉を紡ぐ。


「勝利という栄光を、平和を手にすることが出来ます」


「…………何とも、甘美な響きですな。『平和』というのは」


 なかなかの好感触。しかしまだグロース・ベルファスト王国がライデンシャフトの味方として参戦するという事はおろか、敵として参戦しないという保証すら取りつけていない。


 故に油断は禁物である。


「ちなみにライデンシャフト共和国がフランツェス帝国、そしてR&Hインダストリー相手に勝つという勝算はどこに?」


「まず第一にインダストリーはもはや風前の灯です。先のシックザール市街戦で多くの戦力を削りました。そしてフランツェス帝国ですが、かの国はそもそも戦力そのものが足りていません。今でも前線では十歳に近い少年兵、少女兵が戦っており、敵の部隊長を討ち取ったのち降伏勧告をすればあっさりと降伏するといったあり様です」


 インダストリーの件については本当であるがフランツェス帝国の件については半分ほど嘘である。


 フランツェスで人員が不足しているのは空軍だけで、陸軍はライデンシャフトとほぼ互角かそれ以上という状況である。


 ここにグロース・ベルファスト王国が敵として参戦したらライデンシャフトが敗北するのは明らかだ。


 故にこちらが完全な優位に立っていると示さなくてはならない。フランツェス帝国には勝ち目がないと、味方をしても何のメリットもないと示さなくてはならない。


 外交においてはコネや社交性ではなくメリットとデメリットこそが物を言うとサルヴィア少佐からの電文には書いてあった。


 それを忠実に守りながら慎重に事を進めていく。


「ふむ……。ですが、ライデンシャフトの切り札はかの超大型機だけなのでしょう? これでは完全に優位に立っているとは言えないのではないですかな?」


 確かにそうだがエーリカ大佐はこの発言のためにある切り札を残している。おそらく外交において、軍人にとって、かのヴィルベルヴィントよりも強力な切り札を。


「我々にはかの戦乙女——第666戦術特別飛行大隊『ヴァルキリー』が付いております」


「トラント沖海戦において舩坂の艦隊を一方的に撃破した戦乙女たちですか……」


 おそらく元インダストリーの軍人で知らないものはいないであろうサルヴィア少佐のヴァルキリー大隊。


 666大隊の名を聞いて明らかにチェンバレル大使の顔色が変わるのが見て取れる。


「実は私もかのサルヴィア少佐には助けられた口でしてね……。フィリアノス要塞攻略戦の時私はあの塹壕に居まして、まだヴァルキリー大隊として名を馳せる前の彼女たちに救われているんですよ。彼女たちがいなかったらあとどれほど戦闘が長引き、どれほどの血が流れていたか分かりませんからな。まさに我々陸軍にとっては戦場の女神でしたよ」


 そうしみじみと語るチェンバレル大使の顔を見てエーリカ大佐は今回の外交交渉の成功を悟るとともに、心からサルヴィア少佐に感謝する。


 しばらく俯いて悩んだ末チェンバレル大使は秘書にある物を持ってこさせる。


 敵として王国が参戦しないという条約の議定書である。


「まずは我々の王国があなた方の敵として参戦しないことをここに約束させていただきます。そして友軍としての参戦についてですが、それは後日議会の審議を通してもよろしいですかな?」


「もちろんです! 迅速な決断のほどありがとうございます!」


 そうしてエーリカ大佐は制服の内ポケットから取り出した万年筆で議定書にサインする。


 意気揚々と署名するエーリカ大佐を見ながらチェンバレル大使はゆっくりと口を開く。


「実はここだけの話フランツェス帝国からも味方として参戦するよう要求されておりましてな。……いやはや外交というのは何とも難しいものですな」


「……全くです」


 平然と言うエーリカ大佐であったが内心焦りを禁じ得ない。


 なんせ外交官として派遣されていなかったらグロース・ベルファスト王国は敵国としてこの戦争に参戦していたのだから。


 このことを予見して自身を王国に派遣したエミリア閣下、エメリアノヴァ閣下の慧眼には恐れ入る。


 国家という概念が無かったのにも関わらず同盟というものを考えるのだから。


 まさに異世界の知識でもあるんじゃないかと考え、エーリカ大佐はそんなことないか、と軽く笑う。


 異世界なんてまさにファンタジーの極みのようなものなのだ。


 そんなファンタジーがほんとにあるのならきっと神は存在し、人類はこんな戦争をしていないことだろう。


 もしもそんな神が存在してこんな平和をめぐる戦争をさせているのだとしたら何と悪趣味な神であろうか?


 しかし今はそんなどうでもいいことを考えエーリカ大佐はもう一度二つのグラスにワインを注ぎ杯を掲げる。


「王国に、共和国に、平和に」


「「乾杯!」」


 この日、この世界で初となる不可侵条約が結ばれた。

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