第66話 地獄を創り得る少女たち
サルヴィアは眼下に広がる市街地を見る。
この街はかつてサルヴィア、シティス、フィサリスがいた士官候補生学校のあるシックザールから近いという事もあり何度か訪れたことのある街だ。
そんな街が今では戦場になっている。シュタイン・シュタットほどではないがここもそれなりの民間人が住んでいる街だった。
それが今ではいたるところから煙が上がり、大通りでは銃撃戦が行われ、戦車が乗り捨てられた自動車を踏みつぶして前進している。
そんな民間人に一切の配慮がない戦闘を見て、ついに見世物ではない戦争が始まったんだなと改めて実感する。
「ブリュンヒルデ01より大隊各機。被害報告」
『スルーズ隊、一機被弾。されど損害は軽微』
『フリスト隊、一機中破、フリスト11の帰還を具申します』
『ランドグリーズ隊、損害は無し』
「よろしい。フリスト11は僚機と共に帰還せよ。……ヴァルキリーよりHQ。一機被弾、僚機と共に帰還する」
『HQ了解。地上部隊より航空支援要請が来ている。大通りに面しているマンションに敵が立てこもっている。爆撃してくれとのことだ』
大通りを見てみると確かに地上部隊がマンションの前で足止めを喰らっている。
しかしマンションへの爆撃。おそらくまだ逃げ遅れた民間人もいることだろうと思いサルヴィアは一応確認する。
「逃げ遅れた民間人がいるんじゃないか? いるんなら間違いなく民間人は死ぬと思われるが、そこはいいのか?」
『あぁ。気にするな。避難勧告は先に出ているはずだ。逃げ遅れたものがいたなら……そいつらの責任だ』
返ってくるのは同じ人間とは思えないような冷淡な返答。だが致し方ない、この世界の人間は本物の戦争というのを知らない故に歯止めが効かないのだから。
「……了解した。ブリュンヒルデ01よりランドグリーズ01。あのマンションを瓦礫に変えてやれ」
『了解! 第四小隊で爆撃しろ。無駄弾は使うなよ』
グロリオサ大尉の命令に四機のMu87が急降下していく。
切り離された爆弾は綺麗にマンションに突き刺さりレンガでできた綺麗なマンションは土煙と共に崩れ落ちる。
土煙が晴れて完全に跡形もなくなったマンションが見えたところで無線が入る。
『こちら地上部隊。あの黒い機体はもしかして戦乙女か!?』
若い男子の声。空軍は女性のみ、海軍は男性のみで構成されているが、陸軍は男女混成だ。
「あぁ、こちらはヴァルキリー隊だ」
『おぉ! まさか戦乙女様に逢えるとはな! 良い爆撃だった、支援感謝する!』
「了解した。地上部隊の健闘を祈る」
味方からまさに戦場の女神のように扱われるのは嬉しくないことはない。まるで前世で好きだった空戦ゲーム——『スカイアサルト』の主人公にでもなったような気分だ。
そう思った瞬間サルヴィアは気が付く。——自分もこの戦争を楽しんでいるのではないかと。
そんなサルヴィアの心の悪魔は囁く「楽しんだ方が気が楽だ」と。
心の中での自意識の会議を無視してサルヴィアは周辺警戒をする。
遠方に一機の大型機が見える。爆撃機であろうか? そう思ったサルヴィアは司令部に確認を取る。
「こちらヴァルキリー。遠方に一機の大型機が見える。敵味方の照合を頼む」
『HQよりヴァルキリー隊。当該空域に貴隊以外の航空機はいない。よって未確認機を敵機とみなす。撃墜せよ』
「民間機だった場合はどうする気だ?」
『戦時下に戦闘空域にいる方が悪い。撃墜して構わない』
「了解した」
そう言ってサルヴィアは命令を無視して撃墜することなく不明機に接近する。
横に並んでみると明らかに民間機だというのがわかる。おそらくはテレビ中継用の機体だろう。
ふと窓を見てみると綺麗なドレスを着た幼い少女が不安げにこちらを見ている。おそらくは料金を払って観戦させてもらっているのだろう。
つい最近までは金持ちは大金を払って撮影用の機体に乗って生の戦争を観るというのが当たり前だった。
そしてそんな民間機は絶対に攻撃されないし、ここまで接近されることはない。
親に連れられてこの戦場を観に来たのか、そう考えると何とも可哀そうである。
今にも泣きそうな少女にサルヴィアはキャノピー越しに笑顔で手を振ってみる。すると少女は小さく手を振り返してくる。
少しは安心できただろうか? そのままスロットルをあげてコックピットの横に並び、無線で呼びかける。
「こちら第666大隊、大隊指揮を務めるブリュンヒルデ01だ。民間機、今すぐにこの空域を離脱せよ。司令部から撃墜命令が出ている。客室に乗っているお嬢さんに免じて逃がしてやるから、死ぬ気で逃げろ」
『こちらエーデル。このスクープは逃せない。離脱を拒否する』
何と言ったのだろうか? サルヴィアはこの機長の神経を理解しかねながらももう一度、今度は強めに警告する。
「逃げろと言っているんだ! こちらは本気で撃墜する気なんだぞ! 後ろに民間人を乗せているだろうが!」
『こちらエーデル。では何故撃墜しない? 撃墜できないからではないか?』
どうやらこの世界のマスコミもスクープを前にすると極度に知能指数が低下するらしい。確かにサルヴィアは本気で撃墜する気はないが、他の機体に撃墜される危険があるのだ。
「最後の警告だ。速やかに当該空域から離脱せよ」
そう言ってサルヴィアは機銃を何発か前方に放つ。
ようやくこちらが本気だと分かったのか機首を動かして戦闘空域から離脱を始める。
離脱を始めた機体の窓から少女が少し安心したかのような、ぎこちない笑顔で手を振っている。
それにサルヴィアも手を振り返そうとした瞬間、何発もの曳光弾が民間機に突き刺さり、少女が顔をのぞかせていた窓はベットリと血で朱に染まる。
突然のことに一瞬脳がフリーズするが、サルヴィアはすぐに声を荒げる。
「こちらブリュンヒルデ01! 誰が撃った!?」
『こちらスルーズ03。司令部より撃墜命令が出ていたので撃墜しました』
さも当たり前だと言わんばかりに答えるスルーズ03に他の大隊員から「美味しいところを持っていかれた」だの「今のはノーカンでしょ」といった声が上がる。
……皆狂ってしまった。戦争に大義名分ができてしまったばかりに今までの狂気に拍車がかかったのだ。
しかし今更騒いでも後の祭りだ。先ほどまで飛んでいた大型機は炎に包まれながら空中でバラバラになって地上に墜ちた。
できるだけ感情を殺してサルヴィアは司令部に報告する。
「ヴァルキリーよりHQ。民間機を撃墜した、繰り返す。民間機を撃墜」
『よくやった。引き続き戦闘空域で待機せよ』
「了解」
あの少女は最期何を思ったのだろうか? できれば一思いに即死だったらいいのだが。
様々な思いがサルヴィアの中で乱反射する。そして可能な限り怒りを抑えながらスルーズ03に問いかける。
「こちらブリュンヒルデ01。スルーズ03何故撃墜した?」
『司令部からの命令だったからです』
「民間人が乗っていたのだぞ?」
『ですが少佐の退避命令に従っていませんでした』
「…………もういい。大隊各機に通達する。民間人は極力殺すな。それはライデンシャフトの民間人だけではない。インダストリーの民間人もそうだ。わかったな?」
『『『『……了解』』』』
いまいち納得がいっていない様子の大隊員に自分の価値観との恐ろしいまでのギャップを感じながらサルヴィアは額を押さえる。
・
・
・
その後は当該空域に敵戦闘機が来ることはなく、時折入る地上支援要請に答えながら淡々と戦争をこなしていった。
『HQより展開中の全機に告げる。地上部隊は都市を制圧した、繰り返す。地上部隊は都市を制圧、我々の勝利だ』
その勝利宣言に多くの歓声が上がる。しかしサルヴィアは素直に喜べない。なにせ誰も自分たちが真の地獄を創っていることに疑問を抱いていないのだから。
『ヴァルキリー隊、帰還せよ』
「ヴァルキリー了解。これより帰還する」
基地に帰り大隊員を滑走路脇に集める。
「諸君、今回我々は初めて見世物ではない戦争を味わったわけだが……。貴様らは本当に平和のために戦っているのか?」
その問いかけに多くの物が頷く。
もう手遅れなのかもしれないがと思いつつもサルヴィアは続ける。
「私たちはトラントでの地獄を見て平和を求め、ライデンシャフトに加わった。だが今はどうだ? 我々が地獄を創っているじゃないか」
その言葉に多くの者がハッとした表情を浮かべる。
「今回、地上の民間人の被害は致し方ない部分もあったかもしれない。だが、あの民間機は墜とさなくてもよかったはずだ。あのまま撃墜したと報告すれば隠し通せた。命令に盲目的になるのはやめろ。まず自分の頭で考えろ。いいな?」
サルヴィアの言葉にようやく自分たちがしたことを理解したのか多くの者が涙を流す。まだ自分たちがしたことを後悔し涙を流せるだけマシなのだろう。
当たり前のことを言っただけだが、彼女たちはまだ十四から十七歳。平和な世界では高校生をしている年齢なのだ。
そんな彼女たちが『殺し』を完全に理解できているはずがない。
故に大隊で最も精神年齢が高いサルヴィアが教えていかなくてはならないのだ。人を殺し、殺されるという事を。本物の戦争というものを。
「今回のスルーズ03のことは不問とする。ただ、皆よく考えてこい。自分たちが地獄を作り上げることが出来得るという事を。では解散」
大隊員の嗚咽を背中で聞きながらサルヴィアは自室へと向かう。




