第64話 終わりの始まり
——太平暦1724年 7月3日
「諸君も知っての通り、ライデンシャフト共和国が建国された」
平和を謳う国の登場に大隊の多くから歓声が上がる。
それもそうだ、つい最近トラント沖海戦で多くの民間人の血が流れるという地獄を見ているのだ。多くの者が平和というものを渇望していることだろう。
だがサルヴィアは知っている。この後どれほどの地獄が待ち受けているかを、平和への道のりが長く、そして険しくなってしまったことを。
故にサルヴィアだけは眉間にしわを寄せて渋い顔を浮かべる。
「そして我々はR&Hインダストリー空軍から抜けてライデンシャフト共和国空軍に編入となる。ライデンシャフト共和国のもとで戦いたくない者がいるのならただちに退役することができるように計らおう。後は民間人になるなり、R&Hインダストリーのもとで戦うなり好きにしてくれていい」
サルヴィアの提案に手を挙げる者は誰一人としていない。それどころかライデンシャフト共和国の建国を歓喜しているというのがひしひしと伝わってくる。
最後に皆の覚悟を問うためにサルヴィア濁った瞳で全員を一瞥したあと大隊員に語りかける。
「喜んでいるところに水を差すようで申し訳ないが、ここから先は地獄だと思え。想像を絶するほど多くの血が流れ、トラント軍港での地獄のようなものが当たり前になってくる。……それでも皆はライデンシャフトのもとで戦う覚悟はあるか?」
「…………私は戦います! ライデンシャフトのもとで、平和のために!」
サルヴィアの問いかけに大隊のなか一つの声が上がる。それに呼応して次々に「私も!」「平和のために!」という声が上がる。
本人たちが戦うというのならもうサルヴィアは止めることはできない。おそらくこの中のほとんどがこの先の地獄に絶望していくだろう。
だが彼女たちは覚悟ができたといったのだ。その意志を尊重しないわけにはいかない。
サルヴィアは内心苦虫を噛み潰すおもいであったが、平静を保って宣言する。
「よろしい。では我々はただいまを持ってライデンシャフト共和国空軍第一航空師団第666戦術特別飛行大隊となった。諸君らの一層の奮戦を期待する!」
「「「「はっ!」」」」
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自室で一人サルヴィアはコーヒーを啜る。少し背伸びをして買った普段よりも上質なコーヒー豆を使ったはずのそれは前線で啜っていた代用コーヒーのように渋いだけだ。
コーヒーがまずいのではない。サルヴィアにそれを味わう余裕がないだけだ。
「はぁ……。誰もこの後どうなるか分かっていない。世界大戦がいかほどの物か誰も知らない。……知るはずもないか。この世界では大戦なんてなかったもんな……。まぁ自分も教科書でしか見たことはないが……」
今回の世界大戦はどのような形態をとるのだろうか? 第一次世界大戦のような血と泥でまみれた戦争だろうか? それとも第二次世界大戦のような殺しを効率化させたような戦争だろうか? はたまたそれ以上の地獄だろうか?
それはサルヴィアにもわからない。ただ地獄になるという事だけははっきりとわかる。
これから先に待ち受けるであろう地獄を想い、サルヴィアはたいして香りも分からぬままコーヒーを啜る。
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——太平暦1724年 7月5日
「サルヴィア少佐、この前は随分と騒いでいたようじゃないか。いったいどうしたというのだね?」
普段から冷静で先見性に溢れているサルヴィア少佐にしては珍しいことだなと思いながらエメリアノヴァは彼女に笑いかける。
普段から表情が乏しいサルヴィア少佐ではあるが今日は一段と表情が乏しい。どちらかというと暗い雰囲気をまとっている。
少し異様に思いながらもエメリアノヴァはサルヴィアに尋ねる。
「して、エミリア閣下に伝えたかった事とは何だったんだ?」
「建国を取りやめていただきたくために行ったのです……」
平和を目指す国の建国を提案したサルヴィア当人の口からその言葉が出てくることはエメリアノヴァを驚かせるには十分であった。
これまでサルヴィアの唱えることは先見性に満ちていた。航空機による地上攻撃は今までの戦闘に革新をもたらしたし、先の戦いでの対空砲火の有用性も示された。
もしも仮に舩坂の艦隊が対空装備を装備していたらあそこまで艦隊に大打撃を与えることはできなかっただろうし、インダストリーの艦船に対空装備が無ければおそらくそれ相応の被害が出ていたことであろう。
故に今回の建国を取りやめてほしかったという提案もそれ相応の理由があるのだろう。
自分たちが恐ろしい過ちを犯してしまったという予想にエメリアノヴァは一度天を仰ぎサルヴィアに問う。
「……貴官が言ったのだろう? 国を創るべきだと」
「はい、ですがまだ早すぎたのです。今の段階ではより戦線が拡大するだけです。しかしもう遅いのです。すべて手遅れです。すべてはもっと詳細に説明しなかった小官が悪いのです……」
「…………貴官はどのようにして戦線が拡大すると思うのだね?」
「はい、おそらくこのまま多くの国がライデンシャフト共和国に続いて建国していくでしょう」
「それはまさに企業を打倒する波が到来するという事で素晴らしいことではないのか……?」
「すべての国の思想が同じであれば素晴らしいことです。ですがそんな上手い話があるとは思えません」
「そうか……。では具体的にどうなるんだ?」
「多数対多数の戦争、どちらかが息絶えるまで続く大戦争——世界大戦、そして総力戦の幕開けです」
世界大戦、総力戦。その響きにエメリアノヴァは言い知れぬ恐怖を抱いていた。
「その……世界大戦とは……?」
「文字通り世界が殺しあうのです。多くの国が自国の利益のために、思想のために陣営を組んで戦争をするのです。陸で、海で、空で、街で、平原で、泥濘で……。おそらく多くの血が流れます。そしてそこには民間人も軍人も関係ありません」
「つまりは先のトラント軍港での戦いのような地獄が当たり前になると……?」
「おっしゃる通りです。……いや、あれ以上の地獄すらあると思った方がよろしいかもしれません」
あの地獄以上の地獄がありうるという言葉にエメリアノヴァは言葉を失う。
これが他の人間の口から紡ぎ出されたのであれば、そんなことないだろうと一蹴できたことだろう。
しかし他ならぬサルヴィアの口から紡ぎ出されるのである。サルヴィアの言葉は妙な説得力を孕んでいた。
そして今度は総力戦について恐る恐るサルヴィアに尋ねる。
「では、総力戦とはなんだ……?」
「今までの条件を飲ませるための外交手段としての戦争や領土獲得のための戦争とは違います。純粋に相手を滅ぼすための戦争です。どちらかが力尽き、降伏するまで終わらないでしょう」
「では早々に降伏すればいいのではないか?」
「いいえ、もう我々にはライデンシャフトの人間という括りが出来ました。今までであれば同じ人間、ただインダストリーの、舩坂の支配地域に住んでいるというだけでした。しかし相手が敵地の人間だというだけ迫害し、殺すでしょう。たったそれだけの理由で人は人を殺せるのです。……まぁ、舩坂が民間人を殺した時点で総力戦は免れませんでしたが」
「つまり民間人に至るまでもが陣営の人間として扱われるという事か?」
「その通りです」
「なんたることだ……。私達はとんでもないことをしでかしたのやも知れんな」
「えぇ。ですが地獄をマシな地獄にすることは可能でしょう」
「ほう、どうすれば良い?」
「これから乱立していく国の中で同じ思想を掲げる国があれば同盟を組みます」
「……同盟とはなんだ?」
「簡単に言えば利害が一致するという理由で国家同士が共通の目的のために同一の行動を取ることを約束することです」
「なるほどな、つまり『友達』を作れというわけか……。こんなことを言われるなんて小学校以来だな」
そう言ってエメリアノヴァはフッと笑う。
しかしサルヴィアは一切笑わず口を開く。
「そうです。我々にはこの理想を共に目指す盟友が必要なのです。そして邪魔なものは徹底して排除せねばなりません」
「邪魔なものとは……?」
「目下R&Hインダストリーの残党と舩坂重工ですね。インダストリーはおそらくすぐに内部から半壊するでしょう。しかし同時に新たに国ができるという事は新たな敵が出来得ることも考慮せねばなりません。もちろん仲間が出来ることもあるとは思いますが」
「周りはインダストリーしかいない。おそらく当分はインダストリー相手に戦う事になるな……。まったく、つい最近まで仲間だった者を撃つのは気が引けるな」
「全くです」
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自室に帰ってサルヴィアはラジオを聞きながら地図を眺める。
ラジオ曰く、シュペーネ社会主義共和国がイベリア半島のあたりに、フランツェス帝国がフランスのあたりに、グロース・ベルファスト王国がイギリスの位置にアルドメリ合衆国がアメリカ大陸の位置に建国された。
おそらく当面の敵はポーランドとスカンジナビア半島の位置に残っているインダストリーの残党だろう。最初から周りを囲まれるのではないかとサルヴィアは心配していたがしばらくの間はインダストリーの残党狩りに専念できると少し安堵する。
現在ライデンシャフト共和国はドイツの位置に位置している。ここから領土を拡大していくのだ。
その過程でどんな地獄を作り上げていくのかサルヴィアにもわからない。しかしもう後には引けないのだ。
導火線には火がついてしまった。後はそれが爆弾に到達するのをいかに遅らせ、その間にライデンシャフトによる覇権を作り上げられるかにかかっている。
サルヴィアはラジオを切ってベッドに倒れこんで目をつむった。
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以上、稲荷狐満でした!