第63話 平和を謳う国
——太平暦1724年 7月1日
いつもと変わらぬ日。朝に模擬戦などの訓練を終えて、あとは書類仕事という名の休憩タイム。——今日もそうなるはずだったのだ。
サルヴィアは自室のラジオの前で愕然とする。ラジオから垂れ流される言葉はサルヴィアのコーヒーブレイクを文字通りブレイクするに足るものだった。
曰く『我々は現時刻を持ってライデンシャフト共和国連邦の設立を宣言する。これは戦争のための国家ではない。平和を求める人々の集まりである』と。
サルヴィアは士官候補生時代もかくやと言わんばかりの速さで着替え、大隊の運営をシティスに任せ参謀本部へと飛ぶ。
・
・
・
機体から転がり落ちるように降りてサルヴィアは早歩きである人物の部屋に向かう。
「サルヴィア少佐です! 急な訪問申し訳ありません! お話があるのです!」
そう言って殴りつけるようにノックする扉にはエミリア・フォン・ベルンシュタインと書かれた銘板が打ち付けてある。
儀礼も何もないノックに警護に当たっていた尉官がサルヴィアを制止する。
「少佐! お言葉ですがもう少し慎みを持って行動なさってください! 士官である以上粗暴な行動は避けるべきです! もう少し優雅——」
「中尉! 今は礼儀などを気にしている場合ではない! より多くの血が流れることになるかもしれないんだぞ!」
「何をおっしゃっているか分かりませんがただいまエミリア閣下はこちらの部屋にはおられません!」
「ではどこにいらっしゃる!? 早く答えろ! まだ間に合うかもしれないんだ!」
「小官の口からは申し上げることはできません」
「いいから答えろ! でなければ答えられる奴を連れてこい!」
サルヴィアと中尉が言い合っているとここまで騒がしいのは参謀本部では珍しいのか、いつの間にか人が集まってきていた。
そしてそんな中からサルヴィアに声がかかる。
「少佐。少しは落ち着き給え。なかなかの騒ぎになっているぞ」
「エーリカ大佐ですか……! しかし落ち着いていられるような状況ではないのです! お願いですエミリア閣下に一言だけでいいのでお伝えしたいことが……!」
「私が伝言を預かろう。なんだね? 言ってみたまえ」
「それでは遅すぎるのです! それに齟齬が生じるかもしれない。私の口から直接申し上げます! 電話でも構いません。とにかく閣下につないでください!」
まるで血を吐かんばかりにサルヴィアは叫び、懇願する。エミリア中将に会わせてくれと。
「今、閣下は電話にも出ることができない。だから、な? 落ち着くんだ少佐」
「落ち着いていられる状況ではないのです! 今……、今動かなくては多くの血が——!」
「いい加減にしたまえサルヴィア少佐! 何が貴官をそれほどまで急かしているかは分からない。だが無理なものは無理なのだ。諦めたまえ」
エーリカ大佐にしては珍しく怒鳴る。がしかしサルヴィアはなお諦めずに懇願し続ける。
「で、ではせめて閣下がどこにいらっしゃるかを!」
「くどいッ! おい、中尉。少佐を外に連れ出せ。頭を冷やさせてやるんだ」
「「はっ」」
そうしてサルヴィアは二人の中尉に連れられ参謀本部の外に出される。
完全なる無駄足であった。サルヴィアは目的を果たせず、独りトボトボと自分の機体のもとに行く。
陰鬱な気分のままサルヴィアは彼女の心中と違い綺麗に澄み渡った空の中を駆けてゆく。
抜け殻のようになった心にエンジンから伝わる振動が染み渡る。しかし普段は心地の良い適度な振動も今のサルヴィアにとってはただ不快でしかなかった。
最悪のフライトを終えたのち、サルヴィアはコックピットから降りて真っ直ぐに自室へと向かう。
途中サルヴィアを迎えに来たストレリチア中尉やシティスに心配されたが、気の抜けた返事を返す。
パタリと自室の扉を閉めて静かな部屋で独り佇む。
己の何と無力な事か、いかに己の言葉が足らなかったか。後悔の渦の中限界に達したサルヴィアは机の上にある物を薙ぎ払い、机を思い切り殴りつけ叫ぶ。
「クソッ……‼ 何故……何故今なんだ……!? 自分がもう少し詳しく説明していればよかった……! この世界の人間が国を創るタイミングを知らないという事を僕は失念していたッ……!」
ボロボロと悔し涙を流し、サルヴィアは自分の手が赤く染まるのにも気にせず机を何度も殴りつける。
痛みは感じない。手の痛みよりも心の痛みの方が勝っているから、後悔の念が痛覚を麻痺させるほど強いから。
「いま建国しては各地で国が乱立する……! 未だにインダストリーでは穏健派と急進派の内部抗争があっているんだぞ! まだ纏めることもできていないじゃないか! それに民間人の反企業思想はまだ育ち切ってはいない。収穫を急ぎすぎだ……! クソッ……!」
現状、各地で反舩坂のデモが起きている。しかしそれはまとまった一つの大きな団体によるデモではなく各地の人間が勝手にやっているだけに過ぎない。
こんな中で平和を謳う国家が誕生したらどうなるか。
「自分たちも」と様々な国家が各地で誕生することとなる。無論それぞれのイデオロギーは異なる。
イデオロギーの異なる国が存在したらどうなるか?
答えは簡単、戦争だ。かつてのナチスと連合国が戦ったように、アメリカとソ連が東西冷戦で代理戦争をして人類が滅亡の瀬戸際まで踏み込んでいたように。
戦争は戦争でもただの戦争ではない。今までの見世物の戦争がごっこ遊びに見えるほど大規模で、血生臭く、歯止めの効かない大戦争。
——世界大戦
前世であった世界大戦とは比べ物にならない程の物量で行われる大戦はどれほどの血を流すことになるのだろうか?
いったいどれほどの時間をかけて行われるのか? 一年? 十年? 百年? もしかすると人類が滅ぶまで続くかもしれない。
平和を求めて提案した自分の案が採用されたのは良かった。だがそれが結果として最も平和を遠ざけるものだとはなんたる皮肉であろうか。
しかしもう取り返しはつかない。今まで緩やかに落ちていた砂時計の砂はサルヴィアの善意に揺らされて急速に落ち始めてしまった。
では今できることは何か?
ライデンシャフト共和国が世界の覇権を握ること。そうすれば世界から戦争は無くなる。
かつて日本を江戸幕府が治めて約二百年の平和をもたらしたように、ローマが大帝国を築き、パクスロマーナがあったように。
幸いにもライデンシャフトは連邦制をとる。故に比較的穏便に敵地を引き込むことはできる。
これが独裁体制であったら占領地を力で統制し編入するだろう。確かにそちらの方が迅速に支配下に置くことができる。
しかしレジスタンス運動や反乱、もしくは武力による独立運動すら起きかねない。
ナチス支配下のフランスでレジスタンスが奮闘したように、イギリス支配下のアメリカで独立戦争が起きたように。
涙を拭い、サルヴィアは自分の手を見る。
自分の血で赤く染まり何とも痛々しい。しかしこれから先サルヴィアの手はより深く、どす黒く血に染まっていくことだろう。
それは自分の血ではない。自分以外の者——敵あるいは味方の血だ。
これから歩む道が茨の道よりいっそう険しいものになってしまった。そしてそれに多くの人間を、仲間を巻き込むことになってしまった。
恐ろしいまでの責任の重さに膝を屈しそうになるが、サルヴィアは覚悟を決める。
自分が蒔いた種なのだ。あの時一言でもタイミングが重要だと言っていればよかったのだ。だが後悔してももう遅い。
では何をすべきか? 戦うしかない。戦って勝つ、そして一刻も早くライデンシャフト共和国による覇権を確立する。それしかない。
窓の外を見るサルヴィアの目は覚悟を宿していたが、宝石のように青く美しかった瞳は責任感と固い意志に濁っていた。
読んでいただきありがとうございました。
評価、ブックマーク登録なんかもしていただけると大変うれしいです。
以上、稲荷狐満でした!