第61話 戦火の焼け跡
少佐殿と二人で未だに焼けた臭いが残る街を歩く。
周りを見れば鎮火されたばかりであろう瓦礫と化したアパートメントのそばに一人の少女が母親と思しき遺体を前に泣きじゃくっている。
「お母さんっ……お母さんっ……!」
それを横目に様々な人が声を掛けることもなく過ぎ去っていく。決して皆が冷酷なのではない。
たった数時間でこんな光景がここではありふれた光景になってしまっているのだ。
誰も声を掛けないのならと、私はいたいけな彼女に話しかける。
「お嬢ちゃん、これを……」
そう言って手渡したのは支給されたチョコレート。
せめてもの慰めにと考えた結果私ができたのはこの程度。かける言葉も見当たらず、生まれてこのかた親というものを知らない私には掛ける言葉を見つけられなかった。
「お、お姉さん……誰……?」
「私はストレリチア。貴女は?」
「わたし、アニー。アニー・マグノリア」
「そっか、その……なんていえばいいか……」
「お姉さんは、お医者様……? それとも警察さん……?」
「私はパイロット。飛行機で戦ってるの」
私がそう言った途端に少女は私を憎しみがこもった眼で見つめ、叫ぶ。
「返してっ! わたしのお母さんを返してよっ……! あなたたちが戦うからっ、お母さんは……お母さんはッ!……っ」
まるで吐き出すかのように悲痛に叫んだあと少女は蹲って泣き始める。
なんでこんな罪もない少女が泣かなくてはならないのだろうか? 誰が悪いのだろうか? この世界だろうか? それともこんな世界を作った神様だろうか?
私は嗚咽を漏らす少女と彼女の母親の骸の前で自分の無力さとこの世の残酷さに唇を噛み締めて佇む。
「中尉、行くぞ我々にできることはない。だが……」
そう言う少佐殿はポケットからいくらかのお金を取り出して少女に手渡す。
「お嬢ちゃん、これでご飯を買うんだ。残酷なことを言うが、君は生きなくてはならない。そしてこれが私ができる最低限のことだ」
そう言って悲しそうに微笑む少佐はまるで天使のようで、その口から紡ぎ出される言葉は人間に試練を与える悪魔のそれだった。
「……お姉さんは、もしかして……天使様……? もしもそうなら、私のすべてをあげます……! だから、お母さんをっ……!」
まるで天使のような美しく慈愛に満ちた少佐殿の微笑みを見て少佐殿を天使だと勘違いした少女は必死に懇願する。
——自分はどうなってもいいから母を生き返らせてくれと……。
しかしそれに少佐殿は悔し気に、でも淡々と返す。
「すまない、私は天使なんかではない。君たちを守れなかった、出来損ないの軍人だよ…………。——っ!」
少佐殿が軍人だといった途端に少女は近くにあった石を少佐殿に投げ、投げられたそれは少佐殿の絹のように透き通ったプラチナブロンドの髪に赤いシミを作る。
「少佐殿! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ……」
「出ていけっ! この街から出ていけっ……! あなたたちみたい軍人のせいでこの街は……! お母さんはっ……!」
「行くぞ、中尉」
「ですが少佐殿……」
「私達には何もできない。せいぜいできても助けを求めている者に手を差し伸べることくらいだ」
そう言って少佐殿は少女から投げられる石を背中に受けながら歩き始める。
私は先を歩く少佐の横に駆け寄って、また二人で歩き始める。先ほどまで飛んできていた石は少女の非力な腕力ではここまで飛んでこない。
「全く、嫌なものだな。軍人というのは……」
「そうですね……」
「貴官はこの戦いがもしも終わったら何がしたい……?」
「えっ……? そうですね……考えたこともありませんでした……」
「私はな、平和な国を創りたい」
「国ですか?」
国とはまさに平和の対義語のような存在だ。そう何度も何度も孤児院の時から刷り込まれてきた。
だがしかし、この方が理想とする国とはいかなるものなのだろうか?
「国に平和なんてあるんですか? それこそ戦争の種になるのでは……?」
「平和な国もある」
そう言う少佐殿は確固たる確信を持っていて、どこか遠い異国の地を見ているように目を細めていた。
「だがそれまでに多くの血が流れることだろう。多くの人間が涙することだろう。だが今までの平和が紛い物であったとなった以上、我々は追い求めなくてはならない。平和な国というものを」
何故この方はこうもはっきりと断言なされるのだろうか? だがその言葉には妙な説得力があって、そんな平和な国というものを知っているようだった。
「少佐殿はもしも平和な国が出来上がったらどうなさるおつもりなんですか?」
「きっと私はそんな国が出来上がる前に死んでいるだろう。だが、そうだな……もし生きていたら、僕は平和な空を武器のついていない飛行機で飛びたいかな……」
そう言う少佐殿の顔は普段からは考えられない程年相応な、まさに夢を見る子供のような、少女ではなく少年のような顔だった。
「……少佐殿。よろしければ私もその夢に同行させてもらってもよろしいですか?」
そう言った後に自分でも驚いた、無意識にその言葉を私の口が紡いでいたのだから。
「中尉、この道はきっと険しいぞ。これ以上の地獄を見て、そして私たちの手で地獄を作り上げ、きっと私たちは悪魔だと語られることになる。……その覚悟があるか?」
「その地獄の果てに真の平和があるのなら、私は悪魔にだってなります」
「フッ……そうか、頼もしい限りだ」
そう言ってどこか寂し気に少佐は微笑む。私よりも若いはずのこのお方はいったい何を知っているのだろう? 平和な国とやらを見たことがあるのだろうか?
随分と大人びた少佐殿の表情を見て私は自分の幼さを内心で恥じる。
「夢を語るのはこのくらいにして、今私たちにできることをするぞ」
「了解しました」
私は自分よりも小さくて、でも大きく見える少佐殿の背についていく。きっとこのお方についていけば間違いないと信じて。
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「あああぁ……! アンジェ……! アンジェ……っ!」
そう言って涙を流しているのはフリスト隊の隊員だ。アンジェと呼ばれていたフリスト09の僚機だろう。
涙を流す彼女の前にあるのは黒い遺体袋とそれにそれに供えられた白い彼岸花、そして焼け焦げたフリスト09のドッグタグだった。
フリスト09は第201特別大隊の時からいる古参組の一人だ。
また一人優秀な人間が、大切な戦友が減ってしまったことをサルヴィアは心から悔しがる。
スルーズ隊からも犠牲者は出ていたが、墜ちたスルーズ11の遺体はほとんど帰ってきていない。
完全に原型をとどめていない彼女のSf109は発見されたものの、コックピットには彼女の一部が入っていただけだった。
スルーズ11は今回新しく来た新任の一人であった。まだ第666大隊に来て日は浅いがそれでも一緒に戦っていた者がいなくなるのは悲しい。
聞くところによると今回の戦いでかつて第144飛行中隊で世話になったカトレア少尉も死んでしまったとのことだった。
また知人が少なくなったことを悲しく思いながらもサルヴィアは二つの遺体袋に敬礼をして自室に足を向ける。
自室の扉を普段よりも少し力を込めて閉めてサルヴィアはラジオの電源を入れ、ニュース局に周波数を合わせ、最新のニュースを聞く。
『本日、舩坂重工業の意図的と思われる攻撃によってトラントの街が爆撃されました。民間施設が攻撃を受けたのはこれが初となります。現在R&Hインダストリー支配地域各地では多数の反舩坂重工デモが起こっており、街は騒然としています』
サルヴィアはその情報を聞いて苦い顔をする。しかし同時にこれはチャンスだと思い考えこむ。
今、民間人たちはまさに自分たちの平和が脅かされ焦り、怒りに駆られている。
おそらく今後このように考える者も出てくるだろう「今の企業支配体制ではダメだ」「今こそ戦争の無い団体を作ろう」と。
まさにそれは企業による絶対王政を打倒する、この世を根底から覆す革命と言ってもいい。
今、この瞬間この世界の歴史は動き出そうとしているのだ。
これから起こる革命の果てがどんな国になるのかはサルヴィアにはまだわからない。
帝国時代の日本のような国かもしれないし、かつて在ったソビエト連邦のような社会主義国かもしれないし、平和な日本国のような国かもしれない。
しかしいずれのような国になるまでに多くの血が流れるのは明白で、そんな平和が完成する前に自分の命が尽きることもサルヴィアは分かっている。
だが、かつて平和な国で社畜として生きた男だった少女は思う。
——つらい毎日でも血が流れない日々が断然いいに決まっていると。
今は懐かしき辛いが平和な社畜時代を思い出しながらサルヴィアは瞳を閉じる。
死が身近ではなかった日本に住むかつての自分がこの世界を目の当りにしたらどう思うだろうか?
あまりの現実味の無さにゲームみたいだと思う事だろう。実際今でさえあまり実感がわかないのだから。
自分が何度か死んで、生き返り、殺し殺されの世界に身を置いているというあまりに現実離れした現状に。
サルヴィアは「まるで小説みたいな世界だな」と笑う。
しかしその瞳は平和な世界を実現するための覚悟を宿していた。
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以上、稲荷狐満でした!