第57話 幕開け
「お前たち、急げ! 今回あげる機体は多いぞ! 整備士としての意地を見せろ!」
ソリーデ少尉が整備士たちの心に火を入れる。それにこたえるように整備士達はあちらこちらを駆けまわっている。
皆がコックピットに乗り込みこれから始まる大戦闘に己を鼓舞する。
誰も無線でお喋りをしている奴はいない。いつもであればここで笑いあうくらいの余裕があるというものだ。
過度な緊張はかえって悪影響を及ぼす。しばし考えたのちサルヴィアは無線機に向かって語りかける。
「諸君、知っているか? ストレリチア中尉が巷で何と呼ばれているかを」
『何と呼ばれているんです?』
「“パンケーキの戦乙女”だとさ、以前の休日に記者やファンたちを前に『お願いします! せめて一口でいいのでこのパンケーキを熱々の状態で食べさせてください……!』と言ったんだと。」
無線機越しに大隊員の笑い声が聞こえる。中には引き笑いになっている者もいる。自分もこの話を聞いた時はコーヒーを吹き出しそうになったほどだ。
『えぇ!? 私そんな風に呼ばれてたんですか!?』
「あぁ。随分と有名人になったな。どうやらファンクラブもあるらしいぞ」
『マリアン、ストレリチアのことはこれからはパンケーキ中尉と呼んだ方がいいんじゃない?』
『それには私も賛成』
『アリーナもマリアンもそれだけはやめてよ』
ストレリチア中尉とよく一緒に居る者たちがストレリチア中尉を茶化す。ストレリチア中尉には申し訳ないが、おかげで大隊の緊張が程よくほぐれた。
「ではパンケーキのために気を引き締めろ。生きて帰ったらパンケーキなんていくらでも食える。大隊各員、死ぬなよ」
『『『『了解!』』』』
誘導員の指示に従って機体を滑走路へと進める。
『こちら管制塔。聞こえているかブリュンヒルデ01?』
「こちら01。感度良好。離陸許可を求める」
『承知した。離陸を許可する。戦乙女の戦いぶりを楽しみにしている一般市民たちに見せつけてやってくれ』
「あぁ、戦乙女らしい舞を見せてやるとしよう」
そう言ってサルヴィアはスロットルをあげる。
加速度を身に感じながら加速を続け、そして機体の振動がなくなるとともにふわりとした感覚が身体を包む。
そして機首を上げてさらにスロットルレバーを押し込む。かなりの急角度で上昇しているが速度は落ちるどころかむしろ上がっている。
あのイカレ博士は気に入らなかったが、この機体は本当に素晴らしい。ソリーデ少尉のチューンアップもあって試験時よりもかなり性能が向上している。
ご機嫌な機体に口角を上げながらサルヴィアは大隊員に告げる。
「大隊各機、管制塔の指示に従い順次離陸。基地上空で編隊を組むぞ」
『『『『了解』』』』
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上空で編隊を組み終わった後、敵部隊がいるとされている地点に向かっている最中、ふと周りを見ると数多の戦闘機が目に入る。自分たちも含めるとだいたい二百機ほど、一個航空師団くらいだろうか。
フィリアノス要塞攻防戦以上の数だ。いかに今回の防衛戦が戦争において重要かを物語っている。
周りを見渡していると一機の戦闘機がこちらに近寄ってくる。通常塗装という事から判断するに他大隊の機体のようだ。
『こちらエンジェル01。その機体カラー、エンブレム、ヴァルキリーズだな?』
どこかで聞いたことがある声だ。どこだっただろうか?
「あぁ、ヴァルキリー大隊だ。貴官の声はどこかで聞いたことがある。以前同じ戦場で会ったか?」
『忘れられるとは、少し悲しいな。……エレドア・クレマチスと言えばわかるか?』
実に懐かしい名前だ、初めて着任した時に配属された部隊が当時はまだ中尉だったクレマチス大尉の中隊——第144中隊だったのだ。
「!? クレマチス中尉!? これは失礼しました。大隊を率いているという事は昇進なさったのですか?」
『あぁ、まぁまだ大尉だがな。なんとなく予想はしていたがこうもあっさり階級で抜かされるとは思わなかったよ』
「おい、ストレリチア中尉。クレマチス大尉だ、第144中隊の時の」
『おぉ、これはお久しぶりです大尉! お元気でしたか?』
『あぁ。まだ初々しかった貴官が懐かしいな。ちなみにカトレアとユーリカも来ているぞ』
「うちにもシティスにフィサリスが揃ってますよ。また懐かしいメンバーですね」
第144中隊の面々が揃い、サルヴィアは懐かしい思いに駆られる。
『サルヴィアの活躍は聞かせてもらっている。フィリアノスの英雄、サルヴィア少佐殿と言った方がいいかな?』
「止めてください。英雄英雄と持ち上げられるのはなかなかに大変なんです。ストレリチア中尉なんてパンケーキの戦乙女と呼ばれているんですよ」
『ちょっと少佐殿! やめてくださいよ』
『ほう、実に気になる話だ。帰ったら詳しく聞かせてくれ』
「えぇ、コーヒーでも淹れて待っておきますよ」
サルヴィアがそう言うと横に並んでいたクレマチス大尉はキャノピー越しに軽く敬礼をして自分の大隊に戻っていった。
戦場で懐かしい人物に会えるとは何とも世界というのは狭いものだ。
サルヴィアが感慨にふけっていると水平線のかなたに何かが見える。そしてそれが何か理解したと同時にサルヴィアも他の人間も絶句する。
陸地かとも思ったそれは大艦隊、舩坂の艦隊だったのだ。
「こちらブリュンヒルデ01! 敵艦隊を視認!」
『HQ了解。漸減部隊が敵機はある程度減らしているはずだ。まずは制空権を確保せよ』
「漸減部隊はどうした? 艦隊上空で航空戦があっているようには見えない」
『全滅した』
「は?」
『漸減部隊は全滅だ』
漸減部隊の全滅、それがいかに今回の敵が本気かを示している。
本来であれば漸減作戦中の先遣隊と合流した後、自分たちも制空戦に加わるはずだったのだ。
先遣隊と言えど規模はそれなりに大きい。二個飛行大隊くらいはあったはずだ。それが全滅したのだ。おそらく敵は一個半飛行師団くらいはいるのだろう。
しかしやるしかないのだ、それが仕事なのだから。戦場で血を流し、大衆の娯楽となり果てるのがサルヴィア達の狂った仕事なのだ。
「……了解した。……ヴァルキリー隊! 気合を入れろ! 敵部隊に雷神はいないとの報告だ。敵部隊よりも諸君らの方が腕は上だ。戦乙女の戦いぶりを歴史に刻め!」
『『『『了解!』』』』
目をつむり、深く深呼吸してサルヴィアは声をあげる。
「ブリュンヒルデ01、エンゲージ!」
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以上、稲荷狐満でした!