第56話 歴史の夜明け
ブリーフィングルームに揃った各中隊長、そしてストレリチア中尉を前にサルヴィアは状況説明を行う。
「ここ最近舩坂の部隊がサウェズ運河付近に集結しているというのは把握していると思うが、本日未明奴らの狙いが判明した。……トラント軍港だ」
サウェズ運河、前世で言うところのスエズ運河のあたりだ。ここは舩坂重工業が支配しており、前世と同様に海運の要所となっている。
舩坂重工はサウェズ運河を手にしているためメゾテッラ海、つまりは前世で言うところの地中海に進出できている。
そして今回の標的となっているトラント軍港はイタリア半島東部あたりに位置している軍港だ。
この軍港を失えばR&Hインダストリーは数少ない海上戦力を損失し、メゾテッラ海における制海権を完全に失う事となる。
「メゾテッラ海の制海権を失ったら次は間違いなくジブリタリア海峡が狙われるわね。海峡が墜とされたら舩坂の艦隊が最短距離でヴェストグローセン海に来れるようになるわね……」
シティスの言うヴェストグローセン海とは、いわば大西洋だ。ここの制海権を取られるという事はR&Hインダストリーは本社とアルミニウス大陸——欧州とアメリカ大陸との接続を失うことになる。
これはすなわち資源の供給元とその加工場をつなぐラインの寸断を意味する。無論石油の供給も断たれる。
それはつまり近代兵器溢れる戦闘においては遅かれ早かれ敗北することを意味する。
「でもこの攻勢を退けたら舩坂は大打撃を受けるという事だよね」
フィサリスの言うように今回の攻勢を退けたら敵は大打撃を受ける。なにせ今回の攻勢には敵の約四分の一が導入されるとのことだ。
敵の四分の一に損害を与えたら今後は舩坂に隙が生じる。つまり反転攻勢ができるというわけだ。
「今回の戦闘が今後の戦況を左右するというわけですね」
「あぁ、そうだ。今回の勝者がこの戦いの勝者に近づくというわけだ。……だが敵も攻勢に移るとはな。一生戦線を膠着させていた方が互いに有益という認識だったはずだが……」
「確かに、何かきな臭いわね……」
表立っては言わないが両企業とも戦線を膠着させ、視聴率を稼ぎそれで多大なる収益を出しているはずである。
相手の上層部の人事に何かしらの動きがあったと考えた方がいいだろう。
原因はおそらく先の『フィリアノス要塞攻防戦』この戦いで戦線は大きく動いた。それは担当指揮官の更迭なども招く。
担当指揮官に好戦的な指揮官が抜擢されたとしたら、それはすなわち敵の動きも大きく変わっていくこととなる。
これは時代が大きく動くことだろう。なにせこちら側もサルフィリアの盾作戦にフィリアノス要塞攻防戦で地上攻撃の有効性を確認し、勢いに乗っているのだから。
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——太平暦1724年 同日 トラント軍港 17:00
「大隊各員、傾注! 先に言っておこう、今回の戦闘はかなり大きなものとなる」
今回の戦闘がどんなものになるかを予想できたのだろう。大体の古参は顔を引き締め、新任は初の大規模作戦という事もあり顔に少しの期待と緊張が見える。
そんな新任達に釘を刺すように、自分自身に言い聞かせるようにサルヴィアは続ける。
なんせ自分は自分たちの能力を過信し、部下を死なせた無能な指揮官なのだから。
「今まで敵偵察部隊の迎撃、敵地偵察任務などである程度の実戦経験を積んできたと思うが、自分たちの能力を過信しすぎるな。いいかこれは英雄ごっこでも、絵本の物語でもない。——ただの殺し合いだ。決してそのことは忘れるな」
「「「「はっ!」」」」
「各員、命がある限りは最善を尽くし、死力を尽くして任務にあたれ。そして決して犬死だけはするな。戦場はホームグラウンドだ、遠慮なく脱出しろ。……ただし敵前逃亡はするなよ、私だって逃げれるなら逃げたいんだからな」
サルヴィアの冗談に皆が笑う。これで適度な緊張を保てるはずだろう。新任達の顔にも心なしか笑顔が見える。少しは部隊に馴染めたという事だろう。
「戦闘空域はトラント軍港上空。先遣隊が漸減作戦を行うとのことだが、あまり期待はしすぎるな。焼け石に水と言ったところだろう。何か質問は?」
「決戦空域はトラント軍港上空というのは分かりました。しかしいくら自軍陣地における戦闘と言っても敵が多すぎます。何か支援などはあるんですか?」
ストレリチア中尉が質問する。おそらく本人は分かっているだろうが皆の意見を代弁してくれるのは実にありがたい。
このように優秀な部下というのは実に得難いものだ。第144中隊の時の初々しい彼女からは考えられない程の成長ぶりだ。
やはり人間の素晴らしい点は成長するという点であろう。
そう考えながらサルヴィアはその質問に答える。
「いい質問だ。今回の作戦において新兵器である対空砲の支援が受けられる。おそらくこの兵器についてはランドグリーズ隊が一番よく知っているだろう。ではグロリオサ大尉、解説を頼む」
「はっ!」
威勢のいい返事と共にグロリオサ大尉が演台に上がってくる。
「今作戦から導入される対空砲だが、これは先のフィリアノス要塞攻防戦における戦訓を活かしたものである。原案はサルヴィア少佐だが、我々ランドグリーズ隊が開発時に顧問として招かれたからうちの中隊の者はよく知っているだろう」
ランドグリーズ隊の隊員たちの顔には少し苦々しい思いがにじみ出ている。
それはそうだ、ランドグリーズ隊の唯一の損害を出したのは他でもないフィリアノス要塞攻防戦における敵の即席対空砲だったのだから。
「対空砲とは読んで字のごとく地上から航空機に向けて放たれる砲のことである。通常の砲弾であれば直撃しなければ意味はないが、時間経過で作動する信管、『時限信管』が開発された。効果は見てもらった方が早いだろう。しかしそれでもうち漏らす可能性があるそのためにも対空用に改造された機関銃が空を狙っている。以上、質問は?」
「対空機銃はそこまで射程がある物なのですか? せいぜい届いても数キロ程度では? ましてや狙い撃てる距離は一キロ程度なのでは?」
「今回敵の狙いはおそらくは我々がやったような地上攻撃だ」
グロリオサ大尉の返答に大隊はどよめく。おそらく皆が地上攻撃なんてない。対空機銃なんて意味がないと思っているのだろう。
しかし対空機銃には大きな意味がある。今回の作戦は明らかに今までとは違うのだから。
強行偵察であればここまで大規模な部隊を編成する必要はない。それに敵は上陸部隊まで展開しているとのことだ、海上戦力が少ないというのは相手の油断の表れだろう。
仮にこれが囮部隊であったとしてもR&Hインダストリーにはある程度なら食い止めることができるほどの海軍はまだ残っている。
以上のことから今回の敵の狙いは間違いなくここ、トラント軍港だ。おそらく敵機による艦船や港湾施設に対する攻撃も行われることだろう。
つまりはフィリアノス要塞攻防戦の意趣返しと言ったところだろう。先の作戦で航空攻撃の有効性をR&Hインダストリーは確立した。
しかし同時に舩坂重工業もその有効性と先進性に気が付くのは明らかだ。
この世界の工業力は異常だ。アイデアを実現するまではそう時間がかからない。我々R&Hインダストリーがそうであったように、舩坂重工業も対地攻撃機の開発には大した時間を要しないだろう。
しかし誰しも自分たちだけが先を行っていると思い込む。だって人間は自分に都合のいいことだけを見たがる生き物だからだ。
第666大隊の面々もインダストリーの上層部も対地攻撃をするのは自分だけだと思い込んでいる。おかげで対空砲の開発には時間を要し、対空機銃に至っては開発が間に合わなかった。
基地司令に機銃の必要性を訴えてようやく地上用の機銃を上向きに付けた即席の機銃が艦船に設置されただけだった。
おかげで損害を被るのは前線のパイロットや水兵、地上要員だ。上の連中はただ自分の財布に小さな穴が開く。それだけでしかない。
上の人間と民間人は誰も血は流さない。それがこの世界だ。血を流すのは前線の人間だけ、そしてそれは見世物として大衆の娯楽になる。何とも狂った世界だ。
サルヴィアはこの狂った世界に辟易としながらも演台の上で口を開く。
「諸君、敵の地上攻撃はあると思っておけ。そして敵の侵攻は明日になるだろう。今日はよく食って、よく眠り、明日に備えろ。以上、解散!」
サルヴィアの言葉が終わると大隊員たちがビシリと一斉に敬礼する。それに敬礼を返してサルヴィアは自室へと足を向ける。
眠れるときに眠らなくてはならない。きっと明日はこれまでにない戦いになるのだろうから。
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以上、稲荷狐満でした!