第30話 スパルタ教育
——12月1日 ノルディアン山脈 第一演習場
第201戦術特別航空大隊の面々総員51名が並んでいる中サルヴィアは努めて堂々と口を開く。
「おはよう諸君、そして初めまして。私がこの大隊の大隊長を努めるサルヴィア大尉だ。ここに集まってもらったのは親睦会なんかのためじゃない。いや、ある意味親睦会と言ってもいいのかもしれないな……」
それを聞いて大隊全員が少しざわつく。
「いきなりで申し訳ないが今から演習を行う。フル装備で行軍、山の向こうにあるゴールまで来てくれ。地図は各中隊長に渡しておく。皆、中隊長の指示通りに行軍するように」
普通の大隊であれば着任早々行軍訓練、それもフル装備、山道、積雪というあまりにも厳しい条件でする大隊はどこにもないことだろう。基本は親睦を深めるべく、軽い行軍をするのが当たり前だ。
そんな中、大隊長であるサルヴィアは山岳旅団さながらの地獄の行軍メニューを提示しているのだ。これでざわつかないほうがおかしいというものだ。
しかしサルヴィアは淡々と中隊長一人一人に地図を手渡していく。フィサリスとシティスに手渡し、最後の中隊長、第三中隊の中隊長に手渡すときサルヴィアは思い立ったかのように尋ねる。
「あぁ、そういえば貴官は今日着任したのだったな。一応書類上貴官のことは知っているが確認のために一度自己紹介をしてもらってもいいか?」
「はっ! B-02地区、第106戦術戦闘飛行中隊より参りました、リディア・グロリオサ中尉です! よろしくお願いいたします!」
「グロリオサ中尉、貴官の率いることになる第三中隊は我が大隊の中でも特別な役割を持つこととなる中隊だ。プレッシャーをかける気はないが期待しているぞ」
一応ニコリと笑いながらグロリオサ中尉に語りかける。これできっと少しは部下のことを思うことができる指揮官だと思ってもらえるはずだ。
「は、はっ!」
「ではこれより雪中行軍訓練を行う。もしかしたら死人が出るかもしれないような過酷な訓練だ、気を引き締めてかかれ!」
「「はっ!」」
・
・
・
十キロはあるであろう背嚢を背負い、鉄ヘルメット、弾薬、小銃、計五キロ。総重量十五キロにもなる装備品を装備して私、ストレリチア少尉は雪の中行軍する。
これが平地であればよかったのだが残念ながら現実は山道、それも山岳旅団が訓練に使うような山で、昨晩から続いた降雪のせいで雪は積もり、かなり足をとられる。それに何より寒い、顔が刺すように痛むほどだ。
前方にはフィサリス中尉とシティス中尉、そして新任のグロリオサ中尉が先導している。さすがの中尉達と言えどこの過酷な環境の中で、しかもフル装備での行軍はきついようで、シティス中尉とフィサリス中尉は先程から
「サルヴィアってあんなに厳しかったっけ?」
「きっとお偉方に急かされてるか何かじゃない?」
と会話している。しかしなんだかんだ言いながら笑っている。おそらく幼年学校を飛ばしての士官候補生学校はかなり厳しかったのだろう。新たに少尉となった者たちやグロリオサ中尉は皆息も絶え絶えといった様子で会話の余裕すらない。
私も死にそうではあるが気を紛らわせるために横にいる少尉に白い息を吐き出しながら話しかける。
「ね、ねぇ……、私ストレリチアっていうん、だけど……、あなたはどこから来たの?」
「え? ……わ、私? わた、私は……、第78中隊から来た。……名前は、フィリア。みょ、苗字はない、よ……」
「そ、そうなんだ。フィリア……、こ、これから、よろしくね」
正直会話する余裕はない。しかし少し気はまぎれる。何も話さず淡々と行軍を続けるよりはマシなはずだ。
「そ、それにしても……、きついね、これ」
「ストレリチアは、サル、サルヴィア隊長の……、元にいたんでしょ?」
「え? ……あぁ。うん」
「昔から……、こんな、厳しい方なの?」
「まぁ……、厳しい人、だけど……、かなり部下思いで、優しい方だよ……。きっとこの厳しい訓練にも……、大尉殿なりの、考えが、あるんだと思う」
「なる、ほど。……それを、聞いて少し安心したわ」
すぐに話のネタが切れて気まずい間が開く、そんな沈黙をかき消そうと私は
「それにしても……、グロリオサ中尉、に話し……かける時、大尉殿は笑顔で『期待してる』……、っておっしゃって、いたよね。私、もあんな風に……、言われ、たいなぁ……」
「い、いやぁ、プレッシャーは……かけるつもりは、ないっておっしゃってたけど、絶対嘘だよね……、ぐ、グロリオサ中尉の顔引きつってたもん……、私も、あんな笑顔で言われたら……、少し怖い、かな……」
どうやらサルヴィア大尉殿はフィリアから怖いと思われているようだ。C-03地区にいた時も命令無視したシィプレ伍長を銃殺刑ではなく塹壕送りというだけで済ませるほど寛大なお心の持ち主なのだ。
私の敬愛する大尉殿が同輩から『少し怖い』という評価を受けていると知って意外さに驚くとともに少し残念な気分になる。確かに厳しいお方だがこれにも意味があるのだ。
例えばこの地獄の雪中行軍も訓練で厳しくして戦場での犠牲者を少なくするなんかの意図があるに違いない。きっとそうだ。
故に私は迷わず行軍する。だって大尉殿が命令なさるのだから……。
・
・
・
サルヴィアはゴール地点のログハウスでコーヒーを啜る。外は極寒だがログハウスの中は薪ストーブがあるため快適だ。
そんな部下たちとは雲泥の差の環境でサルヴィアはつぶやく。
「今頃彼女らは雪山の中を行軍しているんだろうか? 少し可哀そうだが仕方ない。なんせ私が二ヶ月で終わらせるとつい勢い任せで言ってしまったんだから。ゴールまで来たら労いの言葉くらいはかけてやらないとなぁ……」
夜間も彼女らは行軍し続けるんだろうか、もしもこんな中野営でもしようものなら死人が出てしまうかもしれない。そう考えたサルヴィアは受話器を取り、ある所に連絡する。
「急にすまない。しかしあれを用意できるだろうか? ……あぁ、それだ。頼む」
・
・
・
ようやく、山頂までたどり着いた。ここから少し降りたところで野営をするようだ。山頂でしてもいいんじゃないかとも思ったが、どうやら山頂が一番風が強いらしい。そのため少し降りたところで野営するのだという。
正直野営なんかしていたら凍死しそうな気もするが、夜の行軍よりも日中の行軍を中隊長たちは選んだのだろう。
そうして私たちはテントを設営していく。この中で眠って朝になればあと少しでゴールだ。もう全体の三分の二程は進めたのだろうか? でも中尉達の会話から判断するにそれくらいなのだろう。
テントを張り終えたら火をおこし持ってきていた糧食のマカロニチーズの缶詰を火にかける。一応近くにいたフィリアに声を掛けると「ありがとうストレリチア」と言い焚火に缶詰をくべる。仲間と同じ焚火を囲んでいるという事にすこし楽しさを覚える。
破裂しないようにあらかじめ開けておいた切り口からグツグツとチーズソースがこぼれ出し、濃厚なチーズの香りが漂い、食欲をそそる。
焦げ付かないうちに焚火から木の枝を使って取り出し、缶を開け一口分をスプーンでとり口に運んだところで焚火のパチパチという音の他に異音を感じ取る。
どこかで聞いたことがある音だ。一瞬虫の羽音かとも思ったが違う。こんな真冬の雪山に虫が出るはずもない。だとすると残る答えは一つ——航空機のエンジン音だ。
そしてその音が遠くに行くと続いて『ヒューッ』というこれまたどこかで、正確には前線で聞いた音が聞こえてくる。
そして次の瞬間爆音とともに折角建てたテントと私たちは吹き飛ばされる。
間違いない砲撃だ。しかし近くに着弾したというのにほとんどケガはない。せいぜい擦りむいた程度だ。
またエンジン音が近づき、ヒューッという音とともに少し離れた所で炸裂する。
そんな混乱の真っ只中でフィサリス中尉が無線機でサルヴィア大尉に連絡を取っている。
「我、攻撃を受けり! 近くに敵がいる可能性がある。行軍中止及び、指示を乞う!」
そんな悲痛なフィサリス中尉の叫びと対照的にサルヴィア大尉は極めて冷静に返す。
『それは敵による攻撃ではない。繰り返す。敵による攻撃ではない。……安心してくれこれは例の爆弾の試験用の模擬弾だ殺傷能力はない。ただこちらから野営する焚火の光が見えたので空爆させてもらった。夜間に焚火をするのは命取りだ、覚えておけ』
「ッ! ……了解! …………皆! 焚火を消せ! 明かりでこちらの位置がばれた、ここは空爆される、急いで退避するぞ!」
「「了解!」」
・
・
・
その後私たちはテントもそのままに最低限の荷物を持って行軍を再開、時々聞こえるエンジン音にびくびくしながらも太陽が昇るころに息も絶え絶え、それどころか死屍累々と言ったあり様でようやくゴール地点にたどり着いた。
ゴール地点ではサルヴィア大尉が待っており満身創痍の私たちに声を掛けてくる。
「諸君、長距離のそれも雪中行軍をよくぞやり遂げた、ご苦労。それに技術研究部からも感謝の言葉が来ているぞ、曰く『航空爆弾の運用において大変良いデータが取れた』とのことだ」
そしてニヤリと笑って大尉殿は続ける。
「そんなお疲れの諸君に朗報だ、まず一つは航空爆弾の正式配備が決まった。爆弾とそれを搭載できる機体は第三中隊に配備する予定だ。……特別な役割とはこれだ、つまり地上攻撃だ。頼んだぞ、グロリオサ中尉」
「ぜぇ、……は、はっ」
グロリオサ中尉がほとんど覇気のない返事をするがそれに構わずサルヴィア大尉は続ける。
「そして二つ目の朗報は、こんなクソ寒い中行軍してきた諸君にご褒美として移動式の風呂を用意した奥に見えるテント群がそうだ温かい風呂に浸かって疲れを癒すと良い。風呂に入りたくてたまらんだろう、ではもう行ってもいいぞ」
その一声とともに皆が一斉にテントに向かって駆け出す。無論私も例外ではない。
先ほどまでもう動かないと思っていた足を動かしお風呂のあるテントへと向かう。
その後入浴を終え、しっかりと体をほぐした私たちは大尉殿のご厚意で本物のコーヒーとチョコレートを温かい山岳旅団用の宿舎でご馳走していただき、ベッドで泥のように眠った。
・
・
・
サルヴィア専用のログハウスの中サルヴィア、フィサリス、シティス、そしてグロリオサ中尉でテーブルを囲み談笑する。
「ちょっと、サルヴィアあれはやりすぎでしょ。まさか野営中に空爆されるなんて思わなかったわ」
「いやぁ、ごめんごめん、フィサリス。ちょうど航空爆弾の試験運用ができそうだと思いついたからついね……」
「アンタ、鬼よ、鬼。ほんとに人の血が流れてるか疑いたくなるわ」
やれやれといった様子でシティスはサルヴィアを軽く責める。
そんな中グロリオサ中尉はなかなか馴染めずに気まずそうな感じだ。こんな部下にも気をつかってやるのが上官の務めだとサルヴィアは話しかける。
「グロリオサ中尉、今回の雪中行軍どうだったかね?」
「は、はっ! じ、自分はまだいけます!」
「おや、それは本当かね、ではもう一往復でもするか?」
ニヤリと笑いながらサルヴィアが言うとシティスが横から口を挟んでくる。
「ちょっと、グロリオサ。はっきり言ってやんなさい、死ぬほどきつかったって」
「い、いや、でもそれは……」
「グロリオサ中尉。貴官はいささか真面目過ぎる。真面目な人間は私としては好きだが戦場では辛いだけだ。無理にとは言わんがもう少し肩の力を抜くといい」
「はっ」
「では、改めて聞こう。今回の雪中行軍はどうだった?」
「正直、地獄でした。小官としても大尉殿に本当に人の血が流れているのか疑っているところであります」
その返しを聞いてサルヴィアは肩をすくめ、フィサリスとシティスはグロリオサ中尉も肩を笑いながら小突く。
「そうよ、こいつにはそれくらい言ってやんなさい」
「そうそう、最近のサルヴィアは昇進して調子に乗っているのか鬼だからね」
「おいおい、シティスもフィサリスもそこまで言うか? 普通。一応私は上官だぞ」
「ここは今無礼講よ、階級なんてクソくらえよ」
士官候補生学校の時と同じように談笑するサルヴィア、フィサリス、シティスの三人にグロリオサ中尉は問いかける。
「あの、大尉殿とフィサリスとシティスはどうしてそんなに仲がよろしいのですか?」
その問いにシティスが答える。
「あぁ、そういえばグロリオサにはまだ話していなかったわね、私たち三人は士官候補生学校の同期なの。まぁサルヴィアが一人で一気に昇進したから私とフィサリスは置いていかれたんだけどね」
「なるほど……、道理で仲がいいわけだ」
「そういう事だグロリオサ中尉、貴官も私とタメ口で話したいのかね? 私は一向にかまわんが」
「い、いえ! そういうわけでは……」
「おや、どうやら私はフラれてしまったらしい」
おどけた様子でサルヴィアが言うとフィサリスとシティスは大いに笑い、グロリオサ中尉もすこし笑ってくれた。どうやら少しは打ち解けられたようだ。
その後、今度はココアをご馳走すると三人は自分の宿舎に帰っていった。
一人になった部屋でサルヴィアはつぶやく
「今回の演習では犠牲者は一人も無しか、凍傷なんかで脱落する者も出るかと思っていたがそれも無し。自分の思っている以上に新任達は優秀らしい。そして予想よりも早くゴール地点にもたどり着いた。フィサリスとシティスそしてグロリオサ中尉が優秀な証拠だな。これなら実戦でもなんとかなるかもしれん。さらにここから鍛え上げていくとしよう」
そう言ってサルヴィアはベッドに寝転ぶ。
——その日、第201特別大隊は地獄の雪中行軍をやり遂げた。
読んでいただきありがとうございました。
評価、ブックマーク登録なんかもしていただけると大変うれしいです。
以上、稲荷狐満でした!