第25話 素晴らしき知らせ
——太平暦1723年 8月24日 C-03地区後方拠点
自室のデスクに座りサルヴィアは代用コーヒーを啜る。
彼女が渋い顔をしているのは決して代用コーヒーがマズいからという理由だけではない。
普段は涼しい顔を努めて張り付けている彼女も今回ばかりは渋い顔をせざるを得なかった。それはそうだ、急に中隊長であるクレマチス中尉に呼び出されたかと思えば、今晩重大な発表があると言われたのだ。
これがにこやかな雰囲気で言われるのであればよかった。そうであったならばサルヴィアはこんなにしかめっ面をしなくて済んだであろう。
しかし悲しいかな、クレマチス中尉はとてつもなく真剣な雰囲気を漂わせてサルヴィアに言ったのだ。
これで緊張するなという方が無理であろう。
サルヴィアの脳内に懲罰部隊に送られるんじゃないか、銃殺刑にされるんじゃないか、一兵卒として塹壕勤務にされるんじゃないかと嫌な考えがよぎる。
思い当たる節がないかと言えば噓になる。おそらくは数か月前に行った地上攻撃だ。しかし軍規には地上を航空攻撃してはならないという規則はない。そのうえクレマチス中尉を通して上にも許可をとっていた。きっと何か別のことだろう。
そうこう考えているうちに五杯目の代用コーヒーを飲み干す。
流石にこれ以上飲んではカフェイン中毒になるかもしれないと今度は水差しからコップに水を入れ飲む。
落ち着かぬまま部屋を訳もなく歩き回ってみたり、無心になるために腕立て伏せや腹筋などの筋トレをする。
そうしているうちに日は暮れていき約束の時間となる。
鉛のような重さを錯覚する脚を動かし、なるべく真顔になるよう努めて中隊指揮所のブリーフィングルームへと向かう。
ブリーフィングルームには明かりがついておらず真っ暗だ、まだクレマチス中尉は来ていないのだろうか? と疑問に思いながら部屋に入ると急に扉がバタリと閉じ、パンッパンッパンッと発砲音が室内に響き渡る。
あぁ、自分は粛清にあったのかとサルヴィアは目をつぶる。
——しかしいつまで経あの独特な死に戻りの目を覚ます感覚がない。
そう思い恐る恐る目を開けると「「おめでとう!」」という中隊全員の声が聞こえる。そして皆クラッカーを持っている。
はて、自分は今日誕生日か何かだっただろうか? とサルヴィアがあっけにとられているとクレマチス中尉が声をかけてくる。
「おめでとう、中尉! 中尉は空軍大学への入学が決定した!」
「あ、あの。恐れながら小官の階級は少尉だと思われますが……」
「いや、中尉であっている。サルヴィア、君は少尉から中尉へと昇進したんだ」
徐々に自分が昇進したという事、空軍大学へ進学出来るという事をサルヴィアは理解する。しかし階級には年齢制限というものがある。本来であれば中尉には十五歳からじゃないとなれない。
いくら自分たちが幼年学校を飛ばして十一歳で少尉となっていると言ってもサルヴィアは任官してから一年も経っていないのだ。規則を重んじる軍隊であってあり得ないことだと思い、サルヴィアはクレマチス中尉に質問する。
「中尉になるには最低でも十五歳以上じゃないといけないはずです。そして小官は此処に着任して一年も経っておりません。恐れながら、その情報は間違っているのではないでしょうか?」
「間違っていないぞ。……ほら、これを見ると良い」
そう言ってクレマチス中尉は一枚の書類を手渡してくる。
そこには『サルヴィア少尉の中尉への昇進及び、空軍大学への進学を許可する』と書かれ、R&Hインダストリー人事部の印鑑が押されている。
それはサルヴィアの昇進と進学が嘘ではないことを決定づける何よりの証拠だ。
サルヴィアが書類を握りしめて固まっているとカトレア少尉が声をかけてくる。
「中尉、昇進おめでとうございます。我々中隊一同、中隊の空軍大学への進学を心よりうれしく思っております」
カトレア少尉がそう言うとクレマチス中尉を除く中隊員が敬礼をしながら「おめでとうございます!」と祝ってくれる。
しかしつい昨日まで自分の先輩のような存在から堅苦しい敬語で話しかけられ、同期からも敬礼されるのだ、いかんせん調子が狂う。
「あの、カトレア少尉、流石に敬語はやめてください。フィサリスもシティスも敬語はやめてくれ」
そんなおどおどしたサルヴィアにカトレア少尉は敬語でまた話しかける。
「いえ、そういうわけにはいきません。もし中尉がそのように望まれるのでしたら、そう命令してください」
そう言われてようやくサルヴィアは気が付く。これは最年少で中尉という階級になり自分より二回りも年上の部下が付くであろう自分へのカトレア少尉やユーリカ少尉からの最後の教育なのだと。
そう気づいたサルヴィアは一度深呼吸をして佇まいを正し、堂々と口を開く。
「カトレア、ユーリカ、フィサリス及び、シティス少尉。私に対する敬語はやめろ、これまで通り接するように。これは命令だ」
そう言うと四人はビシリと敬礼しニコッと笑う。そしてフィサリスが話始める。
「了解、中尉殿。じゃあお言葉に甘えて今まで通り接するね。では改めて昇進おめでとう! サルヴィア!」
「うん、ありがとうフィサリス」
「私からも改めてお祝いするわ。おめでとう、サルヴィア」
「カトレア少尉……、ありがとうございます」
「……おめでとう。私も後輩が出世して嬉しい」
「ユーリカ少尉もありがとうございます」
「私だってすぐにアンタに追いついてやるんだから覚悟しといてよね! でもひとまずはおめでとう、サルヴィア。……ライバルが出世して、私も負けてられないわね!」
「あぁ、私も待ってる。シティスがいないと張り合いがないからね」
同期や先輩に祝ってもらっている中、クレマチス中尉が横から口を挟む。
「そしてサルヴィアにはもう一つニュースがある」
「なんでしょうか? これもいいニュースであると良いのですが」
「先のサルフィリアの盾作戦での航空戦における戦果、地上攻撃という先進的な戦術の開拓を評価し貴官に柏葉付騎士鉄星形勲章を授与する。これは当然貴官が史上最年少での受賞だ。この勲章をこの手で授与する私も鼻が高いよ」
昇進と空軍大学への進学でも驚いたがそれに加え、さらに勲章すら授与されるとはサルヴィアにとって、なお驚きであった。
クレマチス中尉の手で柏葉勲章をすでに持っている騎士鉄星形勲章の上部の吊り輪に取り付けられる。
その後サルヴィアの送別会も兼ねた祝賀会も開かれ、その日はサルヴィアも他の者も大いに羽目を外して楽しんだのは言うまでもない。
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そして迎えた翌日サルヴィアが自室で腕立て伏せをしていると部屋の扉がノックされる。サルヴィアが入るよう促すとクレマチス中尉が入ってくる。
「休日だというのに体力錬成とは精が出るな、サルヴィア」
「いえ、こうしないと空戦では生き残れませんから」
「確かにそうだな、私も気を抜かないようにしよう。……あぁ、今日は渡す書類があって来たんだ」
「なんでしょうか?」
「下士官の士官候補生学校への推薦についてだ。と言っても貴官には一人しか部下がいないんだったな」
「えぇ、ストレリチア伍長だけですね」
本来はシィプレ伍長という部下がもう一人いたのだが彼女はもう死んでおり、残念なことに補充要員もなかったためサルヴィアの第二小隊はサルヴィアとストレリチア伍長の二人しかいないのだった。
「まぁ、大方答えは決まっているとは思うが一応この推薦書に貴官の自筆で推薦したい下士官の名前を書いてくれ。もちろん他小隊の者でもいいし、何なら誰も推薦しないというものでもいい。このことは貴官にしか言ってないから安心して書いてくれ」
そう言って書類を置いてクレマチス中尉は部屋を出ていく。
中尉がおいていった書類には『この者の士官候補生学校への進学を許可する』と名前欄の下に書いてあり、右下にはR&Hインダストリー人事部の印が押してある。
正直サルヴィアとしては推薦する者は決まっている。——ストレリチア伍長だ。
何の迷いもなく記入欄にストレリチア伍長の名前を書き、一度鍵付きのデスクの中に入れ、筋トレで流した汗を流すべくシャワー室に向かう。
流石に推薦状を手渡すときに汗臭いというのはストレリチア伍長に申し訳ない。
シャワーを終え、士官服に着替え軍帽を被り身だしなみを整える。そして内線をかけてストレリチア伍長を自室に呼び出す。
それから二分と経たないうちにストレリチア伍長がサルヴィアの部屋の扉をノックして入室許可を求める。
入室するよう促すとかなり緊張した様子でストレリチア伍長が入ってくる。
自分がクレマチス中尉から「重大な発表がある」と言われた時もこんな風だったんだろうなと思い、笑いそうになるがサルヴィアはこらえて、わざと重々しく口を開く。
「ストレリチア伍長。貴官に重要な話がある。心して聞いてくれ」
「は、はい! 何でしょうか、中尉殿⁉」
「……はぁ、まぁこれを読んでくれ」
わざと怒りを抑えているような演技をしながらデスクから書類を取り出しストレリチア伍長に手渡す。
「は、拝見させていただきます!」
「あぁ、心して音読してみたまえ」
「はっ! えー、『ストレリチア伍長、この者の士官候補生学校への進学を許可する』? ……え?」
「そこに書いてある通りだ」
「いやっ、でもっ。……え?」
「なんだ? 士官候補生学校は嫌か? いやぁ、まさかストレリチア伍長がそれほどまでに前線勤務が好きだったとは、意外だなぁ」
ニヤニヤしながらサルヴィアがそう言うとようやく気付いたのかストレリチア伍長が涙目でこちらを見てくる。
「わ、私、士官候補生学校に行けるんですか?」
「あぁ、そこに書いてある通りな。安心しろ、それは本物の書類だ。右下に人事部の印鑑が押してあるだろ?」
「本当ですかっ⁉ それにこの手書きの字は……、もしかして中尉が推薦してくださったんですか?」
「そうだ、私が推薦した。嫌なら取り消すこともできるがどうする?」
「いえっ! 行きます! 行かせてください!」
「わかった。では士官候補生学校でも頑張りたまえ」
「はいっ! 本当にありがとうございます!」
その後しばらく談笑したのちストレリチア伍長は嬉しそうに帰っていった。
あんなに嬉しそうにしてくれると推薦した甲斐があったなとサルヴィアは代用コーヒーを啜る。
——その日、少女は空軍大学へ進学することとなった。
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以上、稲荷狐満でした!