第20話 二回目の威力偵察 2
『我々は敵につけられている。方角は太陽の方だ、奴はどうやらこちらが気付いているとは思っていないらしい。私が合図したら一斉に散開しろ、各員墜とされないように気をつけろよ』
「「了解!」」
クレマチス中尉の無線に中隊のほとんどが了解の意を示す中一人だけ異を唱える者がいた。
『中隊長、私にやらせてください! 私ならやれます、さっきも一機撃墜できたんです! 私に任せてください!』
シィプレ伍長だ。おそらく先ほどの空戦で一機を撃墜してアドレナリンが過剰に分泌されているのだろう。平常状態の彼女とは比べ物にならない程冷静さを欠いている。
「ポーン05! これは中隊長の決定だ、貴様は引っ込んでろ! それに奴はおそらく腕の立つ奴だ、貴様では返り討ちに会うだけだ!」
サルヴィアは必死で部下が死に急いでいるのをいさめる。
しかし頭に血が上っているシィプレ伍長の心には届かず、さらに伍長は冷静さを失っていく。
『何ですか⁉ 自分はエースだからって調子乗っているんですか? ミドルネームも、何なら苗字すらない孤児出身のくせに! 私はあなたと違って孤児ではなくシィプレ家の出身なんです!』
正直ここまで物分かりの無いバカは死んでしまってもいいんではないかと思いもするが、こいつの暴走は中隊全員の命を危険にさらしかねない。
それゆえにサルヴィアは必死で彼女を落ち着かせようとする。
「自分の戦績に胡坐をかいて貴様をいさめているのではない! 本当に貴様が死んでしまうかもしれないから言っているんだ!」
『孤児出身のやつの命令なんか聞けるか! 私はここで奴を落としてシィプレ家の名をより大きなものにするんだ!』
そう叫ぶと彼女は一方的に無線を切り上空の敵機に向かっていく。それを見た敵機もシィプレ伍長の駆る機体に向かって降下を始める。
シィプレ伍長を除く第144戦術戦闘飛行中隊の中隊員も慌ててシィプレ伍長の援護に向かう。
「こちらポーン04。部下の暴走を止められませんでした。申し訳ありません」
バカな部下の暴走を止められなかったのは幾ら止められないような状態でも止めることができなかった上司の責任だ。サルヴィアとしては不服だが実際止められなかったのも事実、故にサルヴィアはクレマチス中尉に謝罪する。
『ポーン04、謝罪はいい。今はあのバカを助けるぞ!』
「了解」
シィプレ伍長は敵機が射程距離に入ると機銃を放つ。
しかし単機で中隊を追っているだけあって敵機は相当に腕が立つらしく、シィプレ伍長の射撃を躱すとクルリと旋回し彼女の背後にまわる。
シィプレ伍長も回避機動をとるが敵機はそれにピタリとついていく。本来であればもう撃ち落されているはずだが奴は一向に撃とうとはしない。
弾切れなのかとも思ったがおそらくは違う。奴は空戦をハンティングのように楽しんでいるのだ。
敵機に追いついたクレマチス中尉が側面から機関銃の弾を浴びせかけるが、奴はいともたやすくそれを回避し今度はクレマチス中尉に狙いをつける。
シィプレ伍長から狙いがそれたのを見計らってクレマチス中尉が無線で中隊全員に呼びかける。
『ポーン05今のうちに逃げろ! 第一小隊及び、ポーン04は残ってくれ。それ以外の者で基地まで帰還せよ』
「「了解!」」
第一小隊とサルヴィアを除く面々が帰還していく中クレマチス中尉からサルヴィアに直接無線が入る。
『すまないね、本当は第一小隊だけでやろうと思っていたんだけど、奴は相当に腕が立つ。最年少エース様の力を借りさせてもらうよ』
「了解しました。それにこうなったのは私の部下のせいです。つまり責任は私にあります。全力で部下の尻ぬぐいをさせていただきます……!」
正直気乗りはしないが、この惨状を招いたのは自分の部下で、それを止められなかったのはほかでもないサルヴィア自身。自身の経歴についてしまったキズを最低限抑えるべく、ここは何としてもサルヴィアがあの敵機を撃墜、もしくは撃退しなくてはならない。
腕の立つ敵を相手にするというストレスと経歴についたキズのことを考えて、サルヴィアは自身の胃の内壁がゴリゴリと削られていく錯覚を覚える。
しかし今は眼前の敵に対処せねばならないとサルヴィアは意識を切り替える。
敵は中隊長であるクレマチス中尉をもってしても撃墜できず、何ならクレマチス中尉の背後をあっさりととってしまう。そんな状況の中クレマチス中尉の悲鳴にも近いような無線が入る。
『奴の胴体のペイントを見ろ! 稲妻のマークだ!』
『な——⁉ まさか——《《雷神》》⁉』
無線機越しでもユーリカ少尉の驚きが伝わってくる。
『——ッ‼ あの時はアリシアとユリスをよくもッ——‼』
優しそうなカトレア少尉の雰囲気は消え去り、怒りと殺意がむき出しの咆哮ともいえるような叫びがサルヴィアのいるコックピットに反響する。
『カトレア! 冷静になるんだ! 奴は相当に腕が立つ狩り殺されるぞ!』
クレマチス中尉は中隊長として頭に血が上ったカトレア少尉を落ち着かせようとしているが、コールサインではなく本名でカトレア少尉を呼ぶあたり本人も冷静さを欠きつつあるのがわかる。
ここまで必死に回避機動をとってきたクレマチス中尉だったが雷神と呼ばれるエースの放った弾が右の翼にあたりフラップは吹き飛び、燃料が漏れている。
クレマチス中尉にトドメを刺そうとしている雷神にカトレア少尉が機銃を乱射しながら突っ込んでいく。
しかし雷神はそれをクルリと回避しカトレア少尉の背後につき機銃を一連射する。
放たれた弾はカトレア少尉の機体の垂直尾翼に当たり、——それをへし折る。
そしてトドメを刺すべく雷神は機関銃を唸らせる。
しかしカトレア少尉と雷神との間にユーリカ少尉が割り込んでカトレア少尉を死の淵から救う。しかしユーリカ少尉の機体の翼端は消し飛び、飛ぶことはできるが戦闘は不可能なほどに手痛くやられてしまった。
たった数分の間に先任たちは皆戦闘不可能にされ、この中で戦えるのはサルヴィアだけとなってしまう。
そしてサルヴィア以外飛ぶのでやっとであると考えたのか雷神は狙いをサルヴィアに切り替える。
相手は格闘戦のプロフェッショナル、格闘戦になった時点でサルヴィアの敗北は決定的となるだろう。おそらく相手もそれは分かっている、故にヘッドオンつまり正面からの真っ向勝負には乗ってこないとサルヴィアは予想し、自分であればどうするかと考える。
仮にサルヴィアが雷神の立場であればヘッドオンをすると見せかけ、すれ違いざまに逆宙返りの要領で背後をとるだろう。
そう考えたサルヴィアはヘッドオンになる直前、雷神そのものではなくそれよりも少し下に弾をバラ撒く。
サルヴィアの予想通り雷神は逆宙返りをするがさらにそこから機体を捻り上手く回避する。——がしかし何発か当たったらしく雷神の翼からは燃料が白い尾を引いて漏れている。
だが致命傷とはならなかったのか、雷神はそのまま旋回しサルヴィアの背後をとる。そして狩人が獲物を追い込むように、一向に撃つことなくピタリとサルヴィアの背後についてくる。
こちらが生を諦めて回避機動を止めるのを待っているんだと、サルヴィアは直感的に察する。——つまりこちらが逃げ続ける限りトドメは刺してこないということである。
そう考えたサルヴィアは急上昇を始める。キャノピーの鏡越しに見ると、やはり雷神は相変わらずピタリと背後についてきている。
「そうだ、そのままついてこい!」
自分以外いないコックピットで独り叫びながらサルヴィアは己の口角が自然と上がっていくのを実感する。
「これだ、これこそ求めていたものッ——!」
戦闘機という無機物を介した命のやり取りにサルヴィア、——否、サルヴィアの中の前世の人格が血をたぎらせる。
かつて普通だった男は心の奥底ではこのような極限の状況を望んでいたのだ。
クルリクルリと回避機動をとりながら二人は上昇していく。
エンジン性能はサルヴィアに軍配が上がるが、エネルギー保持率は雷神の方が勝っている。おそらく二機ともほぼ同じタイミングで失速することになるだろう。
しかしサルヴィアはあえて、スロットルレバーを引き徐々に、相手に悟られない程度に減速する。
そしてある程度速度が落ちたところでスロットルレバーを限界まで引くと同時に操縦桿も渾身の力で引き、失速したところで操縦桿とスロットルレバーを今度は限界まで押し込む。——コブラ機動だ。
サルヴィアの急制動に焦ったのか雷神は機銃を撃つ。何発か当たりはしたがサルヴィアにとって致命傷にはならず、サルヴィアの機体は綺麗に雷神の背後にまわりこむ。
そして好機を逃さぬようサルヴィアは機銃の発射トリガーを引き絞る。
雷神も回避機動をとるが何発か当たり、フラップがもげ、エンジンからは黒い煙が出ている。
しかし、完全に息の根を止めることはできなかったらしく、雷神はフラフラと飛んでいる。追撃しようとも考えたが先ほど受けた銃撃で燃料タンクに穴が開いたらしく、燃料計がぐんぐんと減っていっている。何とか基地まではもつだろうが、追撃は到底できないだろう。
後ろ髪を引かれる思いの中サルヴィアは基地の方角へと機首を向ける。無事とは言えないが、何とか中隊から死者を出さずに雷神を撃退できた。
そして満身創痍で第一小隊とサルヴィアは基地へと帰還する。
フラフラになりながらもなんとか全機着陸し、機体から降りる。
——その日、少女は命の駆け引きを味わった。