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Bloodchain  作者: 三井紘
11/12

「チッ」

 思わず舌打ちをつく。

 どうせ大したことは出来ないと高を括っていのが失敗だった。まさか奴らが私を殺そうと本気で矛先を向けてくるとは。しかもすぐに攻撃してみても全てあの球体が弾くと来た。全く忌々しいったらない。

 いいや、これ以上イラついていても良いことなどない。そんな暇があるなら奴の反抗の意思すら砕くほど一瞬で方をつける手はずを整えておくべきだ。

「SetGround point1 to 10」

 そう呪文を唱えるとコンマ数秒のうちに脳内で計測した座標、計十がpoint1からpoint10までの全ての変数に代入され、対応した位置に魔法陣が展開する。

 パチンと指を鳴らすと術式が起動し、それぞれに向かって周囲の石や岩が落ちて集まっていく。後は球体が消えた瞬間に全て落してやれば、いくら炉の鍵を使用していようと無事では済まないだろう。

 準備が整うと、不意に奴の言葉が脳裏にちらつき改めて舌打ちを一つ。

 自分を騙すようなことはやめろだと?知った口ばかり利く。騙さざるを得ない人間の気持ちなんて分かりはしないくせに。誰が殺したくて殺すものか。人を刺した瞬間の理性の欠片が失われる感覚が本当に嫌いだ。あれを感じる度に望んだ理想から自分が離れていく気がする。でもだからって全てを投げ捨てる訳にも、ましてや自分自身を見失う訳にもいかないから、ここで踏ん張って戦い続けるしかないんじゃないか。だから奴には決して分かりはしない。奴にとって数多あって当然の物を、たった一つ手に入れるためだけに死に物狂いで戦い続ける私の気持ちなんて。

 目の前の球体が消え失せる。

 目障りだ、死んでしまえ。

「point1 to 10 override」

十ある魔法陣の座標が更新され、一斉に五木弘人と重なる。石や岩は魔法陣を追うようにして一直線に落ちていき、五木弘人の立っていたところには岩山が築かれた。

 これで終わりだ。後は上に連絡して五木弘人と炉の鍵を運ばせれば、少しは私もあの方から愛していただけるかも―――

 そう思った時だった。

 積み上げられた岩山が中で爆発でもしたかのように四散する。咄嗟に自分の前に座標を設定して壁を作った私は何事かと岩山のあった場所を確認した。

 そこには奴が立っていた。

 ボロボロになった服を身に纏い、額から右腕と同じく赤銅色の湾曲した二本の角を生やした奴が、無表情ながらもその怪しく光る紅い瞳に確かな炎を宿らせ、私を見つめて立っていた。

「嘘…でしょ…?」

 身に纏うオーラも、射殺すような視線も、全てがおよそ人の限界値を遥かに超えた憎悪が込められていたけれど、私はそれらに恐怖は抱かなかった。いいや、抱けなかった。

 奴の額から生えた二本の角。それは数十、数百の屍の山を築いても至ることが出来なかった希望。神に限りなく近い存在へと覚醒した証。今や奴は単なるマチコレポートの手掛かりではなく、炉の鍵と並び立つかそれ以上に世界の命運を握るファクターに相成ったのだ。そしてそれは私や私の姉妹達の存在意義の否定に他ならない。

「お前は……どれほど私の気持ちを逆撫ですれば気が済む!」

瞬きよりも僅かな時間でもう一度座標を計測し、更に発動速度を速めるために魔法陣の数を半分に絞る。

「SetGround point1 to 5!」

 五つの魔法陣が奴をぐるりと囲むように展開され、指を弾く音と共に岩が落ちる。

「なっ…!」

 だが着弾した時、もうそこに五木弘人の姿はなかった。

 周りを見回す。すると周囲にそびえ立つ木の枝に立つ奴の姿があった。

 移動したのだ、一瞬で。初速だけでも時速80キロはあった目の前の岩を全て避け切って。

 私はすぐに思考を切り替えて使用する術式を変更する。

「MoveGround point1 to 3!」

 私の前に三つの魔法陣が展開される。指を鳴らすと魔法陣はそれぞれ別のルートから五木弘人に迫り、その後を追うようにして三つの岩の雪崩が形成された。

 着弾。しかし土煙が消えた頃、またもやそこに五木弘人の姿はなかった。

 逃げたか?いや違う。反響する風切り音。衝撃波にも似た足音。よくよく目を凝らせば見えてくる。不規則に速度を変えながら木々の間を移動し続ける五木弘人の姿が。

 恐ろしい身体能力だ。しかし俗説に則った対処法だ。

重力魔術…正確にはMoveGroundはリアルタイムに座標を更新し続けることで魔法陣、つまり重力の落下ポイントを自在に変える術式だ。だから高速で移動されては手が回らなくなる。

 …と言う訳ではない。

 このMoveGroundは膨大な魔力量はもちろんのこと、脳内で座標をおよそ10^(-3)秒ごとに計測し続け、更にそれを複数同時に処理すると言う人間離れした演算能力が求められる。それ故に重力魔術師はかなり希少であり、一種都市伝説のような扱いをされている。だが裏を返せばそれは重力魔術師には都市伝説級の処理能力が備わっていると言うことでもある。

 雪崩のうちの一つが五木弘人の後ろを追い、残り二つが進行方向を妨害するように展開される。奴は迫る全てを木の幹や枝、時には雪崩をも足場に使って曲芸じみた動きで避けていった。

 だがそれも長くは続かない。ルートを限定されたことで動くための選択肢も、避けるための行動も制限された奴は次第に動きが単調なものへと変わっていく。

 そしてついに現状を打開するためか刀を上段に構え、一直線に私の首を刈ろうと幹を蹴った。

 刀が振り下ろされ、私の首へと吸われていく。そして触れ合う一秒前、奴の体は横から現れた雪崩に殴りつけられ吹き飛んだ。

 誰が言ったか知らないが、高速移動くらいで我ら重力魔術師が負ける道理はない。

 私は吹き飛ばされた奴に追撃を加えるため、一本の雪崩を向かわせる。だが奴は追撃を避け、また木々の間を移動し始めた。

 戦闘とは究極、状況の対応し合いだ。Aの行動をされたからBの行動をとる。Bの行動をされたからCの行動をとる。こうして相手の動き、心理状況を加味しながら対応し続け、付いていけなくなった方が負ける。だが今奴はどうした?対応をせず、また同じ行動を続けた。

 身体能力は向上しても所詮は素人、これでは戦闘ですらない。であるならばこれ以上続けても時間の無駄だ。

 相変わらず木々の間を飛び回り、ルートが限定されてはその度に突っ込んで殴りつけられる五木弘人。私はそんないっそ哀れにも思える姿を見ながら呼吸を整え、口を開いた。

「流れる滝が落ちるように 熟れた林檎が落ちるように 落ち行くことを拒むなら 広げた翼を疾く閉じよ」

 魔術を発動するための技術として呪文がある。

 魔術とは脳内にある処理領域で術式を組み、それに魔力を通すことで現象を起こす技術。しかしいくら私達が超常の力を扱う者だったとしても所詮は人間。精神状態のブレ如何では術式を組めなくなることもある。

 だから私達は術式の組み上げ工程と言葉を結びつける。その言葉を呟けば、精神状態の良し悪し関係なく自動的に術式が組み上げられるように。この言葉こそが呪文だ。

 呪文を半分読み上げ、地面に半径20メートル程の大きな魔法陣が現れる。

 五木弘人はまたしてもルートを限定され、首を刈ろうと一直線に私の下を目指した。だが今度はさっきまでと違い、たどり着く前に進行方向を私から地面の魔法陣へと変えた。否、五木弘人一人に作用するよう設定された重力が奴の体を引き寄せたのだ。

 強制的に着地を余儀なくされた奴は何かを察して逃げ出そうと地面を蹴る。しかし僅か1センチ程浮いただけで、すぐに体が重力と言う見えない鎖に引き戻された。

「しかしなおも翼を広げ 果てを目指すと言うならば 私がここで撃ち堕とそう 理をもって撃ち堕とそう」

 呪文を読み上げ終わると五木弘人の上空に大小様々な魔法陣が連なって現れた。

 上空の魔法陣はパチリと紫電を弾かせながら回転を始め、同時にそれぞれの間隔を縮めていく。そして重なり一つとなると、今度は五木弘人一人をピンポイントに狙うようにサイズを奴に合わせて縮小させた。

 私はこれで見納めになるだろう憎き男の顔を見つめる。

「堕ちよ、果ての天蓋(リガトゥス・アラス)

 パチンと指を鳴らす。上空の魔法陣は五木弘人に向かって落ちて行った。

爆発音にも似た大きな音と共に吹き上げられた土煙は勢いよく私の肌を撫で、それからゆっくり漂いだす。不自然に揺らめくことなく、あるがままに流れるその煙の波は、私に五木弘人が死んだことを告げた。

アドレナリンが切れ、緊張が解かれるとともに「ふぅ」とため息を一つつく。

ずっと続いたこの任務もイレギュラーばかりではあったけれど、やっとのことで終わるのだ。そう思うとなんだか無性に体から力が抜けてしまった。

そんなことを考えながら視界が戻るのを待つ。すると不意に一陣の風が吹き抜け、煙を全て攫って行った。

「え?」

 視界が戻るとそこには大きな水の球があった。

 魔術の影響で出来たクレーターの真ん中。本来あるはずの肉塊はそこにはなく、代わりに暗く、黒い、深海の底から切り取ってきたかのような水の球が鎮座していた。

 球はてっぺんからスプリンクラーのように水を撒き散らして解けていく。その中から現れたのは相も変わらず無表情ながらも、殺意と憎悪だけは確かな五木弘人だった。

 奴はゆっくりとした動きで刀を天に向かって(かざ)すと、軍配の如く振り下げる。次の瞬間、私の視界を遮るように無数の土の壁が全方位から一斉に隆起した。

 私は思わず歯噛みする。

 重力魔術は正しい座標の測定が求められるため視界が開けていることが必須条件であり、同時にそこが唯一の弱点でもある。奴はそれを偶然にも的確に突いてきたのだ。

 …いや待てよ。

この土の壁もさっきの水の球も土壇場で使えるようになったなんてご都合主義な物とは思えない。つまり最初から使えたのに使わなかった?それに思えば奴の体はあんなにもボロボロなのに、脚色は衰えるどころかむしろ心なしか時間が経つにつれ増していた。

「………あ、あぁ……ああぁ…!」

いいや、いいや違う。偶然などではない。私は奴がずっと馬鹿の一つ覚えのように木々の間を移動していたからそれしか出来ないものと思っていた。だから水圧で身を守ったことも、この壁で視界を塞いだものも偶然引き当てたものだと思っていた。だけど違う。奴は一辺倒な動きしか出来なかった訳ではない。全て分かった上でわざと一辺倒な動きをしていたのだ。私の魔術を見切るために。

こんなものは戦闘ですらないと私は言った。そう、戦闘ではなかったのだ。奴にとって今まではほんの偵察ついでの肩慣らしでしかなかったのだ。

「…バカにしてぇえ!」

 座標を計測し

「SetGround point1 to 10 inversion!」

 そう叫ぶと私を囲むように円形に魔法陣が展開され、それからパチンと指を鳴らす。起動した術式は今までと反対に魔法陣から放射状に重力を発生させ、周囲の壁を残らずなぎ倒した。

 しかし視界が開けた途端に私に影が落ちる。顔を上げると奴が上空から残り1メートルの距離まで詰めてきていた。壁を囮に使ったのだ。

 接触まで概算で10^(-4)秒。計測が間に合わないと判断した私は、体にあらかじめ仕込んでおいた身体強化の術式に魔力を流して袖からサバイバルナイフと取り出すと、奴の刃を迎え撃った。

 叫び声にも似た甲高い金属音が森の中を駆け抜ける。私の体はボールのようにいとも容易く吹き飛ばされていた。

 一瞬、事態が理解出来なかった。だって身体強化を特に力を入れている訳ではないとは言え、それでも膨大な魔力と処理能力を持っている重力魔術師の私がこうも容易く押し負けるなど本来あり得ないからだ。

 着地から体制を整えてすぐに計測を始める。奴と近接戦は分が悪すぎる。

「MoveGround―――」

 しかし戦略を練り直したのも束の間、またしても私に影が落ちる。刀を中段に構えた奴は、既に私の目の前で地面を踏み込んでいた。

 計測を取りやめ再び身体強化に全てのリソースを回すと、一合、二合、三合と刃と刃をぶつけ火花を散らす。

 さっきと違い落下の勢いが無いからか一撃で押し負けることはないが、それでも一合交えるだけで腕に電撃のような痺れが走る。このままではジリ貧だ。

 それでもここまで接近されていては打てる手もなく奴の刀を受け続ける。

 …あれ?

「…一二三、一二三、一二三」

 呟きながら刃を受ける。そして感じた疑問が確信に変わった。

奴の刀の軌道は袈裟斬り、斬り払い、斬り上げ、この三つを繰り返しているだけなのだ。

身体スペックでは負けていても種さえ割れればイケると判断した私は、衝撃を受け続け痛む右腕を押してタイミングを見極める。そして初めの打ち合いから丁度三十合目の斬り上げに合わせて奴の刀を上に弾いた。

 無防備に開かれた懐。奴の身体能力なら瞬きほどの合間に立て直すだろう。だがそれでもこの距離ならば私が心臓に牙を立てる方が速い。

右足を前に出して体ごと懐に潜り込み、左手のナイフと奴の心臓目掛けて伸ばす。

そうして勝利を確信した時、不意に奴の後ろに煌めく何かが見えた。黒くて鈍い輝きを放つそれは小さな石ころのよう。しかしよくよく見るとそれは先が尖っていて、石と言うより(まき)(びし)…いいや違う、あれは(やじり)に近い。

誘われた!

気が付いてすぐに回避運動を取ろうとするも時すでに遅し。踏み込んだ右足に抉られるような痛みが走ったかと思うと、急に制動の効かなくなった体は地面に向かって倒れて行った。

 何が起こったのかと、すぐさま首だけ動かして確認する。私の右足は脛辺りから下が乱暴に食い千切られたかのように無くなっていた。

「いやぁぁぁぁ―――」

傷を自覚したことで全身を痛みが駆け巡り、苦悶の叫びが口から溢れ出す。だがすぐに私の口を猿ぐつわの要領で何かが塞ぎ、声は空気の洩れる音に変わった。視線を向けるとそれは木の根。男達を封じたあれと同じ木の根。

猿ぐつわの正体に気が付くと、謀ったようなタイミングで大地が蠢き出す。地面を突き破って溢れ出した無数の根は体を雁字搦めにすると、男達同様私の体から力を抜いていった。

魔力が根に接触した部分から漏れ出していく感覚がする。これはマズい。これを放置していては術式が組めなくなり、本当に打つ手が無くなってしまう。

タンクに穴でも開いたかのような勢いで魔力が漏れ出す中、私は必死に術式を組み始める。だが極限状態にも拘らず、呪文を唱えることが出来ない今の状況では、普段手慰みに組む簡単な術式ですら組むことが出来なかった。

しかしそうして魔力が底を突きかけた時、突然根の締め付けが緩くなり、体がさっきよりも動かしやすくなった。ただし

「あぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 身を焼く激痛と引き換えに。体中を覆った根は真っ赤な炎に包まれていた。

 あまりの辛さに無意識に口から絶叫が押し出される。身に着けた服は塵になりながらもところどころで私の皮膚と溶け合い、同化してぐちゃぐちゃになり、動くたび針山を深く刺されたような痛みを繰り返す。同化を避けた部分も既に元の様相を留めていない。白かった肌はプス、プスと水分の蒸発する嫌な音を上げ、血を滴らせながら皺くちゃに収縮し、茶色、そして黒色へと変色していった。

爪が解ける。目が乾く。髪が燃える。血が沸騰する。身が焦げる。

地獄。生き地獄だ。生きるために抵抗すればするほど死に近づいていき、生への手綱を手放してしまって方が楽だと思ってしまう。しかし思ったとしても決して離せない。痛みを与えられれば与えられるだけ意識は覚醒させられ、奴によって私の手と溶接された鉄の手綱は私が死ぬその時まで苦しみを与え続ける。

一寸先も判別出来ないようなぼやけた視界の先で、何かが炎に反射してギラリと光った。

「いあぁぁぁぁぁ!!!」

 私の腿にこんな状況には似つかわしくないほど冷たい感覚が通る。それはすぐに無くなり、後には激痛だけが私を襲った。立て続けに今度は脇のあたりに同じ感覚が通る。二の腕、鼠径部にも気持ち悪いほど冷たい感覚が流れた後、やっぱり激痛が走る。

 奴は致命傷を避けながらも、確実に痛みを与えるため、私の体のあちこちを刀で刺していた。

「やめてぇ!もうやめてぇえ!お願いだから!私が悪かったから!」

 しかしそんな叫びも五木弘人には全く届かない。奴は楽しそうにするでもなく、憎そうにするでもなく、ましてや悲しそうにするでもなく、ただ無表情に、作業の様に私を刺し続けた。

 それからしばらくして十数か所に穴を空け終えた奴は手を止め、刀を振る。炎はそれに従うように消え去った。

周囲にまで広がった炎の影響で真っ黒となった大地を無感動に眺めた奴は、左手を伸ばし、炭化した根の中から私の首を掴むと、融解した肌など気に留めもせず乱暴に体を引き上げる。そして体を軽く上に投げると、落ちてきたタイミングで私の顎を刀の柄で横薙ぎに殴りつけた。

「ぐごぁ…!」

 倒れこむ私に近寄って来た奴は、最後まであくまで無表情に刀を振り上げる。そして―――


 ***


『最後はお前が方をつけろ』

 気が付くと俺は刀を手に黒焦げた大地に立っていた。

 地面は焼かれて禿げ上がり、周囲の木々は炭化して倒れ、随分と見晴らしがよくなっている。恐らく相当な激戦が繰り広げられたのだろう。だがそんなことは今どうでもいい。

 目の前に倒れる息も絶え絶えな阿藤を見る。

こいつがいなければ虎太郎は腕を失わずに済んだ。こいつがいなければ多くの犠牲が出ずに済んだ。こいつがいなければ碧羽はまだ笑っていられた。こいつがいなければ……

溢れて出るのは憎悪と殺意。こいつだけは許せない。許してはいけない。

刀を振り上げる。

もう何もかも関係ない。こいつにも主義や主張があったのかもしれない。願いや信念があったのかもしれない。だけど関係ない。そんなものに興味はない。

首目掛けて振り下ろす。

 こいつに生きている価値などない。警察に捕まり投獄されるなど甘過ぎる。

抱いた願いに指先すら触れられぬまま、路傍で惨めに死んで行け。


(どうしたんですか?殺すのではなかったのですか?)

 俺の中から七瀬の声が聞こえてくる。刀の切っ先は既の所で止まっていた。

(恨めしいのでしょう?許せないのでしょう?あともう少し私を下げれば翼を殺せますよ?)

「あぁそうだ!俺はこいつが許せない!殺してやる!殺してやる!殺してやる!」

 自分に言い聞かせるように叫び、右手に力を籠める。だが刀はピクリともしなかった。

 殺したい。殺したいのに殺せない。

こいつを殺せと俺の全てが肯定している。嘘偽りなく今の俺の望みはこいつの主義も主張も願いも踏みにじるように惨めに殺すことだ。それだけなのに。それだけのはずだったのに…

「なんでお前は、最後の最後に余計なことを言うんだよ……」

 急に体から力が抜け、その場に倒れ伏す。全身に疲労と痛みを感じながら俺は意識を失った。



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