聖女追放の話
人と魔が争っていた時代。人の領域から外れた場所。
聖女が松明を掲げて歩いてくるのを片目でとらえた。
教会で大事に育てられていたわりに、夜の山道をしっかりした足取りで歩いている。
彼女のことはよく知っていた。柔和な顔立ちに、人を安心させる声。
聖女に必要と思われる資質をすべて備えている。
きっと、赤い血の代わりに親切心が身体に詰まっているのだろうと思っていた。
もっとも、もう少しすればどうでもよくなるのだが。
アデーレは何度も頭の中で反芻した言葉をなぞり、最初にかけようと用意していた言葉を思い出していた。
「こんばんは、アデーレ。こわいお顔ですよ。明かりも持たず、どうしたのです」
そよ風が麦穂を揺らすような、穏やかな声。
いつもと変わらぬ口調に聞こえた。
アデーレであれば、怒りを隠そうともしない前衛職に人気のない暗がりに呼び出されたら平常心ではいられない。
こいつも見た目ほど心穏やかではないのかもしれないが、そうだとしたら、うまく隠していた。
「どういうつもり、マウラ」
自分で思っていた以上にいら立った声が出た。しかも、練習していた段取りをいくつか飛ばしてしまった。くそっ。
「どういうつもり、とは……」マウラのいかにも困惑しています、という表情が松明で歪に照らされた。
拳を叩き込みたくなったが、意志の力を総動員して小ぎれいな前歯をへし折るのを我慢した。
息を大きく吐いて怒りを逃がす。
ただ、殺意だけは腹の中で圧縮され濃度を増していた。
「あんたが提案する道の先々で、魔物の待ち伏せにあっていることだよ」
勇者であるヴエタを庇って、前衛のリッケルトが怪我をした。
この女が薬やらまじないやらで治療し、幸い旅を続けるのに支障はないらしい。
だが、拳ひとつ分ずれていたら間違いなく死んでいた。
同じパーティーとして長年組んできたリッケルトの腕は知っている。泥酔でもしていないかぎり、多少の不意打ちでかすり傷だって負うような男ではない。
なのに、ヴエタのパーティーに入ってからリッケルトも自分も、明らかに怪我が増えていた。
聖女マウラ。
こいつが言葉で、あるいは情報で、巧みにパーティーを誘導する道は、かなりの確率で魔物たちが待ち構えていた。それも、用意周到に。
他の仲間は聖女サマを信じきっていて、気づいている様子はまったくない。それほどまでにさり気なく、確率の域を出ない程度に仲間たちを誘い込むのだ。
自分たちの前任もきっと、同じような汚い罠にハメられたに違いない。
こいつの裏にいる組織、灰教会。徹底的に、妄執的に化物廃滅を掲げるやつらが、魔物と手を結ぶとは考えづらい。教会は無関係と考えていいだろう。
だがこの女、マウラは魔物とつながっている。
金銭か、身の安全か。
それとも肉親が人質にとられているとか、勇者ヴエタに対する復讐だとか。そんな吟遊詩人が歌うような、お涙頂戴の理由があるのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。
こいつの事情なんてどうでもいい。
大事なのは、リッケルトと自分がこれ以上危ない目にあわないことだ。
そしてなにより――
「ああ、そのことですか。てっきり、リッケルトがわたくしに懸想している件かと思いましたよ」
あろうことか、私の相棒はこの性悪女に惚れている。自分ではなく、よりよってこいつに。
「べつに、そのことはどうでもいい……」
「どうでもいい、というお顔ではございませんね」
実に、楽しそうにいってくれる。恋の話で盛り上がる少女じゃあるまいし。
松明の灯りで互いの顔がはっきり見えないせいか、貼りついたような微笑みが本当にお面に見えてきた。心の底から癇に障る、気味の悪い女だ。
怒りと興奮で血液が勢いよく全身にめぐるのを感じる。
頭の冷静な部分が、ベルトに差した剣の重みとマウラまでの距離を意識する。
「証拠は押さえてある。あんたは教会に突き出す」
嘘だ。
確証はあったが証拠なんて集めていない。この女を異端審問官に引き渡すつもりも最初からない。
金で口裏を合わせそてくれそうなやつを何人か知っているだけだ。
鼻で息を吸い込んで、口からゆっくりと吐き出す。
これは必要な手順だと自分にいい聞かせる。
聖女を斬るには、それなりの大義名分が必要だ。
マウラが罪を突きつけられ、慌てふためいて抵抗したということにすれば、うっかり斬り殺してもいいかもしれない。
王国の法や灰教会の掟だとかに照らし合わせ、どれだけの罪になるかはわからない。しかし、少なくとも減刑はされるはずだ。
たが、それなのに、この女はいつものように優しそうな笑みを浮かべていた。そしてまるで、食事の献立を訊ねるような気軽さでいった。
「それが事実だとして、なにが問題なのですか」
……は?
なにをいっているのだ、この女は。
「人の敵たる化物は、一匹残らず殺しつくさねばなりません。それはおわかりでしょう。ですが、世界の広さにくらべ、われわれの時間と資源は、あまりにもかぎられています」
呆気にとられる戦士に、聖女は優しい姉ができの悪い妹に噛んで含めるようにいう。
「枯れ枝を一本ずつ燃やすよりも、一つどころに集めて燃やした方が、効率がよいでしょう」
マウラはいいことを教えてあげた、という満足気な顔をしている。そこに狂気だとか、陰謀をめぐらせる邪悪さといった、アデーレが期待していたものは認められなかった。
「え、ちょっと待って……じゃあ、なに。あんたは、効率がいいってだけで魔物たちを集めて私たちにぶつけてたの」
「そうですよ」
「な、なんで……なんで私たちに黙ってやるの! こっちが不利になって意味ないだろ!」
「そんなに興奮しないでください、アデーレ」
意味ならありますよ、とマウラのやわらかい声が、アデーレの荒げた声を受け止めた。
「すべてはヴエタのためです。勇者こそが、われわれ人たる者の、最後の希望なのです。そして困難な試練こそが、ヴエタを勇者たらしめるのです。それは強敵との戦いによる肉体的な強化だけではありません。苦楽を共にした仲間たちの死を乗り越える、精神的な成長も含まれます」すべてはヴエタがアルハに至るためです、と聖句を唱えるように厳かに告げた。
マウラの言葉でアデーレは理解した。
この女は、いや、おそらく灰教会も。狂人ですらないのだ。自分たち人間と、同じ地続きにはいない。人の形をしたおぞましいなにかなのだと。
アデーレやリッケルト、他の冒険を共にする仲間たちを、薪のように次々とくべるつもりなのだ。自らの信じる大義の炎に。
そんなものが……そんなおぞましいものが、人の発想であるはずがない!
アデーレは内心、血の気が引く思いだった。だが同時に、まるで自分が人間世界の代表にでもなったかのような、奇妙な高揚感を覚えていた。
「ありがたい説法をどうも。やっぱ、あんたとは合わないわ」
やっぱり、こいつはここで殺そう。
呼吸を整える。
それを放つために、右手をだらりと遊ばせ、左手で剣の握りを確かめる。利き目である左側のまぶたを閉じたまま、いった。
「聖女マウラ、あんたを追放する」
勇者ヴエタはいいやつだ。ちょっと、世間ずれしているところもあるが、荒くれものたちの世界にあって、ああいう素直な男は得難い存在だ。
自分とリッケルトとヴエタと、あとあの根暗な長耳魔法使い。みんなで世界じゅうを冒険するのもいいかもしれない。きっと楽しい旅になるだろう。
みんな自分の言葉を信じてくれるだろうか。そうだったら、うれしいな。
追放されるのは困ります。わたくし、まだやることがありますので、とマウラが松明をこちらに掲げていった。
「戦士アデーレ、あなたを追放します」
互いに互いを、無事にこの場から退かせるつもりなどなかった。
皮肉なことに、異なる志で旅を続けた二人は、この場にあって初めて目的が一致した。
殺気があたりに満ちていく。
虫の音が消え、静寂が二人を包む。
聖女は微笑みを浮かべたまま、動こうとしない。
いったい何を考えているのか。
まさか、松明一本で戦うつもりはないだろう。
戦士は聖女までの距離を目測ではかる。
必要な歩数をかぞえる。
約五歩。
アデーレは間合いを詰める必要があり、マウラは距離をとらねば不利であった。
気をそらすために、なにか話題をふるかと考えた。
聖女の意識が戦いからそれた瞬間に、一息に間合いを詰めるつもりだった。
互いに共通しており、聖女の興味をひくもの……勇者がいいだろう。
アデーレが息を吸うのに合わせ、マウラが予備動作もなく、腕を伸ばす力だけで松明を投擲した。
反応が遅れた。
アデーレが間合いを読んでいたように、マウラはアデーレの呼吸を読んでいた。
瞬き一つ分ほど遅れて。アデーレは腰を落とし、あえて身体で受ける形で前進。
重心を移動させ、体重を感じさせない脚運びで間合いをつぶす。
迫る炎に恐怖する本能を闘志で抑えつける。
振り払えば隙ができる。松明に注視すれば、マウラから目線を外すことになる。
夜に呼びつけたのだから、火が使われることは想定していた。
それが松明であれ、ランタンであれ、奇跡による炎であれ。
火は使われる。
灰教会の聖女の命を奪うには、避けて通れぬ道だった。
そのために、今夜アデーレはいつもと違う装備を着こんでいた。
火鼠の外套。
鉱山から産出された鉱石をもとにつくられた耐火性の高い装備であった。
こうなると想定して用意していたのものではない。
アデーレが危機に対して準備を怠らない、よい戦士であったから持っていたものだ。
松明が思っていたよりも強い力で肩を打った。だが、わずかな接触で火が燃え移ることも、体幹がぶれることもない。
松明が落ちる音がした。
アデーレは放つ技を決めていた。
地面でまだ燃える松明を背に、アデーレは暗闇のなかにいた。
炎によって閉じた瞳孔に、月明りだけでは足りなかったのだ。
目が慣れるまで、しばらく時間がかかる。
この隙。
一瞬の間。
これこそがマウラの狙いだったのだろう。
後衛職であるマウラは中距離の戦いを得意とする。
戦士であるアデーレに、わざわざメイスで殴りかかってくる可能性は低い。
考えられる攻撃手段は、灰教会の代名詞。使い慣れた炎の奇跡が優先順位のかなり上にくるだろう。
発動までの猶予は呼吸みっつ分。
松明の投擲から考えて、最短であと呼吸ふたつ分。
一度くらいなら火鼠の外套で耐えられる自信はあった。
だが、それはあくまで死なないというだけの話だ。
なんどか目にした聖女の炎。
屈強な魔物たちが悲鳴もあげられずに炭化した。
あの灼熱が自分を殺すために向けられるかと思うと、心胆が冷える思いだった。
だからこそ、自らの身を聖女の奇跡が焼く前に。
それを放つために。
アデーレは左目を開けた。
それには呼び名があった。
抜刀術。または、居合術。
異邦の師から、在中戦場の心構えとして教わった。
曰く、鞘から剣を抜く動作を斬撃とした神速の剣術。
初めて耳にしたとき、どう考えても抜いた剣を振り下ろした方が早いだろうと思って、真面目に聞いていなかった。
専用の片刃剣が必要なため、マウラはおろか、リッケルトにすら見せたことがない。
マウラが知っている、アデーレの後衛職との戦い方。
剣を抜いていれば、即座に距離をつめ、有無を言わせず斬る。相手が一人であれば掴んで倒し、馬乗りになって短剣で刺し殺す。
アデーレの右手に剣は握られていない。
マウラは掴まれることを警戒している。
習ったときに使っていた異邦の剣ではないが、アデーレの腰には片刃の両手剣が差してある。
まあ、やってできないことはないだろう。
勝手は身体が覚えている。
月の光のなか、片目の聖女と目が合った。
マウラの右手が、アデーレの動きに対応して動くのが見えた。
聖女がすでに持っている獲物は、旅のなかで幾度となく見たメイス。
松明を放ると同時に抜いていたのか。
左手はこちらに向けて伸ばされたままだ。
ひと呼吸にも満たない間、アデーレは警戒心を一段階あげた。
左右で別の動きをしながら、動きに混乱が見られない。
こいつは、こういうことを想定した訓練を積んでいる。
マウラの意識がアデーレの右側に集中しているのを感じた。
剣を抜くにしろ、マウラを掴むにしろ、利き腕である右を使う。右は警戒されている。
マウラの意識はアデーレの左側を見ていない。
それには呼び名があった。
通常の居合は、左手で鞘を引き、右手で剣を抜き放つ。
だが、アデーレが使おうとしている、それは違う。
敵に右手を意識させたのち。剣を左の逆手で抜き、重心と右手で剣を押し出し、相手の心臓を斬る。
記憶の中の師がいった。
「左逆手奇襲斬りという」
記憶の中のアデーレがこたえた。
「そのまんますぎるだろ。人にものを伝える前に、少しは考えておけよ」
炎の奇跡を使うには、両手を組んで祈り手を組まなければならない。
だが、マウラの手は組まれていない。
奇跡を使うつもりがないのか、祈り手を組む必要がないのか。
たとえ他のなにをするにしても、アデーレは必勝のために剣を抜く。
子どもがくしゃみをしたような、甲高い音がした。
記憶の中でふてくされた師がいった。
「お前だったら、なんてつける」
それには呼び名があった。
アデーレの左手が、爆発する殺意をもって剣を抜いた。
マウラの横を抜けながら、剣の刃が一度硬いものにあたる感触があった。あばら骨とは違う、心臓を守る鎧をつけていたのか。
この剣では切れ味が足りない。自分の腕では師には及ばない。
アデーラは構わず体重をかけ、刃の峰を右腕で押した。
足りない分は、右手の甲ではなく肘で剣を押すことで埋める。
硬い感触を斬り砕き、脂肪と筋肉と太い血管と、そして生きるために必要な臓器を斬った。
マウラを殺す感触がアデーレの全身に伝わった。
濡れた、重いものが倒れる音。
振り返り、油断なく間合いを外し、死んだことを確かめる。
それには呼び名があった。
アデーレが記憶を手繰り、自分の言葉をなぞっていった。
それとはすなわち――
「 雷 」
アデーレの隠していた剣技。名を雷といった。
お前のもたいがいじゃねえか、と師が笑った。
生臭い、おびただしい血のにおいのなか、うめき声も呼吸音も聞こえない。
聖女の身体は生きるために動こうとしていない。
戦士は大きく息を吐き出し、小さくつぶやいた。
「他人の男に色目を使うからだ。ざまぁ見ろ、クソバカ」
興奮から覚め、自分が生きている実感と、痛みが戻ってきた。
――痛み?
松明の当たった肩からではない。
覚えのない感触に視線を下げると、自分の脇腹に細い、黒塗りの棒が生えていた。
いつの間に。
いぶかしむアデーレは思い出す。抜刀する直前に音がした。子どもがくしゃみをしたような音。あの時か。――やられた。
左手で松明を放る、右手で獲物を抜く。二重の目くらまし。すべてはアデーレに狙いを定める動作だったのだ。
左の袖に暗器を仕込んでいたらしい。それが聖女の、炎の奇跡よりも頼る、必殺の技だったのか。
そしてようやく、気づくには遅すぎる一瞬の時間が過ぎて、ひとつの考えに思い当たった。アデーレは慌てて杭を引き抜き、食いしばった歯からうめき声が漏れた。――やられた!
アデーレの肉が親指の爪ほど付着した杭を放り捨てる。
くそ、くそ、まずい。きっと毒が塗ってある。
傷口と心臓の間を、骨が軋むほど力を込めて圧迫した。毒が心臓に流れれば、全身に回る。気休めだが、やらないよりはマシに思えた。
血が流れるに任せたまま、死体に視線をうつす。
なんの毒かはわからない。だが、毒を扱うということは、当然それに対抗する手段を備えている。解毒薬があるならマウラの懐か、荷物の中にある。
解毒薬を斬ってなければいいのだが。
アデーレがマウラの死体に一歩近づいたとき、異変に気づいた。
「あら、ひとり消費していますね……」
死体が立ち上がっていた。アデーレの喉から、悲鳴の代わりにしゃっくりを我慢したような音がした。
その音に反応して、獲物を狙う猛禽を思わせる首の動きで、マウラがこちらを向いた。血にまみれていない顔でにっこりと笑った。
「素敵な一撃でしたよ、アデーレ。わたくし、感動いたしました」
月の光のもと、異様な光景が広がっていた。
先ほどの殺し合いがなかったように、死んでいた女が微笑んで立っている。血に濡れていたはず地面と服が乾いている。
違いは、アデーレの脇からこぼれる血と痛み。そして、夜風に揺れる、胸元を斬られた聖女の衣装。
そして、そこから覗く、作り物とは思えない少年の顔が三つ。
生きているのか、四つの眼球がきょろきょろとあたりを見回している。
それら少年の顔は、どことなくヴエタと雰囲気が似ていた。
心臓を斬られて生きている人間などいるはずがない。回復の奇跡なぞ使う暇があったはずもない。ましてや、胸から顔を生やしているものが人間であるわけがない。
ばけもの、とアデーレの震える口からもれた。
「化物なんて酷いことをいわないであげてください。この子たちは、英雄になれなかったヴエタなのです」優しく微笑むアウラが愛おしそうに、顔が半分裂けて、赤黒い果実のような中身が見える少年の頬を撫でた。
「この子はお花のお世話がとても上手なヴエタでした。彼の育ててくれたお花は、しおりにして本に挟んでいます。わたくしのお気に入りなんですよ」
化物がなにをいっているのか理解できない。いや、脳が理解しようとするのを拒んでいる。
自分の常識が、人間の世界が、得体の知れないおぞましいものに汚されている感覚に、生理的な嫌悪感と強い拒絶感を抱いた。
吐き気がした。アデーレの顔から冷や汗がどっと噴き出した。震えが止まらない。
「アデーレ。わたくしの言動に気づく洞察力、わたくしを殺すための用意周到さと技の冴え。どれも実に素晴らしいものでした。あなたのような優秀な人材を処分しようとしていた、自らの行いを恥じています」
その胎、是非わが灰教会にいただきたい、と聖女がのたまう価値観のズレた声をどこか遠くに聞きながら、めまいで地面が揺れ、意識が遠のこうとしているのを感じていた。
戦士の身体から血の気が引き、唇が小刻みに振動し、手足が冷たくなっていく。
アデーレの身体を、恐怖によるものではない、マウラの毒物による震えが襲っていた。
マウラの用意した毒。それは貝の毒だった。
ある肉食性の貝は小魚を捕食するため、毒を海中にたれ流す。
その毒は極めて強力で、少量でも触れてしまった魚はたちまち低血糖の症状を起こし気絶してしまう。
そして生きたまま、ゆっくりと貝に食われるのだ。
今アデーレを襲っている症状が、まさにそれであった。
マウラの袖に仕込まれたバネ仕掛けの暗器から放たれ、アデーレの脇腹に突き刺さった杭。その先端にたっぷり塗られた毒。
それによって、戦士の身体は急激な低血糖によるショック症状を起こしていた。
すぐに糖分を摂取しなければ命に関わるが、アデーレが知るよしもないことであった。
アデーレは頬に感じる地面の感触で、自身が倒れたことを知った。剣も手のなかにない。どこかに転がっていってしまったのだろう。
助けて。死にたくない。ごめんなさい。いやだ。許してください。
口の中が乾き、舌がもつれる。命乞いすらできない。
意思に反して瞼を開けていることができない。
気絶する直前。マウラが踏む地面の音が、ゆっくりと近づいてくるのを感じた。
「元気な赤ちゃんをいっぱい産みましょうね、アデーレ。あなたこそ、英雄の母にふさわしい」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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