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ここは第三役所、異世界転生課  作者: 冬野春巻
第一章
5/7

大型新人とシビ貝と宝物庫

 鳴り響く目覚まし時計の音と共に、その日の朝は訪れた。


 あれから数日経ち、この異世界『ワープス』に来て今日は8日目。転生者制約の7日を過ぎたが、僕はまだこの世界に留まっている。


 そろそろ起きて支度をしなきゃいけない頃だ。鳴り響く目覚まし時計を止め、朝の準備に入る。

 0495号室にて、洗面所の扉を開き、顔を洗い、歯を磨き、トイレを済ませる。ホテル内4階に位置するこの部屋は、社員寮だからなのか、転生者として住んでいた前の部屋よりも幾分か質素で、小ぢんまりとしている。


 朝食のサンドイッチを頬張る。これはメイドさんからのデリバリーではない。食材を買い、不慣れでありながらも工夫して自分で作ったものである。


 慣れない正装に身を包み、少し早いが部屋を出る。

 前にも同じことを考えたような気がするが、初っ端から遅刻をしているようでは社会人としての勤めを果たすことなど難しいだろう。何事もスタートダッシュは肝心だ。


 部屋を出て、階段で1階まで降り、裏手の職員用の通用口から出る。職員は、ホテル内で転生者たちに会わないよう、正面玄関ではなく別の通用口から出入りするルールになっている。


 裏門を出て、寒々とした早朝の中を、陽の光に向かって歩く。15分ほど経って、黒髪が光の熱をたっぷりと蓄えた頃には、もう建物は目の前だ。こちらも転生者に会わないよう、裏門から中へ入っていく。

 来るのが早すぎたか? エントランスにはほとんど誰もいない。

 一角には、ホテルのエントランスにあったものと同じデザインのソファとテーブルがあり、そこに女性が一人いるのみだ。


 その女性が振り返り、こっちを見る。

 レヴィアさんだった。レヴィアさんは僕の顔を伺った後、持っている本をパタと閉じ、こちらに向かってきた。


 「お疲れ様です!」


 「会沢さん、お疲れ様です。なかなか様になってますね」


 「ほんとですか! ありがとうございます」


 「ええ。今日からよろしくお願いしますね。ではこちらへ」


 カウンターの横から奥の通路へ、いつものようにレヴィアさんの後ろをついて歩く。もうこの美しい後ろ姿も見慣れたものだ。


 「いつもこんな早いんですか?」


 「まさか。今日は会沢さんが来る日なので、早めに来て待っていようかと」


 俗に『デートでは、時間よりも早めに集合場所に到着し、出会って第一に服装を褒めるのが基本である』という話を聞いたことがあるが、それらを難なくクリアしてきたこの人は、もしかすると裏では手練れの男たらしなのかもしれない。


 邪推はほどほどにして話を続ける。


 「えっ、そうだったんですか! すいません、こんな朝早くに」


 「いえいえ、構いませんよ。起床時間はいつもと変わりませんでしたし」


 「…改めて、本日より、よろしくお願い致します」


 「そんなにかしこまらなくてもいいですよ」


 正直に言うと、そこはかとなく緊張している。

 なんといっても今日は、元居た世界でやる予定だった初出勤というやつなのだ。ここ数日もソワソワとして居ても立ってもいられず、ホテルから役所までの道を何度も往復して確認し、道沿いに建つ家のレンガの形や、不規則に這うツタの模様まで危うく覚えそうになったくらいである。


 途中にあった階段を上り、2階の通路を少し進んだところの部屋の前に到着する。真ん中に『会議室2E』という札が貼られている扉を、レヴィアさんが懐から鍵を取り出し、慣れた手つきで解錠した。


 「ホテルみたいな鍵じゃなくて、普通の鍵もあるんですね」


 「そうですね。こういう言い方はあまりよくありませんが、あの仕組みは作製と管理にコストがかかりますので、セキュリティが多少粗雑でもいいところではこういう普通の鍵も使っていますよ」


 そう言われてみれば、天ぷらをいただいたあの食堂「いちか」も、普通の扉だったような気がする。この世界は存外、アナログな面も持ち合わせているようだ。


 「どうぞ」


 中へ入ると、部屋の前方に出た。前には壁の端から端に付けられた大きなホワイトボード、あとは白の長机と椅子が並べられている。


 「好きなところにおかけください」


 そう言われたがしかし、自分とレヴィアさんの二人しかいないのに、後ろの席に座るのもおかしな話である。よってホワイトボードに比較的近い前の席の椅子に腰かけ、手をお行儀よく膝の上に置いた。


 こういう場合、後方の席に陣取るのは愚行である。

 座席の指定が無い場合において、"座らせる側の人間"というのは、誰がどこに座るかをおよそ把握しており、その如何によってその人の処遇を決めることもある。


 座るなら意欲を見せる前方だ。しかし、前すぎれば主催者側のエンターテインメントに巻き込まれる恐れもある。中列、もっと言えば前気味の中列が安定の選択肢だ。

 そんなことを考えてみたが、今は一対一のタイマンのため、温め続けてきた僕の経験則もあえなく撃沈である。


 「これから数日はこの部屋で、各種講義を行っていきます。ですが、会沢さんの場合は、所内の仕事どころか、こちらの世界のあれこれについても、まだ知見が足りていないところがあるでしょうから、まずはそちらの知識の方も勉強していただきます」


 「はい」


 「あと、会沢さんの他に先日入所された方が一人います」


 「えっ! そうなんですか!」


 なんということだ。せっかくレヴィアさんと二人きりでのびのび勉強できると思ったのに!


 「既に講義が進んでおりますので、申し訳ありませんが会沢さんには毎日少し長めに講義を受けていただきます」


 「はい」


 「あと………、会沢さんが転生者であるということは、しばらくの間、少なくともこれから一ヶ月は他の人に喋らないようにしてください」


 レヴィアさんは人差し指を口元に持っていく。


 「お察しのとおり、会沢さんの入所は………言ってしまえば裏口入所といったところでしょうか。つまるところ、あまり噂が広がらないようにしていただきたいのです」


 「はい、かしこまりました」


 「このことを知っているのは、会沢さん、課長、私の3人のみです。これは会沢さん自身のためでもありますので、くれぐれも他言しないように」


 釘を刺されたのを鑑みるに、やはり僕が異世界転生課に入ったことは、相当デリケートな問題のようだ。失言に気を付けなければ。


 レヴィアさんが腕時計を見る。


 「それでは、始業までまだ時間もありますので、遅れた分の講義を進めておきますか」


 「そうですね、よろしくお願いしま」


 言いかけたところで、バーンという音を立てて、扉が勢いよく開いた。


 「すいません遅れましたぁーー!!!」


 入ってきたのは、桃色ショートカットの女の子。寝癖が立ち、ボタンを掛け違えている。

 この人とは前に会ったことがある。たしか名前は…


 「まだ始業前ですよ。ステラさん」


 「ほえ?」


 ステラ・アイレードはぽかんと口を開けたまま、壁に掛けられたアナログ時計を注視し、今が始業前の時刻であることを確認すると、緊張していた肩をゆっくりと下ろし、ふわあと欠伸をした。


 「寝ててもいいですかぁ…?」


 「………ええ、まあ、始業までなら」


 「おやすみなさぁ~い」


 彼女は荷物を置き、近くの椅子に座ってそのまま机に突っ伏した。寝息が聞こえるようになったのは、それから30秒も立たぬ内のことである。


 「彼女が会沢さんの入る数日前に入所された、ステラ・アイレードさんです」


 存じております、と言いたいところだが、ここは口を噤む。何せ彼女とは『秘密の約束』を交わしているのだ。

 社内ルールを聞いて分かったことだが、この時点で彼女はミスを2つしている。

 当時転生者だった僕と会ったこと、そして、使ってはいけない正面玄関を彼女がこっそり使っていたことだ。秘密の内訳に追加しておこう。


 秘密…。そういえば、ぶつかった時の僕の服装から、彼女には既に僕が転生者であることを知られてしまっているのでは? これは早急に口封じしておかないと。もちろん平和的な方法で。


 「………それでは、少しご説明させていただきますね」


 「はい、お願いします」


 斯くして、始まった。


━━━━━━━━━


 家庭教師の美人お姉さんに勉強(やむを得ない場合は勉強以外の事でも可とする)を教えてもらうイベントは、男子として一つの憧れである。

 学生の身分を終えた今、それは叶わぬ夢になってしまったかと思われたが、ひょんな形で実現することとなった。望ましくは四畳半か六畳に2人きりという状況だが、あまり贅沢は言わないでおこう。


 「…つまり、魔法の使用時に声を出すのは、立ち上がる時によっこらしょやどっこいしょと言うのと同じで、発動の際に力を入れやすくなるからというのが主ですね。慣れればこんな風に、叫んだりしなくても出るようになりますよ」


 レヴィアさんは発声せずに【ライト】を使い、優しく光る人差し指をくるくるとさせながら言う。


 「はあ、なるほど、結局は練習ってことですね」


 「ええ。ですからお休みの日でも、倒れたりしない程度に魔法を使うようにしてください。練習すれば段々と上達していきますし、魔力の量も増えていきます」


 「使う魔法は、えーっと……万遍なく、色々使った方がいいですか?」


 「そうですね………しばらくはそれでよろしいです。慣れてきたら、練習したい分野の魔法に比重を置いて、重点的に鍛えるようにするのもいいかもしれません」


 「分かりました。えー『使う魔法……は万遍なく、慣れたら、使いたい魔法……を、重点的……に使う』と」


 カリカリとメモを取っていると、チャイムが鳴った。時計を見ると、長針がピッタリ真上を指している。


 「始業ですね。ステラさん、起きてください」


 レヴィアさんは、端の席で未だ寝息を立てているステラ・アイレードの身体を揺らす。彼女の寝起きはすこぶる悪いものらしく、ゆさゆさと身体を揺らしても彼女は深い眠りに落ちているようで、帰ってこない。

 僕はそのゆさゆさを黙って見守った。


 「ステラさん」


 大きめの声、強めの揺らしで、レヴィアさんが蘇生を試みる。

 すると、彼女はガバッと、頭を急に上げた。その後頭部はレヴィアさんの顔面を殴打しそうになるも、反射神経で間一髪、それを避けた。


 「ん…?」


 ステラ・アイレードは寝ぼけ眼で時計を見ている。やがて意識がはっきりとし、現在の時刻を理解したようだが、覚醒し切ってはいないようであった。


 「………ぁぁあああ! 遅刻!!」


 「所内ですよ、ステラさん」


 「へ?」


 ステラ・アイレードは部屋の中をキョロキョロと見回す。


 「ああ、そうだった、そうでした、えへへ」


 そして、僕の方を見た。蛇に睨まれた蛙のように、身体が硬直する。


 「ん~……?」


 「ど、どうも」


 「……あ~! ホテルで会った人!」


 僕をかの事件の当事者と認識したようだ。軽いやり取りをしてお茶を濁すが、聡明なレヴィアさんがこれを見逃すはずが無かった。


 「ホテルで会われたのですか」


 「はい、玄関でドーンとぶつかっちゃって、荷物もバラバラーってなって大変だったんですよ」


 「それは今朝のお話ですか」


 「………!」


 ステラ・アイレードはここでハッと気付く。このまま尋問が進めば、正面玄関の不正使用がバレてしまうということに。


 「えー……いつだったかなー、忘れちゃいました」


 「それじゃあ私が当ててみせます。それは、もしかして、あなたが遅刻をした日ではありませんか」


 「おお! 当たりです! よく分かりましたね!」


 この娘は少々アホなのかもしれない。それに対しレヴィアさんの考察は、一角獣の額の角のように鋭い。


 「正面玄関は使用してはいけないと言いましたよね?」


 「なっ…、あのっ! いや、す、すい……つ、使ってないですよ!」


 「ホテルの従業員に聞けば一発で分かりますよ」


 「すみませんでした」


 突然のキャットファイトはレヴィアさんの一方的な勝利で終わった。まあ猫は猫でも子猫と女豹くらいの実力差だが。


 「まあいいです。今日のところは多めに見てあげます」


 「なんと! ありがたき幸せ…」


 反省しているように見えないが、レヴィアさんのスルースキルにより、悶着は回避された。


 「それでは始めましょう、と言いたいところですが、朝礼に少しだけ顔を出してきますので、少し離席させてください」


 「はい」


 「はーい、了解です!」


 ステラ・アイレードは胸を張り、ビシッと敬礼をする。扉が閉まると、ホッと一息つき、挙手を下ろすのと共に強張っていた身体を解いた。


 一息ついたのは彼女だけではなく僕も同様で、同時に出た二人の一息がシンクロした。思わず顔を見合わせ、自然と会話が始まる。


 「えへへ……、どうもご迷惑をおかけいたしましたです」


 「いえいえこちらこそ……改めまして、会沢新と申します。一応言うと、新の方が名前です。よろしくお願いします」


 「ステラ・アイレードと申しますです。この間もぶつかってごめんなさいでした」


 彼女は座ったまま深々と頭を下げる。相変わらず、御胸のガードがいささか緩いようだ。


 「……あれ? でも、あらた君って転生者だよね? どうして居るの?」


 いきなり名前呼びとは、何というコミュ力だ。

 それはさておき、僕が何故ここにいるのかというのは当然の疑問である。僕が転生者であることは、やっぱり覚えていたか。


 「えーっと……転生者だったけど、そうじゃなくなったというか、あんまり詳しくは言えないんだけど、色々あって、ここで働くことになりまして」


 「ふーん、そうなんだ。お互い大変ですなぁ」


 彼女は左手の親指と人差し指を広げて、その間に顎を置いた。表情はよく分からないが、わけ知り顔とでもいうのか、要は微妙な笑顔である。


 「うん。それで、その件なんだけど、僕が転生者だってことはしばらく秘密にしておいて欲しくて」


 「そっか。ホテルで会った秘密はバレちゃったけど、新しい秘密だね! とにかく分かったよ」


 ホテルで会った秘密、という表現はどことなくいかがわしい雰囲気を醸し出している気がしてならない。アバンチュールと言うのだったか。


 「まあそういうことになるかな……、ということでどうかよろしくお願い致します」


 「これはこれはご丁寧にどうもどうも」


 言い回しから彼女の剽軽ひょうきんな面が見て取れる。


 「あらた君も寮に入ってるんだよね?」


 「うん、寮」


 「何階?」


 「4階の、0495」


 「0495かぁ。じゃあ階段上ってから結構廊下歩かないといけないね。私も初めて来たときびっくりしちゃったよ! あんな大っきな建物、うちの村には無かったからね」


 「ふ~ん、やっぱりここ以外にも町はあるんだね」


 僕が常識知らずな発言をすると、彼女は笑いながら答えてくれた。


 「そりゃあもちろん! こういう大っきくて色んな人がいるところもあれば、一個か二個の種族しかいないような小さな村もあったりするよ。私がいたとこはほとんどがハーフの普通の村だったけどね。あとはたまーに『ヒューム』っぽい観光客が来てたくらいかな~」


 「へえー」


 種族とハーフ。先の合間の時間にレヴィアさんから教わったが、僕含む、僕の知る普通の人間の種族は『ヒューム』という名前らしい。

 『ヒューム』は数多ある種族の中でも、特筆して生殖能力の汎用性が高い種族とされており、特定の種族を除いて、別のほとんどの種族と交配ができるらしい。また現状世界にいるハーフの3割ほどには、ヒュームの血が入っているとのことだ。

 それは15分ほど前に教えてもらったのだが、レヴィアさんと顔を突き合わせて話している途中で「あなたの種族は生殖能力が高いです」などと言われたあの時は、なんとも生理的にむずがゆい気持ちになったのである。


 「ここからどのくらいの所?」


 「ん~と、ここから南の方に向かうと港があってね、そこからまた船に乗って陸に沿っていくと別の港があって、そこが私の村なんだ」


 「ふ~ん、漁村みたいな感じ?」


 「そうそう! 良いところだよ~。あらた君のいたところは? あ、あんまり聞くとレヴィアさんにまた怒られちゃうかな」


 「う~ん、どうかな。まあ少しだけ言うと、とりあえず種族とかそういう概念が無くて、たぶんヒュームしかいない世界だったな」


 「えええ!!!! 動物もなんも!?」


 「ああ、いや動物はいた、ごめん」


 「なんだそっか。ほえ~~~、変な世界にいたもんですなあ」


 この世界に元々いた人間にとっては、たくさんの種族がいて、魔法も使えて、転生という概念があることがやはり当たり前なのだろう。会話をしながらも自分の心に耳を傾けてみれば、音を立てて価値観が崩れていくのが分かる。


 更なる驚きを提供するべく畳みかける。


 「そして魔法も無かった…」


 「魔法も!? え~そりゃまた不便そうですなあ……ん~? 待ってよ~、待った! それおばあちゃんに聞いたことあるかもしんない! シャキョーンみたいな名前の…」


 「地球?」


 「それだ! そうそうチキュウ! へ~チキュウかあ! 平和で良さそうなとこっておばあちゃんが言ってた!」


 「知ってるんだ! 地球ってこっちの世界で割と有名なの?」


 「いや全然」


 彼女は手を左右にフリフリしながら否定した。

 微かなる悲哀の情がこみあげてくる。生まれ故郷や居住区の話題になった時に、自分の番で微妙な反応をされるやつだ。

 「神奈川県なんだ! 神奈川のどの辺り?」という質問に、「希望ヶ丘だよ」などと答えると東京に住んでいる人にイマイチピンと来ないらしいが、その感覚とよく似ている。あとこれに関してはそもそも~ヶ丘という名前の地名が多すぎるのが悪い。


 彼女は続ける。


 「うちのおばあちゃん、昔ここの転生課で働いてたの」


 「へえ」


 「別にそのチキュウの担当だったってわけじゃなかったんだけど、おばあちゃんから色んな世界の話を聞いて、異世界転生課のお仕事も聞いて、それで面白そうだなって思って頑張って入ったんだ」


 「へえ、歴史があるというか、結構長いんだねここ」


 「ん~そうだね、いつからあるんだろ」


 彼女がふむふむしているのを見ていると、扉が開き、レヴィアさんが書類を抱えて戻ってきた。


 「すみません、お待たせしました」


 「あっ、レヴィアさーん、ここって何年くらい続いてるんですか?」


 「はあ、何年くらいというと、創業ですか? …そう言われてみれば、私も詳しい話は聞いたことないですね」


 「なんと! そうなんですか、はは~、何でも知ってる容姿端麗頭脳明晰のレヴィアさんでも知らないとは、こりゃまた難事件ですな」


 「別に何でもは知りませんよ、事件でもありません


 そう言いながらレヴィアさんは僕たち新人2人に書類を配る。左側を紐で束ねた十数枚の紙の一枚目に『異世界転生課のおしごと』と書かれている。


 「さて、それでは始めましょうか」


 


━━━━━




 建物の中の構造は分からないが、食堂から流れてきているであろう匂いが嗅覚を刺激し始めた頃、僕、そして隣のステラ・アイレードもまた、空腹に悶え苦しみながら講義を受けていた。


 「転生課の業務の概要は以上となります。何かご質問はありますか」


 耐え兼ねた彼女が申し立てる。


 「せんせーい! お腹が減りましたー」


 「先生ではありませんが、そうですね。会沢さんは初日ですし、少し早めにお昼に入りますか」


 ステラさんの表情が分かりやすくぱあっと明るくなった。そして机に突っ伏す形で倒れ込む。


 「ほへ~」


 「ステラさん、お昼休みは食堂ですか」


 「はい! 今日も定食をありがたくいただく予定であります教官!」


 ビシッと敬礼するステラさん。


 「教官ではありませんが、でしたら食堂に行かれるついでに会沢さんの案内をお願いしてもよろしいですか」


 「案内了解しました隊長!」


 「お願いします。会沢さんは、お金はお持ちですね?」


 お金は…なんと持っている。7日間の転生者特権を過ぎても、こうして飢えずに済んでいるのは、転生課から、ありがたい給付金をいただいたからなのだ。


 転生時に貰える特典は、諸事情で30日後までに転生できなかった際には、この世界に留まることに伴い、別の形で還元してくれるという規則がある。


 特典は金銭の受取、住居の斡旋、諸々のアイテム補充、職業の紹介などで、これらの中から一つを選択するようになっているが、僕の場合、何故か住居もあれば職業も決まっていたので、とりあえずお金ということになったのである。あくまで「何故か」である。


 貰った金額は、締めて30万エルク。いちかの天ぷらセットに換算すると1000セット、本数にして3000本の海老天をいただくことができる。


 海老天はさておいて、仕事用に服を買ったり、その他必要な道具を買ったりなど、多少元手より減ってしまってはいるが、贅沢をしなければ、給料日まで問題なく耐えられる金額だ。


 「はい、持ってきてます」


 「そうですか。それではまた午後に」


 レヴィアさんが部屋を出る。ようやく一息だ。


 「ううー疲れたー! お腹減ったー! 混んじゃう前に早く行こ!」


 バネが跳ね飛ぶようにステラさんが立ち上がる。然程疲れがあるようには見えないが、言っていることは間違いではないだろう。

 さっきの講義でも半ば寝ぼけ眼ながら、従業員はウン百人といると聞いた。

 外の飲食店に行く等々、全員が食堂に来るわけでもないだろうが、善は急げ、早いに越したことは無い。


 「でもその前に、トイレ…じゃなくてお手洗いに行きたいんだけど」


 「私もトイレ! 行こっか」


 「うん」


 丁寧語への変換もむなしく、迅速に俗語に還元されてしまった。


 ステラさんの言葉選びは、少々雑にも見えるのだが、僕の気にしすぎだろうか? レヴィアさん本人はともかく、レヴィアさんとステラさんの姉妹のような距離感や、課長の…あのちゃらんぽらんな雰囲気を見るに、そんなに上下関係に厳しい職場でないようにも見える。

 まあこんなことを考えるのは大きなお世話だ。今の内は自分のことだけ考えておけばいい。


 「こっちだよ」


 昼休みが近づいてきたせいか、廊下にはちらほらと人の姿が見える。その中を、連れられるがままに歩いていくと、向かい合わせになった一対の扉の前に来た。


 扉にはそれぞれエルフとドワーフのシルエットが描かれたドアプレートが掲げられている。


 「終わったらちょっと待っててねー」


 ステラさんはそう言うと、エルフのドアプレートの扉を開け、中へ入っていった。


 なるほど。これもさっき聞いた話だが、エルフの種族には女性しかおらず、逆にドワーフには男性しかいないらしい。

 それら種族の特性を逆手に取り、女子トイレにエルフ、男子トイレにドワーフを掲げているのか。これがこの世界のユニバーサルデザインというわけだ。


 ドワーフの方の扉を開けると、やはりトイレだった。等間隔に水洗の便器が並べられ、個室トイレも3つほど備わっている。


 左の便器に立ち、用を足す。すると、


 「君、新人?」


 右側から突然話しかけられた。声の方を見ると、2つ隣に立っている青髪オールバックでスーツ姿の男が横目でこちらを見ていた。


 「は、はい、そうです」


 「ふーん、君かあ。大型新人が入ったとかって課長が騒いでたよ」


 「大型っ…、いやいや大型なんてとんでもないです」


 「いやいや。寮住みだよね? 何号室?」


 「0495です」


 「そっかそっか。これからよろしくね」


 「あ、よろしくお願いします」

 

 「あ、あとさ、また課長が言ってたんだけど、君のスキルがすごく便利そうだって騒いでてさ。どんなスキルか聞いてもいい?」


 「まあ、そうなんですかね。えーっと、レコードに」


 言いかけたところで、自分と男の間に人が割って入った。これは会話に割り込んできたというわけではなく、トイレという場の性質上、間の便器に人が立つというイベントが発生し、人越しにそのまま話し続けるかどうか迷い、期せずして言葉に詰まってしまったのである。


 至極些細な葛藤に悩んでいる内に、話の相手は先に済ませたようで、特にコンタクトもなくトイレを出て行ってしまった。


 手を洗い、トイレを出たが、その人が外で待っているということはなかった。中途半端に終わってしまったが、同じ所内にいればまた会うだろうか。せめて名前くらい聞いておくべきだった。


 さっきの人は課長と言っていたが、またクロッカスさんのは何か大袈裟に適当なことを、選挙カーのように喧伝しているのではないだろうか。

 知らない内に大きな期待を背負っていそうで少々不安である。


 「お待たせー行こっか」


 「うん」


 「どしたの?」


 「ん? いや」


 過去を遡っている内に表情に出てしまっていただろうか。


 「なんか今、トイレで声かけられて、僕たちが所内で大型新人として評判らしいって」


 「ほほう……大型新人ね……、フッ、見る目があるじゃないか」


 「どういうキャラなんだ……」


 何故こうも自信に満ち溢れているのだろう。


 「異世界転生課って人手不足らしいね」


 「そうだねぇ。危険な仕事だから普通は誰もやりたがらないだろうし」


 「危険?」


 「転生課って色んな世界から色んな人が選ばれるから、たまーに物凄く危ない人も来るっておばあちゃんが言ってたよ。ほんとはそういう人は転生者に選ばれづらいらしいんだけど、凄い力を持ってるメチャ強な人はそれでも選ばれちゃうんだって」


 「何それ怖」


 「ねー。たまたま2人同時に暴れだしたこととかあったらしくて、抑えるの大変だったらしいよ! あーやだなー、怖い人と当たったらどうしよ………、私あんまり戦える系の魔法覚えてなくてさー、あ、こっちだよ」


 階段から一階へ降りる。食堂は一階のようだ。


 それにしても、転生者が暴れ出すだの、戦える系の魔法だの、まあ何とも物騒なことを言いなさる。クロッカスさんはそんな命に関わるような話題は出してなかったぞ! 

 まあ確かに、その話題を出されたら入るのを渋っていたかもしれないが。


 企業において、実際に行う業務内容は入社してみるまで分からない、というのは就活セミナーでも聞いた話だったが、それは異世界もご多分に漏れずといったところか。


 彼女は続ける。


 「あ、でもね、出張はちょっと楽しみ」


 「出張? へえ~、出張とかあるんだ」


 「別の転生課に行ったりとかあるみたいだよ! あとは………あ、着いたよ」


 ガラス張りの渡り廊下を超えると、食堂に到着である。


 「おお…! 広っ」


 四人掛け用のテーブル、窓際と部屋の支柱には一人掛け用のカウンター席、部屋の真ん中には中華料理屋にありそうな特大の丸テーブルが置かれており、まるで大きなデパートのフードコート、あるいはホテルのバイキング会場のような雰囲気である。


 食堂内はまだ閑散としており、人がいない分余計に広く見えた。


 「んーと、今日は豚肉と野菜の炒め物か。いいねぇ、よし、やっぱり今日もA定食~」


 ステラさんは入口の張り紙を眺めている。


 「A定食は豚肉と野菜、Bは焼き魚とシビ貝のソテー、へぇ」


 「あらた君は?」


 「ん~Bにしてみようかな」


 Bにしたのは、同じメニューを頼むことに関して、気が引けただけである。シビ貝は聞いたことのない食材だが、別に貝類が苦手というわけでもないし、そんな食べられないような物でもないだろう。


 「おっけー、じゃあこっち」


 服の袖をちょいちょいと引っ張られて向かう先は、会計のカウンターだ。上には大きなメニュー表の看板が掲げられており、その看板をしかめっ面で眺めている人がところどころに立っている。


 カウンター奥にはキッチンがあるが、これから昼休みが始まるということもあり、料理人達の間には、ピリピリした雰囲気が漂っている。


 ステラさんが隣にはける。


 「えーっと…、B定食、お願いします」


 「はいB定食ね! 400エルクになります」


 獣人のおばさん店員は滞りなく代金を求めてきた。財布を広げ、100エルク硬貨を4枚、テーブルの上に置く。


 「はいよー、丁度ね! すぐできるから横で待ってて」


 さっさとはけて、横の列にいるステラさんの後ろに並ぶ。


 「ふう」


 慣れない内は、お金を払うのにも一苦労だ。


 キッチンからは食材を焼いたり炒めたりしているようなジュウジュウという音が聞こえてくるが、やがて音が収まるとテキパキと盛り付けられていき、美味しそうな料理の乗った定食が僕たちの前にやってきた。


 「はいステラちゃんA定食と、お兄ちゃんB定食ね」


 「ありがとうございまーす!」


 「どうも」


 新人の割に、ステラさんはもうおばさんと仲良さげである。レヴィアさんにも気を許されてるような雰囲気があるし、さっきも袖をちょいちょいと引っ張ってきたり、このコミュ力お化けめ。


 適当な場所に腰かけ、両の掌を合わせる。


 「いただきまーす!」


 「いただきます」


 トレイの上の大皿には香ばしい色の焼き目がついた魚と、コショウのような黒い粒の掛かった貝のソテーが並んでおり、脇の小鉢には濃い緑色をした野菜、そして手前には白米と、透き通ったオレンジ色のスープが湯気を立てて、食べられるのを今か今かと待ち望んでいる。


 フォークを手に取る。これも新たな発見だが、この世界において箸はあまりメジャーなものではないらしい。


 まずは汁物から。お椀を手に取り口に含むと、海鮮系のダシから構成される、旨味の乗ったほのかな塩味のスープが舌の表面を優しく刺激し、喉の奥へと滑り降りていく。海藻のような具が入っているようだが、まだ手は出さない。


 次はメインの焼き魚。フォークで身が崩れすぎないよう、食感が消えすぎないように適度にほぐし、皮と一緒に口に運ぶ。噛むと、温かな魚肉から溢れ出る汁と皮にしっかりと付けられた塩味が口の中で混ざり合っていく。塩味が強めに付けられているのは、手前にある白米と併せるためだろう。よってすかさず口へご飯を運ぶ。


 続いて隣にある貝のソテー。シビ貝という食材が如何程の物なのか、ここで僕が判定してやろう。貝柱の一つを刺し、口に入れ、奥歯で確かに噛む。


 ビリッ。


 「ン゛ッ!?」


 「わ! 何!?」


 強いビリッとした痛みが瞬間的に口内を襲った。飲み込むのは怖いが、出すわけにもいかず、仕方なくそのまま喋り続ける。


 「………なんはほの貝めっひゃ痛いんだけお」


 「貝? ああ、アタリ引いちゃったんだね」


 「アタリ?」


 「シビ貝って、電気をため込む性質があって、基本的には電気抜きしてから使うんだけど、たまーに抜けてないのがあってね、それがアタリ~」


 ドアノブを走る静電気よりは明らかに強さの格が違ったのだが、僕は口の中に電気ショックを食らったということか。


 「これ、食べて大丈夫?」


 「たぶんもう放電したから大丈夫だよ」


 恐る恐る噛むと、特に何もなく普通に美味しい貝柱だった。それにしても、食材にすら危険が潜んでいるとは。こんなの子供の頃に食べてアタリでもしたらトラウマになること必至だ。


 「食べるの初めてでしょ? いやぁまさか一個目でアタリを引くとは、持ってますなあらた君」


 「そんなアタリ引きたくなかったんだけど。ていうかもう食べるの若干怖い」


 「まあまあそう言わずに。ほんとは滅多にアタるもんじゃないから大丈夫だってば」


 「じゃあステラさん食べる?」


 「えー、ん~、じゃあ…私が一個先に食べるから、そしたら残りはちゃんと食べてね」


 「まあ…分かった。それでいこう」


 「よし、じゃあ一個」


 ステラさんはフォークで貝を突き刺し、軽々と口に入れ、咀嚼する。特に電撃に悶える様子は無い。


 「はい食べましたー」


 「くっ……外れか」


 仕方がないので先に貝をパクパクと食べたが、少しも衝撃は無く、普通に美味しくて香辛料の香る美味しい貝だった。突然のロシアンルーレットタイムはこれにて終了である。


 「ふう」


 「よく食べましたー。で、ネタバラシすると、私黄色属性の魔法使えるからアタリ引いても全然痛くないんだ」


 「えっ」


 彼女はどや顔でそう言った。そして僕の呆気にとられた表情を見て笑っている。なんということだ。最初から僕の独り相撲だったなんて。


 「いやいや失敬失敬、でも美味しいでしょ?」


 「まあ、痺れるのが無ければね」


 「ね。私のいた町でもよく獲れててね、漁師のおじさんが獲ってきたやつをそのまま食べたりとかしてたんだ。そのまま食べられるのは黄色属性持ちの特権なのです」


 ステラさんの表情はまたどや顔に戻り、ふんす!という効果音が出そうなほど反り返っている。


 「ふふふ、まあまあこれでも食べて落ち着きなさいな」


 そう言うと彼女はフォークで炒め物をちょいちょいと刺し、僕の前に差し出した。


 「はい、あーん」


 その瞬間、心臓に電流が走ったような衝撃。こ、このコミュ力お化けめ…! これが黄色属性の魔法というやつか。


 会話こそ平静を装ってなんとかしているが、一つ上のレベルのコミュニケーションとなると話は変わってくる。あーんだの間接ちゅーだの、そういうレベル2的なイベントは僕の通る道には無いイベントだったのだ。


 姉妹を持つ男は女性に耐性があるなどという法則は、万人にも当てはまるものではない。


 「あーーーん!!」


 くどくどと考えていると催促あーんが来た。


 考えすぎだろうか。いや、そもそも考えることなど最初から無いのだ。あーんされたら、あーんされた側は口を開けてただあーんすれば良いだけのこと。


 「あーん」


 適度に口を開けて餌を待っていると、ステラさんは僕の口の中に、あーんを突っ込んだ。


 「美味しい?」


 「ん」


 美味しいことは分かったが、美味しい以外のことは分からなかった。




━━━




 胃の中を満たしていた魚や貝はとうの昔に消化された。今に沈まんとする夕日は、会議室2Eのブラインドの隙間を縫って、オレンジ色の光の板となって差し込んでくる。


 「ホテルから転生者が脱走した場合ですが、ホテルの正面入り口に、マーキング機能が付いています。会沢さんは、正面玄関を通られたことありますよね?」


 「はい、ありますよ」


 「その時、首筋に水滴が落ちるような感覚がありませんでしたか」


 思い出す。ステラさんとぶつかった直後だったか、扉を通る時にそんな感じがしたような気がする。


 「あったような…気がしますね」


 「はい。ホテルの入口には、通る人を感知して水滴を落とす魔道具が設置されています。転生者が期限の7日を過ぎても現れない場合は、身体に付着した魔力を基に探知魔法をかけ、捜索するという仕組みになっています」


 「へえ、ちゃんと分かるようになってるんですね」


 「ですので、今探知魔法を使えば会沢さんと…ステラさんもどこにいるか分かるようになってますよ」


 「ぅひゃい!」


 眠そうだったステラさんの顔が一気に引き締まった。


 「探知魔法は専用の道具を用いて使うのですが、それはまた後日ということで」


 レヴィアさんがそう言い終えると、示し合わせたかのように鐘の音が役所内に鳴り響いた。


 「丁度ですね。それでは今日はこれで終了です」


 「お疲れさまでしたー!」


 「お疲れ様です、ふう」


 ほとんど溜息のような息を吐いていると、オフモードに入ったのを気取られたか、レヴィアさんは念を押してきた。


 「会沢さんはまだ説明がありますので、この後少し残ってくださいね」


 「はい」


 「あっ、レヴィアさん! 私たちが大型新人として持て囃されてるってほんとですか?」


  ステラさんが思い出したように昼頃の話題を差し込んできた。


 「大型新人ですか?」


 「いや、すいません。僕がトイレで話しかけられて、その人にちょっと聞いたってだけです。お名前は聞けなかったんですけど」


 「はあ…私は聞き及んでおりませんが、まあそう言われてもおかしくは無いと思いますが。何度も蒸し返すようで申し訳ないですが、初日から遅刻する人なんてそうそう聞いたこと無いですから」


 「うっ」


 またこの娘ダメージ受けてる…。この調子だと研修が終わってからもしばらくイジられるかもしれない。可哀そうに。それと僕は今朝早く出た自分を自分で褒めたいと思います。


 「…では私めはこれにて失礼させていただきやす。お疲れ様ですー」


 ステラさんは鼠小僧のようにそそくさと帰っていった。


 「さて、休憩はよろしいですか」


 「大丈夫です」


 「それでは始めますか。まずは…業務内容についてのお話からです。必要があればまたメモを取ってください」


 そうだ。入所しておきながら、肝心の業務内容について何も聞いてないのである。知っていることと言えば、さっきステラさんが言っていた、稀に出張があるということくらいだ。


 「会沢さんに就いていただく業務ですが、取り急ぎメインでやっていただくのは『転生者の受け入れ~送り出し』になります」


 「『転生者の…受け入れから送り出し』…はい」


 「会沢さんがこちらに召喚された日から先日の異世界爆発の件まで、私の方から色々と説明をさせていただきましたが、『受け入れ』とはあの作業のことです。『転生』という仕組みについて、こちらに来られた転生者に分かるよう説明をして、なるべく納得のいく形で転生してもらうように促すのがお仕事です」


 「納得のいく形で、ですか」


 僕自身、前向きな検討はしていたが、あまり納得のいく形になったような気はしていない。


 「………言いたいことは分かります。前にもお話ししましたが、基本的にはある程度本人の長所や意志に沿った転生先が選ばれるようになっています。あまり納得しないまま転生された方でも、行ってみると意外とすぐ馴染んだというパターンがほとんどですね」


 「住めば都ってやつですか」 


 「ええ。それで、より細かい業務の内容について学んでいただくために、一ヶ月経ちましたら、実際に転生者の受け入れを行っていただきます」


 「一ヶ月後ですか」


 「はい、と言っても、もちろん最初の内は、私の担当業務を横で見ていただいて、それらを徐々に会沢さんの方にシフトしていって、という形になります」


 ほう。もしやこれは俗に聞くOJTというやつだろうか。"OJT"というのはざっくり言うと『新人が実際の業務に就いて、現場で仕事を学ぶ』という訓練方法だが、実情は『研修期間中の安給料で、現場で体よく働かせるシステム』と、ネットの掲示板に書いてあった覚えがある。


 無論、会社や企業によって差はあるだろうし、コラムのような主観が入る話は真に受けない方が良いと思うのだが、なかなか就職が決まらなかった焦りと不安から、情報はどんなものでも仕入れた方が良いと考えていた時期があった。

 この下衆の勘繰りはその弊害である。


 「職員にはそれぞれ、担当の世界がいくつか割り振られています。私の場合ですと、地球含めて20個ほどの世界を担当していましたが、最終的には、それらの仕事をそっくりそのまま会沢さんに引き継いでいただくのが理想形です」


 「地球含め20個……、多いですね」


 「そうですね。まあこれは、各世界から1人ずつ毎日20人来る、というわけではありません。自分の担当する方だけで言えば、平常は一日に1人以下、多い日でも2人来るかどうか、という程度です。とりあえず今は、召喚から転生までの一連のプロセスをしっかり頭に叩き込んでください」


 「分かりました。すいません、一つ質問なんですけど、これって地球の方が来ることもあるってことですよね?」


 「はい、もちろんです。もしかしたら知り合いの方が来られることもあるかもしれませんが、その時はあまりお喋りし過ぎないようにしてくださいね」


 「うっ、はい」


 また心を読まれたような気がする。死んでしまえば関係の無いことなのだが、生まれ故郷がどうなっているかというのは、やはり気になってしまうものである。追っていたゲームのナンバリングが知らない間に3桁までいってたらどうしよう。


 「さて、初日で座学も疲れたでしょうし、今日はあと、所内の軽い案内で終わりにしましょうか。出る準備をお願いします」


 ペンケースと貰った冊子を鞄にしまい、部屋を出るとレヴィアさんが鍵を締めた。


 「行きましょうか。食堂には行かれたんですよね?」


 「はい、きっちりB定食もいただいてきました」


 少し歩き、廊下の角を曲がる。


 「シビ貝初めて食べたんですけど、なんか最初からアタリを引いちゃってもうパニックで」


 「シビ貝ですか。偶然ですね。私も幼少の頃に初めて食べましたが、そのシビ貝がアタってしまって、恥ずかしながらそれ以来口にしていません」


 「へえ~そうなんですか! なんか好き嫌いとか無さそうなのに、ちょっと意外です。」


 「そうでしょうか。まあ、人並みですよ。…2階のこの辺りは基本的に会議室です。そしてここが倉庫です。ここは我々の仕事に必要な道具が置いてあります」 


 中を覗くと、横長の部屋の手前から奥まで所狭しと金属棚が並んでおり、それぞれの段にはキッチリと物が詰まっている。文房具屋のようにずらりと立てられたペン、白紙の束、『第三役所』というロゴの入った紙袋など、


 「ここの倉庫は役所全体…異世界転生課だけでなく、1階の普通業務をされる方々も使用されますので、仲良く使ってください」


 ここ第三役所には、異世界転生の業務をする部署以外にも、住民の登録や土地の管理等々を行う、要するに、地球の役所にもあるような普通の部署も設置されている。


 「2階はこんなところですね。3階へ行きましょう」


 階段を上ると、重厚そうな皮の大扉が目の前に表れた。


 「ここが、メインオフィスです」


 扉を引き、中へと足を踏み入れる。


 そこに広がる光景は…普通のオフィスだ。広さこそあるものの、魔法的な要素はほとんど見当たらない。学校の職員室で見たようなオフィス用のデスクがたくさん並べられた、ごくごく一般的な変哲の無いただのオフィスであった。


 だが、この場面において『普通のオフィスである』という事実は、何にも勝る朗報である。


 スーツを着て会社に通い、大オフィスの一角に腰かけ、暑い日にはワイシャツの袖をまくったりして、ブラックコーヒーをくいっと啜りながらパソコンのキーボードを叩く。そんな一連の動作は、労働という絶望の中に見出した、数少ない憧れの内の一つだったのである。


 これをして特に何があるというわけではないし、こんなのはただそれっぽいという気分を味わえるだけだ。しかし、されど気分、形から入るというのは別に悪いことではない。夢や憧れが良い現実を引き寄せることだってある。ある意味その結果が、今目の前に広がるこの大オフィスなのかもしれない。


 「いいオフィスですね! 広くて!」


 「広く感じるのは皆辞めていったからですよ」


 「えっ」


 「冗談です。終業時間を過ぎて、皆帰っただけです」


 レヴィアさんの口から社会人ブラックジョークが飛んできたところで、遠くの重役席から呼び声が飛んできた。


 「お~い」


 声の主はクロッカスさんであった。窓際の重役席へと歩く。


 「会沢クンどうだ~い、やっていけそうかい?」


 「はい、まあ、そうですね」


 「まあ1日目だしやっていくもクソもないか! それより広くていいでしょうちのオフィス~、なかなか無いよぉこんなとこ。まあ広いのは皆辞めてったからなんだけどね!」


 「それはもうさっき私が言いました」


 「そんな~」


 ショボーンという音が出そうな勢いで、課長の眉尻が下がっていった。


 「まあいいや。会沢クンは好きな食べ物あるかい?」


 「えっ、急にそんな…好きな食べ物ですか? そうですね、ラーメンとか天ぷらとか」


 海馬に刷り込まれた答えをそのまま言うと、予想外の疑問が返ってきた。


 「らあめん……らあめんって何?」


 「えっ」


 ラーメンを知らないだと? 社会人男性全員の主食とされる、ラーメンをご存知ない?


 たじろいでいると、自分の専門分野と言わんばかりに、レヴィアさんが間髪入れずに答える。


 「ラーメンは地球の食べ物ですよ。いちかにあるメニューだと『ソヴァ』が近いかと」


 「へえ『ソヴァ』か~。ってことは麺が入ってる感じの料理ね」


 クロッカスさんは何かを思い出そうとする仕草で、天井を見上げる。


 ソヴァ。下唇を軽く噛んでヴの発音をしている。フォニックスはあまり得意ではないのだが、2人のそれに習い、半ば大袈裟に発音する。


 「逆に質問なんですけど、ソヴァって何ですか」


 「蕎麦のことですよ」


 「ああ、やっぱりそうなんですね」


 蕎麦だった。天ぷらは天ぷらなのに蕎麦はソヴァなのか…。


 「いちかのメニューだと、店主が教えてもらった際にそう書いてしまったようで、それが定着して『ソヴァ』になったとのことです。そうでしたよね?」


 レヴィアさんから話を振られ、クロッカスさんは天井から意識を戻す。


 「ああ、うん、そうそう。らあめん…う~ん、いちかに無いなら、他のお店にも無いんじゃないかなあこの辺だと。残念!」


 残念極まりない。ラーメンが無いなんて。天ぷらがあったのだから他の料理もあるんじゃないかと高をくくっていたが、世の中そう上手くはいかないらしい。


 「で、話戻るけど…ていうかアレだね。こっちの世界来たばっかりで好きな食べ物もクソも無いか。色んなもの食べられるとこがいいかな」


 「そうですね。フタバ亭にしますか」


 「そうだね~。安定のフタバ亭」


 聞く所、食事の約束か何かの話だろうけれども、全貌が掴めない。


 「すみません、これってどういうお話ですか」


 「いや何、せっかく入ってくれたからステラちゃんと会沢クンの歓迎会をしようと思ってね」


 歓迎会。ついにこのイベントが来たか。


 さて、歓迎会とは名ばかりで、実際は新人が如何に気遣いを見せられるか、如何に粗相の無いよう過ごせるかを問われる、社会という戦場に出てからの一つ目の登竜門であると聞く。歓迎されるのは嬉しいことではあるが、反面、懸案事項が一つ増えてしまったような心持ちである。


 「それはありがとうございます!」


 「うん。この辺で一番大きいとこだから期待していいよ~。レヴィちゃんスケジュール調整誰かに回しといて~」


 「かしこまりました」


 「お願いしま~す。で、何してるのこんなところでこんな時間に」


 「今更ですね。所内の案内ですよ」


 レヴィアさんはやれやれとでも言いたげに応えた。


 「あぁそっか。じゃあ続きをどうぞ」


 頭を下げ、両の手の平を見せてどうぞどうぞと入口の扉を指すクロッカスさん。前々から思っていたが気さくで面白い人だ。ユーモアという意味の面白さに関しては少々外れているところがある気はする。大きなお世話か。


 「行きましょうか。課長、お疲れ様です」


 「お疲れ様です」


 「お疲れ様で~す。あまり遅くならないようにね」


 部屋を出る直前に一礼したが、クロッカスさんは既にこちらから目を逸らしていた。


 「今日はあと一ヶ所回って終わりです」


 「はい」


 廊下を曲がり、オフィスと反対方向へ行くと、今度は、建物の内装に似合わない厳重そうな鉄の扉があった。ドアプレートには『異世界魔道宝物庫』と、仰々しく書かれている。


 「ここは宝物庫です。正しくはこのとおり『異世界魔道宝物庫』ですが、大体皆宝物庫と呼んでいます。ここには異世界転生時に転生者へ渡すアイテム等が保管されています」


 扉に注意書きが書かれている。


 「『異世界魔道宝物庫』への入室は、権限を持った職員を含む2名以上で必ず入室してください』、えぇ…怖っ」


 「その通り、ここは非常に危険な場所です。入室の際は細心の注意を払ってください」


 「分かりました。ちなみに、参考までにどういう物が入ってますか」


 「適当に上げますと、薬草、薬、食料、鉱物、機械、魔導書、武器や防具、あとは…生き物なども保管されています」


 「特典って生き物も指定できるんですね。エサやりとかどうしてるんですか」


 「必要な管理はしてるはずですが…、そちらは管理課の担当なのであまり詳しくは」


 管理課。講義で習ったが、この第三役所には、異世界の転生自体を管轄する『異世界転生課』の他にも課が存在する。その内の一つが『管理課』だ。


 管理課で行われている仕事は、第三役所内にある各施設の整備、転生用魔道具のメンテナンス、ホテル及び宿泊者の対応である。つまりあのメイドさん達も管理課所属になるという。


 「あと、宝物庫の一番奥には、地下の宝物庫へ続くケージが存在しています。そこへ入れるのは、所内でも上の権限を持った人のみです。扉にもなるべく近づかないでください」


 「厳重な宝物庫の中でも、更に危険な地下倉庫ってことですか…一体何があるんですか」


 「あそこは私にも入室権限が無いので分かりませんが、聞いた話によると、一振りでここら一帯を吹き飛ばす剣や、一度解放してしまうと収集が困難な封印など、桁違いの危険物が厳重に保管されています」


 「へぇ~、なんかもうスケールが大きすぎて逆に怖くないですね」


 「そうですね、それに、これは飽くまで噂です。この件に関しては余計な勘繰りや詮索はしないようにしてください」


 これまでのレヴィアさんは、言うなれば竹刀での厳しい指導をしながらも、傍らに相手を傷つけない優しさが垣間見えるような、そういった人間味のある話し方をしていた。


 言葉選びはいつもの口調と変わらない。しかし、今の警告の、その声音の中には遊びが一切なく、鋭く光るナイフを喉元に突き付けられるような、対応を間違えれば躊躇なく切り捨てられるような、そういった真剣さを孕んでいた。


 その警告は、僕の精神の中にある道徳、倫理、タブーを司る部分に大きな打撲痕を付け、触れてはならないもの、別の言葉で言えば禁忌として残り続けることになった。


 「中の扉には錠前が掛けられているので、入ろうと思っても入れないのですが、何かあるといけないので近づかない、それだけご理解いただければいいです」


 「分かりました」


 「それじゃあ本日はこれにて終了です。お疲れ様でした」


 「お疲れさまでした」


 「明日も同じ時間に出社されますか?」


 「そのつもりです。場所は今朝の会議室に直接行けばいいですか?」


 「そうですね。鍵は開けておきますので、会議室2Eの方に直接来てください。それでは」


 オフィスの扉の前で別れ、階段を下りる。


 時刻は終業から1時間ほど回ったところだが、所内に残っている人はほとんどいないようだ。


 始業1時間前出社は如何ともしがたいところだが、終業後のこの時間に人がいないところを見ると、もしかするとなかなかホワイト企業というやつなのかもしれない。


 そういえば、仕事を覚えることもそうだが、社内制度や福利厚生について、もう少し聞いておかなければ。本来その辺りの詳細については入社前に聞いておくものなのだが、事情が事情である。明日にでもレヴィアさんに聞こう。


 『役所』という名称は付いていれども、日本にあるような市役所や区役所とは勝手が違う。国政だって、いや、そもそも今いる場所が国という呼び方で正しいのかも、何も分からない。


 地球のルールがこの世界でも通用するとは限らない。


 ここは異世界。元いた場所とは違う、異なる世界だ。


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