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ここは第三役所、異世界転生課  作者: 冬野春巻
第一章
4/7

究極の二択とはじめてのまほうと、そして

 木漏れ日の中、ベンチに座って、噴水の水飛沫と流れる川の水を交互に見続けている内に、鐘の音がまた鳴り響いた。

 大通りは、文字のとおりこの一帯で一番大きな通りだが、昼下がりの今、人通りはまばらである。


 かの事件の後、憔悴した僕は道の端っこをぽつぽつと、卑しいドブネズミのように歩き、木陰のベンチに辿り着いた瞬間に膝の力が抜け、立ち上がることもままならなくなった。この下半身の脱力は精神的なもので、肉体的な佇立が不能になったということではない。


 初めの内は、河川を泳ぎ渡る人魚が世にも珍しく、楽園に入り浸る浦島太郎のようにそのダンスを楽しんでいたが、その関心も徐々に薄れていった。


 そして今は、罪を犯した罪悪感に対しても、慣れつつある。順応や適応と言えば聞こえはいいが、慣れというのは、げに恐ろしきものである。


 「…行くか」


 今日はもう戻ろうか。そうも思ったが、このまま帰ってしまえば、今日がただ外で無銭飲食をして帰っただけの一日になってしまう。そんな棒の振り方があってたまるか。


 目的地はすぐそこ、異世界転生課である。大通りの端の高台に構えるその建造物は、オレンジ色の夕日が照り返して眩しく光っている。それはまるで人々を見守っているかのような佇まいだが、その一方で僕のことを監視しているようにも見える。


 石造りの広い階段を上り切ると、目の前の建物はますます大きく感じられた。手前にある方の建物の窓には、人影は見えるものの、逆光が反射して中の様子はあまりよく見えない。


 そして、更にその奥にあるのは高層のビルだ。隣に立つ30階建てのホテルと見比べても劣らないほどに大きく、窓が付いていないため、中の様子は一切分からない。実際ビルというには烏滸がましく、鉄塊とでも喩えた方が相応しいだろう。


 重たいガラスの扉を開き、中へ入る。

 建物の外側はものものしい様相を呈していたが、中は存外、僕のよく知る普通の役所と変わらない雰囲気だ。

 正面にずらりと並んだ窓口の一つ一つにはそれぞれ職員が立っており、要所に並べられた机や椅子、待合のソファでは、人々がそれぞれの時間を過ごしている。


 ホール真ん中に鎮座している大きな掲示板を見る。

 掲示板には建物内の階毎のマップと、お知らせなどの張り紙が規則正しく設置されているが、あまりデザイン性のあるものは無く、大きな板の面のほとんどが白色で、少々殺風景である。


 「『引っ越して来られた方は④番窓口まで』、『飲食店オーナーは是非、異世界転生課登録を!』、『私たちと一緒に異世界転生課で働いてみませんか?』、『求人情報:1日労働、炭鉱採掘<ガリアロム>』・・・」


 日雇いアルバイトの求人情報もあるようだ。転生者でもお金を手に入れる方法はこの辺りだろうか。


 「異世界転生課、異世界転生課・・・あった、2~3階。じゃあとりあえず2階か」

 

 フロア2つを貸し切るほどの広さらしい。


 階段を上ると、僕と同じ姿かたちをした『人間』がたくさんいた。どうやらここが異世界転生課のようである。順番待ちの人々がソファに座り、壁に寄りかかり、あるいは地べたにどっかり座っているものもいる。

 白い格好も相まって、健康診断の光景とそっくりだ。


 これだけたくさんの人がおり、窓口はどこも誰かの対応をしていてとても忙しそうだ。


 「256番の方、2階16番窓口へお越しください」


 呼び出しは番号で行われているようだ。さて、地球の役所では、機械から番号の書かれた紙を引き抜いていたが、ここではどうすれば良いだろう。


 「どきな兄ちゃん」


 考えを巡らせていると、後ろから野太い声がした。振り返ると、ガラの悪いソフトモヒカンの、いかにも野蛮そうな人間が立っていた。


 「あっ、すいません」


 言われてみれば階段の真ん前で突っ立ってしまっていた。エスカレーターの出口で止まる迷惑な人にはならないよう日頃から意識していたのに、たくさんの初めてを前にして、すっかり意識の外だった。痛恨のミスである。


 僕が横に避けると、男は中へ入ってすぐそこにある、四角い柱状の石の上面に、力士が手形を取るみたいにビタッと手を張り付けた。

 まじまじと見ていると、四角柱の上面から水色の光の線が、側面を通って下の方へと伸びていく。そしてそれと入れ違いになるように、下の方から同じ色の光の線が伸びてきた。


 そして最終的に、男の手の甲に光と同じ色で304という数字が刻まれた。よく見れば、他の人たちの手の甲にも、似たような数字が刻まれている。


 「ほお」


 僕はすぐさま石の前に立った。男と同じように手を乗せてみると、手の平にピリッとした衝撃が走り、同じように石が光り出し、ひとしきり光った後は手の甲に305と数字が刻まれた。


 やはりそうか。恐らくこの数字が呼び出し番号で、このロゼッタストーンみたいな石が発券機なのだ。


 「305か。さっきの呼び出しが256だったから・・・」


 さて、自分の前に50人くらいいる。こんなことなら番号をもらってから昼ご飯を食べても間に合ったんじゃないだろうか。

 待ち時間というものは何故こうも上手くいかないのだろう。映画が始まるのを待つ間に病院に行こうとしたら、混んでいて上映に間に合わなくなるというようなパターンもあれば、今回のような逆のパターンもまた然り。


 平日だから大丈夫だろう、などと高をくくって店の予約をしなかったら、草臥れるほど混んでいた、なんて失敗もきっとみんな経験しているに違いない。


 ソファには座れそうにないので、人と人の隙間を縫い、壁によりかかる。


 ………明らかに僕の持っているレコードだけおかしい。

 隣の奴もそうだし、皆が持っているレコードが薄い。ブラウン管テレビみたいなレコードを持ち歩いている人はどこを見渡しても僕だけだ。

 やっぱり僕のレコードの時だけ、何かの魔法の途中に不都合でもあったのだろう。


 集団の中で、自分だけが特異であるという状況は、むず痒くて居心地が悪い。バッグに入れておいて良かったと常々思う。


 「257番の方、2階2番窓口へお越しください」


 さっきの呼び出しからは2,3分くらい経ったか。計算すると、残り50人弱で、一人につき2,3分だから…。


 「305番の方、2階1番窓口へお越しください」


 「ん? 305? 呼ばれた?」


 手の甲の数字を見る。305番、確かに呼ばれた。油断していたら聞き逃していたかもしれない。危ない危ない。


 端の1番窓口へと向かう。なんとなく他の転生者に見られている気がする。視線が痛い。


 「すいません、305番です」


 「はい、305番の方ですね。お待たせいたしました。奥へどうぞ」


 窓口と窓口の間の壁が下に収納されていき、人が通れる空間が開いた。

 奥を覗いてみると、レヴィアさんがいた。


 「あ、どうも」


 「会沢様、お世話になっております。こちらになります」


 彼女は僕に向かって会釈した後、手で廊下の奥を指し示した。

 そういえば見覚えのある廊下、僕がこちらの世界に来て、始めに訪れた場所である。ここに通じているのか。

 レヴィアさんの後ろをついていき、鳥かごに乗る。以前と違うのは、鳥かご内にソファが無く、立ち乗りであることだ。

 鳥かごが動き出すと、彼女の言葉を皮切りに会話が始まった。


 「お変わりはありませんか」


 「ええ、まあ。色々ありましたが」


 「色々ですか。…と言いますと」


 「ああ、いえ! 何でもないです、すみません。今日はレコードの中身のこととかお聞きしたくて」


 「はい。詳しくはこの先のお部屋で」


 鳥かごの扉が開くと、また廊下であり、更に歩けば行きつく先は予想通り真っ白なあの部屋だった。


 椅子に座ると話は始まった。


 「不躾ですが、先に確認させていただきたい事項がございます。まず、レコードはどの辺りまでお読みになりましたか」


 「はい、大体は」


 「左様でございますか。実は会沢さんのレコードについてなのですが」

 

 「はい」

 

 「平たく言いますと、他の方のレコードよりもいささか厚みのあるものになりまして」


 やはりその話か。


 「そうみたいですね。さっき待合室でなんとなく察しました」 


 「はい。先日お会いした際に、始めの方のページはこちらで確認させていただいたのですが、見る限り特におかしな内容は無く、以降のページにつきましては、私の権限では中身を確認することができなかったものでして、差し当たり会沢さんに以降の内容を軽くお話しいただけないかと」


 「権限とかあるんですね」


 「ええ、何分下っ端なものでして」


 「下っ端なんですね」


 まだたった二回の邂逅だが、どことなく打ち解けているような気がしないでもない。


 「失礼、忘れてください。それで、肝心の内容についてなのですけれども」


 「それなんですけど、後ろの方はほとんど何も書いてなかったんですよ」


 「何も書いていない? …というのは、白紙だった、ということですか?」


 「はい、綺麗さっぱりです」


 「………左様でございますか。申し訳ありませんが一点ずつ確認させてください」


 「はい」


 「まず、『⑤あなたの経歴とステータス』のページからです。こちら経歴の欄には何も書かれておらず、転生者証明書が張り付けられていた状態でお間違いないでしょうか」


 「そうですね、はい。証明書の方は剥がしてもう使ってます」


 厳密に言えば「使おうとして結局使えなかった」が正しいのだが、ここは口を噤む。


 「ステータスの六角形の方に何か異常はございませんか」


 「異常………あ、ここ異常あるかもしれないです!」


 「そうですか、どのような状態になっておりますか」


 「なんか異様に六角形が小さいんですけど!」


 「申し訳ありませんがそちらは正常です」


 レヴィアさんは目を逸らしながらそう言った。僕が弱いのは正常らしい。


 「そ、そうなんですね。すいません」


 「いえ、では続いて『⑥使用魔法』のページについてですが、こちらも特に何も書かれていないということでお間違いないでしょうか」


 「そうですね、ここも特に。ていうか、最初から魔法覚えてる人なんているんですか?」


 「いらっしゃいますよ。むしろそういう人がほとんどです。魔法文化のある世界からこちらに来られた方などは覚えていますね。会沢さんのいた『地球』では、基本的に魔法の文化がありませんので無いのも普通のことですが」


 なるほど。言われてみれば転生者が全員地球人であるという話でも無いのだった。遥か遠い宇宙の、あるいは宇宙よりも遠いどこかに、地球と同じように異世界があるのだろう。


 レヴィアさんが続けて話す。


 「『地球』にも占い師ですとか、わずかながら魔法を使える人はいらっしゃるみたいですが、地球からそういう方が来たことは過去に無いですね」


 「へえ~占い師ですか。正直占い師ってエセだと思ってました」


 「そんなことはございませんよ。占い師の方は皆揃って魔法を使えます。魔法を使えない占い師がいるとしたら、それは占い師ではなく詐欺師ですので」


 なるほど、言い得て妙である。言い放ったその表情は、わずかながら誇らしげであった。


 「ほお………」


 「失礼、次の確認に行かせていただきます。最後は『⑦スキルと制約』についてです」


 スキルと制約。ホテルで読んだときは意味が分からず、集中が途切れがちだったこともあり、適当に読み飛ばしてしまったところだ。


 スキル…『Skill』という英単語は「腕前」や「技術」などと訳されるが、ゲームなんかでは必殺技などの意味で使われることが多いだろう。


 「すみません、ここ気になってたんですけど、『魔法』と『スキル』って何が違うんですか」


 「『魔法』と『スキル』の違いですね」

 

 レヴィアさんは分かりやすく説明してくれた。


 「まず『魔法』というのは、『使い方を知っていれば誰でも使える技術』のことです。『道具』と言いかえてもいいかもしれません」


 魔法は道具…ふむ。


 「それに対し『スキル』は、『その人が持つ固有の技術』になります。こちらは『才能』と言いかえましょう」


 「道具と才能、なるほど。フライパンはみんな使えるけど、フライ返しできるかどうかはその人の才能次第ってことですね」


 「フライパンとフライ返し………あ~、まあ、そうですね。概ねその認識でよろしいです」


 かつてない程の微妙な反応をされた。まあ、フライ返しは練習すれば誰でも出来ちゃいそうだから例えとしてはイマイチだったか。

 

 「スキルは全員が持ち合わせているわけではありません。もしあればそれが直接個人の強みになり、異世界における生活での基盤形成に、大いに役立つかと存じます。それでそのスキルについてですが、ページ内には何か書かれておりますか」


 才能。天は二物を与えずという言葉があるが、実際は二物どころか三物四物与えていたりすることもあれば、逆に一物も与えてくれなかったりするなんてことはザラだと思う。

 そして僕は後者、一物すら持ちえない歩兵かと思われた。

 だがもしかすると、成金で大逆転の可能性が残されているかもしれない。


 「ここなんですけど、一番上に……」


 ガチャリという音を立てて扉が開く。


 「失礼しまーす」


 入ってきたその男は、身体が大きいせいで、扉をくぐるようにして通った。2メートルを優に超える巨躯、ふさふさの赤毛に目の周りの黒毛、そして頭の上に生えた丸い耳。


 現れたのは、昼にあの飲食店で会った大狸男だった。


 「えっ………」


 僕が驚きの声を上げると、大狸男はこっちを見る。


 「お? あら、君さっきの」


 「お知り合いですか」


 レヴィアさんが大狸男に向かって尋ねると、大狸男は例の一件について、事のあらましを説明…した。

 僕の目線から言えば、暴露である。


 「今日の昼『いちか』行った時に会ったよ」


 「ああ、『いちか』ですか。あそこは地球の食べ物多いですしね。でもあの店は今登録解除されてるのでは?」


 「うん。だからこの子、無銭飲食になっちゃってね」


 「あら、そうでしたか。お金はどうされたのですか」


 レヴィアさんがこちらに目を向ける。今までに浴びたどの視線よりも痛い。


 「お金は…」


 僕が言いかけると、横から大狸男が割って入ってきた。


 「なんとダンさんが情状酌量にしてくれました~。ほんとお人好しなのか頑固なのかよく分かんないね~あの人! まあいいや………ん、何しに来たんだっけ俺」


 「分厚いレコードの件ですよ」


 「ああそうだった! えーっと………ごめん、名前なんだっけ」


 「あ、会沢新と申します」


 「会沢クンね。俺はクロッカス・クレイパー、一応転生課の課長やってます」


 課長ということは、異世界転生課の中で一番偉い人になるのだろうか。

 

 レヴィアさんが椅子を立ち、その席にそのままクロッカスさんが座った。立ち姿も大きければ、座る姿も大きい。大木の切り株のような居住まいである。


 「んじゃとりあえずその極厚レコード見して」


 大狸男改めクロッカスさんの差し出してきた手に、極厚レコードを渡す。


 「うわ重いね~これ。運ぶの大変だったでしょ」


 重いね~とは言っているものの、クロッカスさんの巨漢スケールに合わせると、僕のレコードでさえも文庫本のように見える。全く重そうに見えない。


 横をちらと見ると、レヴィアさんが手で、床から何かを引き上げるような動作をしている。見ていると、床からじわじわと椅子が昇ってきて、そこに座った。なんと床下収納もあるらしい。

 見てて面白くはあれど、僕もようやく慣れてきたのか、この程度のことでは、もはや取り立てて驚くほどではなくなっていた。


 「どれどれ」


 クロッカスさんがレコードを開く。


 「前半部分は問題ないねー。ステータスはっと、えっ、うわーステータス………うん、特に変なところは無いかな」


 "うわーステータス"まで言ったなら、もういっそのこと最後まではっきり言ってほしいところである。


 「魔法は………うん、魔法も綺麗さっぱりだねー」


 魔法"も"とはなんだ、"も"とは! お昼に会った時は良い人かと思ったのに!


 「スキルは………お、あるね」


 そう、僕にはスキルがある。それがどういうもので、どう使えるのかはイマイチ分からないが、突出したステータスも強力な魔法も持ち合わせていない僕にとっての、最後の希望、背水の陣だ。

 天よ! 我に一物でいいから与えたまえ!


 「なるほど、ふ~ん、へえ!」


 「ああ、スキルお持ちなんですね。正直に申しますと、ステータスも魔法も乏しい会沢さんが転生者に選ばれるとすれば、スキルの線が妥当なところなんですけれども」


 レヴィアさん、オブラートに包む作業をサボるのは止めてください。しかしながら、レヴィアさんの言葉の裏を返せば、僕の持つそれは、"転生者に選ばれるほどのスキル"と言えるかもしれない。

 どんな時もポジティブシンキング、ビジネス本にもそう書いてあったはず。


 「あの、すいません。実はそこのページあまり読んでないんですけど、そのスキルってどんなもんですか」


 「どんなもん………どんなもんって言うと、んー、どんなもんだこれ………俺も初めて見るスキルだからなあ。でも無条件で使えるならかなり便利そうかも」


 クロッカスさんは、閃いたといわんばかりに立ち上がる。


 「試してみよっか! 会沢クンちょっと待っててね。レヴィちゃんその間になんか説明してて~」


 そう言うとクロッカスさんは部屋を出て行った。扉をくぐる時に、頭をぶつけたのか鈍い音がしたが、大丈夫だろうか。


 「申し訳ございません、うちの上司が失礼を」


 「ああ、いえ別に、大丈夫ですよ」


 「さて、それでは戻るまでの間に、会沢さんの転生先の候補についてご説明いたします」


 今日のメインイベントだ。ここまで長かった。


 「会沢さんの転生先の候補ですが、2つあります」


 候補が複数個あることにひとまず安堵する。レコードの説明にもあったが、候補が1つしかない場合は、有無を言わさずその世界に行くことになる。そこが良いところであれば良いのだが、地獄への左遷だったらひとたまりもない。

 せめて自分で選択して納得する形で転生したい。そう考えていたがどうやらその望みは叶いそうである。


 「1つ目は、世界『ビオトーピア』です。こちらは文化レベルはあまり高くないですが、平和な世界になります」


 平和な世界きた! 無駄な戦闘は避けるに限る。

 幼少の頃、一度だけ姉さんと喧嘩をしたことがあったが、小学生でありながら既にフィジカルモンスターと化していた姉にヒョロヒョロの僕が勝てるはずもなく、僕の防御を貫通してくる姉の攻撃に嫌というほど分からされた。

 力加減を知らない子供の打撃によって僕は倒れ、薄れゆく意識の中で「僕はこっち(頭脳派)でいこう」と涙を流しながら悟ったのである。


 平和であることに比べれば、文化レベルの高低など気になるものか。平和が一番、座右の銘はラブアンドピースだ。


 「良さそうなところですね! まだ2つ目聞いてないですけど、何となくこっちの世界になりそうな気がします」


 「まあ、お聞きください。『ビオトーピア』には最近一つ問題が発生しまして」


 「も、問題?」


 「魔王が誕生したのです」


 「魔王が誕生したのですか」


 「ですので会沢さんには、その討伐をしていただくことになります」


 「会沢さんにはその討伐をしていただくことになるのですか」


 「はい」


 「はあ」


 何を言っているのかさっぱり分からず、オウム返しをする。


 「転生後しばらくは平和な世界が続くかと思われますが、そのまま放置していると魔王勢力が徐々に力を付けていき、最終的に世界が滅んでしまうため、会沢さんの方で何らかの対策を取っていただくことになります」


 「対策って何すればいいんですか」


 「詳しくはその世界に行ってからでないと分かりませんが、大まかなパターンですと仲間を集めたり、魔法や技を習得したり、強い武器や防具を探したり作ったり、ダンジョンへ行ったり、といったところですね」


 「じゃあ結局トンデモミラクルパワー全開で戦ったりしなきゃいけないってことですか」


 「まあ………いずれはそうなりますね、残念ですが」


 「2つ目の世界を教えてください」


 ビアガーデンだかビフィズス菌だか知らないが、とにかく1つ目の世界は却下だ。


 「2つ目は、世界『マスマジカ』です。こちらは魔法の文化レベルが他世界と比べても格段に高く、魔法使いたちが究極の魔法を追い求め、四六時中研究に勤しんでいます」


 もはやダメな気がする。魔法が使えないという烙印を既に押されているのだが、そんな僕がそこに行ってどうしろというのだ。ライオンの群れにウサギを放つようなものだ。


 彼女は不穏な説明を淡々と続ける。


 「マスマジカでは魔法使い同士の大規模な派閥争いが起きております。派閥は大きく分けて3つで、それぞれが研究に必要な魔導物資を求め奪い合う戦いが、各所で行われています。こちらの世界におかれましては、特に行うべき使命などはありませんので、会沢さんのお好きに過ごしていただいて結構です」


 「ああそうですか」


 要約すると「硝煙弾雨の中でなら自由に暮らしていいよ」ということか。もはや恐怖を通り越して呆れの感情が出てきている。


 究極の二択を前に言葉を失う。選択肢は平和の中の拘束、あるいは戦争の中の自由。いずれにしても行く先は地獄、そして未知である。

 素直に行きたくない。


 「いずれにしても、まだ4日程猶予がありますので、またよく考えてからご決定なさってください」


 藁にも縋る思いで尋ねる。


 「レヴィアさん的には、どっちの世界がオススメですか………」


 「申し訳ありませんが、転生先を左右するような助言は致しかねます。転生先の決定は、進学先の選択のようなものです。先生がサポートをしても、決めるのは生徒、今この場合におきましては会沢さんがその生徒です。ご自分の意思で、決定してください」


 確かにその通りだ。幸か不幸か両親のいなかった僕は、進学先や就職先を決めるような、そういった大事な選択は、あまり他の人に頼らずに考えられていた自負がある。

 転生先の選択も、これまでしてきたそれらの選択と同じ。自分の意思でしっかりと考えて決めるのだ。


 ………いや同じなわけねーだろ!! 学校の選択と死に方の選択じゃ全然違げーよ!!

 待て、冷静になれ。まだ望みはある。

 

 「そうだ! 転生時の特典があるって記載を見たんですけど!」


 「はい、ございますよ」


 「他の転生者の人はどういう特典を選んでます?」


 「どの方も大体、転生先の世界に合わせた特典を選ぶことが多いですね。戦闘のありそうな世界に行かれた方は武器や防具をもらったり、パラメータの底上げをしたり。商業を始める予定の方はその世界で使われる金銭だったりとまちまちです。ご希望になるべく沿えるようにこちらでも手配致しております」


 「魔王も一発で倒せるような毒薬とか無いんですか」


 「そんな物があれば誰も苦労しないですね」


 「ですよね」


 レヴィアさんはやれやれとでも言いたげである。

 

 「まあでも…少々雑な言い方になりますが、今みたいに『言うだけ言ってみる』というのも良い方法かもしれませんね。もしかしたら会沢さん理想の物があるかもしれないですし」


 「わ、分かりました」


 丁度いいタイミングで扉が開き、クロッカスさんが戻ってきた。


 「お待たせ~、どしたのそんな暗い顔して」


 応える気力の無い僕の代わりに、レヴィアさんが答えてくれた。


 「転生先の異世界について説明しておりました」


 「へ~、どこだっけ」


 「ビオトーピアとマスマジカです」


 「あぁ~、マスマジカね。ていうかそっか、ビオトーピアもアレか。最近魔王世界になったとこだよね。こりゃまた重いとこ2つ引いたね~、ハッハッハこりゃ大変だ。運命力鍛えた方が良いんじゃない?」


 クロッカスさんは他人事のように笑ってる。こんな上司の下にいるなんてレヴィアさんも可愛そうな人だ全く。

 そもそも運命力を鍛えるという言葉の意味が分からない。どう鍛えろと? お百度参りでもすればいいのか? サイコロ3個でピンゾロ連続10回出すまで止めないとかすればいいのか? そんな売れない動画投稿者みたいな行いやってたまるか。


 「よ~し会沢クン、レコードの空いてるページに、ちょっと僕の言う通りに書いてみてくれないかな」


 「空いてるページですか。どこでもいいですか?」


 レコードを開きつつ尋ねる。


 「うん、まあ無難に1ページ目かな。それじゃあ【ライト】って書いてみて」


 クロッカスさんは僕の目の前に、高そうなペンと一冊の白い表紙の本を置いた。

 手に取り、記入する。


 「ラ、イ、ト。書きました」


 「うん、おっけ~」


 「消しますよ」


 突然レヴィアさんがそう言って、部屋の電気を消した。暗い部屋の中で、壁の下部に付けられた間接照明だけが煌々と光っている。


 「会沢クン、どっちの手でもいいから人差し指を立てて」


 「はい、立てました」


 クロッカスさんは何故か小声になる。


 「そしてその指先にじっくり意識を集中させて~………、ライト! せーの」


 「ら、ライト」


 せーのと言われ、咄嗟に口に出したものの、しかし何も起こらない。少しの静寂の後、目の慣れない内にまた明かりが点いた。


 「まあこれじゃダメか。じゃあ次はこの本の……ここから~ここまでを書き写して」


 クロッカスさんは白表紙の本をパラパラとめくり、中に書かれている一行を指先でなぞり、指定した。


 言われた通りに書き写す。


 「えー、『属性:白、魔力を光に変換し、体表より放出させる』…はい。これでいいですか?」


 「おっけ~おっけ~」


 「消しますよ」


 レヴィアさんがまた明かりを消し、クロッカスさんが小声で僕に語り掛けてくる。


 「いいですか~? まずは深呼吸をしま~す。鼻から息を吸って~、口からフーっと息を吐きます。はいフ~」


 薄暗さも相まって、語り口が完全に催眠術師である。そこはかとない胡散臭さについては、今は言及しないでおこう。


 「リラックスして~、握り拳を作ります。はいギュッ」

 

 「ギュッ」


 「そしてそこから~さっきと同じように人差し指を立てて、その指先に意識を集中させてください」


 暗闇の中、指先をじっと見つめる。すると不思議と指先がじんわり暖かくなっていくような気がする。手首が脈を打ち、血が駆け巡っていることすら分かるような、研ぎ澄まされた感覚だ。


 「そしてその集中のまま~、ライト!!」


 「【ライト】!」


 瞬間、指先から白い光が広がり、揺らめく蝋燭の火のように、暗闇の部屋を弱々しく照らし出した。

 その魔法の光を、目を見開き確かめるように見る。


 「これが魔法、いや、命の灯火だよ会沢クン」


 「これが、命の…灯火……!」


 「命の灯火は違うと思いますが」


 レヴィアさんの冷静なツッコミに気を逸らされ、光が弱くなっていき、そしてプツンと消えてしまった。部屋の明かりが点くと、暗闇に慣れていた目が妙な眩しさを受ける。


 「はい、というわけで、会沢クンのスキルはこういうことみたいです」


 「………指先が光るスキルってことですか」


 「ハッハッハ! いやいや、そんなわけないよ」


 クロッカスさんは姿勢を正し、改まってこう答えた。

 

 「君のスキル【陳述記憶】はね、『レコードに記述した魔法を自由に使えるスキル』ってことさ」


 「魔法を自由に?」


 「うん」


 「はぁ、そうですか」


 「………あんまりピンと来てない?」


 「いや、『自由に魔法が使える』と言われても、皆さん結構普通に使ってらっしゃるから、あまり良さそうなものに見えないと言いますか」


 「そうかそこからか~………。う~んとね、まず魔法にはね、『属性』という分類があるんだ」


 「ここに書いた『属性:白』ってのがそれですか」 


 「そうそう! さっきの【ライト】って魔法の属性は白なんだけど、僕はその【ライト】って魔法を使えないんだ。それは何故かと言うと、白属性に対する適性が無いから」


 「適性…」


 「誰にでも向き不向きとか、得手不得手があるでしょ? 勉強は得意だけど運動は苦手、とかね。それと同じで、魔法の属性にも向き不向きがある。で、僕は白系の魔法適性が無い、つまり不向きだから【ライト】が使えない」


 「なるほど」


 魔法といえば杖をちょちょいと振っただけでネズミを馬に変えたり、箒で空を飛んだり、要は何でもできる万能な代物かと思っていたが、誰もがそれを使えるわけではないということか。


 「属性は、色々な属性同士が作用し合って、たくさん数があるんだけどね。大体の人は特定の属性に特化していて、適性の無い属性の方が多い、つまり使えない魔法の方が多いんだ」


 クロッカスさんが興奮して机に身を乗り出してくる。


 「でも、恐らく君は違う。まだ色々試してみる必要があるとは思うけど、恐らく君はどの属性の魔法にも適性がある。このスキル【陳述記憶】のおかげでね」


 「万能ってことですか!」


 「まあ悪く言えば器用貧乏だけどね」


 人がせっかくやる気を出したというのに、どうしてすぐやる気を削ぐようなことを言うのだ。

 しかしながら、ひとまず今はこの事態を喜ぶとしよう。どうやら僕は思ったよりも便利そうなスキルを授かったらしい。天よ、我に一物を与えてくれてありがとうございます。


 「さしずめ極厚レコードは、そのスキルに合わせてページが増えたってとこかな。さてと~、それじゃあ極厚レコードの謎も解けたところで、そろそろ俺は退散するね。一応課長で忙しいもんですから」


 クロッカスさんが席を立つ。


 「ああ、はい。ありがとうございました」


 「また会うかは分かんないけどまたね~」


 クロッカスさんはそう言うと、しっかり扉をくぐって部屋を出て行った。


 レヴィアさんが代わりに席に座る。


 「本日は長いところお疲れ様でした。それでは、今しがた説明させていただきました転生先の状況と、先のスキルのお話なども踏まえて、じっくりお考えください。他に何か疑問点やご質問などはございますか」


 「レコードって転生先の世界には持っていけないんですよね?」


 「はい、左様でございますが、それが何か?」


 「………それって、転生先でスキル使えなくないですか僕」


 「………そこに気付くとはなかなかやりますね」


 「あの」


 「失礼、何分初めての事例ですので」


 「まあ、そうみたいですけど」


 「申し訳ございませんが、今すぐにはお答えできません。クレイパーと、レコードの担当者にも再度確認してみますので、申し訳ございませんが明日またお越しいただいてもよろしいですか」


 「……分かりました」


 思えば地球で過ごしていた時も、こういう目に遭うことがよくあった。レジで会計する時に、自分の番に限って機械が故障したりだとか、普段全然当たりのくじを引かないのに、学級委員を決めるくじ引きの時に限って、丸の書かれた貧乏くじを引いてしまったりだとか、そんな降って湧いた不幸に別の不幸がタイミング悪く重なることが多かったような気がする。

 これも運命力の低さの影響なのだろうか。


 遠い目をして過去を遡っていると、レヴィアさんが申し訳なさそうに謝罪を入れてきた。


 「申し訳ございません」


 「なんかもう慣れっこなのでいいです……」


 「辛い人生を送られてきたようですね」


 「同情ですか」


 「慈愛の心ですよ」


 「慈愛ですか。慈愛ついでに一つお聞きしたいんですけど、せめてこういう本って、どこかで借りられたりしませんか?」


 僕はさっき内容を書き写した、机の上の白表紙の本を刺す。


 「魔法の教本ですか。施設内に図書館はありますが、転生者の方は利用禁止になっておりまして……」


 レヴィアさんは人差し指を下あごに当て、少し考えた後、やがて話した。


 「そうですね………でしたら、こちらを」


 レヴィアさんが横の壁を触ると、その部分がスライドして開き、書棚が一段出現した。その中から一冊を取り出す。


 「この『はじめてのまほう』には、魔法における基礎知識と、小さなお子さんでも使えるような簡単な魔法が載っております。こちらにいる間はずっと借りたままで結構です」


 「いいんですか? 大事な備品とかなんじゃ?」


 「いえ、所内の絵本コーナーに同じ本がもう二冊ほどございますので」


 絵本らしい。表紙にはステレオタイプな魔法使いの絵が、チープなタッチで描かれている。


 「じゃあ、お借りします」


 「子供向けの内容になっておりますので、多少機微が省略されている部分もございますが、現時点ではこちらで過不足は無いかと」


 だが実のところ、僕の魔法に対する理解度は赤子同然である。マウスやキーボードが使えないのにプログラムを組めと言われても、出来るわけないのだ。小さな子が分かるレベルまで噛み砕いてくれた方が断然いい。


 レコードを閉じ、絵本と一緒にバッグに入れる。


 「お帰りはどうなさいますか。先日の乗り物…ワイヤーケージと言いまして、そちらもご使用できますが」


 「じゃあ今日もそれでお願いします」


 「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」


 勝手に鳥かごと呼んでいたが、ワイヤーケージか。鳥要素は無かったが、カゴ要素は見た目どおり間違っていなかったようである。


 あまり乗りたくないというのが本心だが、足を使い、頭を使い、挙句の果てに魔法まで使った疲労困憊の身体は悲鳴を上げ、僕の脳内は鳥かごへの恐怖を払いのけて、一刻も早く巣に帰って休息を取りたい、その考えで満たされていた。


━━━


 ホテルで適当に食事を取り、2時間の仮眠を経た。夕日は向こう側に沈み、寒々とした夜の街並みが広がっている。ホテルの正面に聳える山では白い光が点滅し、行き先を失った流れ星のようにチカチカと揺らめいている。


 そういえば役所の掲示板に炭鉱採掘の張り紙が貼ってあったが、あの辺りがその炭鉱だろうか。何より、遅くまで就労お疲れ様です。


 ベッドから足を下ろして立ち上がると、予想外の痛みが身体を襲った。


 「ぐおおっ!」


 筋肉痛である。人間は年齢が進むに連れ、筋肉痛の発症が遅くなると聞く。やれ二日遅れだなんだと周りが言っている最中、このスピードで筋肉痛が起こることは、あえて喜ぶべきことだ。

 『そもそも筋肉痛が来ていることが問題』というツッコミは知らない。


 バッグからレコードと『はじめてのまほう』を取り出し、改めてレコードのスキルページを読み上げる。


 「えー『【陳述記憶】、記した魔法を会得できる。書き入れの際、内容は手記で、正確かつ具に記さなければならない』」


 さっきは指から宇宙人ばりに光を放った僕だが、要はレコードの空白ページに、スキル名とその説明や効果について書き込むと、その魔法をすぐに会得して使用できるようになるらしい。

 スキルについての説明は、この記述以外に無い。『具に記さなければならない』などと書いてあるが、この説明こそもう少し具に書いてほしいものである。


 「『はじめてのまほう』、著:レジ・ユーメイル・・・」


 借りた絵本を開くと、中にはネットのフリー素材にありそうなコテコテの魔法使いが描かれており、読者に語りかけてきた。語りかけてきたといってもこれは喩えに過ぎず、魔法で音声が流れたという意味ではない。


 「『きみは まほうを しっているかな? おうちで きれいなお水が のめるのも、本を あかるいところで よめるのも、とおくに 石をなげると ばくはつするのも、ぜんぶまほうのおかげ なんだ!』」


 この世界では遠くに石を投げると爆発するらしい。


 次のページでは、今度は継ぎはぎだらけの魔法衣を着ている、しょぼくれた魔法使いの少年が登場した。


 「『このしょうねんは、まほうつかいとして まだまだみじゅくもの。しょうねんは、つよいまほうつかいになるために たびに出ることにしました。』」


 ほとんど平仮名ばかりでどうにも読みにくい。やっぱりもう少し大人向けに書かれた本を借りてくるべきだっただろうか。


 「『しょうねんがみちをあるいていると、おじいさんがこまったようすで 立っていました。おじいさん、どうしたの? まほうつかいがきくと、おじいさんはこたえました。まきをたばねるひもが きれてしまってねえ。どうしたもんかねえ。」


 見開きのページの左側には、困っているおじいさんとバラバラの薪が、右側には、喜んでいるおじいさんと蔓でグルグルに束ねられた薪が描かれている。


 「そうきくと まほうつかいは しんこきゅうをしてから、まほうをさけびました。【グラスノット】! まほうつかいが そうさけぶと、じめんからみるみる つるが生えてきて、あっというまに おじいさんのまきを くるりとむすんでしまいました』・・・ほう」


 そしてページの下部に、味気なく魔法の説明が書かれている。


 「『【グラスノット】ぞくせい:みどり じめんから草のつるをのばして、ものをむすぶまほう。』………ほうほう」


 なるほど。この絵本は、魔法使いの少年が魔法で人助けする様子に合わせて、同じ魔法を読者が学んでいく、という画期的なカリキュラムが組まれているようである。


 児童向けなこともあって読みにくくはあるが、魔法の効果に併せて簡単な使用例も書かれており、これは初心者にとってありがたい。


 そんなにページ数も無さそうなので、とりあえずこのまま最後まで読んで、書き写す作業は後でまとめてやろう。今この【グラスノット】を覚えたところで、ここで使ってしまってはホテルの床に穴を空けることになってしまう。


 つよいまほうつかいに おれもなってやる!


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 「『あついあつい。まほうつかいのしょうねんは さいごには、じぶんのつけたほのおで しんでしまいました』」


 めでたしめでたしではない。


 内容を簡単にまとめると、純真無垢だった少年が人助けをしていく内に調子に乗ってしまい、魔法を振り回して人々や環境をめちゃくちゃにし、最後には自分の起こした火炎に焼かれて死んでしまうという因果応報の物語であった。


 一見すると暗すぎる内容だが、魔法は怖いものであって、無闇に使うべきではないということを学べる、子供に世の理を教える本として申し分ない内容であるとも言える。


 「さて、まとめるか。えー【グラスノット】に、【キュア】、【コールド】、【ロフレム】っと」


 締めて4つ。


 「【キュア】は小さな傷を治せる、【コールド】は水を凍らせる、【ロフレム】は火花を散らせる・・・」


 作中では、【キュア】で泣いている子供の傷を治し、【コールド】で湖の水を凍らせてその上を渡り、【ロフレム】で焚火をして冷えた身体を暖めるという序盤の展開から、大きな傷を治すことができず、凍らせたことによって湖の生き物は死滅、最後には焚火が山火事となって自らの身を焦がす、という悲劇の展開に変容していった。


 さて、説明ともどもレコードに書き込んでみたが、【ライト】の時と同じように、使えるようになったのだろうか。少なくとも、「魔法=怖いもの」という認識は、魔法使いの少年の犠牲によって海馬に刷り込まれている。

 

 「さて書いてはみたものの、今使えるのは・・・」


 試してみたいが【グラスノット】は使えない、ケガはしてないので【キュア】も使えないし、【ロフレム】もここで使えば絵本の少年のように身を焦がすことになりかねない。どうせ焦がすなら恋煩いを希望する。


 左手でコップに水を汲み、そのまま右手の人差し指と中指をくっつけて中に入れ、試しに宣言してみる。


 「【コールド】」


 しかし何も起こらない。

 しばらく見ていると、持っているコップが心なしか冷えている気がしなくもないが、凍っていく様子は全くうかがえない。

 何が原因だろうか。転生課で魔法を使ったシーンを省みる。


 ………そういえば、あの時はクロッカスさんにじっくりと催眠術を、もとい深く意識を集中するように言われてから魔法を唱えた。


 絵本を見ると、魔法使いの少年も都度深呼吸をしている。

 集中とイメージ。指先の神経に意識を集中させ、初めて魔法を使ったあの時の感覚をフィードバックする。研ぎ澄ませた意識を維持しながら、コップの水がメキメキと音を立てて凍っていくその景色を想像し、叫ぶ。


 「【コールド】!」


 刹那、回路へ電流が流れるように、体から指へと不思議な力が流れ込んでいき、指先から放出される。

 コップを握る手が冷たくなっていく。揺れる水面は次第に動かなくなっていった。

 指を抜き取ると、指の型が綺麗に取れている。


 「おお……、マジで凍った」


 そこはかとない疲労感と共に、二つ分かったことがある。


 一つ目は、魔法を使うに当たって、深い集中と結果のイメージが重要であること。煩雑としてまとまりのない意識の中で、ただ魔法名を口にするのみでは、魔法が上手く発動しないようである。


 二つ目は、ある程度の疲労を伴うこと。転生課の時もそうだったが、魔法の発動を終えた後は、重要な試験を受けた時のようなフワフワとした脳の疲れに襲われる。おいそれと使っていては、すぐに息切れしてしまうこと必至だ。ペース配分を考えて走らなければ。


 兎にも角にも、これで僕は晴れて、駆け出しの魔法使いとなったわけだ。まあこのまま30歳まで待てば自動的に魔法使いになれたのだが、それについては今は言及しない。


━━━━━━━━━


 「無くなりました」


 翌日、早3回目となる異世界転生課での談義は、レヴィアさんの第一声によって始まったのだが、それはいつにも増して唐突なものであった。


 「はあ、何が無くなったんですか」


 「転生先の世界が、です」


 「転生先の世界がどうなったんですか」


 「無くなりました」


 「………何が無くなったんですか」


 「転生先の世界が、です」


 ちょっと待て。たぶんだが、これは時間を巻き戻す魔法が発動している。選択肢を変えなければ。


 「転生先の世界が無くなったんですか」


 「はい。正確には、二つとも爆発して跡形も無く消滅しました」


 「ええ………」


 物事のスケールが違いすぎて返す言葉もない。ようやく超常が日常に変化しつつあったというのに。


 「『ビオトーピア』は突如接近してきた巨大隕石と衝突して爆破後、消滅。『マスマジカ』は超極大魔法の発動ミスによって魔力が暴走し爆破後、消滅……といった感じです」


 「二つ同時に爆発して消滅ですか」


 「およそ同時でしたね。それはもう見事な爆発でした。我々も後始末に追われてちょっとだけ大変な思いしてますよ」


 「こういうことってよくあるんですか」


 「会沢さんは、惑星が二個同時に爆発するところを、過去に見たことがありますか?」


 「無いですね」


 「そういうことです」


 そういうことらしい。何なら僕が見たことのある爆発なんて、せいぜい打上花火くらいなものだ。


 「まあ…、2個同時は滅多にあることではありませんが、何らかの大きな力が加わって無くなることはあります。誰かが出したビームで消し飛んだりとか」


 あるのかよ! しかしながら、地球も遥か未来に太陽に飲み込まれて無くなると言うし、全宇宙全世界の規模で考えれば、星が爆発したりしなかったりするのは、そんなに常軌を逸した現象ではないということだろうか。


 「それで、会沢さんのしょぶ………今後の我々の対応なのですが」


 聞き間違いでなければ、処分と言いかけたような気がする。そんな、人を粗大ゴミみたいに扱うのは止めていただきたい。


 「今の時期は幸い、ホテルの部屋にも空きがありますので、一旦このままこちらの世界に残っていただきまして、転生できる異世界が見つかり次第、そちらに転生していただくということで、よろしくお願い致します」


 「分かりました。その転生先が見つかるのって大体どのくらいに・・・」


 「明日見つかることもあれば、このまま一生見つからない可能性もありますね」


 「は!? 一生!?」


 「申し訳ありませんが、転生先の候補は水物でして、その時々によって増えたり減ったりするのはしばしばあることなのです。今回のように異世界自体が、それも2つ同時に消滅するケースは珍しいことですが。ですので、これから一ヶ月は」


 突如、扉が開き、クロッカスさんがバァン!と勢いよく入ってきた。


 「話は聞かせてもらった!」


 「会沢クン、レヴィちゃんに聞いたけどスキルの具合はどうだい、何かやってみたかい?」


 レヴィアさんが立ち上がり、クロッカスさんが話しながらその椅子に座り、更にレヴィアさんが隣の椅子に座った。流れるような一連の回転動作は、昨日よりもスムーズである。


 「あ、どうも。はい、いくつか覚えられたみたいです」


 「ほうほうそっか! 嬉しい報告だね~。いやしかし災難だね。転生先が二個とも爆発四散するなんて就任以来初めてだよ俺~。二個が爆発四散するから2×4で爆発八散って感じだね・・・ハッさんってあだ名の人いそう」


 「あ~、そうですね」


 返しが思いつかず、気の抜けた「あ~」が出てしまった。

 もしかすると社会では、こういう時にこそ、力の差が顕著に表れてしまうのかもしれない。僕のような、微妙なギャグに微妙な反応をする程度の技量では、のし上がっていくことは難しかったに違いない。


 「で、本題なんだけれども、会沢クン」


 意に介さず話を進めるクロッカスさんは、机に手をついて少し身を乗り出し、こう言った。


 「うちで働かないか?」


 「は?」


 「は!?」


 僕より大きな声でレヴィアさんが驚愕した。レヴィアさんは慌てた様子で話す。


 「待ってください課長! 転生者から人員を横流しするのはさすがに・・・」


 「まあ聞き給えレヴィちゃん。会沢クンもだ」


 クロッカスさんは腕を組み、講釈を垂れ始めた。

 

 「いや何、実は今異世界転生課って人材難でね~。正直うちって結構忙しいんだけど、人手が足りなくて困ってるのよ。ロビーに他の転生者がいっぱいいるの見たでしょ?」


 クロッカスさんは犬が伏せをするように、机にべたっと倒れ込む。


 「確かに昨日も今日も、凄い人混みでしたね」


 今日は午前に転生課を訪れたが、昨日の午後同様に、お祭りのような人混みであった。


 「うん、午前午後どっちもまあまあ混んででね~。今はそんな忙しい時期じゃないんだけど、それでもあの量だからさ。この仕事やりたがる人全然いないんだよね。今日なんて爆発した世界の後処理もしなきゃいけないし~」


 クロッカスさんがガバッと起き上がる。


 「ああどうしよう! 異世界転生課未曽有の大ピンチ!! そこに現れたのがなんと! 会沢クンだ!!!」


 ミュージカルのような素振りで威勢よく口上を述べ、ビシッと僕を指さした。


 「うっ、何ですか急に。僕ですか」


 「うむ」


 クロッカスさんはゆっくりと首肯するが、レヴィアさんは口を出さずにはいられないようである。


 「上にバレたらさすがにまずいですよ課長」


 「まあまあまあ聞き給えよ。会沢クンの転生先が無くなっちゃったってことは、このまま行くと、もう一ヶ月後には解放になるじゃん? 一ヶ月後ってことは実質今解放しても同じじゃん」


 謎の理論でレヴィアさんを説得するクロッカスさんだが、その前に聞きたいことがある。


 「すいません、解放っていうのはどういう・・・」


 「ああ、ごめんごめん。転生者のルールの一つにね、今回の会沢クンみたいな、『転生先の世界が何らかの事情で消失した場合』についての事項があるんだけどさ。転生先の無くなった転生者は、一ヶ月間はホテルで滞在できるんだけど、そのままこっちがずっと抱えてるわけにもいかないから、一ヶ月後にはホテルを出てもらって、綺麗さっぱり自由になるんだ」


 「えっ、レコードにそんな説明ありましたっけ!?」


 「書いてないよ。細かいルールも一言一句書いてると経費もページもかさんじゃうしね」


 経費とは言うが、何の費用だろう。インク代や紙代だろうか。この大魔法世界の中で、コピー機でちまちま印刷しているとは思えないが。


 「それで解放された後なんだけど、もちろん異世界転生課からの援助は無くなるから、自分で食い扶持を探さなくちゃいけない。住処を探し、仕事を探し、魔法も頑張って覚えないといけない! とっても面倒くさい!」


 クロッカスさんはこっちをチラと見る。


 「………いずれそうなるんだったら、今の内にここで働いておいた方が、会沢クンにとっても良いと思うんだよな~。うん、きっといいよ~」


 「なるほど」


 「なるほどではありません」


  レヴィアさんの制止が入る。その声からは珍しくボルテージが上がっている様子が見え隠れしている。


 「仮に会沢さんが入られるとして、一ヶ月間どう隠すおつもりなんですか」


 「今月は監査も無いからだいじょーぶ!」


 「いえ、止めましょう。いつもの行き当たりばったりでどうにかなる話じゃありませんよ」


 今度はクロッカスさんがレヴィアさんを遮るように話し出す。


 「いや、いける! それにね」


 クロッカスさんはこちらに向き直し、僕を試すような眼差しでこう言った。


 「大事なのは、本人の意思だ」


 「本人の、意思…」


 「どうだい! やってみないか! 僕たちと一緒に!」


 どうやら僕はまだ、重要な選択の岐路に立たされているらしい。


 だが、答えは決まっている。

 ファンタジーの中だけを生きていた種族、知り得ない技術、僕の周りにはいなかった魅力ある人たち、そして魔法―――。この数日間で、これまでの人生観を大きく覆す程の刺激と感動に出会った。


 それに、この世界にはまだいくつか心残りがある。

 僕の人生の主人公は、他の誰でもない僕自身だ。僕は僕のやりたいようにやる。魔王退治や世界平和なんて大それたことは、他の主人公たちに任せればいい。


 「そうですね、それじゃあ………」


 かくして、僕の異世界生活は始まったのであった。


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