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ここは第三役所、異世界転生課  作者: 冬野春巻
第一章
2/7

ファンタジーとドッペルゲンガーと利用規約

 説明書があるのは大変ありがたい。確かにそうだ。

 だが僕は辟易した。何せ、このレコードという訳のわからない本は、およそ3000ページ、辞書にも引けを取らない厚さである。辞書を、内容をきちんと把握しつつ7日で読破してくださいと言われても、無理のある話だ。


 本を手に取ってみると、その確かな重さに、より気が滅入るばかりであった。小さい頃、ホームセンターでふとレンガブロックを持ってみたことがあるが、あの感覚にとてもよく似ている。


 ホテルの部屋に入って、僕はそのままベッドに倒れ込んで眠ってしまったらしく、気が付くと窓から差し込んでいた光は消えていて、夜の闇が街を包み込んでいる。


 もう一度眠ればまた普通の生活に戻れるんじゃないか、という淡い期待は今もって潰えてしまった。耐え難い現実が一気に押し寄せてくる。


 あれからどうなったんだっけ―――。



━━━━━━━━━


 諸々のやり取りを終え、部屋を出ると、一転して建物の雰囲気が変わり、そこは暗い鼠色の壁が続く殺風景な廊下だった。

 しゃなりしゃなりと歩くレヴィアさんの後ろをくっ付いて歩いていくと、廊下の端、行き止まりに当たった。

 レヴィアさんが小声で何かを呟くと、壁が左右に収納されていき、その中から、鳥かごのような形をしたロープウェイのような乗り物が出てきた。


 「こちらにお乗りください。5分ほど経つとホテルに到着いたします。こちらがお部屋の鍵になります」

 

 そう言うと、ストラップも何も付いていない金属の鍵を渡してきた。


 「こちらは一度鍵穴に差し込んでいただくと、以降は自由に開け閉め可能になります。他の方に開けられることもありませんので、ご安心ください」


 鍵を受け取り、鳥かごに乗り込む。中は詰めれば4人ほど入れそうな広さで、内壁に沿うようにソファが置かれている。窓は無く、相変わらず外の景色は確認できない。


 「それでは今日はこの辺りで、失礼いたします」


 「はい、ありがとうございました」


 「何かございましたら、お手数ですが役所までお越しください」


 彼女がそう言うと、鳥かごの扉が閉まり、鈍い音を立てて動き出した。


 「………」


 音がしたのは最初の方だけで、以降はほとんど無音―――。壁の外から風を切る音が多少聞こえてくるが、どういう風に動いて、どこへ向かっているのか、何一つ分かっていることが無い。外の景色が見えないことがなお不安を増長させる。


 「はぁ~」


 発声に近いような溜息をわざとらしく吐く。独り言だ。何かで気を紛らわせないと不安で仕方がない。

 拳を開き、握りしめていた鍵を見る。汗ばんだ手で握っていたため、金属がてらてらと光っていた。柄の部分には丸い窪みがあり、1323と書かれている。これは恐らく部屋番号だろう。


 ここで一つの希望が見えた。1323という中途半端な数字と、"ホテル"という言葉から鑑みるに、その建物には他にも部屋があって、もしかすると自分と同じ立場の人が泊っているかもしれない。もし会えたら話を聞いてみようか。


 ほど無くして、鈍い音と共に鳥かごが停まった感覚がした。慣性で体が引っ張られる。


 「おわっ!?」


 少しすると扉が開いた。恐る恐る鳥かごの外へ出ると、そこはやはり屋内だった。


 「長っ、また廊下か・・・まあそりゃそうか、ホテルだし」


 長い廊下だ。出られたのは廊下の真ん中で、左右を見渡してみると、部屋の扉が均一に並んでおり、床は黒い絨毯で敷き詰められている。

 奇妙なのは、視力の良い僕でも端が見えないほどに、ものすごく長いことだ。その点を除けば、就職活動や卒業旅行の時に泊まったビジネスホテルと似た雰囲気である。

 これだけ長い廊下にも人は見当たらない。だが、それとなく人の気配は感じるため、胸の辺りに安心感が充満していく。

 

 鍵の番号を改めて確認した。


 「えー、1323、1323………」


 廊下を左に進むと1319の番号があったのでそのまま進む。


 「1319………1317。逆か」


 引き返した。ホテルや旅館に来た時、廊下を逆方向に進んでしまうのは何故なのだろう。もし僕が著名な人だったなら、この現象に名前を付けたい。


 1323号室の前に着いた。部屋のプレートと鍵に刻まれた番号をもう一度確認し、鍵穴に差し込む。すると、人差し指にピリッとした衝撃が走った。

 そして鍵が、ドロリと液状になって穴へ吸い込まれていった。


 「は!? はぁ・・・」


 ホテルの名を冠するとおり、しっかり防音が行き渡っているようで、僕の驚いた声はそんなに響かなかった。

 ドアノブを下げ、ゆっくりと押すと、静かに扉が開いた。念のため中に誰かいないか確認する。


 「失礼しまーす」


 返事は無い。だが何が起こるか分からない。油断するな。

 警戒しながら入ると、中はベッド、間接照明、シャワーにトイレ、テーブルとイスに掛け時計など、存外にも普通のホテルらしい設備が過不足なく揃っていた。


 そして何よりも極めつけは、窓だ。光が差し込み、部屋中を明るく照らしている。普通の四角い窓だが、これでようやく外の景色を確認できそうだ。

 窓辺に寄る。遠くを覗けば、綺麗な青空と聳え立つ山のコントラスト。

 そして見下ろす。


 「は?」


 獣のような大男、

 尖った耳が横に伸びている淑女、

 小動物の耳と尻尾の生えた少年、

 角の生えた白馬、

 空を飛び交うガラスの鳥、

 緑色にゆらめく炎、

 七色に輝き流れゆく水、

 異様なほど黒光りする岩石。


 そこは紛れもない異世界だった。



━━━━━━━━━


 そうして僕は、キャパシティを遥かに超えるファンタジーに打ちのめされ、そのままベッドに倒れ込んで眼をつむってしまい、気が付けば夜になっていた―――、というのが今の状況である。


 「寝ちゃってた………」


 起き上がり、壁をつたって照明のスイッチを探す。手探りで壁にあった突起に触れると、柔らかなオレンジ色の光が部屋を明るく照らした。こうしていればただのビジネスホテル、僕の知る日常だというのに。


 そういえばこちらの世界に来てから、ご飯を食べたり、シャワーを浴びたり、何一つ日常生活らしいことをしていない。まあ今は非日常だから、ある意味それが普通なのだが。

 水ぐらいはあるんじゃないかと部屋を探ったが、そもそも冷蔵庫が見つからなかった。誰かを呼ぼうにも、電話やインターホンがあったりすることもない。


 その代わり、テーブルの上に一枚の紙を見つけた。順番に読んでいくと、嬉しい一文が書いてある。


 「えー、『食事をご所望の際は、出入口横よりお申し付けください』………か」


 紙の裏を見ると、食事メニューらしきものが書いてあった。

 そのまま紙を持ち、指示どおり出入口へ行く。連絡ができそうな器具は無い。


 しかし、目に付く物はある。

 靴箱の上に、およそ手の平サイズの銀髪サイドテールのメイドフィギュアが置いてある。入ってきた時は気付かなかったが、目を閉じて四角い透明なケースの中に、ちょこんと正座をしている。


 ………この世界が普通でないことは十二分に承知した。きっとこの精巧に作られたフィギュアにも何かある。

 そう思い、わざとらしく咳ばらいをした後、ケースに顔を近づけて、


 「おほん、えー………すいません」


 と話しかけてみた。

 すると、ちびメイドさんの目がぱちっと開き、立ち上がって真っ直ぐこちらを見て応答した。


 「はい、いかがいたしましたか」


 マジで喋ったよコイツ、という感情は抑え、頼みごとをする。


 「食事を持ってきていただきたいんですけど、いいですか」


 「かしこまりました。メニューをこちらからお選びください」


 メイドさんはひょこひょこ動き、僕の持っていた紙の裏を指さす。


 「えっと、じゃあとりあえずこの一番上のやつでお願いします」


 「かしこまりました。15分ほどしたらお持ちしますので、お部屋でお待ちくださいますよう、お願いいたします」


 「はい、よろしくお願いします」


 そう言うと、ちびメイドさんはまた正座をし、目を閉じて元の状態に戻った。どんな料理を頼んだのかは、実を言うとよく分かっていないが、何とかなったようである。食べ物に関しては、嫌いな物はそんなに無いので大丈夫だろう。


 一息ついて洗面所で顔を洗う。それらしきレバーに触れると、蛇口から水が出てきた。


 「おお、普通に出る」


 照明についてもそうだったが、生活機能は思ったよりも普通なようだ。触る度にグニャグニャ曲がったり溶けたりするというわけでもない。ご飯を食べたらシャワーでも浴びてみようか。


 部屋に戻り、ベッドに腰かける。

 ………さて、料理が来るまで暇になった。

 これはいわゆる『スキマ時間』というやつだろう。普段なら適当にSNSでも見て時間を潰すところなのだが、スマホが無いと暇つぶしすら出来ないのかと自分に嫌気が差す。

 

 はてさてどうしたものか。そもそも今から人が来るのか? それなら挨拶の練習でもするか? それかすぐ逃げられるように準備運動でもしとこうか。


 ただひたすらソワソワして、結局15分何もしないでいると、ノックの音がした。


 「うっ………は、はい!」


 来たのか?

 返事をし、ひと呼吸置いて扉を開ける。


 そこには、傍らにサービングカートを備えたウェイトレスの女の子が立っていた。メイド服に身を包んだ身長150㎝程の少女は、幼い顔立ちでありながら、ホテルという場に相応しい、落ち着いた出で立ちと気品を兼ね備えている。整った髪型のサイドからは、シュシュを通して銀髪がスラリと伸びている。


 ………どこかで彼女の顔を見たような気がする。たしかそれは、15分ほど前。

 そうだ、靴箱の上だ。

 彼女の容姿は、靴箱の上のちびメイドさんと完全に一致していた。


 「食事をお持ちいたしました。中にお運びしてもよろしいですか」


 「あっ、はい。お願いします」


 「それでは、失礼いたします」


 そう言うと、彼女は懐からドアストッパ―を出し、差し込んだ。

 そしてサービングカートから、美味しそうな料理の乗ったトレイを取り出した。

 

 「すみません。どいてもらえますか」


 「あ、ああ、すいません」


 呆然自失、ちびメイドさん起動からの大きなメイドさんの急な登場、その高低差にあっけに取られてしまっていた。

 急いで靴箱に身体を寄せ、通り道を作る。僕の前をメイドさんが通ると、香しい香水の香りが鼻を刺激する。


 料理のトレイを部屋内のテーブルに置く。また入口に戻り、今度は金属の水差しとグラスを取り出して、水を注げば出来上がり。僕はその間、靴箱に体をピッタリと張り付けたまま眼球だけを動かし、そのふるまいを観察していた。


 「準備ができました。暖かい内に召し上がりくださいませ。それでは、失礼いたします」


 「はい………、ありがとうございました」


 僕が掠れ声で返事をすると、メイドさんは一礼した後、屈んでドアストッパーを外した。そのままぱたんと扉が閉まり、それと同時に、魔法のように靴箱とくっついていた背中が離れる。そのまま向かいの壁に手を突き、溜め息を吐いた。


 「はぁ~」


 この世界に来てからというもの、どうも息を忘れがちになる。

 まさか靴箱の上のちびメイドさんと寸分違わず同じ人が来るとは。他の部屋にもちびメイドさんはいるのだろうか。もしいるのであれば、全員を一か所に集めて、わさわさ動いているところを見てみたいような気もする。


 さて、これでようやく食事にありつける。待ちに待ったディナータイム。

 皿の上には極厚のステーキと、木のボウルに野菜サラダが盛り付けられている。


 まずはサラダから。青々とした葉っぱは、ドレッシング等はかかっておらず、代わりに、香ばしい塩の粒がかけられている。新鮮さを表すシャキシャキとした歯ごたえと、適度な苦みと渋みから成るまろやか且つ確かな味には、賞賛を送りたくなる一品である。

 ちなみに何の野菜かは分からなかった。


 次はステーキ。赤茶色のソースのベールでコーティングされたステーキを、慣れないナイフとフォークで口に運ぶ。噛めば噛むほど、ジューシーな肉汁がとめどなくあふれ、口の中でソースと融合し、最高の味が作り出されていく。

 もちろん何の肉かは分からなかった。


 欲を言えばライスが欲しいところだったが、厚いステーキは十分に食べ応えのある、唸る一品だった。最後に、口の中の油を流し込むように水を飲み干す。

 まさかこんな上等なものにありつけるとは。味のついてない一切れのパンをぞんざいに投げられるとか、そんなスラム街のようなことも想像したが、行き過ぎた妄想だったようである。


 一息ついたところで、ふと気づく。


 「食器は………どうしよ、ふむ」


 聞き忘れてしまった。

 部屋の外にでも出しておけばいいか。いや、それで永遠に回収されずに渇いていく食器はさすがに不憫というものだ。それに他の人の通行の邪魔になってしまうので良くない。そもそも人なんて見当たらないけど。


 申し訳ないが、やっぱりもう一度メイドさんに来てもらうのが安全策だろう。ちびメイドさんに話しかける。


 「すいません、いいですか」


 また目をぱちくりと開けて、ちびメイドさんは応答した。


 「はい、いかがいたしましたか」


 「ご飯の食器を片付けてほしいんですけど、どうすればいいですか」


 「かしこまりました。こちらに置いていただければ、後ほど回収させていただきます」


 「はい、じゃあよろしくお願いします」


 2回目となればもう手慣れたものである。


 食器を片付け、靴箱の上に置いておく。

 さて、ご飯を食べれば眠くなる。これは自然の摂理だ。目の奥からモヤモヤとした危険な眠気が湧き出てくる。このまま目を閉じたら、120%の確率で眠ってしまう。

 今日は要所要所で冷や汗をたっぷりとかいている。シャワーくらいは浴びておきたい。

 でも………今このまま寝たら、それはきっと最高に気持ちいいはず………。

 ちょっとだけ横になろう。5分とかだけ。アラーム無いけどたぶんいける。


 「………! あっぶね!」


 下半身を持ち上げ、勢いをつけて立ち上がる。何とか誘惑に打ち勝った。眠気VS僕の試合は、久々に僕の白星である。

 

 洗面所の棚を漁ると、バスタオルにフェイスタオル、歯ブラシに歯磨き粉、石鹸や、シャンプーっぽい小袋など、一通りの物が揃っていた。適当につまんで抜き取り、ユニットバスに入る。ついでにトイレも済ます。

 シャワーの水を出した。シャワーからはすぐに温水が出てきて、そのまま頭から全身にかけて浴びる。流水は、身体についた汗とともに疲れを流していく。


 「はぁ~、とんでもないことになったな」


 本当にとんでもないことになった。僕は死んじゃったので、次は異世界に行く。

 白い部屋で話した時、あの職員………レヴィアさんは、僕がトラックに轢かれたと話していた。だが、自分がどういう場面で、どんな死を迎えたのかは覚えていない。

 

 覚えているのは季節だけ。桜の咲きかけた4月手前、2年通った専門学校を卒業し、内定を貰った会社で働き始める、というタイミングだったことは覚えている。

 何十社も面接を受けて、ようやく拾った内定だったというのに。ひたむきに取り組んできた就職活動の全てが無に帰してしまったという事実がとても虚しい。そもそも無に帰したのは就活ではなく人生そのものなのだが。


 別に、労働に対して特段の希望を持っていたわけではない。働かなくていいなら働かない。

 でも「せっかく席をくれたのだから、少しくらいは働いてやろう」くらいの気概はあったのだ。仕方がないからこの気概は、これから行く異世界とやらでぶつけることにしよう。異世界でどんな働き方をするのかは知らないが。

 もしかしてRPGの武器屋みたいになったりするのだろうか。もしそうなった時のためにセリフの練習でもしておくか。いざ、本番になった時に「そ、その、えっと、その武器装備しないと…あの、意味が…」みたいにテンパったらカッコ悪い。


 そういえば、元の世界での僕はどうなったのだろう。


 『転生』とやらが、どういうシステムで動いているのかは分からない。身体ごとこっちに来てるなら、行方不明として扱われているのだろうか。もしかすると、もう姉さんか誰かに連絡が届いてて、今頃必死に探しているかも。


 「あー………悪いことしたな」


 幼少の頃、父と母は早いうちに死んでしまい、気付けば近くにいるのは姉一人だった。親戚や知り合いの元を転々としながら過ごしてきた子供時代だった。

 高級マンション、一軒家、アパート、田舎にあるようなの茅葺屋根の平屋。共通していたのは、どこの家へ行ってもあまり歓迎される様子が無かったことで、その分だけ姉弟の絆は強くなっていった。


 先立つ不幸をお許しください、などと自分が言う側になるとは思いもよらなかったが、実際はメッセージも残せずにぽっくりと逝ってしまったので、現世に残してきた姉さんのことが心配この上無い。

 姉さんはフィジカルが強く、性格も気丈な方で、それに対し弱気だった僕は、2つしか違わない姉の庇護下にあるような、そんな節があった。姉さんの過保護が玉にきずで、それは依存という言葉で表現しても違和感のない程である。僕がいなくなり、その愛情をぶつける先が無くなった今、どうなってしまうのか非常に怖いところである。

 姉さん、どうか幸せになってください。あと、くれぐれも後追いで自殺なんかしないように。


 「あ~、熱………。もう上がろ」


 熱湯を浴び続けていたら、のぼせる寸前まで来てしまったようだ。肌は変色し、

 他にもパソコンのハードディスク、卒業アルバムの箱の中、二重底にしてあった引き出しなど、色々気がかりなことはあるが、気が狂いそうになるのでやっぱり止めることにした。

 うん、もう関係ない。もう死んだからバレても別に関係ない。一回死んだからもう一回死ぬなんてことはない。


 シャワー室から出る。タオルを取って身体を拭いていると、すぐそこにメイドさんがいた。食器を片付けるところらしい。


 話は変わるが、社会人にとって、物事を再三確認するというのは、とても大切なことである。


 確認すると、僕は今、一糸纏まとわぬ全裸である。

 彼女は僕のその姿をまじまじと見た後、何も言わず一礼をして、食器のトレイを持って部屋を出て行った。


 もう寝よう。

 "逆遭難"という表現が正しいだろう。「寝る以外に助かる方法が無い」ということだ。



━━━━━━━━━


 「そうだった」

 

 そんな第一声で迎えた朝。起き上がり、自分の置かれた状況を思い出す。

 

 ベッドから窓の外を眺める。空は、僕の心を反映したように厚い雲で覆われていて、地面に向けて小さな雨粒の涙をぽつぽつと落としている。


 「ハァ………」


 テーブルの上には、相変わらずレコードが鎮座している。たしか、家にあった辞書は、最後のページの左下に3000ちょっとくらいの数字が書いてあった。そして目の前のレコードはその極厚の辞書に匹敵する。僕のやる気は、砂漠に咲いてしまった一輪の花のようにみるみる萎れていく。


 それに加えて、昨日の丸見え大事件。一晩眠るとどうでもよくなった………ということはなく、今もなお、顔から火が、それとは対照的に目からは水が出そうである。姉さん以外の女の人には見られたことなかったのに。


 もう忘れよう。旅の恥はかき捨て、と言うように、どうせこの世界に長く留まることはないのだ。精々数日、なんなら僕が決心すれば、今すぐにでもオサラバできる話だったはずだ。


 逃げたい気分をなんとか原動力に変換し、紅潮したのを冷やすように顔を洗った。


 「よしっ!」


 両の掌で顔をパチっと叩き、朝のルーティーンを完了する。その後は通りがけ、ちびメイドさんに朝食を頼む。事件があった昨日の今日だが、ここで頼まないのは、変に避けてるような感じがして悔しい。

 深呼吸、決心し、もう一度深い息を吸って話しかける。


 「すいません」


 「はい、いかがいたしましたか」


 「えー、朝食を持ってきていただけますか。北の野菜のサンドイッチでお願いします。」


 「かしこまりました。15分ほどしたらお持ちしますので、お部屋でお待ちくださいますよう、お願いいたします」


 「よろしくお願いしまーす」


 ちびメイドさんは目を閉じた。

 話しかけるのにも少しは慣れた気がするが、どうにも変な緊張が抜けない。


 だが、考えれば慣れないのも当たり前なのだ。アルミ缶サイズの人と話す体験をこれまでしてこなかったのだから。

 それに、このフィギュアは目こそ閉じているものの、どうにも逐一監視されているような気がしてならない。わずかながら不気味ささえ感じる。


 フィギュアから遠ざかるように中へ戻り、席に着く。

 そんなフィギュアに現を抜かすより、今日の本題、レコード読みにとりかかろう。やる気がある内にやっておかないと、またすぐに打ちのめされてしまいそうな気がする。

 

 いざ尋常に勝負。本を手に取り、右手に背表紙を乗せ、左手親指をかけて表紙を開く。


 まずは最後のページを確認しよう。作業の全貌を把握することによって、無理のない予定を立てる。これもビジネス本に書いてあった。

 

 そうしてパラパラとレコードのページをめくってみた。


 「………ん?」


 おかしい。内容が無い。

 最初の十数ページまでは細かく記載されている。しかし、それ以降は、洗い立てのシャツのように真っ白だった。


 「んー? 何も書いてねえ………なんだこれ」


 どういうことだろう。メモ帳にしてはスペースが広すぎる。

 昨日のやり取りで何か不手際でもあったのだろうか。あれだけ大がかりなライトアップ演出があったというのに。


 でもこれはラッキーと言わざるを得ない。想像内では無限とも思われた文章量が、一気に数百分の一になったのだ。これならゆっくり読んでもすぐに終わる。パパっと読み進めて、明日にでも役所に行ってやろう。


 俄然、やる気が湧き出てくる。


 「よっしゃあ、読むぞお! まずは目次、『転生者とは』、『転生におけるルール』………」


 ページをめくり、小タイトルから続けて読む。

 

 「えー、転生者とは。『一定の条件を満たし、異世界転生課にたどり着いた方、これから異世界に転生予定の方、あるいは既に転生済みの方を【転生者】と呼びます。』」


 続けて読む。


 「『転生先の異世界は、転生者個人の適性によって決定されます。転生先の世界の詳細につきましては、異世界転生課職員より説明をお聞きいただきますよう、お願い申し上げます。』」


 どうやらこの中に書いてあるのは概要だけで、詳細はやっぱり昨日の場所で聞く必要があるようだ。パパッと載せてくれればいいものを、なんとも不便である。


 「………えー、次は」


 読みかけたところで、コンコンとノックの音がした。


 「はい!」


 扉を開くと、やはりと言うべきか、昨日と同じ銀髪メイドさんがサンドイッチを持って立っていた。


 「食事をお持ちいたしました。中にお運びしてもよろしいですか」


 「はい。お願いします」


 「それでは、失礼いたします。」


 彼女は昨日と同じように、サービングカートから、美味しそうなサンドイッチの乗ったトレイを取り出した。僕は昨日と同じ過ちを繰り返さぬよう、あらかじめ壁に張り付いておく。


 「楽にされていて大丈夫ですよ」


 「そうですよね。すいません」


 壁に張り付く必要はなかった。何もしていないのはなんとなく居心地が悪いような気がしたが、とりあえずベッドに腰かけ、手を膝の上に置く。客のような立場とはいえ、こういう時にどういう風に待ってればいいのかイマイチ分からない。


 メイドさんは昨日と同じようにテキパキと食事の準備を進めてくれている。そして僕もまた、昨日と同じように、彼女の一挙手一投足を執拗なまでにじっと眺めていた。

 水差しからグラスへ、メイドさんがオレンジ色のジュースを注ぐ。


 「それでは、失礼いたします」


 これで終わりのようだ。メイドさんが入口へと向かっていくのに合わせ、僕も立ち上がり、後ろをついていった。


 「ありがとうございました。あ、あと………」

 

 「はい、何でしょう?」


 「き、昨日は本当にすいませんでした。お見苦しいところを………」


 「はて、昨日ですか? 申し訳ございません、どういったご用件だったでしょうか?」


 メイドさんは小首を傾げている。

 ………もしかして、昨日の事件を無かったことにしてくれるということか。「私は何も見なかったし、あなたも見せなかった。そうよね?」みたいな感じ? 下手をすれば変態扱いされるところだったのに、無かったことにしてくれるのは大変ありがたい。

 その提案に乗るとしよう。


 「あ、いえ、すいません。何でもないです。ありがとうございました」


 「左様ですか。かしこまりました。それでは」


 一礼に対してこちらも軽く一礼を返し、扉を閉めた。

 

 さて、サンドイッチを食べよう。メニューによれば、北で採れた野菜で作ったサンドイッチだという。北がどっちかも分かっていないが。今のところは「たぶん枕のある方は北じゃないだろ」くらいの認識である。

 

 ここで気付く。僕は学ばないことで有名な男だ。また食器の片づけを頼むのを忘れていた。


 「まだいるかな」


 メイドさんがいつもどこから来ているのかは分からないが、見通しのいいあの廊下、もう見えなくなっているようなことは無いだろう。


 扉を開く。部屋から体を半分だけ出して、首を振って左右を見渡してみると、右側奥、僕の部屋から3つ部屋を挟んだあたりのところに、サービングカートを持ったさっきのメイドさんがおり、他のメイドさんと話しているところが見えた。


 僕が身体を乗り出してそのままにしていると、メイドさんたちは僕に気付いたらしく、2人とも同じ顔でこちらを見た。

 これは「2人とも同じ表情をしていた」という意味ではない。

 顔のパーツが、構造が、全くの一緒。つまり、双子だったのである。


 カートを持った方のメイドさんは向こう側へ行き、もう一人はこちらへ歩いてきて、僕の前で立ち止まった。


 「大変失礼いたしました。どうかなさいましたか?」


 「すいません、後で食器の片付けをお願いしたいんですけど、30分後くらいに」


 「はい、かしこまりました。それでは30分後にお伺いいたします」


 などというやり取りをしていると、左側から来た2人のメイドさんが横をてちてちと通り過ぎていった。その2人も目の前にいるメイドさんと同じ顔である。現時点で確認した同じ顔は、今いる3人と、さっきカートを持っていったメイドさんを合わせて4人。

 

 「は!?」


 思わず声を上げる。すると、3人がこちらを一斉に見てきた。世の中には自分と同じ顔の人が3人いて、それらを見ると死んでしまう、などという怪談めいた噂があるが、それが本当なら彼女らはもれなく即死である。


 こうも同じ顔でまじまじと見られると、どうにもむず痒い。


 「あの………皆さん同じ、お顔、なんですね、はは…」


 気持ちの悪い笑いが出てしまった。

 一番左のメイドさんが応える。


 「左様でございます。当ホテルは従業員全員、ゴーレムの種族でございます。驚かせてしまい、大変申し訳ございません」


 「ゴーレム………」


 「はい。他には何かございますか?」


 「いえ、大丈夫です」


 「かしこまりました。失礼いたします」


 3人が寸分違わぬ動作で、同じように頭を垂れる。僕は平静を装いながら、ゆっくり扉を閉めた。


 もう何もかもそのまま受け入れるようにしよう。彼女はゴーレム。そう。


 異世界というものはどうやら地球と違うようで、ゴーレムとか、獣人とか、耳の長い人とか、色々な種族がいるらしい。

 転生先の世界でも似たような感じなのだろうか。もしそうだとしたら僕の心臓は持ってくれるだろうか。

 ポジティブに言うと、物見遊山が楽しみなような気もする。先行きは変わらず不安だ。


 「よし!」


 とりあえずサンドイッチでも食うか!


━━━━━━━━━


 レコードを読み終えた時、ふと窓の外を見ると、差していた陽の光は既に消えていた。外では冷たい夜の風が吹き荒れ、軋む音の中に時折、呻き声のような不穏な音が紛れ込み、部屋の中にまで届いている。


 「ふう」


 僕の脳は今、本を読破した時の得も言われぬ達成感に包まれていた。内容を振り返る。


 まず、レコードの前半には、異世界転生におけるルールと、転生時に貰える特典についての説明が記載されていた。



 <転生におけるルール>


 ・異世界転生課に到着した場合、目を覚ました日を1日目として、原則7日目の朝に、転生する。

 ・転生先の世界は、転生者個人の能力と適正によって決定される。転生先の候補が複数ある場合は、それぞれの世界の詳細を把握した上で、望む方を選択できる。



 他にもごちゃごちゃと細かなルールが書いてあったが、直近で関係ありそうな部分は、こんなところだろう。『犯罪をした場合それぞれこうなりますよ~。盗難はこうで、無銭飲食はこうで、性犯罪はこうで………』等々、その後の処遇について事細かに書いてあった。閻魔大王かよ。

 ともかくそんなことをする気は毛頭無いので、雑に読み飛ばしてしまった。


 だが、引っかかる項目が一つ。


 ・当該の7日間に、何らかの形で死亡した場合、異世界転生課は責任を取らない。


 異世界という名の未知から溢れ出るデンジャラスな雰囲気が、遺憾なく伝わってくる一文。今でこそ綺麗なホテルの中で優雅を享受しているが、こんな平穏を過ごせる機会が二度と来ない可能性だってある。

 一本道で目の前から大岩が転がってきたり、鈍色の超巨大爬虫類が襲ってきたり………、そんなSF映画に出てくるような危険が、いや、そんな陳腐でコテコテな想像を遥かに超えるような何かが、いずれ目の前に現れるのかもしれない。


 剣呑な事項は一旦置いて、明るい未来の話をしよう。


 <特典>についての記載だ。

 どうやら転生の直前に、転生先の世界で役立つアイテムを貰えたり、秘められた潜在能力を引き出してくれたり、仲間の斡旋などを行ってくれたりするらしい。

 得られる特典はどれか一つということなだが、ので慎重に選びたい。


 僕は料理をしない人間である。つまり、包丁すら大して持ったことの無いもやしっ子なのだが、そんな僕が伝説の剣を貰ったりしたところで宝の持ち腐れ、どうにもならない。


 まあこれは、よほど変なことが無ければ、"まとまったお金"でも貰っておくのが妥当だろう。

 使った瞬間に傷が治る液体や薬草みたいなトンデモアイテムがあれば、それはちょっと見てみたい気もするが。


 それよりも気になる項目はこの3つだ。


 <転生における特典>


 ・記憶の残留 or 削除

 ・別の種族及び生き物、その他に転生

 ・別の性別に転換


 今ある記憶を残すか、消去してやり直すかを好きにできる。

 姉さんとの思い出を消すわけにはいかないし、それに、いわゆる"強くてニューゲーム"の方が何かと都合が良いだろう。よって、悩む必要のないところだが、完全にリセットしてやり直すことも可能ということは頭に置いておこう。


 問題は次と、その次の項目。

 どうやらここに書いてある限りでは、今ある人間の身体を捨てて、僕自身が獣人や耳長になったりできるようなのだ。

 肉体派と頭脳派。僕は完全に頭脳派の人間で、これまでの人生において、悔しくもフィジカルの強い人間に虐げられることが多々あった。そんな食物連鎖下位の現状を、あっさりと脱することができるのかもしれない。

 しかし、性転換。よくある2択の質問で心理テストなんかに『次に生まれ変わるなら男か女か』というものがあるが、僕は断然、女に生まれ変わりたい派閥である。理由は言いますまい。

 筋骨隆々の肉体 or 神秘の女体化………。

 天秤にかけて、迷うところである。


 後半は、僕自身の経歴とステータスのページがあった。

 しかし、経歴の欄にはほとんど何も書かれておらず、唯一記載があるのは『死因』欄の「轢死:トラック」という部分のみである。

 それより大事なのは、ページの一番上に『転生者証明書』というカードが張り付けられていたことだ。見た目は学生証のようなこのカードだが、この世界で過ごす7日間は、これを使って手続きなどをするらしい。簡易的な身分証といったところだろう。


 次はステータスだ。これまで色々な不安要素をぽつぽつと見つけてきたが、ある意味ここのページに書かれていることが、一番の不安要素かもしれない。


 ステータスのページには、僕の身体能力などを示す、六角形のグラフが書いてあった。六角形の各項目は、「筋力」「知力」「魔力」「体力」「気力」「運命力」で構成されている。

 そして、僕の六角形はあまり大きなサイズではなさそう………認めたくないが、はっきり言って小さい。物でたとえると、太めの鉛筆くらいの大きさで、とても頼りない感じがする。


 メモリの最高値に対して、どの項目も10分の1程度しか伸びていないばかりか、特筆して「筋力」や「気力」なんかはそれ以下である。やっぱりコロッと呆気なく死んでしまうんじゃないだろうか………。


 不安に駆られて、少しでも筋トレするか、などと考え腹筋をしてみたものの、10回をこなしたところで限界が来たし、腕立て伏せについてはわずか4回しかできなかった。もう、このグラフの値でさえ過大評価な気さえしてくる。


 あとは使用魔法やらスキルやらと書かれていたが、お察しのとおり使える魔法などあるはずもなく、スキルの説明とやらも、案の定意味が分からないので考えることを止めた。


 ベッドに倒れ込む。風の音は相変わらず、気障りな程に鳴っている。

 頭は疲れ、何もかも面倒くさいという感情が前に出て、食欲はあったがそのまま寝た。


 空腹は次第に痛みへと姿を変えていったが、それでも無理に瞼を伏せ、何も考えないことをよしとした。


━━━


 オフィス内に大男の声が響き渡る。


 「みんなお疲れ様~、お土産買ってきたよ~、ってもうみんな帰ってるか」


 「課長、お疲れ様です」


 レヴィア・クリストラは席を立ち、課長の席へ先回りする。


 「あ、お疲れ様~。俺がいない間なんも無かった?」


 「提供の薬の数が減っていたので、管理課の方に発注するよう依頼しておきました」


 「お、いいね~。ありがとうございます」


 レヴィアは一つの報告を始める。


 「あと………、一つ気になる点があるのですが」


 「ふうん、何? あ、これお土産ね。ホイ」


 課長は袋から小さなお菓子の包みを取り出し、レヴィアの頭の上にポンと乗せた。


 「昨日来られた転生者の方についてですが、登録の印字の際にレコードが異様に分厚くなりまして。今はご本人が所持していますが、次回来られた際に確認していただきたく」


 「分厚いってどんくらい?」


 レヴィアは人差し指を下あごに当て、少し考えた後、頭の上のお菓子を取って応えた。


 「そうですね………これを4つ重ねるのと同じくらいかと」


 「ん~旨い。4つ………、4つ?」


 土産の袋からお菓子を5つ取り出し、1つ包みを破って口の中に放り込んだ。そして残りの4つは縦に重ねる。


 「え、ほんと? こんなに? 何で?」


 「原因は不明です。テンプレートの部分まで問題なく印字できているのは確認しましたが、念のため見てもらった方が良いかと思いまして」


 「そっか。昨日か。明日来るかな~」


 「この件も管理課には報告済です。それでは、今日はこれで」


 「分かりました! お疲れ様~。あ、もしかして俺のこと待ってた? ごめんごめん! 飯でも行く?」


 「この後は用事がありますので。お疲れ様です」


 「相変わらずクールだね~。お疲れ様~」



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