第八話 ティアナの力
獣の最期を確認したジークは、足元をぐらつかせ思わず片膝をついた。抜き身の剣を支えにティアナに目をむける。真っ青な表情の彼女と目が合い、ようやく高揚した血の巡りが治まってきた。
「怪我はないか?逃げろと言っただろう」
厳しく咎めたつもりが、自分の声は思ったよりも掠れていた。次に襲ってきたのは左腕の激痛。焼けるような痛みと痺れ、五本の指は紫を通り越して灰色になっている。ここで初めて、ジークは左腕が使い物にならなくなっていることに気づいた。上腕の肉が裂け、骨が見えている。血がどれほど流れたのだろうか、辺りに赤く飛び散っているのは魔獣ではなく己の鮮血だった。
くそ。早く手当てしないと、剣が持てなくなる。片手ではこれから、あいつらを倒しにくくなるじゃないか。彼は大きく舌打ちをした。
「すまない。お前の記憶を戻す作業はまた次回にしてもらえるか。屋敷へ帰って手当てをしたいのだが」
馬車へ行くぞ、と立ち上がろうとしてジークはめまいを覚えた。ゆらりと揺れる視界に、ティアナの震える声がひびく。
「ジークさま!ジークさまっ!動いたらダメです!」
無残に転がった黒焦げのかたまりなど、もう彼女の目に入らなかった。ティアナは傷ついた黒衣の青年のもとへ這いつくばるようにしながら近づいていった。
剣を支えに立ち上がろうとしている彼は、意識があるのが不思議なくらいだった。傷ついた片腕はだらんと垂れ下がり、灰色の指先からぼたぼたと血を落とし続けている。神経がつながっているのかもわからなかった。
「動かないで!本当に腕が取れてしまいます!」
「だから早く馬車へ行くんじゃないか!」
互いに怒鳴りあっていることに気づかず、ティアナはジークの腰にしがみついた。
「待って!ちゃんと診せてください!このままじゃ絶対間に合わない」
彼女の剣幕に思わず言い返そうとしたジークだったが、ぐらつく視界に再びよろめいた。小さな悲鳴をあげ、ティアナは彼の背中を支える。黒の布地は破れ、血が滲んでべったりと肌に張り付いていた。彼女はおそるおそる左腕を持ち上げる。とにかく傷口を塞がないと。冷たい。血がたくさん出てる。
ジークの呼吸が浅くなってきていた。
「はやく、しないと、戦えな…」
ぽとり。ドレスに真っ赤な血が落ちた。
そのとき、ティアナのなかで、なにか柔らかいものが目を覚ました。彼女は誘われるように、ぱっくりと開いた傷口を両の手のひらで包む。白い光を纏って、ふわふわと淡い雪のようなものがあたりに無数に漂いはじめた。
「お願い、治してあげて……」
ティアナは白い小さな光粒に向かって懇願するように片手を差し出した。ふわふわと彼女の周りを舞っていた粒たちはいっせいに手のひらへと集まってゆく。きらきら、ちらちらと嬉しそうに揺れながら彼女の指先をつたってジークの傷口へと流れこんでいった。
ジークは、血を大量に失ってふらつく頭でその様子を理解しようとしていた。ティアナの周りの大気が、淡く色づいているように見える。彼女自身が光を発しているのだった。
「ありがと、みんな。いつも、ありがとう」
穏やかな、柔らかい瞳で光の流れに礼を言っている。ジークは自分の左腕が力強く脈打つのを感じた。傷ついた細胞が、ひとつひとつ繋がってゆく。彼女の発する光は、ジークをふわりと包んでゆく。彼はその心地良さに身を委ね、ティアナの肩へ頭をそっと傾けた。
「大丈夫。もう、だいじょうぶですよ…」
優しい声に、いつのまにか彼は目を閉じていた。