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第六話 騎士団長の戦い1

 


 どこかから、獣臭さのなかに鉄が混じったような異様な匂いが流れてくる。ティアナは眉をひそめてその臭いの元を探した。同時に林の方から、地を這うような唸り声が響いてきた。


「ま、魔獣…?」

「こんなところまで来ることはないはずなんだがな。ここに残る魔力の跡に惹かれてきたのかもしれない」


 ジークは唸り声のする方角を睨んでいる。そして響き渡る凶暴な叫びとともに、「それ」が姿を見せた。真っ黒い塊が、ゆっくりと浮かびあがる。そのシルエットは熊に近い。大きな獣の影にティアナは凍りついた。


 逃げなきゃ。そう思うのに、一歩も動けない。地面がぐらぐら揺れているような気がして、立っているだけでやっとだ。恐ろしさに喉はくっついてしまい、奇妙なかすれ声が漏れるばかりだ。だんだんと、こちらにやってくるそれの輪郭がはっきりとしてきた。


 一匹の巨大な獣が、燃え盛る真っ黒な炎とともに姿を現した。四肢を纏う体毛がもうもうと揺れている。ふたつの目玉は真っ赤で、左右違う方向に動きぎょろぎょろとなにかを探している。尖った耳に狼のような鼻面。剥き出しになった歯の隙間から絶えず荒い息が吐き出される。


「ひ… 」


 ぐるぐると回り続けていた目玉が、ティアナを捉えた。唸り声は何かを見つけた喜びに満ち溢れ、いっそう狂気じみた響きを轟かせる。声にならない叫びをあげようとしたとき、


「しゃがんでろ」


 ぎゅっと頭を押し込められ、その強さにティアナはよろめくように地面に膝をつく。小石が膝にいくつもめり込む感触に小さく呻いた。


「う…」

「そこにいるんだ。すぐ片付ける」


 彼は素早く剣を構え直した。柄に嵌められた紅石がきらきらと輝きだす。その光は刀身を包んでいき、見る間に紅蓮の炎を纏う長剣となった。

 黒い獣に向かってにやりと口角をあげると、ジークは低い体勢で進んでゆく。ティアナは地面にしゃがみ込みながらも、その光景を息を呑んで見ていた。


「ふん。のこのこと一匹で出てきたのか?馬鹿め」


 吐き捨てるように煽るジークの言葉がわかるのか、ぐるぐると唸り赤い瞳を燃えたぎらせ四本足を縺れるように絡ませながら、獣はジークへと躍りかかった。


✳︎✳︎✳︎✳︎


 ざしゅ、と重い音がした次の瞬間には獣の頭部は無くなっていた。


 目を逸らしたわけではないのに、ティアナには何が起きたのかよく飲み込めなかった。ジークと獣がすごい勢いで近づいていったと思ったらもう、獣はただの肉塊となって地面に転がっていた。首から上、顔だったモノの口からごぼごぼと液体が吐かれる。こっちを見ている眼球はすぐに灰色に変わってしまった。ティアナは、両手をぐいぐい握りしめ吐き気を抑える。目の前の信じられないできごとをただただ眺めるしかできなかった。


 あれが、魔獣、なんだ。


 黒い血が、地面を伝ってとろりと広がってゆく。だが獣の血は地面に吸い込まれる前に、しゅるしゅると沸騰して消えてしまう。大地がその血を拒否しているかのようだった。


 焼け跡に立つジークは、先ほどまでとは一変した雰囲気になっていた。ひゅんと刀身を振るい、黒い血を払うと目を爛々と輝かせ、不敵な笑みを浮かべて黒い外套を脱ぎ捨てる。彼は風に黒髪を靡かせ、さらに林の奥の方へ顔を向けた。


「まだいるな。胸当てくらいつけてくるべきだったか」


 自分の服を見て怒ったように独りごちた。騎士団長としてこんな失態は許せない。


「…ジーク様っ!だ、だ、大丈夫ですか?」

「誰に言っている?お前はそこで記憶を掘り起こしていろ」

「…そんな、お一人で行かれては危ないです。あんな、あんなっ……逃げましょう!」


 今の今まで暴れていた肉塊からやっと目を離して、ティアナはジークへ駆け寄った。


「俺たちはアレを倒すのが仕事だ。別に珍しいことでもない。放っておけば人間を喰らう」


 吐き出すようにそう言って早くあちらに行きたそうにうずうずとしている。不機嫌なイメージが多いのに、なんだかいまの彼は生き生きとしている。ティアナはそれをすこし意外に思った。


「た、食べる。ひとを食べるんですか…?」

「あまり馴染みがないのか。あいつらは人間を喰うのが大好きだ。人間の肉も、…魂も」


『魂』、と口にした頬がぴくりと歪んだ。ティアナがそれについて尋ねる前に、


「お前は自分のやるべきことに専念しろ」


 そう言いながらジークは背中を向け歩きはじめた。だが、ふと立ち止まりティアナの方を見る。そして舌打ちした。その視線は彼女を通り越して、今魔獣が来たのと反対の方向を見据えていた。


「あっちもか。こいつら、どこから湧いてでた?」


 眉をひそめてジークはティアナの方に戻ってくる。そういう間にも獣の咆哮らしき音がいくつか聞こえてきた。互いに牽制しあいながらもどんどん近づいている。


「三、四…、五匹。少し多いな」


 彼はティアナをちらりと見て手を伸ばした。


「馬車までは間に合いそうにない。あちら側の焼け落ちてない方に行くぞ」

「は、は、はい!」


 ティアナは、ジークの腕をとり、ドレスの裾を引っ掴んだ。彼の大きな一歩に遅れないよう、必死で焼け跡の上を歩く。その様子に、剣を構えながら彼がすこし笑った気がした。


 真っ黒に焦げてはいるが一応身を隠せるような壁面まで移動すると、ジークはティアナの背を壁にぴたりとつけた。梁があるため彼女の姿はほとんど周りからは見えなくなる。彼は膝をついて、ティアナへ言い聞かせた。


「ここにいるんだ。動くなよ。今は記憶を思い出そうとしなくていい。わかったな」

「ジーク様?逃げるのではないのですか?」

「言っただろう。逃げたらきっと別の人間を襲う。見つけたら倒すのが騎士団の仕事だ」


「お前を馬車に乗せようと思ったが、このままでは追いつかれる。あいつら脚は人間よりよほど速いからな」

「…ですが、お、おひとりでは…」

「関係ない。お前がそこでじっとしていてくれるなら、さらに仕事がやりやすいんだが」


 ティアナはなにも言えなかった。自分が足手まといなことは間違いない。今できるのは、邪魔にならないように小さくなっていることだけだ。それでも、心配でたまらない。ここへ連れて行ってくれと言い出したのは自分だ。まだなにも思い出せていないし、とにかくこの方に会ってから迷惑しかかけていないような気がする。


 唇を噛みしめるティアナに、ジークはため息をついて、


「あいつらは攻撃的だが、騎士団のように訓練を受けてるわけじゃない。こんな場面も想定内で訓練済みだ」


 正確には、想定内なのはこちらが三人以上いる場合だが。魔獣一匹に、戦士三人というのが騎士団の定石だ。一対一の場合でも、応援を待たなくてもいいのは副官以上に限られる。だが、彼女にそれを告げてどうなる。この怯え切った娘に、先ほどのような状態になられては困るのだ。



「思い出すことも、父のことも、今は気に病むな。あとでゆっくりやればいいんだ」


 ジークの言葉に、ティアナは不安ながらも素直に頷いた。「お気をつけて」と彼の腕にぎゅっと触れる。ジークは驚いたように一度眉を上げると、「ああ」と小さく頷き返してくるりと踵を返した。






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